その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:やっくん。

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8話 その拒絶、致死量につき

――蒼井 深守(あおい みもり)の視点――

 

「……好きです。付き合って……ください」

 

「……ごめん。今は部活に集中したいんだ」

 

 その言葉にわたしはショックを受けつつも、それならしょうがないと自分に言い聞かせた。

 

(はぁ……だめだった……)

 

でも勇気を出せた自分はえらいよね。

 

部活動って時間もエネルギーも使うからお付き合いできないのもしょうがない。

 

そう自分に言い聞かせる。

 

(フラれると……辛いな……胸が痛い。でも、ストイックで一生懸命なところ……すごいな……部活を卒業したらもう一度……)

 

 

 その日の放課後――

 

 下校しようと下駄箱まで来たところで思い出した。

 

(試験が近いし……置き勉してる教科書……少しずつ持って帰らなきゃ……)

 

 階段を登り、教室の扉に手をかけた瞬間だった。

 

 中から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 

 それはまさに今日、わたしに「ごめん、部下に集中したい」と言ってきた男の声。

 

「あぁ、深守? ……ねーよ。俺と付き合うにはスペック不足。せめてAランクはないと。アイツはランクでいうところのEマイナスってところかな。ハハッ」

 

「うわ、ひどっ。というかお前、本命の彼女いるだろ」

 

「あっバレた?というか、あんな地味な女、隣にいるだけで俺の価値が下がんだよ。ランクの低い人間は、そもそもこの上位クラスに存在する資格がないっつーの』

 

 

 パキッ――

 

 

 心臓が、凍りつく音がした。

 

【豆知識:男女比1対4という歪な社会では、一部男性の間で女性をランク付けすることがお決まりとなっている。選ぶ立場にある男性にとって、女性は心を持つ人間ではなく、替えが利く都合の良い相手と思っている場合が多い】

 

 わたしという存在は、彼にとってはスペックとランクという数値で測られる、価値のないガラクタなんだ。

 

 わたしはその場で数秒しゃがんでから唇を噛み締めた。

 

 そして走った。

 

 さっき登ってきた階段を降りて、廊下を走って、昇降口を抜けて、外へ出た。

 

 息が続く限り走った。

 

 息が続かなくなって止まった。

 

 そしてまた走る。

 

 また止まる。

 

 それを繰り返して、気づいたら家の前にいた。

 

 バタンッ!

 

 部屋に入って、扉を閉めた。

 

 ベッドに倒れ込んで天井を見つめる。

 

(明日から……どんな顔して学校へ行けばいいの……)

 

 あっそうだ。光ちゃんに話を聞いてもらおう。

 

 わたしは他のクラスにいる親友の顔が頭に浮かんだ。

 

 どうすればいいか、光ちゃんならきっと教えてくれる。

 

(ううん、話を聞いてくれるだけでいい……)

 

 

 次の日、教室に入った瞬間に分かった。

 

 ピリッ

 

 教室の空気が違う。

 

 昨日まで普通に話をしてくれていた友達がよそよそしい。

 

 挨拶だけはかろうじて返ってくるけど、わたしと会話をすることを、みんなが静かに拒否している。

 

 まるでわたしが、そこにいないみたいに。

 

 

――お昼の休憩時間。

 

(やっとお昼の時間だ)

 

いつもより学校がとても長く感じる。

 

 でもこの時間なら光ちゃんがいると思うから……

 

 すぐに廊下を飛び出した。

 

 その瞬間――

 

 光ちゃんが、友達と一緒に廊下を歩いてくるのが見えた。

 

「ひかりちゃ……」

 

 声をかけようとしたわたしの言葉が途中で止まった。

 

 彼女の隣の女の子が言い放つ。

 

「アイツほっときなよ、光。あんなのに関わったら、あんたのランクまで下がっちゃうよ」

 

「……」

 

 光ちゃんは、それを聴いて何も言わなかった。

 

 わたしと目が合った瞬間――

 

「ッ……」

 

 彼女は視線をそらした。

 

(……そっか、クラスだけじゃないんだ……わたし、もう学校のみんなから除け者にされてるんだ……)

 

 

 次の日も、その次の日も、その男の言葉を鵜呑みした生徒全員が私の無視を始めた。

 

休憩時間が来る度に吐き気がする。

(あなたも、あなたも、あなたも……だいっ嫌い!みんなみんな、大嫌い!世界からいなくなっちゃえ……)

