その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果 作:やっくん。
バイトの帰り、電信柱に貼られたポスターに目が止まった。
女性による性犯罪が増加傾向。取り締まり強化中。独り歩きに注意。
【豆知識:現実世界とは違い、男性は襲われる側の立場となる。小学生の下校しかり、深夜の一人歩きしかり、男は三人以上の集団で帰ることが推奨されている】
「へぇ、こんなところにも違いが……」
物騒な世の中だ。けど、
(俺みたいなイモは大丈夫だな)
しかし備えあれば憂い無し。今度、防犯ベルでも買っておこう。
(でも……女性の積極性や社会進出が発展した世界線にしては少し……あっ)
「にゃー」
そんなことを思っていると、足元から心細い鳴き声が聞こえた。
段ボールの中にいたのは、まだ幼い子猫。
白く柔らかな毛並みが泥に汚れ、震えている。
(おぉ、かわいい……)
ふわふわの白い毛並み。
ペットショップで買えば数十万はする高級種じゃなかったか。
しかし、ここに置いてあるということは、そういうことだろう。
(お腹を空かせて鳴いている……のかな)
「ちょっと待っててね」
俺は手近なコンビニに駆け込み、子猫用のキャットフードのパウチを買った。
早速それを子猫の前で開けてから直ぐ側に置いた。
――くんくん、ぺろぺろ
はじめは警戒していたがすぐに食べ始める。
(食べてくれてよかった……でも、)
これでも根本的な解決にはならない。
飼いたい。飼ってやりたい。
だけど、ペットを飼うというのはそんな簡単に決められるものじゃない。
それに、今のマンションは規約でペット禁止だ。
でもせめて――
◇
「よし、ここでいいか」
俺は子猫の入った段ボールを抱えて、駅前の公園のある脇道まで来ていた。
ここなら人通りも多いし、だれかの目に留まる確率が上がると思ったからだ。
できるだけゆっくりその段ボールを地面に下ろす。
「バイバイ」
俺は子猫の頭を撫でたあと帰路についた。
◇
そのあとすぐに自宅マンションに到着。
帰宅してスマホのお天気アプリを開くと、今朝見た時とは変わり、大雨の予報が出ていた。
(大雨か……さっきの子猫は大丈夫かな)
きっともう誰かに拾われたことだろう。
でも、もし――
まだあの場所にいたとしたら――
俺は傘を掴んで、公園のある脇道へと走り出した。
雨は次第に滝のような豪雨に変わっていった。
もうまもなく公園に到着した。
ここを曲がれば――
(もういないことを祈る……)
が、
ダンボールはまだ最後に置いた位置にあった。
(いや、子猫だけはもう拾われた可能性……)
ダッシュでダンボールまで近づき、
覗き込む。
あぁ……来てよかった。
そこには、白くブルブルと震えている子猫が一匹。
毛が水を吸って一回り小さくなった姿で放置されていた。
俺は自分の傘を段ボールに固定し、濡れながらも覆いを作る。
「ここに放置するのは危険すぎる……」
(どうする?違反を承知でマンションにかくまうか)
葛藤していると――
「ねぇ」
背後から、声がした。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
浅見凛(あさみりん)――
そう名乗った女性は活発そうな茶髪のショートボブに、意志の強そうなアーモンド型の大きな瞳。
パリッとした白シャツを濡らし、眉をキュッと寄せて子猫を見つめている。
「これじゃ、ここに置いておくのは無理よ……。私の家、すぐ近くだから。一旦うちで引き取るわ!猫をこっちに――」
「僕が運びます!それより、ついて行くんで先頭おねがいします!」
彼女を先頭にして二人して濡れながらマンションを目指す。
◇
「す、すご……」
彼女のマンションまで到着し、エントランスを見上げる。
何回建てのタワーマンションだろうか。
外観からは何階建てか判断がつかないくらい高くそびえ立つタワーマンションだ。
高級マンションに圧倒されてる場合じゃない。
今は子猫のことだ。
「里親は俺が探すようにするんで、じゃあ後はお願いしま――」
「ちょ、ちょっと待ってよ!きみ、そんな状態で帰るつもりなの!?」
(……さすがに初対面で女性の家に入るのは……)
しかし、彼女はなぜか苛立った表情をしている。
結局、彼女は俺と子猫を家の中に招き入れてくれた。
リビングまで招かれ、部屋へと入ると彼女はすぐにタオルを渡してくれた。
俺はそれを使って子猫の泥と水をしっかりと拭き取る。
(これで少しは安心かな……)
「寒かったな。もう大丈夫だぞ」
その後、自分が汚してしまった玄関の床をキッチンペーパーで隅々まで拭き取った。
(……危なかったな)
俺が公園まで移動させた、そのせいで子猫が死んだとしたら一生後悔するところだった。
間に合って良かった。
「シャワー浴びてくるね」
そう唐突に言われると、彼女は別の部屋へと消えていった。
初対面の男を部屋に残して大丈夫なのだろうか。
(善人そうだから大丈夫、と思ってくれているのか……)
◇
やがて、彼女が浴室から出てきた。
上気した肌に、薄いシャツが体に張り付いている。
(……くっ、目のやり場に困る)
わざとか?わざとなのか?
「あぁ喉かわいた。あ、しまった。水切らしてるんだったわ」
それを聞いて、俺はズボンの後ろポケットにある飲みかけのボトルを思い出す。
「あ、凛さん。……水、飲みますか? あ、 これ、飲みかけだった。すみませ――」
(テンパって変なこと言っちゃった……絶対キモいと思われた……)
「……ううん。ありがとう。ちょうど、喉が渇いてたところなの。……いただくわね」
【豆知識:男性が飲みかけを渡す行為は、食べ物をシェアしても嫌ではない=(イコール)将来のパートナーとして考えています、というサインとして受け取られる。逆に女性から男性へのシェア行為は、迷惑あるいは変態行為として取り締まりの対象になるとか】
彼女はなぜか目を逸らし、そのボトルを抱えて動かなくなった。
「……え? あ、はい、どうぞ」
(なんだ……顔が赤い……風邪かな)
その後――
俺は、凛さんのお言葉に甘える形でシャワーを借りた。
シャワーを浴びて生き返ったあとは、彼女が用意してくれた新品のトランクスと服に着替えた。
(新品の男物のトランクス……)
もしかして彼氏さんのモノなのだろうか。
「凛さん、ありがとうございました。本当に助かりました。借りた服は後で自分で洗濯して返しますね」
「……バカ……いいってば。アタシが、全部やってあげるから」
彼女は目を合わせないまま、少ししっとりした声でそう言った。
初対面の女性の、しかも一人暮らしの部屋に長居すべきでないと思い、礼だけ言って早めに彼女のマンションを出ることにした。
(……凛さん、いい人だな。美人だし)
一時的でも子猫を預かってくれて助かった。
また改めてお礼をしよう。
それと、はやく子猫の里親探しをしないとな。
◆
だが、俺はまだ気づいていなかった。
アパートに戻り、濡れた服を入れたビニール袋を洗濯機に放り込もうとした時、
「シャツ、ズボン、靴下……あれ?」
なぜか、さっきまで履いていた俺のお気に入りのボクサーパンツだけが、どこを探しても見当たらなかったことに。
人に親切にされると嬉しくなりますよね。
僕も誰かに優しくしなければと思います。