その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:やっくん。

14 / 14
14話 この羞恥、致死量につき

 ――鳳 麗華(おおとり れいか)の視点――

 

 

――カフェレゼール、開店前

 

 今日も、わたくしが経営するカフェ・レゼールで正体を偽って働いております。

 

 研修生・小鳥麗華として。

 

 このレゼールのモットーは、変化と挑戦。

 

 ですので店長となる者には毎月新しいメニューを考案するよう指示を出しております。

 

 今月はどんなメニューを……と厨房を覗くと、店長と結城悠がちょうど新メニューの話をしていました。

 

「何の魚なんですか、これ」

 

「キスだよ」

 

(きっ……キスッ!?)

 

 思わず、トレーを持つ手が止まりました。

 

「……味付けがちょいディープというか。キスに……」

 

(ディープ……ディープキス!!??)

 

 頭の中で、あの夜の記憶が、ぶわっと広がろうとしております。

 

(まずいですわ……落ち着かなければ……!)

 

 こういう時には一家相伝の鳳式腹式呼吸ですわ。

 

「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……ふー」

 

 四秒吸って、八秒吐く。これを四回繰り返す。

 

(……よろしい。これですっかり冷静になりましたわ)

 

 ふと意識を戻すと、いつの間にか真鍋も会話に加わっておりました。

 

「この辺りって近くに大きな鉄工場あるから、外干しすると鉄粉(てっぷん)がついちゃうのよ〜」

 

(せっ……せせせ……せっぷん!?!?)

 

 二度目の鳳式腹式呼吸。

 

 

――カフェレゼール、開店

 

 ……能天気に働いておりますわね、あの男は。

 

 カウンター越しに視界の端で捉える結城悠の横顔。

 

 さきほどは、不覚にもあの夜の夢を思い出してしまいました。

 

 あの事故以降――深夜の控室で起きたことを、わたくしは夢だと言い聞かせています。

 

 夢です。断じて夢。

 

 鳳の令嬢たる、このわたくしが、泥臭いアルバイトの男に自ら……などあり得ませんわ。

 

 絶対に。

 

(……それなのに)

 

 なぜこんなにも、視線が彼を追ってしまうのでしょう。

 

 ピピッ

 

「麗華さん、三番テーブルの片付けお願い」

 

 インカムが耳元で鳴りました。

 

 彼の声がダイレクトに鼓膜を震わせます。

 

 ブルッ――

 

「ひあっ」

 

 変な声が出た。

 

 ……今の、わたくしが出した声?

 

(なんですのあの変な声は! わたくしに「ひあっ」などと言わせるなんて! あの男、無自覚に何をしてくれていますの……っ!)

 

 意味不明に怒りが湧いてきます。

 

 こういうときにこそ鳳式腹式呼吸です。

 

「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……ふー」

 

(……よろしい。これですっかり冷静ですのよ)

 

 わたくしは気を取り直して三番テーブルへと向かいました。

 

(それにしても、いくら正体を偽っているとはいえ、鳳の後継者であるわたくしに命令するなんて。一体どういう了見ですの……まったく、不躾にもほどがありますわ)

 

 空になったコーヒーカップ、デザートの皿、折りたたまれたナプキン。

 

 一つひとつ、トレーに乗せていきます。

 

 カチャカチャ

 

「集団客だったから片付け大変だよね。一緒に片付けよう」

 

 気づけば、隣に結城悠が立っておりました。

 

 わたくしは何も言わず、無言で片付けを続けます。

 

 カチャカチャ

 

 そして残るはコーヒーカップが一つ。

 

 わたくしがそれに手を伸ばしたとき――

 

 さわっ。

 

「っ……!」

 

 彼の指が一瞬だけわたくしの指に触れました。

 

 パッ、と反射的に手を引っ込めてしまいます。

 

 彼の顔をチラッと見ましたが、表情は特に何も変わっておりません。

 

 ただこれまで通りに片付けを続けています。

 

 コーヒーカップをトレーに乗せ、布巾でテーブルを拭き、椅子を整えます。

 

 そして彼はさっさとキッチンの方へ歩いて行ってしまいました。

 

 触れたことなど、まるでなかったかのように。

 

 そう、たいしたことはありませんわよね……ただ指が触れただけですもの……

 

(それにしてもマズいですわ……)

 

 彼の顔を盗み見た瞬間に視界に入ってしまったもの――

 

 唇

 

(あそこだけは、見ないようにしていましたのに……)

 

 あの夜のことが鮮明に脳裏に蘇ってしまいそうです。

 

(って違います!あれは夢!あれは夢ですわ!)