 

 

 ――それ以来、わたしは物理的な世界を閉ざした。

 

 引きこもりになってからの時間の経過は早かった。

 

 家に籠るようになって二日、三日、一週間、一ヶ月。半年。

 

 外界を拒絶し、ノイキャンのヘッドホンで音を遮り、暗い部屋でパソコンや機械いじりをするだけの毎日。

 

(男なんて、みんなランクでしか他人を見ない欠陥品だよ……女だって同じ。あんな欠陥品に媚を売って、言うことなら何でも聞くんだもん……)

 

 もう生身の人間なんて……見たくない。

 

 窓を閉め切った部屋は、誰の邪魔も入らない私の聖域。

 

 ここにいればずっと安心。

 

 なのに――

 

 なのに、部屋の空気は日に日に淀んで、わたしの心は徐々に窒息しかけている。

 

(なんで……かな……毎日が楽しくない……)

 

 社会や世界から完全に切り離されてしまうのが、なんだかこわいし、

 

 

 寂しい。

 

 

(だからといって誰かと関わることなんて無理……)

 

 怖いし、痛いし、結局また透明にされるだけだから。

 

 

 

 

 でもこれなら――

 

 わたしは自作のドローンを空へと解き放つ。

 

 

 部屋を埋め尽くすマルチモニターの青白い光が、わたしの皮膚を白く焼く。

 

 ゴーグル越しに映し出されるのは、地上三十メートルから映るドローンからのライブ映像。

 

 風を切るローターの音が、ワイヤレスイヤホンを通じてわたしの鼓動と同期する。

 

 見つけた――

 

 レンズが捉えたのは、雑踏の中を歩く一人の青年。

 

(見つけた……わたしのターゲット。この醜い世界でただ一つの希望)

 

 以前に偶然ドローンで彼を捉えてから、彼の行動がどうしようもなく気になっている。

 

 だから、時間の許す限り、彼を追いかけている。

 

 

 

 ――ある日のテラスのレストラン。

 

 せわしなく動く店員に何度も声をかけようとして、そのたびに透明人間のように無視されていた気弱そうな女性客。

 

 彼女が泣き出しそうな顔をした瞬間、近くの席にいた彼が視線をそっと、困っている客の方へ滑らせる。

 

 店員は自然と困っている客のほうへ向かっていった。

 

(す、すごい。スマートだ……)

 

 相手に「助けてもらった」という負い目を、一切負わせていない。

 

 声もかけない。視線を合わせることもない。

 

 ただ、ちらりと目を動かすだけ。

 

 それだけで、誰も傷つけずに、誰も気づかないうちに、すべてが解決していく。

 

 (……かしこい。それに、優しいやり方)

 

 振る舞いの一つ一つから、彼の性格が滲み出ている。

 

 これまでも、きっとこうやってきたんだろうということが、画面のこちら側からでも分かった。

 

 

 ――とある日の公園。

 

 歩いている彼の少し先で、若い男が飲み終えたペットボトルを、何のためらいもなく地面に投げ捨てた。

 

 彼は、それを見ても何も言わなかった。

 

 ただ静かに近づいて、ペットボトルを拾い上げ、近くのゴミ箱へと入れた。

 

 その先の道でも、彼は同じことをしていた。

 

 誰のものかもわからない空き缶や風に飛ばされて転がっているビニール袋。

 

 一つ一つ、当たり前のように拾っていく。

 

 もし、彼の周りに誰かがいたなら、それは「いい人アピール」とか、「演技」の可能性もあるかもしれない。

 

 でも――

 

 ドローンを360度旋回させるが周囲には、誰もいない。

 

 そう。ドローン以外には、誰も。

 

 彼は、誰にも見られていないのにゴミを拾っているのだ。

 

(……これが彼の素……なんだ)

 

 誰かに見せるためじゃない。

 

 評価されるためでもない。

 

 ただ、それが彼にとって当たり前のことなんだろう。

 

 わたしの胸の中に、じんわりと温かいものが染み込んでいく。

 

(……素敵な人だな)

 

 画面の向こうの彼が、また少し、わたしの中で大きくなった気がした。

 

 その後、彼は黙々と清掃ボランティアをしていた腰の曲がったおじいさんの前で足を止めた。

 

 そして深く頭を下げて言った。

 

