その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果 作:ヤッくん
――一ノ瀬 光 視点――
おかしい。
絶対に、おかしい。
体育館のフロアを、一人でドリブルしながら、私はずっとそのことだけを考えていた。
キュッ、キュッ。
バッシュの音が、がらんとした体育館に響く。
今日も、悠先輩は来なかった。
◇
最初に異変を感じたのは、三日前だった。
練習の時間になっても、先輩が現れない。
珍しいな、と思った。
悠先輩は、雨の日も、疲れている日も、必ずここに来ていた。あの人は、私が知っている中で一番「本気の人」だから。
(まあ、体調が悪いのかも)
最初はそう思った。
でも、次の練習日も来なかった。
そしてその翌日、RINEが来た。
『バスケのこと、本気で続けようか迷ってたんだけど、やっぱりやめることにした。今まで付き合ってくれてありがとう』
私は三回、読み返した。
それから、スマホを置いて、天井を見上げた。
(……先輩が、バスケをやめる?)
ありえない。
断言できる。
あの人が、どれだけバスケに本気だったか。ルーズボールに飛び込んで膝を擦りむいても止まらなかった背中を、私は知っている。
試合に負けた後、体育館の裏で一人で壁を殴っていたあの姿を、私は知っている。
(やめるわけが、ない)
絶対に、おかしい。
私はRINEの画面をじっと見つめた。
文章が、なんか、違う。
先輩はRINEでお礼をいうときはいつも「ありがとうございます」って書く。敬語で、丁寧に。後輩の私にも、そういう人だから。
「今まで付き合ってくれてありがとう」
これは、先輩の言葉じゃない。
(……誰かが、送った)
その瞬間、頭の中に一つの顔が浮かんだ。
夜の体育館の前に現れた、漆黒のセダン。
悠先輩の汗を、「汚い」と言ってスプレーで消毒した女の人。
先輩を車に押し込んで、闇の中に連れ去っていったあの人。
浅見、凜。
◇
次の日の朝、私はパソコンを開いた。
検索ボックスに打ち込む。
『浅見凜 広告代理店』
ヒットした。
大手広告代理店『クロスウィング』の特集記事。業界紙のインタビュー。ビジネス雑誌のグラビア。
記事の中の写真は、あの夜見た顔と同じだった。
完璧なスーツ。冷たい笑顔。
見出しには『最年少でチームリーダーに抜擢。業界が注目する新世代のエース』と書いてある。
会社の場所も、すぐわかった。
都心の一等地。本社ビルの住所まで、公式サイトに載っていた。
(退勤時間は……だいたい何時だろう)
私はもう一度検索した。
『クロスウィング 定時 退勤時間』
企業の口コミ評判サイトの『退職会議』というサイトがヒットした。
サイト内の検索機能を使って「クロススウィング」とキーボードを叩いた。
「なになに……大手なのに給料も高く働きやすい環境で……総合評価もたかっ!!」
総合評価はマックスの★★★★★となっている。
「わたしもここの会社の面接を受けようかな……じゃなくて退勤時間だよ」
口コミをスクロールしていくとお目当ての情報が書いてあった。
『ほとんど残業はない。夕方の五時に帰ることができる』と。
「もっと働けよぉっ!私のバイトでさえもっと遅く働いてるよぉっ!」
(と、とりあえず、夕方、四時から張り込もう)
私はポニーテールをきつく結び直した。
◇
本社ビルの向かいにあるコンビニの前に、私は自転車を止めた。
時刻は午後四時三十分。
コンビニのイートインスペースから、ビルのエントランスが見える。
温かいお茶を買って、ちびちびと飲みながら待つ。
五分が過ぎた。
三十分が過ぎた。
(……もうすぐかな)
午後五時ぴったり。
ビルのエントランスから、見覚えのある人影が出てきた。
タイトなスーツ。完璧な佇まい。
浅見、凜。
(いた……っ!)
でも、私は一瞬だけ、足が止まった。
遠目でも、わかった。
あの人の顔が、いつもと違う。
体育館の前で見たあの顔は、完璧に管理された笑顔だった。冷たくて、計算されていて、どこか人形みたいな。
でも今の凜さんは、違う。
なんというか……活き活きしている。
仕事終わりで疲れているはずの時間なのに、足取りが軽い。スマホを見ながら、口元に小さな笑みを浮かべている。
誰かに会いに行く人の顔だ、と思った。
(……誰に)
胸の奥で、何かが冷たくなった。
凜さんはビルの横の駐車場へ向かいかけて、ふと足を止めた。
そして、道路を渡った。
向かった先は、コンビニだった。
私が張り込んでいた、このコンビニだった。
(え……っ!まずい!)
私は反射的に、雑誌コーナーに身を隠した。
棚の隙間から、凜さんの動きを目で追う。
凜さんはカゴを手に取って、迷いなく売り場を歩いていく。
お弁当。二つ。
サラダ。二つ。
デザートのプリン。二つ。
(……二つ)
全部、二人分だ。
私の心臓が、じわりと嫌な予感で重くなった。
凜さんはそのまま、衛生用品のコーナーへ向かった。
棚の角度的に、何をカゴに入れたのかは見えなかった。
でも、凜さんの表情は変わらなかった。
迷いも、照れもなく。
ただ、当然のように。
何かをカゴに入れて、レジへ向かった。
会計を終えた凜さんが、コンビニのドアから出てくる。
私は雑誌コーナーの陰から、そっと顔を出した。
凜さんがすれ違いざまに通り過ぎる。
その瞬間、私の視線が、凜さんの持つコンビニ袋の開いた口に吸い込まれた。
一瞬だった。
お弁当の容器。
プリンのカップ。
男性用と書かれたパッケージの下着。
そして。
小さな箱。
「0.01mm」という数字が、白い箱の側面にはっきりと印字されていた。
(……こ、こ、こ、こん、こん、こんどーむ!?!?しかも薄っすいやつ!!!)
足の感覚がなくなった。
頭の中で、バラバラになった情報が、最悪の形でひとつに繋がっていく。
二人分の食事。
男性用の下着。
0.01mm。
活き活きとした顔で、帰っていく場所。
そこに、誰かがいる。
(……先輩が)
「お客様、雑誌はお買い上げになりますか?」
店員さんの声に、私は我に返った。
気づくと、手に雑誌を握りしめていた。
「……あ、す、すみません、結構です……っ」
棚に戻して、凜さんの背中が駐車場へ消えるのを確認してから、コンビニを飛び出した。
冷たい夜風が、火照った頬に当たった。
スマートウォッチが震えている。
ピピッ。
【警告:心拍数が175を超えました。安静に——】
深呼吸した。
もう一回した。
(お、落ち着け、私。……まだ、決まったわけじゃない)
でも、胸の奥の冷たい感覚は、消えてくれなかった。
凜さんはすでに駐車場へ向かっている。
私は自転車に飛び乗った。
先輩を、助けに行かなきゃ。
それだけが、今の私にできることだから。
【※読者の皆さまへお願い】
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
もし少しでも
「面白かった!」
「続きが気になる!」
「応援したい!」
と思っていただけたら……
評価 や お気に入り登録、感想 をいただけるとめちゃくちゃ励みになります!
評価やお気に入りが増えると、ぼくのモチベが爆上がりして
「次も更新するぞ……!」って本気で思えます。
感想も一言だけでも大歓迎です!(スタンプ感覚でも嬉しいです…!)
これからも更新頑張りますので、引き続きよろしくお願いします!