 

 わたくしは前を向いたまま、肺に空気を吸い込む。

 

「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……ふー。ひっひっ……」

 

「麗華さん、まだー?こっちにヘルプお願いー」

 

「……参りますわ」

 

 深呼吸をあと二セット残して、わたくしはヘルプへと向かいました。

 

 

――カフェレゼール、閉店

 

 その日の営業も終わり、残った従業員でバックヤードで一休みしていると、店長が紙袋を持って現れました。

 

「みんなー、さっき知り合いから焼き芋もらったんだけど、よかったら食べてね」

 

 湯気の立つ焼き芋が、人数分、バックヤードのテーブルに並べられました。

 

(……焼き芋……初めて見ましたわ……)

 

 ほくほくっと湯気が立っている。

 

(素朴な見た目、というよりほぼ原型ですわね……)

 

 これは本当に食べられるのでしょうか。

 

「麗華さんも食べる? 甘くておいしいよ」

 

 結城悠がどうぞ、とひとつ差し出してきます。

 

(わたくしが庶民の食べ物を口にするなど……)

 

 断ろうとした、その時

 

 彼がそれを目の前で、イモをパリパリっと二つに割った。

 

 断面がきれいな黄金色をしており、そこからふわりと白い湯気が立ち昇ります。

 

 ふわ〜

 

 白く甘い香りが鼻先をくすぐりました。

 

(……まぁ、せっかくの親切を断るのも鳳家の礼節に反しますわね。それに、食べてみなければ評価もできませんし)

 

 鳳規範第9条、善意の収奪。人の親切を最大限利用して鳳の益としろ、とあります。

 

 これはあくまで鳳の規範に則っただけ。

 

「……いただきますわ」

 

 

 

 ぱくっ。

 

(あ……)

 

 甘い。

 

 蜜のように濃く、でも嫌味がなく、じんわりと舌の奥まで広がっていきます。

 

「これが……焼き芋ですの?」

 

(おいしい……)

 

 ぱくっぱくっぱくっ。

 

「どう?」

 

「……悪くはありませんわ」

 

 彼は「よかったね」と言いながら笑っておりました。

 

 

 食べ終えてからも、バックヤードには穏やかな時間が流れていました。

 

 店長、真鍋、結城悠がくだらない話で笑っております。

 

 わたくしも、その輪の端に座っておりました。

 

 そんな時でした。

 

(……あっ)

 

 お腹の奥で何かが主張し始め、不穏な予感がせり上がってくる。

 

(……これは)

 

 由々しき事態です。

 

 鳳の令嬢として、このような生理現象は、存在しないも同然として生きてきました。

 

(深呼吸ですわ。落ち着けば収まるはずですのよ……)

 

「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……ふー」

 

(ふぅ……よろしい。治まりましたわ)

 

 ほっとした瞬間、店長が言いました。

 

「そういえば悠くん、昨日の話なんだけどさー」

 

 悠が「あー!」と大きな声を上げながら、思い切りテーブルを手でバンッと叩いた。

 

 その衝撃でわたくしの体が、ほんの少し、揺れた。

 

 

 

 

 ぷぅ

 

 

 

「「「…………」」」

 

 

 

 バックヤードの雰囲気が一瞬で沈黙に変わりました。

 

 顔が沸騰しています。

 

(あぁ……終わりですわ……いっそわたくしを殺して)

 

 誰も、何も言わなかった。

 

 

 

「あ、すいませーん、おならしちゃいましたー」

 

 結城悠が、何でもないように言いました。

 

(……あ……え?)

