その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:ヤッくん

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22話 その快楽、強襲につき。――鼓膜を揺らす愛撫と、爆音の足音

―― 結城 悠 視点 ――

 

 

「……結城。……もう、いいわ。……次は、……」

 

麗華さんの声が、鼓膜を低く震わせる。

設定温度を低くされたエアコンの冷気が、執事服の隙間から入り込み、俺の肌を粟立たせた。

鼻を突くのは、彼女が好む白百合の、けれど毒を含んだように鋭い香水の匂い。

 

(……逃げ場は......どこにもないか)

 

俺の膝の上には今、この国の経済すら左右すると言われる「鳳の至宝」が横たわっている。

 

「……始めなさい。結城」

 

彼女の声はどこか湿り気を帯びていた。

俺は震える指先で、金細工が施された細い『金の耳かき』を手に取る。

手に伝わる金属の冷たさが、現実味を伴って俺の神経を逆なでした。

 

三億円。

 

その数字が、俺の背中に見えない重石としてのしかかる。

もしここで手が滑り、彼女の耳を傷つけるようなことがあれば、借金が減るどころか、俺は一生この「檻」から出られなくなるだろう。

 

胃の奥が、雑巾を絞るように激しく捩れる。

喉は砂漠のように乾ききり、生唾を飲み込む音さえ、この静寂の中では爆音のように響いた気がした。

 

「……失礼、します」

 

俺は、彼女の白い耳元を覗き込んだ。

 

至近距離。

彼女の柔らかな金の髪が、俺のタキシードのズボンの上で、生き物のように揺れている。

耳かきの先端を、ゆっくりと、慎重に、彼女の耳の穴へと導く。

 

 

カサッ……。

 

 

乾いた音が、脳を直接揺らすように鳴った。

俺の吐息が、麗華さんの首筋をかすめる。

その瞬間、彼女の肩が小さく、けれど激しく跳ねるのが見えた。

 

「……っ」

 

麗華さんの呼吸が、目に見えて荒くなっていく。

鳳家の主人が、負債を負った執事の膝を借り、三半規管という急所を預けている。

この異常な状況で、彼女が何を考え、何を期待しているのか、俺には想像もつかない。

 

俺はただ、必死だった。

丁寧に、優しく。

かつてのカフェのバイトで、お年寄りや子供に接した時と同じように。

 

「……痛く、ないですか? 麗華さん」

 

「……ええ。……もっと、……奥まで、……いいわよ……」

 

掠れた声。

麗華さんの指先がシーツをぎゅっと掴み、白い拳を作っている。

耳かきの先端が、彼女の深部をなぞる。

 

指先から伝わる、微かな熱量。

彼女の脈打つ音が、俺の指を通して、心臓まで逆流してくる感覚。

冷房で冷え切っているはずなのに、俺の背中には、ねっとりとした嫌な汗が張り付いていた。

 

(1mmでも、間違えてはいけない。ここでミスをすれば、俺の人生は本当に……)

 

俺は瞬きをすることさえ忘れて、彼女の耳の奥という「深淵」に没頭していった。

 

 

その時だった。

視界が一瞬にして、完全な暗闇に包まれた。

 

 

―― 連合軍 視点(如月 雫 視点) ――

 

キィィィィィッ!!!

 

鼓膜を切り裂くようなスキール音が、深夜の私道に響き渡った。

漆黒のハイエースが、鳳別邸へと続く一本道を時速100km超で猛進する。

 

車内に充満するのは、新品の革シートの匂いと、凛さんが撒き散らした高濃度アルコールの刺激臭。

そして、隣に座る魅夜さんから溢れ出る、煮え繰り返るような殺気だ。

 

「……五月蝿いんだけど。阿久津さん。バットで車内を叩くのは止めてください」

 

ハンドルを握る浅見 凛さんの瞳は、完全に光を失っている。

焦点の合わない目が、ダッシュボードの青い光を反射して、死神のような冷徹さを醸し出していた。

(この人、さっきから「悠くん、待っててね」ってうわ言みたいに呟いてる……。本気でこのままゲートに突っ込む気だわ!)

