その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果 作:やっくん。
――浅見 凛(あさみ りん)の視点――
ユキちゃんが膝の上で丸まって眠っている。
小さな体が、規則正しく上下している。
(……かわいい)
里親が見つかるまでの、一時預かりのはずだった。
でも――
(……ちょっと待って)
私がユキちゃんを飼うのは、どうだろうか。
その瞬間、心の中で声がした。
(天使:反対よ。普段から仕事が忙しいんだから、きっとユキちゃんに寂しい思いをさせるわ……)
「そうね……一人の寂しさはよく知ってるし、やっぱり飼うのは……」
(悪魔:でも……もし里親になったらさ……悠くんがまた家に来てくれるかも……)
「そ……それは一考の価値はあるわね……続けて」
(悪魔:つまりは、里親になってあげたという恩を彼に売るってこと。少しずつ成長するユキちゃんのことを話題にすればRINEする口実にもなるしね)
「そう……ね。それは魅力的な提案と言わざる得ないわね」
(天使:おかしいわよ!ユキちゃんを出しに使うなんてあんまりよ!正気に戻って凛!それにユキちゃんが寂しい思いをすることには変わりないじゃないっ!)
(悪魔:じゃあさ、もう一匹飼えば寂しくないんじゃない。それで、もう一匹は悠くんに名付け親になってもらうの)
しばらく沈黙があった。
天使と悪魔と本人:「「「賛成」」」
満場一致だった。
ピコン――
ちょうどスマホが鳴った。
悠くんからだ。
《結城悠》『里親の件、バイトの先輩が引き取ってくれることになりました!』
『来週にはお迎えできるそうです。もう少しだけよろしくお願いします!』21:34
「えっ……」
里親、見つかったんだ。これじゃあ私の計画が……
膝の上のユキちゃんを見た。
ユキちゃんは、まだ気持ちよさそうに眠っていた。
(……どうしよう)
とりあえず、私が里親になることを伝えなきゃ。
スマホを持つ手が、少しだけ止まった。
大事なことだから、RINEじゃなくて電話で伝えたほうがいいわよね……
「えっと……これでよし」
《浅見凛》『あっそうなんだ。よかったわ』21:34
『そのことなんだけど、ちょっと話が……』21:34
『今、電話できる?』21:35
すぐに返信が来た。
《結城悠》『いいですよ!では、こちらからかけますね』21:35
まもなく、スマホが鳴った。
ピロピロピロピン――
「はい、もしもし凛です」
「あっこんばんは、結城です」
「夜遅くにごめんなさいね」
「いえ、全然。というか聞いてくださいよ!里親見つかったんですよ!バイト先の真鍋先輩っていう方なんですけど、猫好きで、すごく良い方で……」
テンションが少し高め。嬉しそうな彼の声。
「……そのことなんだけど……実は……」
「はい?」
「実は……私が飼おうと思ってるの」
電話の向こうで、一瞬の間があった。
「えぇぇぇ!?」
えっ?どういう驚き?私じゃ嫌だってことなのかな……
「……逆にいいんですか?ただ可愛いだけじゃないと思うし、手間もお金もかかるし……」
「ええ。よく考えて決めたの」
「……そうなんですね。じゃあ……お言葉に甘えていいですか?」
「えぇ!もちろん!」
「よかった。凛さんなら安心して任せられます!僕もできる限りお世話させてくださいね」
(よしきたー!言質いただきましたー!)
心の中でガッツポーズをした。声には出さない。
計画通りだ。
「ごめんなさいね……そのバイトの人?に断ってもらわないといけないわね」
「そっちは俺からちゃんと説明しますんで大丈夫です。それより、まず病気がないか病院に連れていかないと。去勢についても聞かないといけないし、捨て猫を拾った場合の手続きってどうなってるんだろう……調べないと」
「……」
私は、黙って彼の言葉を聞いていた。
病院。去勢。手続き。
正直に言うと、私はユキちゃんを飼うことを決めながら、そこまで考えていなかった。
(……この人は)
ユキちゃんのことを、本当に心配している。
【豆知識:この世界の男性の大半は基本的に自分のことしか考えていない。甘やかされた環境で育つため、他者への配慮という概念が著しく薄い。そのため、他者のために親身になって考える男性は絶滅危惧種並みに希少とされている】
(私は自分の都合しか考えていなかった……)
ユキちゃんを出しに使って、彼を引き寄せようとした。
自分が恥ずかしい。
この子の親になるんだから、私がしっかり責任を持って育てなきゃ。
「明日ちょうど休みなんで、一緒に病院連れていき――」
「行きましょう!」
ちょっと返事が早すぎた気もしたけど、後悔はしていない。
「じゃあ午前中に凛さんのマンションまで行きますね」
「ええ、待ってるわ」
◇
――当日。
ピンポーン!
