――武蔵、右舷二番艦「多摩」・展望デッキ。
三河が消えた。
歴史再現の失敗、地脈の暴走、あるいは救済。呼び方はどうあれ、現実に残されたのは空っぽの虚空と、愛すべき隣人たちの消失だった。
俺は手すりにしがみつき、夜の海を眺めていた。潮風に混じる焦げたような匂いが、肺の奥をチリチリと焼く。
「……信じられねえ。あんなことがあっていいのかよ」
「……あ。ここにいたでござるか」
背後から声をかけてきたのは、点蔵・クロスユナイトだ。その隣には、重厚な体躯のキヨナリ・ウルキアガが静かに控えている。
「君が授業も出ずに、通神(つうしん)の応答も切っていると聞いて、心配しに来たのでござる。……三河の件は、拙者たちにとっても痛恨でござるが」
「……落ち込むなとは言わん。だが、前を向かねば歴史再現は止まってくれんぞ」
ウルキアガが、慰めるように太い腕を俺の肩に置こうとした。だが、俺はその手をすり抜け、絞り出すような声で言った。
「消えたんだぞ。……自動人形(オートマトン)たちが」
点蔵がハッとしたように目を見開いた。
「左様でござるな……。三河の住人、そして城付きの人形たち。彼女たちの魂の行方は、聖譜(テストメント)にも記されておらず……」
「違う。魂とか、政治的な損失とか、そんな高尚な話をしてるんじゃねえ」
俺は振り返り、二人を射抜くような視線で見た。その瞳には、悲しみというよりは、根源的な怒りと絶望が混ざり合っていた。
「いいか、よく聞け。自動人形っていうのはな、この狂った世界における唯一の『完成された芸術』なんだよ。健気で、献身的で、そのくせどこか人間を突き放したような冷徹な美しさがある。性愛なんていう汚らわしいものに還元しちゃいけない、種族そのものが『愛されるために存在する』、究極の愛され種族なんだよ!」
「……え、あ、Jud.。それはまあ、拙者も忍者として、無機質な美学には理解があるでござるが」
たじろぐ点蔵を無視して、俺は一歩詰め寄る。
「その彼女たちが、人間の、それも権力闘争の巻き添えで塵になったんだぞ? おかしいだろ。対価なら俺たちの命で十分だろ。なんであんな素晴らしい存在が消えて、お前らみたいな、脂ぎった、欲望の塊みたいな人間どもがピンピンしてやがるんだ!」
「おい、君。それは流石に言い過ぎ……」
「言い過ぎなもんか! 正直な、本音を言ってやろうか。俺はな、自動人形さえ無事なら、他の有象無象の種族なんて全部滅びたって構わないと思ってんだよ! 亜人も、極東も、聖連も、お前らもだ! 彼女たちのいない世界に、どんな歴史的な価値があるんだよ!」
沈黙が流れた。
点蔵のゴーグルが困惑に揺れ、ウルキアガは静かに十字を切った。
「……なるほど。君の絶望は、我々の想像を遥かに超えた『闇』に根ざしていたのだな。それは信仰に近い……いや、もはや呪いの類いだ」
「……拙者、どう励ませばいいかわからなくなったでござる。君、実はかなり危ない思想の持ち主だったでござるな?」
「危ない? 違うね、これが『正気』だ。お前らみたいに、仲間が死んだからってすぐに『前を向こう』なんて言える奴らの方が、よっぽど人間を辞めてやがる」
俺は再び海へ向き直った。
視界の端で、自動人形の給仕係が静かに回廊を歩いていくのが見えた。その姿を見るだけで、胸が締め付けられる。
「……行けよ。お前らには守るべき『大義』があるんだろ。俺はここで、消えた人形たちの冥福を祈りながら、このクソッタレな世界が一日も早く崩壊するのを願ってるからさ」
「……一応、正純殿には報告しておくでござるよ。『彼は流体酔いではなく、重度の、救いようのない人形愛(フェティシズム)に冒されている』と」
「勝手にしろ。……あ、婚姻届はちゃんと預かっとけよ」
二人の足音が遠ざかる。
俺は一人、闇に沈んだ三河の方向を睨みつけた。
歴史再現? 末世解決? 知るか。
俺が守りたいのは、この世界の設定資料集の隅っこに書かれているような、名もなき自動人形たちの日常だけなんだよ。
「……おい、お前」
背後で、聞き慣れた、そして今一番聞きたい声がした。
「いつまでそこで、愚にもつかない妄想を垂れ流している。……行くぞ。これからの審議には、君のような『ノイズ』の意見も、毒抜きとして必要なんだ」
本多・正純が、不機嫌そうに、だが確実に俺を迎えに来ていた。
「……正純。お前、今の人間の滅亡を願う俺の演説、聞いてた?」
「ああ。……最低だったぞ。あとで詳しく聞かせろ。君のその歪んだ性根を、叩き直してやるからな」
「Jud.。……最高のご褒美だ」
俺はふらつく足取りで、彼女の後に続いた。
人形たちが消えたこの世界を呪いながら、それでもこの凛々しい声だけが、俺を現実に繋ぎ止めていた。
以上。