その飲みかけ、致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果――   作:やっくん。

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22話 この女、鬼畜につき

――鳳 麗華(おおとり れいか)の視点――

 

 わたくしのプロデュースにより、一夜にして変貌を遂げたカフェレゼール。

 

 その中央にはスポットライトを浴びて鎮座する三億円の青磁の壺。

 

 おーッほッほっほ! 完璧ですわ!

 

 この計画、脚本、そして演出。

 

 これから美しきショーの始まりですわ。

 

 カフェの制服に身を包み、黒いウィッグと眼鏡で正体を隠しながらも、わたくしの心臓は勝利を確信したリズムを刻んでおります。

 

(……舞台主演が来ましたわね)

 

 そこへ、何も知らない男――結城 悠(ゆうき ゆう)がやって参りました。

 

「……すごい雰囲気だな……本当に同じカフェ?」

 

 呆然と口を開けて展示スペースを見上げる彼は無防備な横顔をしております。

 

「結城くん、腰を抜かさないでくれよ。本社から直送された鳳家秘蔵の至宝だそうだ」

 

 レゼールの店長が怯えた表情で答えています。

 

「へぇ。でも店長、なんでそんな高価なものをうちに?」

 

「さぁねぇ。上の考えていることはさっぱりだよ」

 

「ちなみにこれは?」

 

 結城悠が指で輪を作り、下世話な仕草をしています。

 

(まぁ、はしたない。ですが、そこもかわいらしいですわ)

 

「三億」

 

「えぇ!?さ、三億!?」

 

「本物に触れる機会の提供――がコンセプトらしいよ。従業員の意識を高めて、客単価も上げたいんだと」

 

「はぁ……そうなんすか。店長、やっぱり柵とか付けた方がいいんじゃないですか。お客さんが当たったりしたら」

 

「そうだねぇ。まぁ今日はもうお客来ないから明日にでもやろうか」

 

(あら。ずいぶんと殊勝なことを)

 

 もっとも、明日などという日は訪れませんけれど。

 

 そんな話をしていると、わたくしの忠実なる影である九条が入口のドアを静かに開きました。

 

「鳳グループ、鳳麗華さまの専属秘書、九条 千尋(くじょう ちひろ)です。本日は、我が主(あるじ)の命により、展示品の譲渡と査察に参りました」

 

 一分の隙もない氷のような雰囲気の彼女は、わたくしが描いたシナリオ通りの完璧な執行官を演じております。

 

「……結城悠ですね」

 

 九条の視線が、彼の顔から爪先まで静かに一往復いたしました。

 

 まるで、値札のついていない何かを慎重に見定めるように。

 

「……せいぜい、この鳳の誇りを傷つけないよう、精進なさることです」

 

 丁寧な敬語の裏に隠された、底冷えするような声色での忠告。

 

(……ふふ、九条ったら。ずいぶんと念入りに睨みつけて)

 

 何か言いたげに彼が寄ってくる。

 

「……ね、小鳥さん」

 

 メニューの整理を装っていたわたくしに、彼が気安く声をかけてきました。

 

「なんですの?」

 

 鋭い九条の視線を感じて、わたくしの背筋はいつになくピンと伸びてしまいます。

 

「今の人、なんか、俺の名前知ってたんだけど」

 

 わたくしと九条との関係を疑っている――という感じではありませんわね。

 

「……さぁ、存じませんわ」

 

 わたくしはメニューから視線を合わせないようにして答えます。

 

「……うちのオーナーの鳳麗華ってどんな人なんだろうね」

 

(それはそれは、気高く、美しく、この世界の至宝とも言える存在ですわ……)

 

 喉まで出かかった言葉を、わたくしはギリギリのところで飲み込みました。

 

 無言。無言を貫くのですわ。

 

 ……と思ったのも束の間。

 

「そういえば――小鳥さんと同じ名前だね」

 

 ビクッ。

 

 わたくしの体が、思わず跳ねてしまいました。

 

 わ、わたくしとしたことが、動揺が体に出てしまうなんて……

 

「……ええ、そうですの」

 

 なにか、なにか良い言い訳は……そうですわっ!

  

「親が――鳳麗華様のようにと名付けてくださいましたのよ」

 

 ふぅ……完璧な返しですわね。

 

 ところが結城悠は、なにやら指を折って計算をなさっています。

 

(……何をしていらっしゃるの?)

 

「でも……やっぱりお嬢様だなって思うよ」

 

「……どういう意味ですの?」

 

「だって三億円の壺をカフェに置こうなんて普通は考えないよ。感覚がイカれてるんじゃないかって思うよ」

 

「イカれてるっ!?」

 

「ちょっとバグってるっていうかさ」

 

「バグ……!?」

 

「たぶん四十くらいのおばさんだと思うんだよね」

 

「オ、オバさん――!?」

 

 じゅうななさい。

 

 わたくし、まだ十七歳ですのよ!?

