ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ) 作:もいもい130
ギルドでの喧騒を終えた狩人は、バベルの麓、ダンジョンへの入り口へと向かった。
そこには重厚な鉄の門がそびえ立ち、甲冑に身を包んだ屈強な門番たちが鋭い視線を光らせている。
「止まれ。所属するファミリアの紋章を見せろ」
狩人が門に近づくやいなや、一人の門番が槍を突き出して行く手を阻んだ。
「……紋章はない。私は、ギルドの預かりだ」
「ギルド預かり? ……ふん、新米か。例えエイナ・チュールの紹介だろうと、ステイタスも持たねえ一般人をここから先へ通すわけにはいかねえな。死にに行くようなもんだ。掟だ、神の恩恵を授かってから出直してきな」
門番は呆れたように鼻で笑い、狩人を追い払うように手を振った。
周囲の冒険者たちからも、同情と場違いな者を見るような視線が刺さる。恩恵を持たぬ者が、杖一本を手に迷宮へ挑むなど、この街の常識では正気の沙汰ではない。
「…………」
狩人は狩人の帽子を深く被り直し、何も言わずにその場を離れた。
諦めたかのように、背を向けて物陰へと消えていく。その隠密の動作は、かつてヤーナムの夜で数多の狂人をやり過ごした技術そのものだった。
喧騒の届かぬ、薄暗い柱の影。
狩人は懐から、怪しく発光する一本の小瓶を取り出した。
『蒼の秘薬』。
一時的に姿を消し、存在そのものを希薄にする、狩人の秘蔵品だ。
彼は無造作にその蓋を抜き、液体を口に含んだ。鼻を突く饐えた薬品の臭い。だが、その効果は絶大だった。
ふわり、と彼の輪郭が青い霧のように揺らぎ、風景の中に溶け込んでいく。
実体はそこにあるが、誰も彼を「認識」できない。狩人は音もなく、手に持った仕込み杖が地面を叩く音すら消して歩き出し、先ほどの門番のすぐ横をすり抜けた。門番は、一瞬だけ肌を撫でた冷たい風に首を傾げたが、目の前を通り過ぎる「死」の気配には最後まで気づかなかった。
「……ここが、深淵の入り口か」
バベルの地下、第一階層。
そこには、ヤーナムの地下墓地のような湿った土の臭いと、それ以上に濃密な「魔」の息吹が満ちていた。天井には発光する岩が散らばり、ぼんやりとした光が迷宮を照らしている。
すると、前方の曲がり角から、一匹の魔物が這い出してきた。
「ゴブリン」と呼ばれる緑色の肌をした小鬼。魔物は、姿を現した狩人に気づくと、唾液を撒き散らしながら咆哮を上げた。
「…………」
狩人は狩人の帽子の縁を指でなぞり、手に持った仕込み杖を静かに構えた。
ゴブリンが地面を蹴り、その鋭い爪を振りかざして飛びかかってくる。
狩人は一歩も動かない。ただ、魔物の爪が喉元に届く寸前、杖の節が微かに鳴った。
一閃。
杖の中から引き抜かれた刃が、ゴブリンの首を正確に、かつ無慈悲に切り裂いた。
噴き出す返り血。だが、狩人はその飛沫を浴びながら、冷めた瞳で魔物の亡骸を見下ろした。
(……薄いな)
身体に浸透してくる「血の遺志」が、あまりにも、微々たるものでしかない。
ヤーナムの狂った獣たち、あるいは上位者たちの眷族が宿していた、あの魂を焼き切るような濃密な遺志に比べれば、この魔物の血はあまりに無価値で、水のように希薄だった。
(狩る価値すら、ないか)
幾千幾万の夜を越えた狩人にとって、この魔物の動きは止まっているのも同然であり、その命の重みは羽毛よりも軽かった。
彼は血を払う動作すら省略し、次々と影から現れる魔物たちの中へと、静かに足を踏み入れ、蹂躙を開始した。
ステイタスという名の「恩恵」など不要。
彼にあるのは、ただひたすらに磨き上げられた、獲物を屠るための「最適解」のみ。
迷宮の静寂が、魔物たちの断末魔で塗り替えられていく。
乾きを癒せぬ狩人による、慈悲なき「狩り」が始まった。