その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果 作:ヤッくん
――如月雫(きさらぎしずく)視点――
ビルの下で、派手なスキール音が響いた。
窓から下を見れば、不吉な黒塗りのハイエースが停まっている。
そこから降りてきたのは、メディアで「広告界の至宝」と謳われるあの女だった。
浅見 凛(あさみ りん)。
清潔感の塊のような彼女の瞳は、今は完全に光を失い、焦点が合っていない。
彼女は事務所のドアを蹴破る勢いで入ってくると、私を一瞥もせず虚空を見つめて呟いた。
「……不潔だわ。鳳さんの用意した檻なんて、消毒も行き届いていないゴミ箱なのに……。悠くんには、私の防音室(聖域)こそが相応しいのに……(白目)」
(……だれ? というか、この人、完全に『あっち側』の人じゃない。白目こわっ!!)
続いて、大きめの白シャツにバットを肩に担いだプラチナブロンドの美女が、事務所のドアを豪快に蹴り破ってなだれ込んできた。
「テメェら、誰様の差し金だアァ! アタシのイヌを盗もうってのかァ!?」
彼女が野蛮な音を立ててバットを振り回す。
(あっち側の人が増えたぁ!? それにあなたもだれ!? 私の事務所のドア、もうボロボロなんだけど!)
「……あぁ、私の事務所のドアが....いつから私は漫画の世界に降り立ったのよ! というかあなたたち誰!?!? 仕事の邪魔をしないで!」
「あ、あぅ……っ! ……争っている、……時間、……ない……!」
いつのまにか事務所の上空に小型のドローンが侵入しており、そのスピーカー越しに悲痛な声が響く。
三人の視線が、一斉にドローンへと集まった。
「鳳が、……悠くんを、……完全に、……手籠めにしようとしてる......今日が執事としての初日……鳳の別館へ向かってる。あと、……数時間。……救いたいなら、……手を、……組んで……!」
「ハァ!? 手を組むだァ? 笑わせんじゃねぇヨォ、このブリキの羽虫が!」
魅夜がバットの先端を、空中に浮くドローンへと突きつけた。
「あとそこの白目女! さっきから不潔だの檻だの、何様だァ? アタシのイヌに近づく女はこのバットでホームランって決めてんだヨォ!」
銀髪の女性の視線が、凛が羽織っている男物のジャケットに釘付けになった。その瞳にみるみるうちに怒りの火が灯り、まるで「なんでテメェがそれを持ってんだ」とでも言いたげに顔を歪めている。
対する凛は、眉ひとつ動かさない。
「……不愉快よ、野蛮なインフルエンサー。言葉から教養のなさが漏れてるわよ」
凛が銀髪の女性を冷徹に品定めし、小さく鼻先を動かした。まるで不潔な害虫を見つけたかのような、あるいは魅夜のシャツに染み付いた「何か」を敏感に嗅ぎ取ったかのような……ゾッとするほど鋭い眼差しだ。
「なっ……! テメェ、殺すぞッ!!」
「あぅ……あぅ……! ……ダメ……! ……鳳の、……門兵、……別邸の、……ゲートを、……閉鎖……開始……した」
「あぅあぅ、うるせぇなァ! てめぇはオットセイかよォ!」
「オっ……オっ……オッ……オットセイ......じゃない!」
「オッオッオッって、やっぱオットセイじゃねぇかッ! ケヒャヒャ! ウケる!!!」
(……ぷっ! あかん、ちょっと笑ってしまった。いや、笑ってる場合じゃないのに!)
「どうせテメェ、そのドローンで盗撮して喜んでる変態野郎だろ。後で叩き割ってSDカードだけ回収してやるよ」
「...……盗撮じゃ、……ない。……観測……、……愛の、……バックアップ……」
「どいつもこいつも……ッうるさいわね! 悠くんは、私の『管理』の下で、最も衛生的な環境で保護するの。鳳やあなたたちのような不浄な輩は、すべて……一括で消去対象よ」
凛が静かにスタンガンのスイッチを入れた。
バチバチと青白い火花が散り、銀髪女がバットを構え直し、ドローンが熱暴走のような電子音を鳴らす。
一触即発。
彼女たちは、今にもお互いの喉元を食い破らんとする狂犬の集まりだ。
(……ダメだ。このままだと、鳳に届く前に共倒れになる)
ドクン、と心臓が跳ねる。
私は、震える指先でデスクの上の「六法全書」をひったくった。
――ドンッ!!!
耳を劈くような音を立てて、私はそれを彼女たちの真ん中に叩きつけた。
「あんたたち、いい加減にしなさい!!!」
一瞬の静寂。
狂ったヒロインたちの視線が、一斉に私に突き刺さる。
吐き気がするほどの殺気。立っているだけで膝が笑いそうな重圧が、狭い事務所に充満する。でも、私は引かなかった。
法廷で理不尽な検事や攻撃的な被告と渡り合ってきた意地がある。ここで折れたら、弁護士バッジを捨てたも同然よ。
「……あんたたち、勘違いしないで。私はあの子を守りたいだけ。あんたたちが誰と寝ようが、どんなハレンチな妄想をしようが知ったこっちゃないわ」
私は、九条千尋から渡された提案書を彼女たちの前にぶちまけた。
「でもね――鳳に飲み込まれたら、あの子は二度とこの世に出てこない。『鳳の所有物』として一生、窓のない部屋で管理されるでしょうね。あんたたちの『愛』を届ける余地なんて、分子レベルで残らないわよ」
凛の瞳が、わずかに揺れた。
銀髪女性が、バットを握る手に力を込める。
「今の私一人の『法』じゃ、鳳の『理不尽』には勝てない。……だから、あんたたちの狂気、私に貸しなさい」
私は一人一人を、射抜くような視線で見つめた。
「悠くんを救うんじゃない。鳳麗華に、あの子を『独占』させない。……そのためだけに、今この瞬間だけ、手を組むのよ」
沈黙が、重く流れる。
最初に動いたのは、凛だった。
凛は羽織っていたジャケット――悠からもらった大切な欠片――を、狂おしく抱きしめながら静かに告げた。
「……いいわ。悠くんが鳳さんの『無機質な檻』に入るくらいなら、一時的に共闘するメリットはあるわね。……救出後の所有権については、後でじっくり話し合いましょうか」
「ケッ……反吐が出るぜ。でも、アタシのイヌが横取りされるよりはマシだっつーの」
銀髪の女性がニヤリと、不敵な笑みを浮かべる。
ドローンが、パタパタと小刻みに上下した。
「あ、あぅ……監視対象の悠さんが鳳家の別宅に入るのを確認……」
「時間がないわね……よし。まずは狂気の作戦会議(ミーティング)、始めるわよ」
「……共有、……一時的な、……株主配分。……悠くんを、……失うくらいなら、……これしか、……ない……っ」
私は、先ほど叩きつけたボロボロの六法全書を拾い上げ、優しく抱きしめた。
(あの子が流した、あの透明な涙。それを、誰にも汚させはしない)
「作戦名は――『三億の鎖、粉砕計画』。鳳の正解を、私たちの異常で塗り潰してやるわ」
私の瞳に、かつての絶望はもうない。
代わりに宿っているのは、大切なものを奪われかけた女の、冷酷な怒り。
魅夜がバットを叩き、凛が静かにスタンガンを起動させる。
絶対王政・鳳麗華。
対するは、法と、世論と、情報と、狂気を司る四人の女。
【鳳麗華が悠に〇〇をするまで――あと2時間】