その飲みかけ、致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果―― 作:やっくん。
バイト帰り、たまたま入った古着屋で俺は一枚のTシャツに出会った。
白地に大胆なデザイン。見た瞬間から胸が熱くなった。
「うん、いいな……これ」
何がそんなに刺さったのか、自分でもうまく説明できない。
「すみません、これください」
「……あ、はい。えっと……これ、ですか?」
レジのお姉さんが、なぜか俺の顔とシャツを二度見した。
「はい。これ、ください」
「…………ごゆっくり、どうぞ」
なぜか敬語が壊れているが、まぁ、いいか。
これを着ていけば、明日の凛さんとのお出かけもきっといい日になる気がする。
俺は上機嫌で、そのお気に入りの一枚を袋に入れてもらった。
◇
帰り道、エッフェル・タワーレコードの前を通りかかった。
この辺りでは珍しい大型のCDショップだ。
今どき音楽なんてスマホで聴くのが当たり前で、CDを買う人なんてめっきり減ったと思うんだけど、この店はなぜか根強く営業を続けている。
店内には、最新のヒット曲から古い名盤、それにインディーズの自主制作盤まで所狭しとCDが並んでいる。
ふらりと立ち寄って店内をぶらつくと、インディーズコーナーの片隅、ほとんど誰も立ち止まらないワゴンの中に、やけに手作り感のある一枚を見つけた。
ジャケットは手描き。コピー機で刷ったようなざらついた質感だ。
タイトルは――『男なんてクソくらえ!』
そして、その下に小さく、アーティスト名が書いてある。
――初期衝動ガールズ。
「……あれ、この子たち」
ジャケットに写る二人に、俺は見覚えがあった。
前に一度、駅前の広場で路上ライブをしていた二人組だ。
お世辞にも上手いとは言えなくて、通行人はみんな素通りしていた。
それでも、二人は声が枯れるくらい全力で歌っていた。
俺はあの時、なんだか足を止めて、つい最後まで聴いてしまったんだよな。
「……あの子たちか」
まさかCDまで出してたなんて。
視聴できるらしいので、俺はヘッドホンを耳に当てて再生ボタンを押した。
――ジャカジャカ、ドンドン。
やっぱり、音程は時々外れている。演奏もお世辞にも達者とは言えない。
でも、あの日に広場で聴いたのと同じだった。
下手なのに、全力で。何かに本気で怒って叫んでいる。
気づいたら、ヘッドホンの中のリズムに合わせて俺の足が動いていた。
「……うん。やっぱりいいな」
気づいたら口元が緩んでいた。
俺はワゴンに山積みになった在庫の上から一枚を手に取って、レジへ向かった。
「これ、ください」
「……あ、はい。こちら、ありがとうございますっ! ……友達も、喜びますっ!」
「あっ、お知り合いなんですね。前に路上で聴いたことがあって……応援してますって、お伝えください」
店員さんが、嬉しそうに頷いた。
家に帰ったら、さっそく聴いてみよう。
明日の準備をしながら、あの元気な歌を流すのも悪くない。
◇
家に帰って、俺はさっそく買ってきたCDをパソコンに読み込ませた。
再生ボタンをクリックする。
――ジャカジャカ、ドンドン。
部屋いっぱいに、あの元気な歌が流れ出した。
『男なんてクソくらえっ! まともなヤツはいやしねぇ!』
うん。やっぱりいいな。下手なんだけど、それがいい。
俺が鼻歌まじりに明日の準備を始めようとした、その時だった。
ガラガラガラッ!
「おいィ、悠ォ! なんだこの下手クソな歌は!」
ベランダの窓を勢いよく開けて、魅夜さんが雪崩れ込んできた。
「あ、魅夜さん。こんばんは」
「こんばんは~じゃねぇよォ! 壁の向こうまで騒音が漏れてんだよぉ。耳が腐るかと思ったぜ」
そう言いながら、魅夜さんはどかっと俺のベッドに腰を下ろす。
あ……俺のベッド……
「下手クソって……まぁ、確かに上手くはないですけど」
「上手くねぇどころじゃねぇ。音程外れまくりだし、リズムもガバガバ。素人のアタシでもわかるぜェ!」
魅夜さんは腕を組んで、心底呆れたという顔をしている。
「どこのどいつだよ、こんなの出してんのは」
「初期衝動ガールズっていう二人組ですよ。路上ライブしてて、この前、駅前で聴いたんです」
「はァ? わざわざこんなもん買ったのか? 金ドブじゃねぇか」
「でも、なんか、いいなって思って」
「……どこがだよ」
そう吐き捨てながらも、魅夜さんは曲を止めろとは言わなかった。
腕を組んだまま、じっと耳を傾けている。
やがて、二番のサビに入った。
『浮気のアイツを、悪、即、斬!』
「……ぷっ」
「あ、笑った」
「わ、笑ってねぇ! 歌詞がバカすぎて呆れただけだァ!」
魅夜さんは慌てて背中を向ける。
「……まぁ、アレだ。こういう、がむしゃらに叫ぶ感じは……嫌いじゃねぇけどよ」
「へぇ、意外ですね。魅夜さん、こういうの好きなんですか」
「別に好きとは言ってねぇだろ! ……ただ、気に入らねぇもんを気に入らねぇってハッキリ叫ぶ、その根性だけは、まぁ、見どころがなくもねぇってだけだ」
なんだか、わかるようなわからないような理屈だ。
口ではさんざん下手クソだと言っていたのに、魅夜さんの足は、サビに入ってからずっとリズムを刻んでいる
俺は曲の音量をほんの少しだけ上げた。
「それより悠――腹減った。なんか作れ」
「はいはい。ちょうど明日の仕込みをしようと思てたんで、一緒に作りますね」
俺はキッチンに立って、野菜を切り始めた。
背後では、魅夜さんが曲に合わせて小さく足を揺らしている。
そして、ぽつりと呟いた。
「……『男は全員クソ』ってのは、マジでわかるぜェ……。どいつもこいつも、女を利用することしか考えてねぇ。……でも――」
包丁の音と流水の音にかき消されて、その続きは俺の耳には届かなかった。
「魅夜さん、何か言いました?」
「……なんでもねぇよ! いいから早く作れっ!」
「はいはい」
俺は小さく笑って鍋に火をかけた。