その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:ヤッくん

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33話 この怒り、悲しさとともに。――スマホと熱帯魚。

白い。

 

目を開けた瞬間、最初に思ったのはそれだけだった。

 

天井が、白い。

 

(……俺の部屋の天井、じゃないないな)

 

ゆっくりと身体を起こす。頭が重い。水の底から引き上げられたような、変な感覚だ。

 

見渡すと、見たこともない部屋だった。

 

広い。異常に広い。俺の四畳半が十個は入りそうな空間。

壁は純白で、家具はどれも上品で、足元には触り心地の良さそうな

絨毯が敷いてある。

 

窓に近づいた。

 

外を見て、思わず息を呑んだ。

 

車が、豆粒みたいだ。人が、蟻みたいだ。

 

(……ここ、めちゃくちゃ高い)

 

「目が覚めた?」

 

背後から声がした。

 

振り返ると、凛さんがいた。

 

いつものスーツ姿じゃない。柔らかそうな白いワンピース姿で、

テーブルの前に立っている。テーブルの上には、湯気の立つスープと、

丁寧に盛り付けられた食事が並んでいた。

 

まるで、ずっとここで待っていたみたいに。

 

「……凛さん」

 

「おはよう、悠くん。よく眠れた?」

 

にっこりと、完璧な笑顔だった。

 

(エレベーターで、何かを嗅がされた)

 

記憶が戻ってくる。ユキちゃんに会いに行くと言われて、

エレベーターに乗って、それから――。

 

「ここ、どこですか」

 

「私の新しいお家よ。悠くんのためにご用意したの」

 

「……俺のため」

 

「そう」

 

凛さんは椅子を引いて、俺に座るよう促した。

 

「鳳の残党が、まだあなたを狙っているの。あのボロアパートに

いたら危ないから」

 

(嘘だ)

 

すぐにわかった。如月さんが三億の契約を無効にして、麗華さんは鳳グループから除籍された。彼女は今、レゼールで皿洗いをしている。

残党なんて、いるわけがない。

 

でも。

 

(ここで怒鳴っても、何も変わらない)

 

俺は椅子に座った。

 

「……いただきます」

 

「召し上がれ」

 

スープを一口飲む。美味しかった。丁寧に出汁が引いてあって、

体に染みる味だ。

 

「……美味しいです」

 

「よかった。悠くんが好きそうな味にしたの」

 

凛さんは嬉しそうに微笑んだ。

 

その顔を見ていると、怒りと呆れが同時にやってくる。

 

白猫のユキの里親になってくれた人だ。仕事を頑張っているのも知っている。

変な性癖を素直に話してくれたときも、嫌いにはなれなかった。

 

でも。

 

(さすがに、これは)

 

「凛さん」

 

「なあに?」

 

「俺、今日、九条さんに連絡しようと思ってたんですけど」

 

「キャンセルしておいたわ」

 

「……え」

 

「あなたのスマホから。急用ができたって」

 

さらりと言われて、俺は言葉を失った。

 

スマホは指紋認証でロックが外れるように設定してある。つまり寝てる間におれの指を使って解除したということだ。

 

スープを飲む手が止まる。

 

「魅夜さんにも?」

 

「しばらく忙しいから家には帰らないって」

 

「……光ちゃんには?」

 

「しばらく練習はいけないって送っといたわ」

 

「しずくさ……」

 

「送っといたわ」

 

「…………」

 

「ご飯、冷めちゃうわよ?」

 

凛さんはもう一度、微笑んだ。

 

俺はスプーンを置いた。

 

「凛さん、俺の話を聞いてもらえますか」

 

「もちろん」

 

「俺は、自分の足で生活したいんです。自分で稼いで、自分で決めて。

凛さんが心配してくれてるのはわかります。でも、それは俺が決めることだと思う」

 

凛さんの手が、テーブルの上でかすかに動いた。

 

「……鳳の残党は本当に危ないの。私のツテで調べたんだけど」

 

「どんな残党ですか。何人いて、どこにいるんですか」

 

「それは……」

 

「凛さん」

 

俺はできるだけ穏やかに言った。

 

「俺の人生は、俺が決めていいことだと思うんです」

 

