その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:やっくん。

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2話 その飲みかけ、致死量につき

――阿久津魅夜の視点――

 

 アタシがまだ女王なんて呼ばれる前、唯一信じた男がいた。

 

 だが、そいつはアタシを愛してなんていなかった。

 

 アタシが稼いでくる金と、アタシを慕うフォロワーを、自分のステータスにするために優しさを装っていただけだった。

 

『お前が俺に尽くすのは、当たり前だろ? むしろ今まで優しくしてやったんだから感謝しろよ』

 

――最後にそいつが吐き捨てた言葉を、アタシは死んでも忘れねぇ。

 

 男の優しさなんてのは、すべて女を飼い慣らすための首輪だ。そんなことは、裏社会の泥水をすすってきたアタシが一番よく知ってんだよ……

 

 

「……はぁ、マジで死ねよ。どいつもこいつも、女をなんだと思ってやがる……」

 

 暗い廊下で、アタシは重い機材ケースを引きずりながら、呪詛を吐き捨てた。

 

 覆面インフルエンサーとして世間じゃ不遜な女王様なんて崇められてるが、実態はこれだ。

 

 男の引っ越し業者は「あー、腰やっちゃったんで無理っす」と当然のようにアタシに荷物を押し付けてきた。

 

(男ってだけで重宝されるから、あんな態度でもクビになんねぇんだろうよ。しかも金だけはきっちり持っていきやがった。あのゴミクズ野郎がぁ……)

 

【豆知識:この世界において、男は生まれながらに女に尽くされ、甘やかされる。それが当たり前すぎて、優しさや感謝はどこかに置き忘れてしまっている男が多い】

 

 男共は、どいつもこいつも中身は空っぽのクズばかりだ。男であるというだけで、自分が奉仕されて当然の立場にでもいると勘違いしてやがる。

 

 そんな時だった。

 

 隣の部屋から、あの男――結城 悠(ゆうき ゆう)が出てきたのは。

 

 最初に目が合った時、アタシは反射的に(あ、またこのタイプか)と思った。

 

 整った顔立ち、育ちの良さそうな雰囲気。何より腹立たしいことは、見た目だけなら驚くほどアタシのタイプだったことだ。

 

 だが――だからこそ余計に反吐が出る。

 

(どうせこいつも「手伝ってあげてもいいけど、お礼は何かな?」なんて、下卑た交渉をしてくるに決まってる。その優しいフリもどうせ演技なんだろ?)

 

 だから、アタシは全力の殺意を込めて睨みつけてやった。

 

「あァ……? テメェ、何様のつもりだヨォ……安っぽい逆ナンのつもりか? ケヒャ! 笑わせんなよォ!」

 

 だが、アイツは違った。

 

 アタシの罵倒なんて聞こえてないみたいに、あろうことかアタシの手から機材ケースを奪い取り、まるで羽毛でも持つみたいにひょいと持ち上げやがった。

 

「……なっ!?」

 

 唖然とした。交渉も、下心も、見返りの要求もねぇ。

 

 ただ淡々と荷物を運び、腕の筋肉のラインを無防備に晒しながら、「掃除しないと足の踏み場なくなりますよ」なんて、お節介な一言を残して去っていった。

 

 その時、アタシは見てしまった。

 

 荷物を支えるアイツの腕を――

 

 手の甲から前腕部にかけて浮かび上がる、バカみたいに浮き出た血管を。

 

【豆知識:この世界では貞操観念が逆転している。男のチラ見えする腕の血管や首筋は、元の世界におけるそれの3〜5倍の刺激に相当する。ちまたでは性器の一部とされている】

 

(……ハレンチすぎんだろ、チクショー。なんなんだよアイツ……あんな無防備に性器さらしやがってよぉ……)

 

 

――そして今日。

 

 部屋でグラスを割り、惨めな思いで座り込んでいたアタシの部屋に、アイツは再び侵入してきた。

 

「掃除、手伝いますよ。破片踏んだら大変ですし」

 

(ふざけんなヨォ……。何なんだよ、一体)

 

 男のくせに、なんでそんなに手際よく、楽しそうに無償の奉仕なんて真似ができんるんだ。

 

  畳まれた服の角がピシッと揃ってるのを見るたびに、脳がバグりそうになる。

 

(普通は男共にとって、女が家事すんのが世の風潮だろ。なのにアイツは……)

 

 やつの言動からは、そんな傲慢さが微塵も感じられなかった。

 

(心のどこかじゃ分かってる。こんな男、いるはずがねぇ。どうせこれも、もっと大きな見返りを要求するための演技なんだろ? 信じちゃいけねぇ)

