その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:ヤッくん

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23話 その怪物たち、激突につき。――狂愛裁判の開廷まで

―― 鳳 麗華 視点 ――

 

 

――ッ!?

 

視界が、唐突な「暗黒」を迎えた。

数秒前までわたくしを照らしていた、クリスタルのシャンデリアの眩い輝き。それが、断末魔のような火花を一度だけ散らし、完全な虚無へと塗り潰された。

 

(停電? 鳳の別邸で? あり得ませんわ。予備電源がコンマ数秒で作動するはずです。なのに、どうして……)

 

訪れたのは、網膜が痛むほどの絶対的な暗黒。

視覚という最大の支配手段を奪われた瞬間、わたくしの脳は、残された四つの感覚を異常なまでに研ぎ澄ませ始めた。

 

嗅覚は鼻を突く、悠(ゆう)の香りと、タキシードのウールが放つ微かな熱の匂いを。

聴覚は静寂の中で、爆音のように響く自分自身の鼓動を。

そして触覚はわたくしの耳の深淵で、カサリと音を立てる一本の針(耳かき)を。

 

「……あ。……麗華さん? 大丈夫ですか?」

 

暗闇の向こうから、悠の声が届く。

至近距離。彼の温かい吐息が、わたくしの剥き出しの首筋を撫でた。

 

――ゾクッ、と。

 

背骨の芯に、冷たい氷の刃を突き立てられたような戦慄が走る。

悠の膝。その適度な硬さと、生地越しに伝わってくる男の体温。

 

視界が閉ざされたことで、わたくしは今、自分がどれほど無防備な体勢で、この男に急所を預けているかを嫌というほど自覚させられた。

 

わたくしの頬に触れる、耳かきを持った彼の指。その微かな震えさえ、今のわたくしには皮膚を焼く熱のように感じられる。

 

悠の手が、暗闇の中で迷うようにわたくしの頬に触れた。

鳳家という絶対王政。わたくしはこれまで、あらゆる「正解」を買い占め、支配してきた。

 

けれど、この暗闇の中でわたくしを支配しているのは、鳳の資本力でも、わたくしの家柄でもない。

わたくしの頬を、耳を、脳を、執拗にかき回し続ける、この「三億円の負債者」の指先だけ。

 

「……あ、あの、暗くて……耳かきを抜きますね。危ないですから……」

 

「……待って。……抜かないで」

 

自分の声が、自分のものではないように聞こえた。低く、熱く、濁った声。

 

悠の指先が、わたくしの耳介を優しく掴む。その瞬間に伝わる、男特有の節くれ立った硬い感触。その「異物感」が、わたくしの脳内に直接、快感という名の猛毒を流し込む。

 

(……もっと。もっと、汚して。鳳の正解なんて、もう、粉々にしてしまえばよろしいわ……っ!)

 

胃の奥が、雑巾を絞るように激しく捩れた。喉が、乾いた砂を飲んだように熱い。

 

わたくしは、鳳の主(あるじ)であることを止めたくなった。三億円という鎖で繋ぎ止めたはずの少年。彼に跪かせているはずのわたくしが、今、彼の膝の上で、情けなく身体を震わせ、更なる「奉仕」を渇望している。

 

 

カサリ。

 

 

耳かきが、鼓膜の近くを、愛撫するように擦った。

 

「……ああッ……! いいッ……もっと……っ」

 

自然と声が漏れた。もはや、鳳麗華が決して人前で出してはならない、淫らで無防備な喘ぎ。

 

「……これ以上したら……奥まで当たっちゃいますよ……」

 

「……いいからッ……! あ、あん……っ! はやく……もっと奥まで……してっ!」

 

「……はぁ……わかりました……麗華さま……」

 

 

ガサリ。

 

 

――ゾクゾクゾクッ!

 

「……ああんッ……!!」

 

暗闇が、わたくしの羞恥心を焼き切り、代わりに本能を加速させる。

悠のタキシードのズボンを、わたくしの爪が、無意識に引き裂かんばかりに掴んでいた。

 

「……麗華さん!? どこか、痛かったですか……っ? すみません、暗くて手元が……!」

 

悠が慌てて耳から耳かきを抜き、わたくしを支えようと肩を抱き寄せた。

 

――致命的。

 

彼の厚みのある胸板が、わたくしの背中に伝わる。

石鹸の清潔な香りと、彼自身の、生命力を感じさせる匂いが、わたくしの脳を沸騰させた。

 

もう、限界。麗華という仮面が、悠の腕の温もりの中で泥のように溶け去っていく。

わたくしは膝の上で身体を反転させた。暗闇の中で、悠のタキシードの襟首を、両手で強引に掴み取る。

 

「……麗華、さん……?」

 

「……悠。……もう、……正解なんて、……どうでも、……よろしいの……」

 

わたくしは彼を、ベッドの上に押し倒した。

わたくしの上で、悠の身体が強張るのがわかる。その抵抗すらも、今のわたくしには極上の甘美な「捧げ物」にしか見えない。

 

(……わたくしのもの。全部、わたくしのもの。この指も、この声も、この清らかな魂も……わたくしの手のひらで、一生、飼い殺して差し上げますわ……!)

