その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:やっくん。

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1話 その男、無自覚につき。――喉を潤す一杯が、死に至るまで

 男女比1:4。

 

 男性の人口は女性の4分の1ほど。

 

 また、この世界の約9割の女性がパートナーを持てていない。

 

 そして、男女の行為は、現実と比べ何倍も刺激的なものになっている。

 

 日常にあった些細な接触――袖が触れた、視線が合った――それだけのことで、この世界の女性の心臓はものすごい速さで跳ね上がる。

 

 女性たちは、恋に飢えている。いや、正確には――恋をする機会そのものに飢えている。たとえ、運よく想いが届いても、翻弄され、浮気され、あっけなく捨てられる。

 

 それがこの世界の、ありふれた恋の末路だった。

 

 男たちはというと、生まれた瞬間から希少であるがゆえ、女性から求められ、尽くされる環境の中で、静かに牙を抜かれた。

 

 外見を磨く必要がない。努力する理由がない。女性からの好意や愛情も当然のものと思い、感謝をすることもない。

 

 この世界の男が悪いわけではない。そうなるべくしてなった、ただそれだけの話。

 

 だが、そんな違い知ってか知らずか、彼――結城 悠(ゆうき ゆう)は、今日も今日とて普通に生活し、無自覚に干上がった彼女たちの心へ優しさを振りまいてしまう。

 

 彼が喉を潤し、何気なくテーブルに置き忘れた一本のペットボトル。それが隣に住む女性の心臓部に、抗いようのない――致死量の愛を打ち込んでしまうとも知らずに。

 

 

 この世界に来てから三ヶ月。ようやく一つの結論に達した。

 

「ここ俺の知ってる日本じゃないわ……」

 

 この日本によく似た別の世界は、俺の知っている世界と微妙に何かが違う。

 

 電車のホームに男性専用車両が連結されていたり、街角に『夜の一人歩きに注意。狼(女)はすぐそばにいます』という男性向けの防犯ポスターが貼ってある。

 

 デパートの広告にはレディースデイならぬ「メンズデイ:男性のお客様ポイント5倍」の文字が躍る。

 

 最初は冗談だと思ったが、これがこの世界の普通のようだ。

 

 居酒屋の看板にも男子会プラン、ドリンク飲み放題無料と大きく書かれている。女子会という言葉は、この世界ではほとんど聞かない。

 

 男子会……それって楽しいのか?

 

 想像すると、店の中から「ウェーイ!」という野太い声が聞こえてくる。

 

 そして、街を歩くと女性からけっこうな頻度で声をかけられる。

 

 初めは人生に3度しかないというモテキがついに来たか?と思ったけど、どうやら違う。

 

 目にする他の男も女性からナンパされているからだ。

 

 ――じゃあ、なぜ?

 

 おそらくだが、ここは同じ世界の平行世界。なんらかの理由で、女性の積極性や社会進出がより発展した世界線に迷い込んだのだろう。

 

 そして、女性の社会進出が進んだ結果、逆に男性が守られる側に回った世界なのではないか。

 

(といっても、よく考えれば大した違いはないな……)

 

 人が街を歩き、飯を食い、仕事をして、眠る。そういう意味では、俺のいた世界と根っこは何も変わらない。

 

 結局は――

 

 普通に過ごす。

 

 それだけだ。

 

 ただ、つい先日、

 

『悠(ゆう)くん、きみホントに気をつけてよ? 女っていう生き物はね、君みたいな男を見つけたら最後、絶対に離さないから……』

 

 と、バイト先の数少ない先輩から心配そうな顔でそう忠告された。

 

 まあ、どの世界にもその手の話はあるもの。

 

 会社にしろ学校にしろ、一部の行き過ぎた人というのは一定数存在する。先輩はその例外的なケースを心配してくれている。

 

 何かあったら、その時に考えればいい。今のところ困ってもいないのに、先回りして悩む必要もないだろう。

 

【豆知識:彼のいう普通は、この世界の女にとっては普通ではない。誠実さも、敬意も、優しさも――この世界ではある意味、立派な凶器になるうる】

 

 

 ガチャリ、とアパートのドアを開ける。

 

 そこには、鼻を突くジャンクフードの匂いと、暗闇の中で青白く光る液晶画面があった。

 

「かえりぃー、悠。遅かったじゃねぇか。お腹が空きすぎて、スマホの充電より先にアタシのライフがゼロになるとこだったぜぇ」

 

 ソファに寝そべり、ポテトチップスの袋を枕代わりにスマホを掲げている女がいた。

 

 ――阿久津 魅夜(あくつ みや)

 

 銀色に近いプラチナブロンドをラフに流し、耳にはいくつものピアス。黒のレザーチョーカーが白い首筋に映える。一言で言えばロック系のクールな美女だ。

 

 モデルのように引き締まった四肢はスタイルが良く、それでいて女性らしい柔らかな曲線も損なわれていない。

 

 俺のオーバーサイズのシャツを着た彼女が動くたび、その下にある、大きすぎず小さすぎない絶妙な存在感の膨らみが、薄い布越しに柔らかな輪郭を描いている。

 

 切れ長で鋭い瞳は、きれいだけど、どこか人を寄せつけない凄みを湛えている。

 

【阿久津魅夜:登録者二百万人を超える伝説的な覆面インフルエンサーとして活躍している女性。その傲慢でわがままな態度からフォロワーからは女王様と呼ばれている】

 

 最近は隣室のベランダから平気な顔で乗り込んでくる。

 