 

フロントガラスの向こう。

鳳家の第一関門、巨大な鉄製ゲートと、最新鋭の赤外線センサー群が見えてくる。

 

「ケッ! あんなもん、アタシがブチ破ってやるヨォ! 悠をあんな金持ちのガキに汚されてたまるかってんだヨォ!」

 

魅夜さんがバットを振り回し、剥き出しの独占欲を叫び散らす。

彼女のギラついた瞳からは、悠くんを奪い返すためなら屋敷ごと灰にしかねない狂気が透けて見えた。

 

「……無茶を言わないで。あそこは防弾仕様よ」

 

私は、助手席でノートPCを叩きながら叫ぶ。

その時、凛さんが左手でスマホを取り出し、短縮ダイヤルを押した。

 

「……私です。……ええ、鳳グループのセキュリティを請け負っている『セコム・ドット』の担当重役、田中様でいらっしゃいますわね?」

 

凛さんの声は、氷点下まで凍りついていた。

 

「今から15分。第一、第二ゲートの認証を『テストモード』に切り替えてください。……ええ、理由? ……先日、あなたが接待ゴルフの二次会で漏らした『インサイダー情報』。……明日の朝刊の一面に載ってもよろしいですか?」

 

凛さんの口角が、僅かに吊り上がる。

受話器の向こうから、絶望に満ちた悲鳴が漏れてくるのが聞こえた気がした。

 

『……わ、わかりました! じ、15分だけですぞ……!』

 

直後。

ゲートの警告灯が、赤から無機質な緑へと変わった。

不可視の赤外線センサーが、音もなく立ち消える。

 

「……パス。第一関門、クリアよ」

 

凛さんがアクセルを踏み込む。

ハイエースが唸りを上げ、無抵抗なゲートを潜り抜けた。

 

「あ、あぅ……。……次は、……有人の、……警備詰め所……」

 

後部座席の片隅。

マルチモニターに顔を埋めた深守(みもり)さんが、震える声で告げる。

彼女の指先は、熱を持ったキーボードの上で、まるで痙攣するように踊っていた。

 

「……警備員、……12名。……全員、……催涙スプレー、……警棒、……所持……。……物理的、……排除、……開始……」

 

ハイエースのサンルーフが開き、四機の小型ドローン『アイ・シリーズ』が、夜の闇へと射出された。

深守さんの視界には、おそらくデジタル化された警備詰め所の配電盤が映っているのだろう。

 

「……あ、あぅ……。……悠くんの、……耳に、……触れる、……あの女の指。……許さない。……デリート、……開始……!」

 

深守さんの瞳が、モニターの青白い光を受けて妖しく明滅する。

 

(深守さん、完全にキレてる……。「停電の暗闇の中で絶望すればいい」なんて、今の彼女にしかできない物騒な報復だわ!)

 

ドローンが一斉に急降下した。

一機は監視カメラのレンズにスプレーを吹きかけ、視界を奪う。

そして残りの三機が、詰め所の外壁にある高圧配電盤へと、自爆覚悟で突っ込んだ。

 

 

バチィィィィィッ!!!

 

 

夜の静寂を、凄まじい放電音が引き裂いた。

火花が夜空を焦がし、詰め所の照明が、断末魔のような瞬きを見せて消滅する。

鳳別邸を包む、完全な暗黒(ブラックアウト)。

 

「ケヒャ! いい眺めだヨォ! 暗いならアタイのバットがどこに当たるか分からねぇなァ!」

 

魅夜さんがバイク用のフルフェイスを被り、バットのグリップを握り直した。

パニックに陥った警備員たちの叫び声が、遠くから風に乗って聞こえてくる。

 

「……行くわよ。深守、予備電源が立ち上がるまで何分?」

 

「あぅ……。……磁気ロックの、……解放時間は、……120秒。……急いで……」

 

凛さんは迷いなく、沈黙した第二ゲートへ向けてハイエースを突進させた。

車内のモニターには、暗視モードに切り替わった深守さんのカメラ映像が映し出されている。

そこには、暗闇の中で悠くんと密着する麗華のシルエットが、青白く、おぞましく浮かび上がっていた。

 

(悠くん……! 待ってて、今すぐそこから引きずり出してあげるから!)

