その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:やっくん。

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時系列でいうと、2話からの続きになります。
まだ悠のことを完全に信じきれていない状態の魅夜です。



魅夜の番外編① この女、みっちゅにつき

 つい先日書店で買った『サルでも分かるトランプマジック入門』を部屋で読みふけっていたら、ベランダから物音がした。

 

 ガラガラガラ。

 

「よぉ! げんきぃ? アタシはげんきだじぇ!」

 

 網戸をこじ開けて入ってきたのは案の定、阿久津 魅夜(あくつ みや)だった。

 

 ほんのり赤い顔をしながら、俺の部屋のソファにどかっと腰を下ろす。

 

(……酔ってるな)

 

「……魅夜さん」

 

「なにぃ」

 

「……普通に玄関から来てください」

 

「あいっ」

 

 ニッと口角を上げて、目は糸目になるまで細めて、ぴっと敬礼。

 

 ただし敬礼の手の先端は、ぐにゃりと曲がっていた。

 

 普段の、刃物みたいな目つきはどこにもない。顔全体がフニャッとしていて、なんというか、輪郭ごと丸くなっている。

 

(……)

 

 俺は本のページをめくる手が、一瞬だけ止まる。

 

「というか、魅夜さん……女性が一人で男の部屋に来るのって、もう少し慎んだ方がいいと思いますよ。自分を大事にしたほうがいいっていうか……」

 

「あァ?なんか問題でもあんのかよぉ〜」

 

【豆知識:元の世界では、無理に女性が男の部屋を訪れることは、男からすると歓迎案件もしくは女性からのオーケーサインと捉えてしまいがちであろう。しかし、この世界では一歩間違えれば性的強要やレイプとして訴えられかねない、犯罪スレスレの危険な行為である】

 

 

「ハラへったよぉ。なんか食わせろォ」

 

「……帰ってください」

 

「えっ?」

 

「魅夜さんにあげるものは何もありません……帰ってください」

 

 俺は本を閉じて、玄関の方を指差した。

 

 すると魅夜さんが、ほんの少し眉を下げた。

 

「そんな……おなか、へってんだよぉ」

 

「……」

 

「……おなか……へったぁ」

 

(…………くっ)

 

 普段の、この世の悪意を全部詰め込んだような鋭い目つきが、どこにもない。

 

 代わりにあるのは、なんとも言い難い、丸くて困ったような、妙に素直な目をした、かわいい生き物だ。

 

「……はぁ」

 

 俺は立ち上がって、キッチンへ向かった。

 

「冷蔵庫に作り置きがあるんで温めてきます。ソファから動かないでくださいよ」

 

「あいっ!」

 

 再びへろへろな敬礼をする彼女。

 

 電子レンジが回っている間、俺はぼんやりと魅夜さんのことを考えた。

 

(なんで俺、この人のご飯まで温めてるんだろ)

 

 答えは出なかった。

 

 チン、という音がして皿を持ってリビングに戻った。

 

「はい、どうぞ」

 

「……ありがとよぉ」

 

 消え入りそうな声だった。

 

(……酔うとイメージ変わるな、この人)

 

  魅夜さんは両手で丁寧に手を合わせ、ふーふーと息を吹きかけてから、小さく食べ始めた。

 

 その間、俺は読みかけの本に戻ろうとして。

 

 気づいたら、食料棚が開いていた。

 

「……魅夜さん」

 

「んー」

 

「ガチ堅ポテトとレタス次郎、勝手に開けましたね」

 

「んーー」

 

「聞いてますか」

 

「おいしいなぁ」

 

 聞いてなかった。

 

(まあ、いいか。シラフに戻ったら請求しよう)

 

 俺はため息をついて、向かいのソファに腰を下ろした。

 

 

 しばらくして、魅夜さんが皿を置いた。

 

「……おいしかったぜぇ」

 

「おそまつさまでした」

 

「……なぁ」

 

「なんですか」

 

「シュアーラの」

 

「……はい?」

 

 突然すぎて、俺は少し間を置いた。

 

「シュアーラ、の、コンデンサーマイク」

 

「それが、なにか?」

 

 魅夜さんはソファの背もたれに沈み込みながら、とろんとした目で俺を見た。

 

「配信でぇ、マイクのぉ、調子がぁ、悪いんだよぉ」

 

「……それで?」

 

「そう。その最新モデルのやつがぁ、いるんだよぉ」

 

 口調はいつも通りかもしれないが、声がふわふわしていて全然怖くない。

 

「買っといてくれよぉ。あとでちゃんと払うからぁ」

 

「いや、自分で買ってくださいよ」

 

