この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
――アリアダスト教導院・三年梅組、昼休み。
「……おかしい。やっぱりどう考えてもおかしいだろ、この世界」
窓際の席で、俺――前世の記憶をうっすら持つ哀れな転生者――は、表示枠(表示枠)に浮かぶ今日のニュースを眺めて、深く、吐き捨てるような溜息をついた。
「どうしたんだい、そんなに怖い顔をして。流体が足りなくて便秘気味かな?」
話しかけてきたのは、クラスメイトの男子生徒だ。彼は親切心100%の笑顔で、こちらの正気を疑うようなことを平然と言ってのける。
「違う。便秘じゃない。……なぁ、お前、今朝の『聖譜記述』の更新見たか? 『今日は歴史再現のために、あそこの市場でジャガイモの投げ合いをします』って書いてあったんだぞ。おかしいだろ。食い物を粗末にするなよ」
「ははは、君は相変わらず面白いことを言うね! 歴史再現だよ? 聖譜(テストメント)に書いてあるんだから、それはもう、抗えない運命(イベント)じゃないか。投げた後のジャガイモは、ちゃんと貧民層に配給される手はずになっているし、何の問題があるんだい?」
「問題は大アリだ。配給される側の気持ちを考えろよ。投げつけられた後のマッシュポテト一歩手前のジャガイモを渡される身にもなれ。……あと、さっきから気になってたんだが、なんで隣の席の女子は、背中から巨大なキャノン砲が生えてるんだ? 重いだろ。肩こりとかのレベルじゃないだろ」
俺が指差した先では、可憐な女子生徒が、自分の身の丈ほどもある神格武装(もどき)を背負ったまま、優雅に購買のパンを食べていた。
「え? 彼女は五大頂を目指しているからね。武装歩行は基本だよ。それにほら、この学園は『準バベルの塔』の技術を転用した航空艦の上にあるんだ。重力制御は完璧なんだから、実質的な重量はリンゴ一個分くらいさ」
「数値の問題じゃねえ、ビジュアルの問題だ。あと今、さらっと言ったけどさ……『準バベルの塔』って何だよ。バベルの塔って、神に挑んで崩壊したっていう失敗の象徴だろ? なんでそれに『準』とかつけて、あまつさえ都市ごと飛ばしちゃってるんだよ。反省の色がないのかよ」
「……君、本当に頭が大丈夫かい?」
クラスメイトの目が、次第に「可哀想なものを見る目」に変わっていく。
これがこの世界の日常だ。俺が常識(前世の)を説けば説くほど、俺の評価は「重度の流体酔い」か「歴史再現のプレッシャーで壊れた奴」になっていく。
「Jud.。君の言いたいことはわかったよ。つまり君は、『もっと派手な歴史再現が見たい』ということだね?」
「一言も言ってねえよ! Jud.って何だよ! 裁判官かよ! 普通に『はい』って言えよ! 語尾に『以上』とか付けるのもやめろ、報告書かよ!」
「あはは、今日も絶好調だね。……あ、見て。トーリ君たちがまた全裸で廊下を走ってる。これも歴史再現の一環かな?」
「あれはただの変態だろ!! 聖譜(テストメント)のどこに全裸で走れって書いてあんだよ!! 出してこいよそのページを!!」
俺の叫びは、浮遊する校舎の喧騒にかき消されていく。
流体が輝き、自動人形が茶を啜り、物理法則が迷子になっているこの世界で、俺だけが今日も、正論という名の無力な武器を振り回し続ける。
「……もういい、俺は寝る。放課後の『三征西班牙』との模擬戦、俺は欠席だからな。理由を聞かれたら『歴史の重みに耐えきれなくなった』って伝えといてくれ」
「Jud.。保健室の先生に、精神安定の術式をかけてもらうよう頼んでおくよ。お大事に!」
「……以上」
俺は思わず口をついて出たその言葉に、自分もこの世界の毒に浸かり始めていることを自覚し、静かに机に突っ伏した。
誰か、この世界にまともなツッコミを呼んできてくれ。
