その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:ヤッくん

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19話 その少女、観測につき。――狂気の株主総会に至るまで

――蒼井 深守(あおいみもり) 視点――

 

 

あ、あぅ……。

 

暗い。

六畳一間のワンルーム。遮光カーテンで完全に密閉されたこの場所が、わたしの世界のすべて。

 

モニターの青白い光だけが、私の青白い肌を冷たく照らしている。部屋には機械の排熱による独特の、焦げたようなプラスチックの匂いが充満している。ノイズキャンセリングヘッドホンを突き抜けて、PCファンの駆動音が耳の奥をザラつかせる。

 

わたしは、ここにいるけど、心はいつも「外」にある。

モニターに映し出されているのは、私の分身。網膜を焼くような夕陽の中を、羽音を立てて飛ぶ「目」が見る景色。

 

(……悠くん。見つけた。……捕捉……)

 

画面の中で、悠くんが笑っている。ゴミを拾い、誰かに道を教え、この世界で今日も親切を振りまいている。

 

わたしは、彼を観察する。

彼が誰かに微笑むたびに、胸の奥が、氷を飲み込んだようにヒヤリとする。彼が誰かに触れるたびに、指先が、静電気を帯びたように痺れる。

 

 

今日もドローンを飛ばして悠さんを見ている。

 

 

――あ。

 

 

その時、モニターの中の光景が一変した。

豪華なカフェ『レゼール』のテラス席。悠くんが、一人の老婆を庇って、台座にぶつかった。

 

 

ガシャァァァン!!

 

 

ドローンに後付けした高性能のマイクが大きな音を拾う。

高価な磁器が粉々に砕け散る、耳を劈(つんざ)くような不快な音が響いた。

 

悠くんの顔から、血の気が引いていくのがわかる。震える指先。膝の力が抜け、地面に突き出された手。

 

(……あ、あぅ……悠くん。……どうしよう。……画面越しじゃ何もできない……!)

 

わたしはモニターを掻きむしった。

爪が液晶を擦る、嫌な感触が指先に伝わる。

 

麗華と呼ばれていた女性。

彼女の瞳は金色の、不潔な光を放っている。

 

(……なにか、おかしい。……あ、あぅ? ……おかしい。……なにかが)

 

私はドローンを待機させてそのまま映像を見ている。

指が、反射的にズームレバーを弾いた。レンズが捉えたのは、さっきまで腰を抜かして震えていたはずの、あの「被害者」の老婆。

 

悠くんが連行された途端、彼女はまるで特撮ヒーローの変身が解けたみたいに、背筋をピンと伸ばして歩き出した。震えていた足取りはどこへやら。老婆は、迷いのない足取りで路地裏へと滑り込んでいく。

 

(逃がさない)

 

ドローン『アイ・ゼロ』を、高度を下げて、無音航行(サイレント・モード)へ。

 

 

路地裏の、ゴミ箱が並ぶどん詰まり。

そこには、一筋の乱れもない秘書服に身を包んだ、九条 千尋が立っていた。

 

(……九条、……千尋。……さっきの人、……やっぱり……)

 

老婆が、九条の前で深く頭を下げる。九条は、表情一つ変えずに、ジャケットの内ポケットから一通の「分厚い封筒」を取り出した。

 

茶封筒の隙間から、野蛮なほどの厚みを持った、壱万円札の束が覗く。老婆はそれを、さも当然の報酬(ギャラ)を受け取るように、両手で、恭しく受け取った。

 

モニター越しに、九条の薄い唇が動くのが見えた。音声は、ぎりぎり届かない。けれど、AIによる読唇(リップ・リーディング)が、無機質なフォントを画面に吐き出す。

 

《――ご苦労様。端役にしては、いい演技でしたよ》

 

 

その瞬間。

 

 

私の胃の奥が、雑巾を絞るように激しく捩れた。

 

(あ、あぅ……。麗華とかいうアマ、……最初から、……全部、……書いてた。悠くんを、「負債」という鎖で縛り上げ、誰の手も届かない檻に閉じ込めるための、最低の「脚本(シナリオ)」……!)

 

悠くんが、あんなに、……顔を真っ白にして、……自分を責めて、……泣いてたのに。

 

指先が震え、視界の端が白く爆ぜた。

 

私はすぐさまその麗華と九条という女性についてネットやSNSから情報を検索した。公には載ってなかったけど、画像認識機能で相手を特定できた。

 

引きこもりの間で鍛えたわたしの検索能力をなめてもらっては困る。

 

少し時間はかかったが、鳳グループ会長の令嬢である鳳麗華とその専属秘書というところまでたどり着いた。

 

(許さない。絶対に、……削除(デリート)してやる。あんたたちのその「地位」も、その「名誉」も)

 

わたしは、震える手で『アイ・ゼロ』の録画データを、最高画質のまま別サーバーへ転送した。

 

「……これ、……証拠。……鳳を、……引きずり下ろす、……ための、……爆弾……」

 

 

数日間、わたしは考えた。

どうしたら悠くんを救えるか、それだけを考えた。

 

(……もう、この手段しかない。……あ、あぅ。やるしかないんだ)

 

過去に収集した、悠くんの周囲を漂う「害虫(ブラックリスト)」たちのデータ。

画面に踊る、女たちの顔。

 