「はーい、どうぞ!」
玄関を開けると、悠くんが立っていた。
あぁ悠くんだ……また会えた……
「いらっしゃい」
彼はペコリと頭を下げると自分の脱いだ靴を玄関側へ向けてから向き直る。
「ユキちゃんリビングにいるから、一緒に遊んであげて」
「了解です!おじゃまします」
私は彼がリビングへ向かう背中をしばらく見送る。
(あぁ、背中からギュッと抱きしめたい。いや、動かないように拘束して後ろから……)
彼はリビングに入るなり、まっすぐユキちゃんの段ボールへと向かった。
「いい子にしてたか〜」
段ボールからユキちゃんを抱え上げ、二人掛け用のソファに腰を下ろす。
ユキちゃんは膝の上でくるくると動き回り、彼の指に飛びついたり、転がったりしている。
彼は笑いながらそれに付き合っていた。
ガラス張りのリビング。そこから差し込む光が彼らを神々しく照らしている。
(もはや絵画ね……ずっと見ていられるわ……)
そして今日は気持ちの良い快晴。
ほどよく暑いくらいだ。
「喉、乾いてない?」
「あ、お構いなく」
でも、何か出した方が良いだろうとキッチンに向かう。
「……」
大きめのビールジョッキに、なみなみとお水を注ぐ。
たっぷん。たっぷん。
表面張力ギリギリ。
お盆を持って、ゆっくりとリビングへ向かう。
一歩、また一歩。
廊下の段差にさしかかった瞬間、お盆がわずかにぐらついた。
(あっ……!)
ジョッキから水がこぼれそうになる。
ズズッ――
反射的に、ジョッキに唇を伸ばし、溢れかけた水を吸ってしまった。
今のタコみたいな口を見られてなかったかしら……
リビングの方へ顔を向けるが、彼は猫にじゃれ合うのに夢中になっている。
ホッ――
(それにしても、……やってしまったわ)
(悪魔:あら、いいじゃない。このまま出したら間接キスができるわよ?)
(本人:……えぇ、それは私もちょうど考えていたことよ)
(天使:だめよ!女の飲みかけを男の子に渡すなんて許されないわ!嫌わててもいいの?)
【豆知識:男性から女性への間接キスはご褒美として広く認識されているが、逆は別の話だ。女性の飲みかけや食べかけを男性に渡す行為は迷惑行為として認識されており、状況によっては罪に問われることもある】
(……そうね。ありがとう、天使の私。冷静にさせてくれて)
私はキッチンへ引き返し、ジョッキの水を一度流しに捨てて、新しく組み直した。
【豆知識:浅見凛は幼少期から心の中の自分と会話をする癖があった。物心ついたときは、それは収まっていたが、こうして自分一人で対処できないときに時折、彼女たちが現れる。ちなみに天使が勝利したのは、このときが初めて。】
次こそこぼれないように慎重にジョッキを運んで、彼の前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。実はちょっと喉乾いてたんです」
「じゃあちょうどよかったわ……」
彼はジョッキを片手で持って一気に飲んだ。
ゴクッゴクッゴクッ――
喉仏が上下する。
お水をこぼしてワンチャン全身びしょ濡れ。そしてシャワーへGO!という流れを期待したが、そうはならなかった。
(そう思いどおりには行かない……か)
だが、一気に流し込んだからか、一滴だけ彼の口の端から水滴がつたう。
ツーー
彼のあごの先まで水が流れ、
ポタッ――
間もなく水滴が落ちた。
(あぁ……セクシーが過ぎる……)
私はさりげなく視線を外した。
◇
しばらく、彼とユキちゃんが遊んでいるのを眺めていた。
ユキちゃんは完全に彼に懐いている。
近い将来、私と悠くん、それとユキちゃんと三人で暮らすとこんな感じなのかな……
「すいません、ちょっとお手洗い借りていいですか」
(……ジョッキでお水はちょっとやりすぎたかしら)
「ええ。あっち。突き当たりよ」
「ありがとうございます」
彼は立ち上がり、リビングを出ていった。
残されたのは、私とユキちゃんだけ。
ユキちゃんは遊び疲れたのか、カーペットの上で眠っている。
静かなリビング――
私の視線は、気づかないうちにさっきまで彼が座っていたソファの一点に吸い寄せられる。
彼の体温が、まだそこに残っているはずの場所。
「……」
彼のお尻で温まったスポット。
私は、ゆっくりとソファに近づいた。
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【あとがき】
猫を飼うって大変ですよね。
ちな、飼ったことはない