「きょう、買わないと長い休みくるだろ〜がぁ」

 

 今日注文しないと連休が続くから荷物の到着が遅くなる……と。

 

「いや、だから今、自分で買ってくださいよ」

 

「いまぁ……がめんがぁ……みっつぐらいみえてぇ……どれおしたらいいか……わかんにゃいんだよぉ……」

 

 俺は無言でスマホを取り出し、録画ボタンをタップした。

 

 ピロン。

 

 スマホを掲げる。

 

「魅夜さん、画面、何個に見えますか」

 

 魅夜さんが、上目遣いで俺を見た。

 

「……みっちゅ!」

 

「どれ押したらいいかわかりますか」

 

「……わかんにゃいの!」

 

 ピロン。

 

 録画停止。

 

 さっそく再生してみる。

 

『……みっちゅ!』

『……わかんにゃいの!』

 

 

(……いいものが撮れた)

 

 俺は小さく満足して、スマホをポケットにしまった。

 

 普段の「ぶちのめすぞ」という気配が一ミリもない、貴重な映像だった。

 

 このあとも何度も何度もしつこくお願いされた。

 

「……わかりましたよ。今日中にラクデンかアマゾーンで買っときますよ」

 

 結局、降参した。

 

「あとでちゃんと払ってくださいよ、絶対に」

 

「払う。約束。ゆびきりだぁ」

 

「いいです、指切りは」

 

「ゆびきりだぁ」

 

「……」

 

 差し出された小指を、俺はしぶしぶ絡めた。

 

(ちゃんとお金が返ってくるか不安だ……)

 

 

 魅夜さんが帰った後。

 

 俺はパソコンを開いて、ポチポチと検索欄に「シュアーラ コンデンサマイク 最新」と打ち込んだ。

 

 すぐに結果が出る。

 

 俺は画面を見て固まってしまった。

 

(……十万円)

 

 コンデンサマイクの最新モデル、税込み定価十万円。

俺はしばらくの間、その数字を眺めた。

 

(……さすがに無理だ)

 

 一万円なら最悪返ってこなくてもギリギリ諦められる範囲だ。でも十万円はさすがに無理だ。フリーターの俺にとって十万円は死活問題になりうる。

 

 よし、やめよう。

 

 テーブルにひじをついてマウスを操作していた俺は、そのまま体を引いた。

 

 その瞬間、ひじがテーブルの端から滑り落ちた。

 

 ガックン。

 

 ポチッ。

 

(……あ)

 

 画面に、注文完了の文字が躍っていた。

 

 自動クレジットカード払いにしているので、ボタンを押すだけで決済が完了する。

 

(……やば……)

 

 俺は血相を変えて画面をスクロールした。

 

 キャンセルボタン。返金ボタン。どこかにあるはずだ。

 

 どこかに。

 

 ない。どこにもない。

 

 何度スクロールしても、注文完了の明るい画面が俺を祝福してくるだけだ。

 

 目を細めてさらに画面を見ると、ページの最下部にミジンコのような小さな文字を発見した。

 

『購入キャンセルはこちら』

 

(……あった)

 

 ホッとしながらボタンを押す。

 

 飛んだ先のページのタイトルが目に入った。

 

『返金・購入キャンセルでよくある質問(Q&A)』

 

(……よくある質問じゃなくて、キャンセルがしたいんだが……)

 

 俺はページを閉じて、スマホを手に取った。直接電話する方が早い。

 

 ちなみにオペレーターの電話番号を探すのにも10分かかった。

 

 プルルル×10

 

『お電話ありがとうございます。ただいま大変混み合っております。現在の待機人数は、53人です。このまま受話器をお持ちいただき――』

 

 ピッ。(終了)

 

 自動音声の男性オペレーターが話をしている途中だったが、無言で通話終了ボタンを押した。

 

【豆知識:この世界では、自動音声を含め電話のオペレーターには男性が起用されることが多い。男性の声には無意識に女性の態度を軟化させる効果があるためだ。しかし、購入キャンセルや返品処理にかかるストレスは、それでは全くもって相殺できない】

 

 しばらくの間、パソコンの画面を眺める。

 

 注文完了。ご購入ありがとうございます。

 

(……魅夜さん、ちゃんと払ってくれるよな)

 

 俺はパソコンをそっと閉じた。




先日、誤って注文してしまいキャンセルしようと電話したんですが。

『返金は1を』ピッ。『初期不良は2を』ピッ。『変更は3を』ピッ。『その他は3を』ピッ。『ただいま混み合っております――』ピッ(終了)。

いつ繋がんねん。

次回もよろしくお願いします。
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