 

わたくしは、自分の唇を、彼の唇へと近づけていく。

 

互いの吐息が混ざり合い、悠の動揺した心臓の音が、わたくしの胸へと直に伝わってくる。

 

理性の臨界点。

鳳麗華が、鳳麗華でなくなる瞬間。

わたくしは目を閉じ、甘い絶望へと、その身を投げ出そうとした。

 

 

 

あと、数ミリ。

 

 

 

その時だった。

 

 

ドガァァァァァァァァァァンッ!!!!!

 

 

寝室の重厚な防音扉が、爆発したような轟音と共に粉砕された。

暗闇を切り裂く、一閃の光。

 

土煙が舞う中、逆光を背負って現れたのは、狂気的な笑みを浮かべた「最悪の女たち」のシルエットだった。

 

 

―― 結城 悠 視点 ――

 

ドガァァァァァァァァァァンッ!!!!!

 

鼓膜を直接、鉄槌で殴られたような衝撃。

重厚な防音扉が、紙細工のように無残にひしゃげ、火花と共に吹き飛んだ。

視界を埋め尽くすのは、舞い上がる白濁した土煙と、目に刺さるような非常灯の赤い閃光。

 

鼻を突くのは、焼けたコンクリートの粉塵と、電子機器がショートした際の強烈なオゾンの匂いだ。

 

「あ、あぅ……。……ターゲット、……目視(ロックオン)。……救出対象(悠くん)、……生存確認……!」

 

暗闇を切り裂く、青白いドローンのLED。

その光の向こう側から、この世のものとは思えない「異形の殺気」が押し寄せてくる。

 

(……え? な、なんだ……!? 何が起きてるんだ!?)

 

俺はベッドに押し倒された姿勢のまま、指一本動かすことができなかった。

上に重なる麗華さんも、驚愕に目を見開き、粉塵の向こう側に浮かび上がる「人影」を凝視している。

 

土煙が、ゆっくりと晴れていく。

そこに立っていたのは、俺の知っているはずの、けれど全く知らない人たちのようにも見えた。

 

「ケヒャヒャ! 見つけたぜェ……。アタシのイヌに、不潔なメス犬が跨がってやがるヨォ……ッ!」

 

阿久津 魅夜。

銀髪を振り乱し、肩に担いだ金属バットが床を叩くたび、不快な打撃音が室内に響く。

興奮と怒りのあまりか、彼女の鼻からは鮮血が滴り、その口元には見たこともないほど凶暴な笑みが刻まれていた。

 

「……消毒の時間よ。悠くんを汚す不衛生な害虫。……塵一つ残さず、焼き切ってあげるんだから」

 

浅見 凛。

一分の乱れもないスーツ姿。けれど、その瞳からは完全に光が消え、焦点の合わない白目が非常灯の赤を不気味に反射している。

手にしたスタンガンが、バチバチと青白い火花を散らし、周囲の空気を焼き焦がしていた。

 

「……し、雫さん!? 魅夜さんも、凛さんも、なんで……っ!」

 

俺は悲鳴に近い声を上げた。

助けに来てくれたはずなのに。その瞳に宿っているのは、救済者の慈愛には見えない。

獲物を奪われた捕食者の、ドス黒く濁った執念に見える。

 

正直に言えば、上にいる麗華さんよりも、彼女たちの方が数倍恐ろしかった。

 

「……九条! 九条、何をしているのです! 不審者ですわ、今すぐ排除しなさい!」

 

麗華さんが叫ぶ。

影の中から、音もなく九条 千尋が現れた。

彼女は鋭いナイフのような手刀を構え、凛たちの前に立ちはだかる。

 

けれど。

 

(九条さん……? 動きが、どこか緩慢だ。まるで、わざと道を開けているみたいに……)

 

九条さんの口角が、一瞬だけ不敵に吊り上がったのを俺は見逃さなかった。

彼女は凛のスタンガンを避ける際、わざとらしく大きく体勢を崩して壁へと下がっていく。

 

その隙を、猛獣たちが逃すはずがない。

魅夜がベッドの天蓋をバットで粉砕し、凛が最短距離で俺へと肉薄する。

 

「お止まりなさい! 不法侵入ですわよ!」

 

麗華さんが、俺を庇うように両手を広げ、凛の前に立ちはだかった。

その瞳には、鳳としてのプライドと、俺を渡さないという執念が宿っている。

 

「結城は三億円の契約に基づく、私の正当な所有物です! 部外者が指一本触れることは許しませんわ!」

 

三億円。

 

その言葉が、凍りついた部屋の空気をさらに冷え込ませた。

魅夜の笑みが消え、凛の白目がさらに深く剥かれる。

雫さんが、震える手で六法全書を盾のように抱きしめ、前へ踏み出した。

 

「……所有物? そんな前時代的な正解が、現代で通用すると思っているの?」

 

胃の奥が雑巾を絞るように捩れる。

ベッドの端で、俺は自分を巡って火花を散らす「5人の怪物」の真ん中で、ただガタガタと震えることしかできなかった。

 

最悪の狂愛裁判が、今、開廷した。

 

【鳳麗華が悠に〇〇するまで残り――30分】

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