 

 怒りを隠すのも限界でした。

 

 ふぅーふぅーと、わたくしの呼吸が浅くなっていくのがわかります。

 

 こういう時は鳳式腹式呼吸の出番ですわ。

 

「ひっひっひっ……ふぅーふぅー」

 

「小鳥さん、大丈夫? やっぱりエアコン効きすぎてる?」

 

 ……整えてる最中に話しかけないでくださいまし!

 

「な、なんでもありませんのよ……!」

 

(見てなさい。あなたをわたくしのモノにしたら、きっちり仕返しをいたしますの……)

 

「でもさ――本物に触れることに価値があるっていう考えは、俺にはなかったからさ。写真とか本物っぽい複製で十分だと思ってたし」

 

 彼の言葉が、熱くなっていたわたくしの頭をすうっと冷やしていきます。

 

「本物がそこにあるから背筋が伸びるっていうのは――なるほどなぁって。こんな環境をポンと用意できる実行力とか――やっぱり鳳麗華ってすごいんだなぁ」

 

 そう――それでいいの。平民のあなたは、わたくしを敬いながら生きなさい。

 

 

――翌日。

 

 カフェの入口には、準備中の木札。

 

(そろそろ……ですわね)

 

 店長には、倉庫の在庫確認という名目で席を外していただきました。

 

(さぁ、舞台から邪魔者は消えましたわ)

 

ーーカランッ

 

 静寂の中、店内にベルの音が響き、一人の老婆が入店してまいりました。

 

 さあ、来なさいな。わたくしが送り込んだ仕掛け人!

 

 それは一見すればどこにでもいる善良な老婆。

 

 しかしその実態は――鳳グループが保有する劇団のベテラン女優。

 

 舞台は整いましたわね。

 

 エキストラの老婆が台本通りふらふらとした足取りで、時価三億円の青磁の壺へと近づいていきます。

 

「こりゃあ、良いツボだねぇ」

 

 台本通りのセリフ。完璧ですわ。

 

 さぁ、見せてくださいませ。

 

 老婆が倒れそうになった時、あなたなら――

 

「ありゃっ」

 

 老婆が台座の角に杖を引っ掛け、青磁の壺に向かって大きくバランスを崩しました。

 

 次の瞬間――

 

「危ないっ!!」

 

 結城悠が、反射的に老婆の正面へと飛び込みました。

 

(そう来ると思いましてよ!)

 

 老婆を正面から抱きかかえる形になる。

 

 その背中には、三億円の青磁の壺。

 

(今よ!)

 

 その瞬間、彼女の体から老婆とは思えないほどの力が入ったのが分かりました。

 

 結果、台座に彼の背中がぶつかり、衝撃で壺が揺れております。

 

 そして――台座からずり落ちた。

 

(よしっ)

 

 台座から滑り落ちる壺。

 

「くっ――」

 

 結城悠が腕を伸ばしています。

 

 ギリギリ――間に合ってしまいそう……なんとかなさい、老婆!

 

 その思いが届いたかのように。

 

 カンッ。

 

 老婆の杖が――まるで偶然を装い――彼の伸ばした手を弾きました。

 

 

 

 ガシャァァァァン!!!

 

 

 

 青磁の破片が床に美しく飛び散りました。

 

 老婆ナイスですわ!

 

 わたくしは背中に隠した拳をグッと握りしめました。

 

 彼女には報酬とは別にボーナスを上乗せしようかしら。

 

 店内は静寂。

 

「ありゃあ〜。こりゃあ、どっちが悪いんかのぉ」

 

 老婆がのんきな声を上げました。

 

 おほほ。台本通りの完璧な演技ですわね。

 

 床に散らばった青磁の破片を、結城悠はただ呆然と見つめておられます。

 

 さぁ、九条。そろそろあなたの出番ですわよ。

 

「一部始終、拝見いたしました」

 

 九条の氷のような声が、静寂を切り裂きました。

 

「老婆の方がそのまま倒れていたとしても、角度と体重から計算すれば、壺が倒れることはなかったでしょう」

 

「……つまり、俺が余計なことをしたってことですか」

 

「そのとおりです」

 

「でも……保険とか、そういうのはありますよね」

 

「社員ではないあなたに、そのようなものはありません」

 

「そんな…………いや、待ってください。最初におばあさんを受け止めた時、急にぐっと前に押されたんです!お婆さんとは思えない力で――腕を伸ばした時も今度は杖で手を弾かれて――」

 

言いながら、彼が何かに気付いたように周りを見回しました。

 

(ふふふ……周りのエキストラの演技も完璧ですのよ)

 

「……結城くん」

 

 店長が心配そうに彼の名を呼びます。それきり、何も言いません。

 

(そう。誰も味方などいませんわ)

 

 ……なのに、なぜでしょう。

 

 胸の奥が、ほんの少しだけ、詰まったような。

 

「まぁ……なんて、お可哀想……」

 

 声が、思ったより硬くなってしまいました。

 

 彼の顔を、まっすぐに見られません。

 

 九条がカツカツとヒールを鳴らしながら、結城悠の真横まで歩み寄りました。そして耳元で、低く静かに彼に何かを告げます。

 

 その瞬間でした。

 

 あれほど必死に抗おうとしていた結城悠が、がくりと肩を落としたように見えたのは。

 

(……あら?)