SS:境界線上のツッコミ待ち ―無能と副会長と告白魔―
――アリアダスト教導院・廊下。
「おい、そこをどけ! 『不可能男(インポッシブル)』のお通りだぞ! ぎゃはははは!」
廊下の向こうから、いつもの騒がしい笑い声と共に、極東の総長連合総長、葵・トーリがやってきた。相変わらずの全裸……ではない。今日は何故かエプロン一枚という、逆に通報レベルが上がった姿だ。
「……なぁ、葵。お前に一つ聞いていいか」
俺は、すれ違いざまにその肩を掴んで呼び止めた。
「おっ、なんだよ。俺の全裸に惚れたか? 残念だが俺にはホライゾンがいるからな、不戦勝だ!」
「惚れてねえよ。そうじゃなくて、お前のその『不可能男(無能術式持ち)』っていう自称だ。……お前、自分の術式を維持するために、全校生徒に流体(金)を配って、なおかつそのシステムを維持し続けてるんだろ? 効率化と資金繰りの天才じゃねえか。どこが無能なんだよ。その経営手腕があれば、前世ならシリコンバレーで天下獲れるわ。謙遜するにしても限度があるだろ」
「……?」
トーリは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で首を傾げた。
「いや、俺はただの遊び人だし? 勉強できないし、脱ぐし。な、Jud.?」
「いや、Jud.じゃねえんだよ。お前のやってることは、現代社会なら国家予算レベルの運用なんだよ。そのスペックで『俺、無能だからw』とか言われると、こっちの自己肯定感が死ぬんだ。いいか、お前は超有能だ。自覚しろ」
「ははは! お前、今日はいつも以上に頭が沸いてるな! 面白いから、あとで粘土板(通神)に書いておくよ!」
話が通じない。この男、自分の異常性を「性格がバカだから」という一点で完結させてやがる。
俺が頭を抱えていると、カツカツと鋭い足音が響いた。
「おい、葵! また廊下で奇行を……。それと、君。また彼に変な吹き込みをしているのか?」
現れたのは、副会長の本多・正純だ。
短く切り揃えられた髪、意志の強そうな瞳。そして何より、その厳格さと裏腹にどこか憂いを含んだ凛々しい声。
俺の心臓が、歴史再現の振動より激しく跳ねた。
「……正純、今日も最高に格好いいな。その声の低さ、耳元で一晩中『審議(Jud.)』って囁いてほしい。結婚してくれ」
「……断る。これで三千五百二十四回目だ。君、自分の立場を弁えろと言っただろう。私は今、忙しいんだ」
正純は眉間に皺を寄せ、溜息すらつかずに俺の告白を「予定調和のノイズ」として切り捨てた。
「いいや、俺の愛は末世(まっせ)を越える。お前のその見た目と声のギャップ、前世の俺の性癖をピンポイントで狙撃してくるんだ。お前が男装してようが女だろうが関係ない。俺の戸籍の半分はお前のために空けてある」
「……葵、こいつを保健室へ。流体酔いが末期だ」
正純が冷徹な目でトーリを促す。
「Jud.! 任せろ正純! こいつ、さっきから俺のことを『有能』とか呼ぶんだぜ。相当重症だよな!」
「有能? ……ふん、確かにそれは治療が必要だな」
正純までもが、俺の言葉を「正気ではない者の妄言」として処理し、憐れみの視線を向けてくる。
「違うんだ正純! 組織における葵の立ち回りは、高度な心理的安全性と……っ! おい、離せ葵! どこを掴んでる! お前のエプロンがズレてる! 見える、世界の終焉(ケツ)が見える!!」
「ぎゃははは! さあ、地獄(保健室)へレッツゴーだ!」
俺は、有能すぎるバカに引きずられながら、愛しの副会長の背中が遠ざかるのを眺めていた。
「……正純―! 次に会う時は、婚姻届を歴史再現してやるからなー!!」
俺の絶叫は、武蔵のエンジン音にかき消され、今日も平和に無視された。
以上。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。