ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ) 作:もいもい130
ギルド資料室の空気は、今や知性と狂気が入り混じる奇妙な聖域と化していた。
連日のエイナによる「マジェスティック矯正プログラム」の末、狩人はついに、オラリオの公用語を自在に操る術を習得したのである。……ただし、その文体はヤーナムの血の匂いと、エイナへの歪んだ敬意が混ざり合った、この世のものとは思えないほど重厚で不気味なものであった。
そんなある日の午後。
資料室の重い扉を、おずおずと叩く者がいた。
「あ、あの……狩人さん。いらっしゃいますか……?」
現れたのは、ベル・クラネルだった。彼は顔を真っ赤にし、指をもじもじさせながら、机の上で「反省文:第144版」を執筆中の狩人のもとへ歩み寄った。
「少年か。……見ての通り、私は今、文字という名の深淵と対話している。……何の用だ?」
狩人は狩人の帽子を深く被り直し、冷淡に問いかけた。その足元では、使者たちが無言で、ベルが持ってきた差し入れのクッキーを影の中に引きずり込み、ぺちぺちと咀嚼音のような音を立てている。
「実は、その……僕の憧れている人に、ちゃんと思いを伝えたいと思って……。でも、僕が書くとどうしても子供っぽくなっちゃうんです。だから、街で噂の『マジェスティックな代筆屋』さんにお願いしたくて……!」
狩人の眉がぴくりと動いた。
エイナからは「商売禁止」を言い渡されているが、これはかつて自分を誤解し、そして修行を共にした少年への慈悲である。
「……いいだろう。その『瞳に映る幻影』への言葉、私が綴ってやろう。……案ずるな、今の私は、文字で世界を狩ることもできる」
狩人は遺志の中から、最高級の羊皮紙と、カラスの羽ペンを取り出した。
背後でアイズが「代筆……。……私も、書きたい……」と黄金の瞳を輝かせているが、狩人はそれを無視し、ベルへと問いかける。
「少年よ。お前の想いを、単語で並べてみろ」
「えっと……『いつも見守ってくれてありがとう』とか、『一緒にいるとドキドキする』とか、『これからもずっとそばにいてほしい』……とかです!」
ベルの純粋すぎる言葉を聞いた瞬間、狩人の頭の中で「啓蒙」が激しく火花を散らした。
(……甘い。甘すぎる。これでは上位者の心どころか、街の小娘の心すら揺さぶれん。愛とは、もっと血に塗れ、内臓を掻き乱すような、暴力的なまでの渇望であるはずだ!)
「……わかった。お前のその『薄っぺらな陽光』のような言葉を、私が『真理の闇』へと昇華させてやろう」
狩人は猛然とペンを走らせた。
使者たちが影の中から湧き出し、狩人の腕に纏わりついて、その筆致に狂気的な躍動感を与える。ペン先が紙を削る音は、まるで肉を裂く音のように資料室に響き渡った。
その時である。
ペンを握る狩人の脳裏に、ふとした疑問が、冷酷な真実となって浮かび上がった。
(……待て。そもそも、なぜ私は今、怪物と戦う代わりに紙とペンを戦わせているのだ? なぜ誇り高き狩人が、ハーフエルフの乙女の顔色を窺い、正座して反省文を書いている……?)
思考が過去を遡る。すべての歯車が狂い始めたのは、あの日だ。
アイズ・ヴァレンシュタインに対し、あの愚かしくも素晴らしい連撃……ミコラーシュ神拳を繰り出した、あの瞬間。
(……ああ、そうか。これはあの「悪夢の主」の呪いだ。メンシス神拳という名の狂気に触れた瞬間から、私は奴の術中に嵌まっていたのだ……!)