阿久津 魅夜(あくつみや)。

悠さんの隣の部屋の、うるさい女。悠くんのシャツを盗み、ハレンチな配信を繰り返す、不潔なインフルエンサー。

 

《阿久津 魅夜。かつて『女王』と呼ばれた拡散力の権化。彼女の炎上を恐れぬ攻撃性は、鳳という巨大な権威に泥を塗り、世論という名の盾を作るための唯一の『毒』になり得る》

 

(……利用価値、……Sランク。……拡散力、……炎上の、プロ。……こいつなら、……鳳の『面子』を、……泥で汚せる)

 

わたしがドローンのカメラから録画保存していた『三億円の壺事件』の決定的な瞬間。

九条千尋が老婆とやりとりする「捏造の証拠」を、ファイルにまとめた。

 

これを、魅夜のSNSアカウントにDM(ダイレクトメール)で送りつける。

 

『――悠さんが、鳳に殺される。救いたいなら、ここに来い。座標:如月法律事務所』

 

送信ボタンを押す。

指先が、自分の意志とは無関係に小刻みに震えている。

 

(……次。……如月 雫。……三階の窓から、……見てた。……泣いてた。……鳳に、……負けそう。……悔しくて。……でも、……彼女は、……盾になる。……法の、プロだから)

 

わたしはドローンを旋回させた。

如月法律事務所の、古びた窓。そこには、暗闇の中で崩れ落ちる雫の姿があった。

 

(……あとは。……あの、……不審者)

 

浅見 凛(あさみりん)。

データ上、最も予測不能な、いわゆる高スペック女。悠くんにジャケットを借り、恍惚とした表情でそれを抱きしめていた、狂った女。

 

(……こいつは、……呼ばない。……危険すぎる。……大手広告代理店のエース……鳳グループと接点があるにしても、……御しきれない)

 

モニターの隅で、別のウィンドウが警告(アラート)を鳴らした。

 

(あ、あぅ……っ! 悠さんが鳳家に向かっている!? そっか、執事は今日からなんだっ! 悠くんが世間知らずのお嬢様に何をされるか......わからない......それに鳳に行ったが最後、帰って来る保証なんて......ないっ!)

 

時間が、ない......。

 

「……わたしが、……なんとかしないと、……悠くんを守るために……!」

 

【鳳 麗華が悠に〇〇をするまで、 ――あと4時間】

 

 

 

如月法律事務所の前。

雨上がりのアスファルトが焼ける、鼻をつく匂いが立ち込めている。

 

わたしはドローンを通じて、そこに集結する「害虫」を観測する。

事務所の前に、音もなく一台の高級車が停まった。

 

漆黒のハイエース。

そこから降りてきたのは、一筋の乱れもないブラウスに身を包んだ、浅見 凛だった。

 

「……不潔だわ。鳳さんの用意した檻なんて、消毒も行き届いていないゴミ箱なのに……。悠くんには、私の防音室(聖域)こそが相応しいのに(白目)」

 

(あ、あぅ……っ!? 浅見……凛。……なんで、……ここに……!?)

 

わたしはヘッドホンの向こうで息を呑んだ。

彼女には、招待状など送っていないはずだ。

 

凛は、手にしたタブレットの画面を一瞥し、そして事務所の三階を見上げた。まるで、そこに浮かぶ私のドローンのレンズを、真っ直ぐに見透かしているかのように。

 

「……鳳グループの、昨日の株の動き。……不自然な自己株式の取得。……そして、この事務所への懲戒請求の根回し。……如月先生、お困りのようね?」

 

凛は、迷いなく事務所の中に足を踏み入れる。

その背中には、悠くんを「保護」するための、巨大な檻のような執念が纏わりついていた。

 

(……予測不能。……演算、……エラー。……この女、……鳳の動きを、……数字だけで、……特定したの……?)

 

 

続いて、爆音を立てて突っ込んできた、赤い大型バイク。

ヘルメットを脱ぎ捨てた阿久津 魅夜が、バットを肩に担いで事務所のドアを蹴り破る。

 

 

「ケヒャヒャ! アタシのイヌを、誰が盗んだってぇ!? 鳳の小娘、タダじゃ置かねぇヨォ!」

 

事務所の中では、いつのまにか雫、魅夜、凛が火花を散らしている。

偶然にも窓が開け放たれていたので、ドローンのマイクが音を拾う。

 

「テメェら、誰様の差し金だアァ! アタシの犬を盗もうってのかァ!?」

 

「……如月先生はいいとして、そもそもあなた何者なの? どこかで見たことあるような......それにしてもあなた不潔ね」

 

「……あぁ、私の事務所のドアが....いつから私は漫画の世界に降り立ったのよ! というかあなたたち誰!?!? 仕事の邪魔をしないで!」

 

互いに殺し合ってもおかしくない、この世で最も「相性の悪い」組み合わせ。

放置すれば、悠くんが連れ去られる前にここが死体安置所になる。

 

わたしは、ドローンのスピーカーをオンにした。

 

喉が、カラカラに乾いている。

それでも、言葉を絞り出す。

 

 

「あ、あぅ……っ! ……争っている、……時間、……ない……!」

 

 

【鳳 麗華が悠に〇〇をするまで、 ――あと3時間】

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