ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ) 作:もいもい130
ギルド本部の受付カウンター。ハーフエルフの職員、エイナ・チュールは、目の前に座る「自称・狩人」の青年に、本日何度目かになる溜息を吐き出していた。
「いいですか、狩人さん。さっきも言いましたが、本来この街でダンジョンに潜るには、いずれかの『ファミリア』に所属していなければならないんです」
エイナが差し出した羊皮紙を、狩人は無言で見つめていた。その手には慣れない羽ペンが握られているが、ペン先は紙面から数センチ浮いたまま、石像のように固まっている。
「……ファミリア、だと」
「ええ。神様から『恩恵(ステイタス)』を授かり、その眷族となる。それが冒険者の絶対条件です。所属のない『無所属(フリー)』のままでは、ダンジョンへの立ち入りすらギルドが制限しているんですよ。……今のあなたは、言ってみれば無許可の侵入者になりかねないんです」
「…………」
狩人は狩人の帽子を深く被り直し、視線を落とした。
神の眷族になる。上位者に魂を売り、その血の恩恵に縋る。ヤーナムで血の医療を、あるいは月の魔物の呪縛を知る彼にとって、それはこの上なく忌まわしい契約に聞こえた。
「……私は、誰にも縛られぬ。神の家畜になるつもりはない」
「家畜だなんて、人聞きが悪いですよ! ……でも、困りましたね。あなたのその頑固な性格じゃ、どこのファミリアも紹介しづらいですし……」
エイナは困り果て、自分のこめかみを指で押さえた。
本来なら、文字も書けず、神との契約も拒むような素性の知れない男など、門前払いするのがギルドの仕事だ。だが、彼の纏う圧倒的な「強者」の気配と、その瞳にある底の知れない孤独が、エイナの世話焼きな性格を刺激してやまない。
「……はぁ。わかりました。今回だけ、私が『特例』として処理を進めます。まずはギルド預かりの冒険者として登録して、ダンジョンでの立ち振る舞いを見てから、受け入れ先を探しましょう。……その代わり、名前くらいは自分で書いてもらいますからね?」
「……そもそも、これはどこから読めばいいのだ」
狩人の低く、真剣な問いに、エイナはついに机に突っ伏した。
「そこからですか!? 本当にお困りですね……。まさか読み書きすらできないなんて」
「……私は、狩り以外の術を必要としなかった」
その言葉に嘘はない。幾千幾万の夜において、文字を読む必要などなかった。必要なのは血の臭いを嗅ぎ分ける鼻と、敵を屠る最適解だけだったのだ。
エイナは椅子を引き寄せ、狩人のすぐ隣に座り直した。
ふわりと、書物とハーブが混ざったような、清潔な香りが狩人の鼻腔をくすぐる。血と獣の脂の臭いしか知らぬ彼にとって、それはあまりに異質な、安らぐ香りだった。
「手を貸してください。……こうやって持つんです」
エイナが、狩人の節くれだった大きな手に、自分の白く細い手を添えた。
瞬間、狩人の身体が微かに強張った。武器以外のものを握り、他人の体温をこれほど近くに感じたことなど、彼には記憶にない。
「力、入りすぎです。そんなに強く握ったら、芯が折れちゃいますよ。……そう、ゆっくり。ここはこう書くんです」
エイナの手導きで、羊皮紙の上に不格好な文字が刻まれていく。
オラリオの共通語。狩人にとって、それはかつての上位者の呪言よりも難解な記号だった。だが、隣で熱心にペン先を追うエイナの横顔を見ていると、不思議と投げ出す気にはなれなかった。
「……導き手よ。お前は、なぜこれほどまでに私を構う。私に『恩恵』はないぞ」
「……放っておけないじゃないですか。こんなに強そうなのに、一人じゃお買い物もできなさそうなんですもん。……それに、アドバイザーとして、あなたの命を守るのが私の仕事ですから」
エイナは悪戯っぽく微笑み、再びペンを動かした。
その温かな手の感触に、狩人はふと思った。
幾千幾万の夜を越えた先に、こんな穏やかな「昼下がり」があってもいいのかもしれない、と。
「『名も知らぬ』記号だが、刻んでみるとしよう」
「『名も知らぬ』じゃなくて、自分のお名前ですよ? ほら、あと少し!」
静かなギルドの片隅。
最強の狩人と、一人の受付嬢。
その奇妙な「授業」は、外の陽光がオレンジ色に染まり始めるまで、穏やかに続いていた。