 

 九条がすっと身を引きます。二人の視線が、一瞬だけ交わりました。

 

 結城悠は何も言いません。ただ、静かに床の破片へと目を落としただけ。

 

(それにしても九条ったら、また台本にないことをして……)

 

 わたくしは小さくため息をつきました。

 

 九条は幼い頃からわたくしの側に仕えてくれている、とても優秀な女。

 

 護衛としても随一で、あの子が守る扉を破れた者は、鳳の歴史にただの一人もおりません。

 

 ただ、こうして時折、予定にないことや勝手な動きをするのが玉に傷ですわ。

 

 まぁ、そんなことより。ここからはフィナーレといきましょう。

 

 呆然とパニック状態の結城悠に、九条が淡々と書類を差し出します。

 

「まず、こちらの誓約書へのサインをお願いいたします」

 

「……なんですか、これ」

 

「今回の件における過失の所在を明確にするものです。過失の所在をはっきりさせることで、受けられる救済や措置もございます。まずはこちらへ」

 

「そ、そうなんですか?……救済措置……わ、わかりました」

 

 結城悠がペンを走らせます。

 

(ほらっ。言うことをなんでも鵜呑みにしてしまって)

 

 まともな判断力を失った今の状態の彼に、サインと押印をさせることなど造作もありません。

 

 サインが完了した瞬間、九条がスマホを取り出しどこかへ電話をかけるふりをします。

 

「はい、九条です。……はい、レゼールのアルバイトの結城悠という青年が展示品を破損いたしました。……はい。三億円の壺です。……はい……はい――かしこまりました」

 

 電話を切った九条が、結城悠へと向き直ります。

 

「運がよろしかったですね。麗華様より、三億円の負債についてはこちらで持つとのことです」

 

「まじですか!?」

 

 結城悠の顔に、みるみると生気が戻ってきます。

 

(あぁ、生き返ったというお顔をしていますわ。かわいらしいお方)

 

「ただし」

 

 九条が二枚目の書類を取り出しました。

 

(さあ、こちらが本命ですわ)

 

 住み込みの義務。外出および外部との連絡の制限。契約の解除には三億の負債額の返済を要すること。

 

 そして――契約から三日以内に、鳳家別館へ出頭すること。

 

 こまごまとした条項は、末尾に小さく小さく刷ってございます。

 

(もっとも、今のあの方が読むはずもございませんけれど)

 

「麗華様の執事として働きなさい。三億円は麗華様が立て替えられます。つまり、あなたに支払いを迫る者は、もうどこにもいなくなる。利息も、催促も、期限も、すべて消えます」

 

 九条が、静かに続けます。

 

「この意味がおわかりになりますか。たかだかアルバイト風情に、億単位の負債を肩代わりすることを即断なさった。それが麗華様の優しさであり、温情です」

 

「……はい」

 

「その温情を感じ取れる方であれば、執事としての働き、麗華様のために仕えることは当然と言えるでしょう」

 

「…………はい」

 

「そして執事としての給金も麗華様への返済に当てなさい」

 

「え……っ」

 

「あなたは三億の借金を背負わせて一円も返さないおつもりですか?」

 

「……いえ、でも少し、考えさせてください」

 

「麗華様は即断即決をお好みになります」

 

 九条が契約書をゆっくりと手に取り、破ろうとしました。

 

「今お決めにならないのであれば、この話はなかったことに」

 

「わ、わかりました……!」

 

 震える指先で、彼がペンを握ります。

 

 条項には目もくれず、ただ署名欄だけを探して。

 

(ええ、それでよろしいの。読まずにいてくださいまし)

 

 すべては計画通り。

 

 わたくしは心の中で静かに笑いました。

 

 感謝という名の鎖で相手を縛り付け、自主的にお金を返済させる。

 

 冷静に考える時間を与えず、温情という甘い毒を飲ませて契約へと誘導する。

 

 これが鳳の美学――支配そのものですわ。

 

 サイン。

 押印。

 ――完了。

 

「では、三日後までに身辺の整理を。鳳家別館へお越しください」

 

 九条が静かに告げます。

 

「……逃げようなどとは、お考えにならぬことです。あなたの署名は、もうこちらの手の中にございますので」

 

 ……これであなたは、わたくしのものよ。

 

(さあ、三日間せいぜい足掻きなさい。どこへ駆け込もうと、行き着く先はこのわたくしの元ですわ)

 

 オーッホッホッホッ!

 

「……ア、アハハ……ハハ」

 

 思わず漏れそうになった高笑いを、わたくしは引きつった咳払いで誤魔化しました。

 

 

【あとがき】

鬼畜じゃねぇか(カイジものまね)

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