狩人の瞳に、宿命的な絶望が宿る。
あのぺちぺちという滑稽な打撃音と共に、メンシス学派の陰謀がこのオラリオにまで浸食していたのだ。あの神拳は、受けた者の神経を狂わせるだけでなく、振るった者をも「お勉強」という名の終わりのない迷宮へ誘う、メンシス学派の狡猾な罠だったに違いない。
(ミコラーシュめ……死してなお、私を自らの後継者に仕立て上げ、学派の「教育」に縛り付けるつもりか……! マジェスティックな陰謀だ……!)
「狩人さん? どうしたんですか、急に震えだして……」
ベルの心配そうな声も届かない。
狩人は自らの呪われた運命を呪いながらも、その呪縛を「ラブレター」という形で出力し続けた。もしこれがメンシス学派の仕業なら、毒には毒を、狂気には狂気を以て応えるまで。
一時間後。
狩人は、どす黒いオーラを放つ一通の封書をベルに手渡した。
「……完成した。これこそが、魂を震わせる至高の親書だ。……心して、その者に届けるがいい。……これはもはや私の言葉ではない。メンシスの残響だ」
「わあ、ありがとうございます! さすが狩人さん! これで僕の想いも伝わります!」
ベルは中身を確認することなく(恐ろしすぎて開けられなかったとも言う)、満面の笑みで資料室を飛び出していった。それを見送った狩人は、心地よい疲労感と共に、椅子に深くもたれかかった。
「……ふふふ。……マジェスティック。……愛とは、かくも素晴らしいものだな、導き手よ」
「何 が 『 マ ジェ ス テ ィ ッ ク 』 な ん て す か ッ ! !」
背後の本棚の陰から、書類の束で武装したエイナが、般若の如き形相で現れた。
「今の、ベルくんですよね!? 彼に何を、何を書かせたんですか!! 書き損じの控えを読みなさい!!」
エイナが机の上に叩きつけた、代筆の「下書き」を狩人は平然と読み上げる。
『 親愛なる、私の捕食者よ。
お前の視線に貫かれるたび、私の内臓は歓喜に震え、血は逆流する。
お前という悪夢に一生飼い慣らされるのなら、私はこのステイタスすら塵として捨て去ろう。
さあ、私の胸を裂き、その瞳を埋め込んでくれ。
我らの共鳴は、マジェスティックな終焉へと至るのだ。 』
「……完璧だ。少年の『ずっとそばにいたい』という幼稚な言葉が、これほどまでに気高く、重苦しい渇望へと生まれ変わった。これぞメンシスの導き」
「全 部 台 無 し で す よ ! !」
エイナの絶叫。
「これ、告白じゃなくて『生贄の儀式の勧誘』ですよ!? ベルくんがこれを誰に渡すと思ってるんですか!? もしアイズさんに渡したら……!」
「……唇で……塞がれる……?」
横で聞いていたアイズが、なぜか頬を赤らめながら自分の剣を握りしめている。彼女には、この「血塗られた恋文」が、至高の決闘状、あるいは求婚状に見えているようだった。
「ほら! アイズさんが変な啓蒙を高めてるじゃないですか! 狩人、今すぐベルくんを追いかけて、その手紙を回収してきなさい! 命令です!!」
「……何だと。……せっかくの、私の最高傑作を……」
「い い か ら 行 く ! !」
エイナの指差し確認と共に、狩人は資料室を放り出された。
「古い遺骨」を再び使い、水銀の霧となってベルを追う狩人。
(……これもすべて、メンシス学派の陰謀か。少年よ、逃げろ。お前がその手紙を開いた瞬間、お前の脳にも「瞳」が生えてしまう……!)
オラリオの夕暮れ。
絶叫する少年と、それを霧となって追う死神のような代筆屋。
その光景を見ていた街の冒険者たちは、今日ものどかなオラリオの日常に、マジェスティックな祝福を捧げるのであった。
「……少年! 待て! その手紙は……まだ、添削が必要だッ!!」
「ひいいい! また追いかけてきたあああ!!」
狩人の教育の道は、まだまだ、血の匂いとメンシスの陰謀が立ち込める深淵の途上にある。