 

喉の奥が、鉄の味で満たされている。

 

全力で走る。

ハイエースを飛び出し、停電に沈んだ鳳別邸の回廊を、私たちは必死に駆け抜けていた。

鼻を突くのは、爆破された配電盤から漂うオゾンの残り香。

 

視界は最悪だ。

非常用の誘導灯が、不気味な赤色で足元を僅かに照らしているだけ。

けれど、その不気味な静寂こそが、私の脳内に警報を鳴らしていた。

 

(……おかしい。いくら停電したからって、警備が手薄すぎる……っ!)

 

鳳家。この国の影の支配者。

その別邸が、たかが数人の女と数機のドローンの工作で、ここまで容易く「開城」するものだろうか。

 

前方では、バットを担いだ魅夜さんと、無言で殺気を放つ凛さんが、障害物をなぎ倒しながら進んでいる。

けれど、迎撃に来るはずの鳳の私兵たちは、どこか及び腰に見えた。

 

(まるで、「ここまでは通していい」と、目に見えない誰かに命令されているみたいに……!)

 

ドクン、と心臓が跳ねる。

これは罠か。あるいは――鳳の内部に、私たちを「招待」している何者かがいるのか。

 

「……浅見さん、阿久津さん! 深守さんのカメラ映像、麗華の私室はどっち!?」

 

「……おそらく角を曲がって、突き当たりね。……悠くんの悲鳴が、微かに聞こえてくる気がするわ!」

 

凛さんの声は、感情を排した機械のようだった。

私は焦燥に駆られ、手に持った六法全書を強く抱きしめた。

悠くんを、あの透明な瞳を、鳳という巨大な暗闇から引きずり出す。

そのためなら、たとえ罠であっても、私はこの回廊を突き進むしかない。

 

 

 

―― 九条 千尋 視点 ――

 

闇は、私にとって最も馴染み深い衣だ。

 

私は、非常用電源で微かに稼働している隠しカメラのモニター群を、一人静かに眺めていた。

画面の中。醜く、けれど猛々しく、お嬢様の「聖域」へと突き進む暴徒たち。

弁護士。インフルエンサー。広告代理店。そして、引きこもりの観測者。

 

(……おいたわしや、お嬢様。悠様という、たった一人の男に狂わされた哀れな群像劇。これこそが鳳に欠けていた刺激ですわ)

 

私は、冷たい磁器のような指先で、自身の眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

扉の向こうでは、お嬢様が悠様に跪かせ、その「支配」を謳歌していることでしょう。

三億円という数字の鎖で、人の心を縛り付けた気になっている。

けれど、それは鳳の「正解」ではありません。

 

(お嬢様。あなたは鳳という力に守られすぎた。愛とは、奪うものではなく、与えるもの。自らの肉を削ぎ、魂を差し出した果てにようやく得られる奇跡なのです。……今のあなたは、ただの我儘な子供に過ぎない)

 

私は、手元のタブレットを操作した。

お嬢様の私室、その直前の最終隔壁。本来なら戦車でも突破できないはずの防護扉。

その磁気ロックの出力を、私は密かに「0.2%」まで低下させた。

 

(……さあ、始めましょう。鳳麗華を「救う」ための、最悪の劇薬。その代償として、お嬢様が何を失い、何を得るのか……見守らせていただきます)

 

私は暗闇の中で、静かに、優雅に、一礼した。

 

その直後。

 

 

ドガァァァァァァァァァァンッ!!!!!

 

 

屋敷全体を揺るがすような、バットによる物理的な「暴力」の音が、廊下を渡って響いてきた。

 

 

【鳳麗華が悠に〇〇するまで残り――60分】

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