 

「また、なんかあったら気軽に読んでくださいね、じゃ」

 

バタン――

 

――静まり返った部屋。

 

 結局アイツは、磨き上げた蛇口の輝きだけを残して、風みたいに去っていきやがった。

 

 アタシは床に座り込んだまま、テーブルの上を凝視する。

 

 そこには、一本のペットボトルがポツンと置かれていた。

 

 表面には、アイツの部屋から持ち込まれた冷たさが残る、結露の水滴。中身は半分ほど減っている。

 

「……ハッ。何なんだよ、これ。何かのイタズラかぁ……?」

 

 アタシは周囲をぐるりと確認する。

 

 かつて元カレに同じようなイタズラをされたことがある。

 

 あの時は観葉植物の鉢の中にスマホが隠してあって、アタシの部屋を盗撮しようとしてやがった。

 

 なんとか先に気づけたから良かったものの、危ねぇところだった。

 

 部屋の隅。観葉植物の裏。棚の上。

 

 ……どこにもそれらしいものは見当たらない。

 

 アタシはもう一度、テーブルの上のペットボトルを見つめた。

 

【豆知識:この世界において、男が女の部屋に飲みかけのボトルを置くことは、完全に心を許しています、のサインに等しい。元の世界で例えるなら、Yes/No枕のYesの面を堂々と表にしているようなものに近い】

 

(くっ……そそるじゃねぇか……。こんな初対面に近いアタシの部屋に、無防備に放り出していくなんてよぉ……)

 

 アタシは、見た目や口調のせいで経験豊富だと思われがちだが、実際は男の身体に指一本触れたことはない。

 

(アイツ、まさか……確信犯か? アタシがこれを見て、どう反応するか想像して楽しんでやがんのか……?)

 

 キスの経験だってまだない。 

 

(だがな……アタシにも女王としてのプライドってもんがあんだよぉ……)

 

 ペットボトルを凝視していると青いキャップの部分が浮いていることに気づいた。

 

(キャップが緩んじまってんじゃねぇか……)

 

 閉めようとキャップに手をかけた。

 

 回した。

 

 が、誤って逆に回してしまった。

 

 パカッ。

 

 悠の口がついたであろう、飲み口が露わになる。

 

(…………アイツが、ここに口をつけたのか)

 

 気づいたら顔を近づけ、飲み口をじっと凝視していた。

 

 

 すん。

 

 すん、すん。

 

 

(……アタシゃ変態かァァァァ!!)

 

 頭を思いきり振った。

 

 その瞬間――

 

 

 プツッ

 

 

 ボトルの飲み口が、アタシの唇に一瞬だけ触れた。

 

「…………っ」

 

 アタシはボトルに背中を向け、その場にしゃがみ込んだ。

 

(か、……間接、キス……)

 

【豆知識:この世界において、9割の女性にパートナーがおらず、キスはおろか間接キスすら未経験の女性が大半を占める。元の世界よりも何倍もの刺激となるこの世界では、もとの世界でいうディープキスかそれ以上の刺激だとか】

 

 

 バクン、バクン、バクン

 

 やばい。なんか心臓がおかしい。顔も熱い。

 

 アイツが触れたであろう唇を想像しただけで、下腹部の辺りが暖かくなる。

 

「……あ、あァ……。ど、どどど、どうすりゃ……ッ!」

 

 肋骨を内側から叩き割るような衝撃が止まらない。

 

 頭だけ振り返り、テーブルの上のボトルを見上げた。

 

 半分ほど残った透明な液体が、部屋の光を受けて静かに揺れている。

 

 ……ごくり。

 

(……いや待て)

 

 アタシは思考を巡らせる。

 

(そもそも、関節キスってのは、もう触れてしまった時点で成立してんだよな。つまりアタシはもう、アイツと関節キスをしてしまった女ってことだ。だとするなら、今さらこれを飲もうが飲むまいが、事実は変わらないんじゃねぇか? むしろここで飲まない方が、せっかく成立した関節キスを無駄にすることになる。……そうだよな。もったいないよな。アタシは別にもったいないことが嫌いなだけで。断じてそれ以外の理由じゃねぇ)

 

 アタシはゆっくりと立ち上がった。

 

 ボトルを手に取る。

 

(……これは、もったいねぇからだ。……それに脱水症状に備えて今のうちから水分を取っとかねぇと……な)

 

 理由が2つもあるんじゃ仕方ない。

 

 わたしは――

 

 

 

 

 ――吸い込まれるように、飲み口を自分の唇に当てボトルを傾けた。

 

 ゴク、ゴク、ゴク……ッ。

 

 液体が、喉を通る。

 

(何だよ、これ。何なんだよ!)