「いつも綺麗にしてくれてありがとうございます。おかげで気持ちよく歩けます」

 

 清掃員の方は、魔法をかけられたように顔を輝かせていた。

 

 

 ――駅前の広場。

 

 路上ライブをしている二人組の少女。

 

 ドローンから聞こえる音を聞くが、お世辞にも上手いとは言えない。

 

 通り過ぎる人々は、冷ややかな視線を向け、面白がるように言い放つ。

 

「うわ、下手っ」

 

「私のほうが歌うまいわ」

 

「メジャーデビュー目指してますって書いてあるよ。ムリムリ!」

 

 群衆がそう吐き捨てた瞬間、彼は立ち止まり、熱心に叫ぶ少女たちを見つめながら歌を聴いている。

 

 一通り聴き終わると、彼はポケットに手を入れ、少女たちの空のギターケースに硬貨を入れていた。

 

 彼はその少女たちに何かを感じ取り、無言で応援している、そんな気がした。

 

「……こんな男の人もいるんだ……」

 

 わたしは、震える手でコントローラーを操作する。

 

 

 今日、わたしは天才的なアイデアを思いついた。

 

 まずは、部屋に転がっていた空き缶をドローンのアームに掴ませる。

 

 そして、窓を開けてドローンを外へと放つ。

 

 彼は、決まってこの時間にある道を通るので、ドローンを彼の進行方向の少し先まで先回りさせて、旋回させる。

 

 彼の進行方向、

 

 彼が数秒後に足を踏み出すそのアスファルトの上に、私はそっと缶を落とすのだ。

 

 カラン――と乾いた音がした。

 

 彼が足を止め、誰が捨てたとも知れないそのゴミを迷わず拾い上げた。

 

 

 画面越しに、わたしの指先がモニターの中の彼の手に触れる。

 

(……これが…はじめての共同作業……)

 

 頬が熱い。

 

 胸の鼓動がトクトクと跳ねる。

 

 デジタル信号の向こう側、わたしは彼に認識されたのだ。

 

 ドローンと空き缶を通じてだけど、透明な存在から彼と同じ世界を共有する何者かになれた気がした。

 

 もう一度だけ、

 

「もう一度だけ、人を信じてみようかな……」

 

 そんな時だった。

 

 舞い上がったわたしの指が滑り、ドローンの高度が急激に下がった。

 

 プロペラの風が彼の前髪を揺らす。

 

「あ……っ!しま……っ!」

 

 バレた。絶対バレた。

 

 ストーカーだと思われたらどうしよう。

 

 警察?

 

 ストーカーで懲役?

 

 変態容疑で死刑?

 

「あぅあぅあぅ……」

 

 パニックで硬直するわたしの前で、彼がレンズを覗き込むように顔を上げた。

 

 そして、彼は驚くどころか、あどけない少年のように破顔する。

 

「あ、最近この辺よく飛んでるね!バイバイ!」

 

 カメラに向かって大きく手を振った。

 

(笑顔……かわいい……)

 

 モニター越しに、わたしは熱に浮かされたように身悶えた。

 

 彼は、ドローンの向こう側にいる私を肯定してくれた気がした。

 

 心臓の鼓動が、トクントクンといつもより速いリズムで私の胸を突き上げる。

 

「直接会いたい……な」

 

 

 

 うん、会いたい、彼に――

 

 出よう、外に――

 

 

 

 わたしはモニターを消した。

 

 部屋に、静寂と窒息しそうな空気が戻る。

 

「まずは……」

 

 ゴソゴソ――

 

 埃を被っていた外出用の大きめの黒いパーカー服に着替えた。

 

 スチャッ――

 

 次に、薄っすら暗いレンズのスマートグラスを装着する。

 

 ガシャン――

 

 そして、ノイキャンのヘッドホンで耳全体を覆い、

 

 スポッ――

 

 最後にパーカーのフードを被って顔を隠す。

 

「あ、そうだマスクも……」

 

(完成……)  

 

 対外出用完全防護装備

 

(私は今日を機に……引きこもりという安全な殻を脱ぎ捨てるんだ……)

 

 ガチャ――

 

 玄関のドアを開けた。

 

 私は一歩を踏み出す。

 

「ちょっとすみません」

 

 三秒で警察に声をかけられた。

 

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【あとがき】

深守:(私は今日を機に……脱ぎ捨てるんだ……)

作者:いや、めっちゃ着てるから

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