ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ)   作:もいもい130

3 / 29
第3話:石造りの学び舎と鉄の掟

 

ギルド本部の受付カウンター。ハーフエルフの職員、エイナ・チュールは、目の前に座る「自称・狩人」の青年に、本日何度目かになる溜息を吐き出していた。

「いいですか、狩人さん。さっきも言いましたが、本来この街でダンジョンに潜るには、いずれかの『ファミリア』に所属していなければならないんです」

エイナが差し出した羊皮紙を、狩人は無言で見つめていた。その手には慣れない羽ペンが握られているが、ペン先は紙面から数センチ浮いたまま、石像のように固まっている。

「……ファミリア、だと」

「ええ。神様から『恩恵(ステイタス)』を授かり、その眷族となる。それが冒険者の絶対条件です。所属のない『無所属(フリー)』のままでは、ダンジョンへの立ち入りすらギルドが制限しているんですよ。……今のあなたは、言ってみれば無許可の侵入者になりかねないんです」

「…………」

狩人は狩人の帽子を深く被り直し、視線を落とした。

神の眷族になる。上位者に魂を売り、その血の恩恵に縋る。ヤーナムで血の医療を、あるいは月の魔物の呪縛を知る彼にとって、それはこの上なく忌まわしい契約に聞こえた。

「……私は、誰にも縛られぬ。神の家畜になるつもりはない」

「家畜だなんて、人聞きが悪いですよ! ……でも、困りましたね。あなたのその頑固な性格じゃ、どこのファミリアも紹介しづらいですし……」

エイナは困り果て、自分のこめかみを指で押さえた。

本来なら、文字も書けず、神との契約も拒むような素性の知れない男など、門前払いするのがギルドの仕事だ。だが、彼の纏う圧倒的な「強者」の気配と、その瞳にある底の知れない孤独が、エイナの世話焼きな性格を刺激してやまない。

「……はぁ。わかりました。今回だけ、私が『特例』として処理を進めます。まずはギルド預かりの冒険者として登録して、ダンジョンでの立ち振る舞いを見てから、受け入れ先を探しましょう。……その代わり、名前くらいは自分で書いてもらいますからね?」

「……そもそも、これはどこから読めばいいのだ」

狩人の低く、真剣な問いに、エイナはついに机に突っ伏した。

「そこからですか!? 本当にお困りですね……。まさか読み書きすらできないなんて」

「……私は、狩り以外の術を必要としなかった」

その言葉に嘘はない。幾千幾万の夜において、文字を読む必要などなかった。必要なのは血の臭いを嗅ぎ分ける鼻と、敵を屠る最適解だけだったのだ。

エイナは椅子を引き寄せ、狩人のすぐ隣に座り直した。

ふわりと、書物とハーブが混ざったような、清潔な香りが狩人の鼻腔をくすぐる。血と獣の脂の臭いしか知らぬ彼にとって、それはあまりに異質な、安らぐ香りだった。

「手を貸してください。……こうやって持つんです」

エイナが、狩人の節くれだった大きな手に、自分の白く細い手を添えた。

瞬間、狩人の身体が微かに強張った。武器以外のものを握り、他人の体温をこれほど近くに感じたことなど、彼には記憶にない。

「力、入りすぎです。そんなに強く握ったら、芯が折れちゃいますよ。……そう、ゆっくり。ここはこう書くんです」

エイナの手導きで、羊皮紙の上に不格好な文字が刻まれていく。

オラリオの共通語。狩人にとって、それはかつての上位者の呪言よりも難解な記号だった。だが、隣で熱心にペン先を追うエイナの横顔を見ていると、不思議と投げ出す気にはなれなかった。

「……導き手よ。お前は、なぜこれほどまでに私を構う。私に『恩恵』はないぞ」

「……放っておけないじゃないですか。こんなに強そうなのに、一人じゃお買い物もできなさそうなんですもん。……それに、アドバイザーとして、あなたの命を守るのが私の仕事ですから」

エイナは悪戯っぽく微笑み、再びペンを動かした。

その温かな手の感触に、狩人はふと思った。

幾千幾万の夜を越えた先に、こんな穏やかな「昼下がり」があってもいいのかもしれない、と。

「『名も知らぬ』記号だが、刻んでみるとしよう」

「『名も知らぬ』じゃなくて、自分のお名前ですよ? ほら、あと少し!」

静かなギルドの片隅。

最強の狩人と、一人の受付嬢。

その奇妙な「授業」は、外の陽光がオレンジ色に染まり始めるまで、穏やかに続いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。