その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:やっくん。

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17話 この薄壁、生活音が筒抜けにつき

「クソがァァァァァァァァ!!」

 

 隣の部屋から響いてきた、この世の終わりみたいな絶叫で跳ね起きた。

 

 ドゴォォーーン!!

 

 次は壁一枚隔てた向こう側から、何かが激しくぶつかる音が聞こえる。

 

 時計を見ると外はもう真っ暗だった。

 

 バイトから帰ってきて少しだけ仮眠をとるつもりが、ずいぶん深く眠ってしまったらしい。

 

 魅夜さんか……

 

 廊下ですれ違うたびに罵倒を浴びせてくる彼女。

 

 この前もベランダから俺の部屋に上がり込んで、作り置きの飯を全部平らげて帰っていった。

 

 不法侵入されることに変わりはないし、相変わらず罵倒も飛んでくる。

 

 それでも「まぁ、いいか」と思えてしまうのは、たぶんあの夜のことがあるからだろう。

 

 

 以前、魅夜さんが珍しく高熱を出して寝込んでいた夜があった。

 

 その日も、いつものように壁の向こうから物音がしていた。

 

 ただ、いつもと違ったのは、その音がやけに弱々しかったことだ。

 

 ガサ、ゴソ、と何かを引っかくような音。

 

 それから、くしゃみと、咳。

 

 風邪かな……魅夜さんでも風邪をひくんだな。

 

 最初はそう思って、特に気にしなかった。

 

 でも、しばらくしてから聞こえてきたのは、いつもの威勢のいい怒鳴り声じゃなくて、唸るような、苦しそうな声だった。

 

「……ハァ……ハァ……ふぅ……ゴホッ……うぅ……」

 

 ……俺が行く話でもないよな。

 

 でも、万一のことがあるといけない。

 

 少し迷ったが、俺は隣の部屋のドアをノックした。

 

 返事はなかったが、もう一度ノックしてしばらく待つとドアの鍵が外れる音がした。

 

 ガチャ――

 

「……何だよ……アタシは元気だ……寝てるだけだ……」

 

 そう言いながら現れた魅夜さんの顔は、真っ赤を通り越して少し白っぽくなっていた。

 

 額には汗が浮かんでいて、足取りもいつもの威圧感のあるそれとは違ってフラフラしている。

 

「……熱、測りました?」

 

「……うっせ……勝手に決めるんじゃねぇ……」

 

 そう言ったあと、魅夜さんはふらりと体勢を崩しかけた。

 

 俺は反射的に手を伸ばして、その体を支えた。

 

「……っ、おい……」

 

「すみません、ちょっと触りますね」

 

 額に手を当てると、びっくりするくらい熱かった。

 

「……これ結構な熱ですよ。薬飲んで横になってください」

 

「……命令、するな……」

 

 そう言いながらも、魅夜さんは抵抗する力もないみたいで、俺に支えられたまま、布団まで運ばれていった。

 

 部屋の中は、いつも以上に荒れていて、床には脱ぎっぱなしの服や、空になったお菓子の袋が散らばっていた。

 

「タオル、洗面所から借りますね」

 

 濡らしたタオルを固く絞ってから魅夜さんに手渡した。

 

「……いらねぇ……」

 

「調理する間に汗を拭いといてください。そっちの方が楽になりますから」

 

 魅夜さんは何も言わずに黙っている。

 

 俺はそれを横目に考える。

 

 たしか部屋に米と卵くらいはあったはずだ。

 

 おかゆくらいなら……まぁ、いいか。

 

「……ちょっと待っててください。何か作りますから」

 

「……いらねぇ……アタシは……一人で平気だ……」

 

「平気そうに見えないですけど」

 

 俺は自分の部屋から鍋と食材を持ってきて、台所で火を使わせてもらった。

 

 米を多めの水で柔らかく煮てから卵と少しの生姜を加える。

 

 魅夜さんはその間、布団の中でぐったりとしていた。

 

 時々、小さく咳をしたり苦しそうな声を漏らしたりしている。

 

 その姿はいつもの彼女の姿とは違って一回り小さく見えた。

 

 爪も牙もない、ただの熱で弱った人間だった。

 

 こんな時まで強がろうとするのは彼女らしいけど、ちょっと無理があるよな……

 

 おかゆが出来上がると、俺はそれを器に入れて魅夜さんの枕元に置いた。

 

「魅夜さん。少しでも食べられそうなら食べてください」

 

「……いらねぇって、言ったろ……」

 

「無理に食べなくてもいいですけど置いておきますね。冷めてもレンジで温められますから」

 

 そう言って俺はその場を離れた。

 

「何かあったら、壁、叩いてください。聞こえますから」

 

 なんか、恥ずいな……

 

 彼女の彼氏でも家族でもないのに言い過ぎた……

 

 魅夜さんは何も答えず、ただ布団の中で小さく丸まったまま向こうを向いていた。

 

 

 翌朝――

 

 俺がバイトに行く準備をしていると、玄関の外に小さな物音がした。

 

 ドアを開けると、そこには器が入った紙袋が置いてあった。

 

 中を覗くと、空になった器が綺麗に洗われていた。

 

 布巾で丁寧に拭いた跡まである。

 

 メモも、何もない。

 

 ただ、器だけが、そこにあった。

 

(治った……のか)

 

 何となく安心した。

 

 それと同時になんだか少しおかしな気持ちにもなった。

 

 普段あれだけ大きな態度で人の部屋に勝手に上がり込んでくる人が、こんなにきちんとお皿を洗って返してくる。

 

 何だかこの人のことが少しわかった気がした。

 

 

 その日の夜、魅夜さんは何事もなかったかのように、いつも通りベランダから俺の部屋に上がり込んできた。

 

「……おい、悠。今日の晩飯、足りなかったから残り出せよ」

 

「もう元気になったんですね。よかったです」

 

「……あぁん?何の話だァ? アタシは最初から元気だったろうがぁ!」

 

 そう言って、いつもの調子で笑う魅夜さんを見て俺も自然と笑顔になっていた。

 

 

 それ以来、なんとなく俺たちの間には、それまでとは違う空気が流れるようになった。

 

 相変わらず不法侵入は続くし、罵倒も健在だ。

 

 でも、その距離感のどこかにちょっとした変化があった気がする。

 

 それ以来どうにも調子が狂ってしまい、今ではすっかりなぁなぁの関係になっている。

 

「あォ!? 誰が負け犬だァ?! クソが! クソが! クソがぁ!!!!」

 

 今日も魅夜さん、荒れてるなぁ……

 

「……ご飯でも持って、ちょっと様子見に行ってみるか」

 

 俺は冷蔵庫を開けた。

 

 

【あとがき】

悠くんみたいなパートナーがほしいです

 

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