 

 店長と真鍋が「もうー!」「男の人ってほんと」と笑い飛ばして、会話が続いていきます。

 

 三秒と経たずに話は別の方向へ流れていき、誰もわたくしなど見ておりませんでした。

 

 わたくしは、ただ俯いて、膝の上で小さく震える指先を見ていました。

 

 彼は今、真鍋の話に笑いながら相槌を打っています。

 

 わたくしを、ちらりとも見ない。

 

(……このお方は)

 

 なぜ、何でもないように振る舞うのでしょうか。

 

(……ずるいですわ)

 

 

「じゃあ先に帰るね。戸締りよろしく〜」

 

 店長が手を振りながら出ていきました。

 

 わたくしも、これ以上この場にいられませんわ……

 

 彼が部屋を出たあと、すぐに立ち上がります。

 

「お先に失礼しますわ」

 

 誰に言うともなくそう告げ、バックヤードのドアを開けて廊下へ出ました。

 

 バタンとドアが閉まる音が廊下に響きます。

 

 さて、帰りましょうと一歩踏み出した、その瞬間に

 

「……内緒……大事な話が」

 

 彼の声が、バックヤードから聞こえてきました。

 

(ん? なんですの?)

 

 聞くつもりなど毛頭ありませんが、社長として従業員の内情を把握することは必要でしょう。

 

 よく聞こえませんわね……

 

 わたくしは、ゆっくりとした動作でそーっとそーっとドアに耳を近づけました。

 

 そして、ぺたりとドアに耳を押し当てます。

 

 ドア越しに、彼と真鍋の声が断片的にですが聞こえてきます。

 

「ええっと、実は……」

 

 結城悠の声が聞こえてくる。

 

「すいません、来週……言って……ここをやめる」

 

(……え)

 

 思わず当てている耳をドアに強く押し付けます。

 

「……でも次は決まってるの?」

 

「……決まってます……」

 

(もう次の働き先まで……なんで……)

 

「そっかぁ。少し寂しい気もするわね〜」

 

 そのあとも会話が続いている様子でしたが、頭の中には入ってきませんでした。

 

(……や、やめる)

 

 その言葉が、頭の中でぐるぐると回ります。

 

(来週、いなくなる……ということですの?)

 

「麗華様、お車の用意ができております」

 

 

「ひぁっ!」

 

 わたくしの秘書である九条が、いつのまにか背後に立っておりました。

 

「……ひぁ、とは何でしょうか」

 

 彼女の、いつも通りの無機質な声。

 

「ひ、冷よ! 庶民の食べ物を食べたから、はやく水を飲まないと喉が穢れてしまうわ」

 

「……そういうことでしたか。では、お車へどうぞ。車内にてお水をお出しいたします」

 

 

 リムジンの車内

 

 冷えた水を一口含みながら、わたくしは今日のことを振り返っております。

 

「今日も、いろいろありましたわ……」

 

 無意識に自分の指先を見つめていました。

 

 あのとき触れた彼の指の感触が、まだそこに残っている気がします。

 

 それから、おならのこと……

 

(……いけません、思い出しては、ダメですわ)

 

 記憶の扉を強引に閉め、何重にも鍵をかけなければいけません。

 

 ふと、リムジンのバックミラーにわたくしの顔が映っています。

 

 完璧な令嬢の顔。隙のない、美しく整った完璧な顔。

 

 それがわたくし。

 

(……でも)

 

 今日のわたくしは、どうだったでしょう。

 

 変な声を出し、指を震わせ、口元を緩め、挙げ句に……恥ずべき行為を人前で。

 

 どれひとつ、鳳麗華らしくなかった。

 

 惨め

 

 こんなに惨めなのに。

 

 ドクン――

 

 なぜか、胸が高鳴っております。

 

 どうしてですの……

 

 惨めで、辱められて、これ以上ない屈辱のはずなのに。

 

 なぜ、こんなにも、生きているという感じがするのでしょう。

 

 鳳麗華として生きてきた十数年。

 

 完璧で、隙がなくて、誰の前でも崩したりはしなかった。

 

 それが鳳の令嬢として正しいと思っている。

 

 なのに彼の前では、何度もあっけなく崩れてしまう。

 

 もう一度、バックミラーを見ました。

 

 鏡の中のわたくしの顔が、かすかに上気している。

 

 怖いと思う。この感情が怖い。

 