 

 冷たいはずなのに、内側から爆発するような熱量。

 

 

 

 ゴキュッ、ゴキュ……ッ。

 

 喉を鳴らして、アイツのエキスを胃の中に流し込む。

 

(アタシの細胞一つひとつが喜んでる……)

 

 アイツのエキスが注ぎ込まれたような圧倒的な刺激。

 

 

 

 

 

 

「――ッ!!!ぷはぁッ……!」

 

 アイツの存在が直接アタシの体内へと染み渡っていく感覚。

 

 その感覚がどんどんと下腹部の辺りで熱くなっていく。

 

 ジュクジュク

 

 熱さがぐんぐん高まり、広がり、そして疼きが伴ってくる。

 

 キュンキュン

 

 お腹の奥辺りが収縮を繰り返す。

 

「あぁぁぁ……トぶ……トぶトぶ……トんじまう……もう……イ…………くぅ……」

 

 

 

 

 ふにゃり。

 

 ぺたん。

 

 膝の力が抜け、アタシはその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ペコッ――

 

 手の中で空になったボトルが、情けない音を立てる。

 

 

 

 

 ツーー

 

 涙が出てきた。

 

 

 

「ははっ……」

 

 自分でも信じられない行動に笑いが止まらなかった。

 

 あれほど男を嫌悪していたアタシが、隣に住む得体の知れない男の飲みかけ一本の誘惑にあっさり屈しちまった。

 

(無様に膝をついて、◯ッちまった……チクショー、こんな姿……ぜってぇアイツには見せらんねぇ)

 

 

 ――その時

 

 隣室から微かな物音が聞こえた。

 

 

 

 アタシは吸い寄せられるように壁に這い寄り、耳を押し当てた。

 

 薄い壁の向こう側から、アイツのあの惚けたような声が聞こえてくる。

 

「……あ、やべっ。ボトル、隣に置き忘れてきちゃった」

 

 

 

 ……は?

 

 心臓が凍りつくような音がした。

 

(今、なんて……置き忘れた? アタシへのイタズラでも、嫌がらせでもない……ただのうっかり………だと)

 

「……ケ、ケヒャ……嘘だろ、なぁ……」

 

 アタシは空になったボトルを握りしめ、震えながら笑う。

 

 もしアイツが本当に無自覚にこれをやったのだとしたら。

 

(今、一人で壁に耳をつけて、こんなに悶え苦しみ、狂わされているアタシって……)

 

 

 翌日。

 

 アタシはどんな顔をしてアイツに会えばいいか悩んでいたが、そんなときに限ってマンションの廊下で鉢合わせた。

 

 廊下で鉢合わせたアイツは昨日と変わらない、あの気の抜けた声と眩しい笑顔でこう言い放つ。

 

「あ、魅夜さん、ちはっ。すいません、昨日そっちに飲みかけのボトル置き忘れちゃって。汚いんで適当に処分しといてもらっていいですか?」

 

(処分…… )

 

 アタシが昨夜、宝物みたいに大切に泣きながら飲み干したあのボトルを、ゴミとして捨てろってこと?

 

「……あぁ、汚い……よねェ……」

 

 口から出たのは自分でも驚くほど低くねっとりとした声。

 

(テメェ、まじで……どこまでアタシを弄ぶつもりだ。昨日アタシが、どんな顔をしてテメェのエキスを胃に流し込んだと思ってる。それを汚いから捨てろだと……?)

 

「……わーったよぉ。……処分しとくぅ……」

 

 ドロドロとした暗い感情を込めて微笑んでやった。

 

(コイツ……絶対わざとだ……アタシを弄んで楽しんでやがんだ……)

 

 アタシは確認しないといけない。

 

 こいつの優しさが、アタシがこれまで見てきた男共と同じただの演技なのかを。

 

(アタシは男にはだまされない、もうだまされねぇぞ……)

 

 それとも――この世界で唯一アタシが信じてもいいやつなのか。

 

 その仮面の裏をアタシが徹底的に暴いてやるんだ。

 

(そうだ!まずはこいつの生活、交友関係、……すべて。女王の力を使ってぜんぶ丸裸にしてやろっ……ケヒャ!)




【あとがき】
魅夜「これがファーストキスってやつかぁ」
( ゚Д゚ノ)ノビシッ!! ちがいます。ただの間接キスです。
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