しばらく沈黙があった。

 

凛さんは窓の外を見て、それからゆっくりと俺に視線を戻した。

 

「……デザート、フルーツがあるの。食べる?」

 

答えてくれなかった。

 

 

食事が終わり、凛さんが片付けを始めた。

 

俺は立ち上がって、部屋を歩き回った。

 

玄関を確認する。暗証番号式のロックがかかっていた。

番号はわからない。

 

窓に手をかけた。びくともしない。安全ロックがかかっているらしく、

最上階だからか、鍵穴すら見当たらなかった。

 

(完全に、詰んでる)

 

スマホを取り出して、画面を開く。

 

俺が書くわけがない文章が、俺の名前で送られていた。

 

九条さんへのトーク画面。

 

『やっぱりバイトの件はお断りします。今後も俺に関わらないでください』

 

レゼールへの返事も、止まってしまった。

 

雫さんへのトーク画面。

 

『麗華さんの件は改めてありがとうございました。ですが、事務所に足を運ぶたびにトラウマを思い出すので、もうそちらに行くのをやめます。今までありがとうございました』

 

魅夜へのトーク画面。

 

『魅夜さん、今まで隣に住んでていろいろありがとうございました。引っ越しが決まったので、もうそちらには戻りません。お世話になりました』

 

光ちゃんへのトーク画面。

 

『バスケのこと、本気で続けようか迷ってたんだけど、

やっぱりやめることにした。今まで付き合ってくれてありがとう』

 

(ひどい)

 

思わず、乾いた息が出た。

 

怒鳴りたいわけじゃない。怒りというより、なんか、違う。

 

凛さんが俺のことを心配してくれているのは本当だと思う。

 

それはわかる。

 

でも、こういうことをされると。

 

(好きだった人のことを、嫌いになりたくなくても、なってしまう)

 

そっちの方が、ずっと悲しかった。

 

ベッドに腰を下ろして、天井を見上げる。

 

白い天井。シミひとつない。

 

(凛さんは、悪い人じゃない)

 

それだけは、わかっていた。

 

ユキのことを大切にしてくれて、差し入れを持ってきてくれて、

仕事で疲れているのに笑顔を絶やさなかった。

 

変な性癖を正直に話してくれたのだって、勇気がいったはずだ。

それを打ち明けられたとき、俺は驚いたけど、嫌いにはなれなかった。

 

でも。

 

(これは、さすがに別の話だ)

 

薬で眠らせて、勝手に連れてきて、スマホまで操作して。ネット回線もないから返信も助けも呼べない。

 

どれだけ心配してくれていたとしても、これはやりすぎだ。

 

(しばらくは大人しくしてよう。自分自身を落ち着かせる意味でも)

 

刺激して、凛さんが何をするかわからない。

今は穏やかに過ごしながら、機会を待つしかない。

 

「悠くん、フルーツ切れたわよ」

 

キッチンから明るい声が飛んでくる。

 

俺は立ち上がって、もう一度窓の前に立った。

 

街が、夕暮れに染まり始めていた。

 

オレンジ色の光が、ミニチュアみたいな建物の隙間に広がっていく。

 

どこかに魅夜がいる。

ドローンを飛ばしていたあの誰かがいる。

九条さんがいる。

麗華さんがいる。

雫さんがいる。

光ちゃんがいる。

 

(誰かが、気づいてくれるといいな)

 

夕暮れの街は、遠くて、静かで、どこまでも小さかった。

 

俺の後ろで、凛さんがフルーツを皿に盛り付ける音がした。

 

「悠くん?」

 

「……行きます」

 

「ねえ、ちょっとスマホ貸してくれる?」

 

気がつくと、手の中にあったはずのスマホがなかった。

 

いつの間に取ったのか、まったくわからなかった。

 

凛さんはそのままゆっくりと部屋の端へ歩いていく。

 

熱帯魚が泳ぐ水槽の前で、足を止めた。

 

ぽちゃん。

 

水槽の中で画面が一瞬光って、それから暗くなった。

 

沈んでいくスマホを、凛さんはしばらく眺めていた。

 

それから、こちらを向いた。

 

「新しいの、用意するわね」

 

笑顔だった。




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