 最初の頃は、家に帰ると美女がいる、というだけで多少ドキドキしたものだが――慣れてしまえば、普通に迷惑というかなんというか。

 

 (いや、勝手に人の部屋に侵入するのって、多分この世界でも普通に犯罪だからね。しらんけど。……まあ、ベランダの鍵を忘れる俺にも、多少の責任はあるのかもしれないけど)

 

 まぁ、つまりは相当に自由すぎる女だ。

 

「……魅夜さん。また勝手に入ったんですか。あれほど、来る時は連絡してって言ったじゃないですか。それと玄関から普通に来てください。」

 

「えー、いいじゃん。減るもんじゃねぇし。それに悠、アタシの部屋が今どうなってるか知ってるだろ? あれはもう、人類が住める環境じゃねぇんだわ。ケヒャヒャ!」

 

 彼女はソファから起き上がり、俺を獲物のように見据える。

 

 その拍子に、シャツの襟ぐりから覗く鎖骨と、絶妙なふくらみの胸元が強調される。

 

 (……目のやり場に困るんだけど)

 

 しかも、彼女は勝手に俺のシャツを拝借して着ている。わざわざ一番匂いが残っていそうなものを。

 

「はぁ……ポテチばっかり食べてないで、これ食べてください。魅夜さん、最近肌荒れひどいですから。インフルエンサーなら、もっと自分を大事にしたらどうです」

 

 俺は溜息をつき、買ってきた野菜たっぷりのサラダと豆腐ハンバーグを並べた。

 

 だが、彼女は三白眼を細め、サディスティックな愉悦を浮かべて唇を歪めた。

 

「ケヒャ! 相変わらず優しいねェ。そうやって誰にでも優しいフリしてんのかぁ? あぁん? 完璧な紳士を演じて、骨抜きになったら金だけ取ってポイッて捨てんだろ? そんなのお見通しなんだよォ!」

 

(人ん家に勝手に入ってきてその言い方……)

 

「ハァ......そんなんじゃないですよ。単なる心配です」

 

 真顔で返すと、彼女は一瞬だけ毒気を抜かれたような顔をして、すぐにそっぽを向いた。

 

(あ、耳赤い)

 

 彼女は親切にすると、自分をハメるための詐欺か何かだと思い込もうとしている節がある。

 

 だが、ふと彼女の方を見ると、差し出したハンバーグを誰よりも美味しそうに口に運んでいるところだった。

 

 

 出会いは一ヶ月前。

 

 アパートに帰り、ふと隣の部屋に目を向けると、大量の荷物と格闘している女性がいた。

 

「……はぁ、マジで死ねよ。どいつもこいつも、女をなんだと思ってやがる……」

 

 呪詛を吐くその女性――阿久津 魅夜は、重い機材ケースを前に膝をついていた。

 

 プラチナブロンドの銀髪に、鋭い三白眼。都会的な冷たさを纏ったクールな顔立ちは、ため息が出るほどに綺麗だった。

 

 しかし、同時にそこから放たれるオーラは他者をはね付ける拒絶そのものだった。

 

「あ、それ重そうですね。運びますよ」

 

 声をかけた瞬間、彼女は凍りついた。

 

 ゆっくりと顔を上げたその瞳には、射殺せんばかりの不信感が宿っている。

 

「あァ……? テメェ、何様のつもりだァ……。安っぽい逆ナンのつもりかぁ? 笑わせんなよォ!」

 

 強烈な拒絶。

 

 だが、俺は彼女の背後に見える部屋の惨状――整理されていない段ボールやゴミの山――を見てしまった。

 

 放っておけば足の踏み場もなくなるだろう。

 

 おせっかいとは思いつつも、隣人のよしみ&困ったときはお互いさまだ。

 

「……あー、とりあえず中に入れますね。失礼します」

 

 彼女の暴言を適当に受け流し、機材ケースを持ち上げた。

 

(重たい荷物だけでも中に入れてあげよう)

 

「なっ……テメェ!? 勝手に……ッ!」

 

 唖然とする彼女を尻目に、そのまま淡々と荷物を運んだ。

 

 視線が腕に落ち、彼女は何かを言いかけて口をつぐんだ。

 

 

 それから数日後。

 

 ガシャーーッン!

 

 隣室から何かが割れたような大きな音が聞こえた。

 

 ドアの隙間から声をかけて中へ入ると、彼女は割れたグラスの真ん中に座り込んでいた。

 

「……危ないですよ」

 

 そう言って、無言でほうきを借りる。破片を片付け、ついでに散らかった服を畳んで端に寄せた。

 

「……テメェ……何なんだよ、男のくせに、なんでそんな……」

 

「いや、単に汚いと落ち着かないだけですよ。掃除だけ済ませたらすぐ帰るので安心してください」

 

 言ってから、少し反省する。

 

(……おせっかいすぎたかも。次から気をつけよう。にしても動いたら少し喉が渇いたな)

 

 持参していたペットボトルの水を半分ほど一気に飲み干し、中身の減ったボトルをテーブルの上に置いた。

 

 だがその時、スマホが震えた。バイトの先輩から『今すぐ連絡して』という通知だ。

 

 慌てて、俺は彼女の部屋を後にする。

 

――これもう飲まないんで処分お願いします。

 

 そう言い残したつもりだったが、実際にはボトルを置き忘れただけだった。

 

 自分の部屋に戻った後、「あ、やべっ。ボトル置き忘れた」と気づいたが、戻るのも面倒で放置してしまった。

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