 なのに頬は熱く、目が輝いている。

 

(……わたくしは今、何を望んでいますの……)

 

 自問しましたが、答えが出そうで、出ない。

 

 でも、これからも彼と会い続ければ、その答えが分かるだろうと思います。

 

 そう、これからも会えれば――

 

『来週……ここをやめる』

 

 突然、彼の声が脳内で再生されました。

 

「……え」

 

 窓の外を流れていた夜の街が、急に遠ざかる気がしました。

 

「もう……会えない……の?」

 

 口から漏れた言葉が、車内の静寂に吸い込まれていきます。

 

 七日後から、もう彼に会えない。

 

(……そんなことはありえません)

 

「ありえませんわ……断じて、ありえませんわ」

 

(わたくしがこの世界のルールなのですから)

 

 七日など、関係ない。

 

 どんなことをしてでも、彼をわたくしのおそばに置いておきますの。

 

 わたくしにはそれができる富と権力がある。

 

「九条」

 

「はい、麗華様」

 

「家に、二億の壺が転がっておりましたわよね」

 

 九条が、ほんの一瞬だけ間を置きました。

 

「……はい。ただ、あれは三億だったかと」

 

「どっちでもよろしい。それよりわたくし、いいことを思いつきましたの」

 

【あとがき】

麗華「レゼールのモットーは、変化と挑戦ですのよ!」

作者「変化するのが怖いです!挑戦すると、どっと疲れます!」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

貞操逆転世界の中堅冒険者(作者:だいたいおおそよだいたい)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

貞操逆転世界に転生した男、フィル(29)▼フィルは自分の事をおじさんになりつつあるただの冒険者だと思っているが。▼しかし!!この男女比1対5の貞操逆転世界で無防備かつムチムチなフィルに劣情を抱かない女はいるか!?!?▼いや!いない!!!▼それはそれとして貞操逆転世界かつ中世な世界観かつ魔法もある属性テンプレもりもり世界で生きていく。▼そんな物語。


総合評価:956/評価:7.54/連載:26話/更新日時:2026年05月08日(金) 00:04 小説情報

鬼畜陵辱エロゲの世界に転生したけど男女比がバグってるせいで竿役が俺しかいない(作者:乳と地位が比例する世界)(オリジナルファンタジー/コメディ)

——なら俺が竿役全員やるしかねえっ!!▼カクヨムにも投稿してます


総合評価:970/評価:7.42/連載:9話/更新日時:2026年06月29日(月) 07:21 小説情報

貞操逆転世界ならコミュ症でもクール系病弱美少年でいけるらしい 〜あっ!隠してやってた裏垢のエロ自撮りがバレたぁ!?〜(作者:しゃふ)(オリジナル現代/恋愛)

男女比1:20の世界で、気になっている無口な男の子の裏垢エロ自撮りを見つけちゃって情緒をぶっ壊される女の子たちの話。▼なお主人公くんはクール系を演じてるだけのただのコミュ症承認欲求モンスターである。▼ カクヨムにも投稿してます。


総合評価:1847/評価:8.22/連載:12話/更新日時:2026年02月22日(日) 00:04 小説情報

あべこべ逆転異世界で孤児院の頼れるお兄ちゃんになるため奮闘する(作者:あに)(オリジナルファンタジー/日常)

身体がちょいとガタつくけど、大丈夫。▼僕はみんなのお兄ちゃんだからね。▼カクヨムの方にも投稿してます


総合評価:3449/評価:8.3/連載:20話/更新日時:2026年05月16日(土) 17:04 小説情報

男女比3:1でも貞操逆転世界なのに「もう少し大きくなったら結婚しよう」でとうとう引き返せなくなった奴(作者:陽波ゆうい)(オリジナルファンタジー/恋愛)

男女比3:1の世界に転生した。▼って、おいこれ、男がチヤホヤされる貞操逆転世界ってやつじゃねーじゃん!?▼野郎が多くなったら、寝取りが増えるだけだろっ。▼だから俺は、女の子にモテることを諦めることにした。▼※カクヨムでも掲載しています。


総合評価:3541/評価:8.03/連載:24話/更新日時:2026年06月01日(月) 22:22 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>