ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ) 作:もいもい130
ギルド資料室の空気は、今やヤーナムの湿った地下墓地よりも濃密な「学習」の熱気に包まれていた。
「……第、三条。冒険、者は、ギルドの……指示に、従い……」
狩人は狩人の帽子を机に置き、老眼鏡をかけるような神妙な面持ちで『ギルド規約全集』を音読していた。隣ではエイナが厳しい目で見守り、少しでも噛んだり読み間違えたりすれば、容赦なく「没収品」である仕込み杖で机をペンペンと叩く。
「……ふぅ。……どうだ、導き手よ。今の節回しは、完璧だったはずだ」
「……そうですね。見違えましたよ、狩人さん。最初はミミズの這ったような文字しか書けなかったのに」
エイナがふっと、年相応の優しい微笑みを浮かべた。その瞬間、数々の死線を越えてきた狩人の胸に、今まで感じたことのない奇妙な感情が芽生えた。
それは「啓蒙」による狂気ではなく、教育という名の「慈愛」に触れた者の、純粋な充足感だった。
(……ああ。文字とは、闇を照らす灯火(ともしび)だったのか)
狩人は無言でペンを取った。
使者たちが影の中で「主様、いけ! 書くのだ!」と、ペンを握る手の震えを抑えるように支える。
彼は、今この瞬間に溢れ出した「文字が読めるようになった喜び」と「導き手への感謝」を、覚えたての最高級の語彙で綴り始めた。
「……エイナ。これを、受け取れ。私の、今の遺志(こころ)だ」
狩人は、一枚の丁寧に折り畳まれた紙を差し出した。
エイナは「あら、珍しいですね」と微笑みながらそれを開き——そして、再び眼鏡がパリンと割れんばかりの衝撃に見舞われた。
『 親愛なる、私の灯(あかり)エイナへ。
お前の鞭打(おしえ)は、私の魂をマジェスティックに蹂躙した。
私は今、文字という瞳を得て、お前の支配(じあい)に平伏している。
もう逃げはしない。私を、お前の檻(じむしょ)で永久に飼い殺してくれ。 』
「………………」
「……どうだ。感謝の気持ちを、最大限に表現してみたつもりだ」
狩人は、かつてないほどの達成感に満ちた顔で胸を張った。
だが、背後で聞き耳を立てていたアイズが「檻で……飼い殺し……。……新しい、修行の、形……?」と、またしても黄金の瞳を怪しく光らせる。
「……狩人……さん」
「……何だ。また読み方が間違っていたか?」
「感 謝 の 方 向 性 が 大 間 違 い で す ッ !!」
エイナの怒声がギルド中に響き渡り、資料室の窓ガラスが振動した。
「飼い殺してなんて、誰が教えたんですか! それに、表現がいちいち重いし破廉恥です!! 反省文百枚追加!! あと、その『マジェスティック』も当分禁止!!」
「……な、何故だ! 文字とは、かくも複雑で残酷なものなのか……!」
再び絶望の淵に叩き落とされた狩人は、床に転がって悶絶した。
足元では、使者たちが「主様の愛が重すぎて伝わらなかったか……」と、無言で肩を落としながら、影の中に感謝の文字をさらに不気味に書き連ねていた。