ファーストインプレッション
東京都高度育成高等学校。
日本政府が作り上げた、未来を支えていく若者を育成する学校だ。
オレは今日、この学校に入学する。
ホワイトルームでは学べなかった、俗世間というものを知るために。
期待を胸に秘め、オレはバスに揺られながら学校へ到着するのを待つ。
……だが、バスの中はどうしても暇だ。
窓側の席に座っているため、景色を見るくらいしかすることがない。
あまり良くないことだとは思うが、同じ制服を着ている人でも観察してみるか。
もしかしたら、この中から友達、あるいは恋人になる人がいるかもしれない。
まずは、オレの左隣に座ってる男から。
目を閉じて静かにしている。
顔は整っているほうで、灰色がかった茶髪の髪を一つに結んでいた。
……男でも髪を結ぶやつがいるんだな。
他には……ん? 本を読んでいる子がいるな。
自分が座っている席の通路を挟んだ、向こう側にいる女の子を観察する。
何の本を読んでいるのだろう。
そんなことを考えていると、前方からOL風の女性と、金髪でがたいのいい男が言い争っている声が聞こえてきた。
「ちょっとあなた、席を譲ってあげようとは思わないの?」
「実にクレイジーな質問だねぇ。なぜこの私が老婆に席を譲らないといけないんだい?」
「君が座っている座席は優先座席よ。お年寄りの方に譲るのは当然のことでしょう!」
どうやら老婆が立っているのを辛そうだと感じたOLが、優先席に座っている男——オレと同じ制服を着ているから、新入生なのだろう——に対して、席を譲るように説得しているらしい。
ただ聞いている限り、男のほうは一癖ありそうだ。
「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務は存在しないはずさ。この場を動くかどうかを判断するのはレディーではなく、この私だ。若者だから席を譲る? 実にナンセンスだ」
オレの読みは正しかったようだ。
外の世界には、ああいう唯我独尊を体現している奴がいるんだな。
これもホワイトルームにいたままでは学べなかったことだ。
この学校を紹介し、外に出る手助けをしてくれた執事の松雄に感謝しなくてはな。
……まぁ、あの金髪の男とはあまり関わりたくはないが。
「私は健全な若者だ。立つことに不自由は感じない。しかし、立てば体力を消耗してしまう。つまり、私が席を譲っても何もメリットはないというわけだよ。それともレディー、君がチップを弾んでくれるとでも言うのかな?」
「あ、あなた! それが目上の人に対する態度なの!?」
「目上? レディーや老婆が私より長く生きているのは一目瞭然だ。だが、目上というのは立場が上の人間のことを言うのだよ。それにレディーにも問題がある。歳の差があるにしても、生意気極まりない態度ではないか」
「なっ……! あなたは高校生でしょ!? 大人の言うことを聞きなさい!」
「あ、あのう……もう大丈夫ですから」
OLは何としてでもあの男に席を譲らせようとしていたが、老婆がこれ以上騒ぎを大きくしたくなかったのか、女性のほうをなだめる。
しかし、プライドが許さないのか。
OLは怒り心頭のようだ。
「ふっ、どうやら老婆のほうが物分かりが良いようだねぇ。日本社会もまだ捨てたものじゃない。残りの余生を謳歌したまえ」
そう言いつつ、男はイヤホンを耳につけ、音楽を聴き始める。
やっと一悶着ついたかと思い、窓のほうを見る。
すると、オレが通うことになる高度育成高等学校の姿が見えてきた。
どうやら、もう間もなく到着するようだ。
そう安堵して人間観察に戻ろうとすると、またあの男の方から甲高い声が聞こえてきた。
「なんなのよ、あなた! 私にもお婆さんにも上から目線で! あなたの態度も褒められたものではないわ!」
どうやら、先ほどのOLのようだ。
相当、自分を侮辱されたことが許せなかったのだろう。ヒステリックに喚き散らしている。
オレとしては男の言い分も理解できるし、老婆のほうもこれ以上騒ぎにならないよう動いてくれていた。
だというのに、あのOLはそのすべてを壊した。ホント勘弁してくれ……。
これは流石に見過ごせないと思ったのか、運転手が注意しようとする。
「あのーお客様、車内ではお静かにおねが——」
「何よ! 私が悪いの! 元はといえば、この子が席を譲らないのがいけないんでしょ! 私に注意するんだったら、この男にも言いなさいよ! 席を譲れって!」
典型的なヒステリック女。
オレだけでなく、周りに座っている乗客もそんな目であのOLを見ている。
こんなことになるのなら、もっと早い時間にバスに乗ればよかったと後悔する。
せっかくの高校デビューだというのに、どうして朝からこんな気持ちにならなければいけないのだ。
そんなことを考えながら、ただ時間が過ぎていくのを待っていると——
オレの左隣に座っている一つ結びの男が立ち上がり、OLのほうへ歩いて行った。
何かするつもりなのだろうか?
オレを含め、多くの乗客が彼に注目する。
その彼の存在に気付いたOLも彼のほうを向き、言葉を発する。
「なに? あなたも私に何か言いたいことがあるの? 君も高育の生徒のようだけど……ええっ!?」
突然、OLが大声を発した。
その声色は困惑か、はたまた驚きか。
おそらくどちらもだろう。
周りの乗客たちもOLと同じような気持ちを抱きながら、彼の行動を見ていた。
「んん〜、あなたを見ているとママを思い出すよ〜」
なんと、オレの隣に座っていた男はOLに抱きついていた。
「ちょ、ちょっと! あなた、何をしているのか分かっているの!? 離れなさい!」
「そんなカッカしないでよママ〜。今日初めて会って最後になるであろう高校生にイライラしても仕方ないよ〜。もっと自分を大切にしていこ! ね!」
「誰がママよ! 私はあなたのママなんかじゃないし、抱きつくのもやめて! このこと、学校に報告するわよ!」
そう言われると、男は——
「それは流石に困るな。悪かった、許してくれ」
「は、えぇ……?」
急に真面目な顔とトーンになり、OLに謝りながら抱きつくのをやめる。
当然、OLも乗客も素っ頓狂な顔になる。
もちろんオレも。
「急に抱きついたことは申し訳ないと思っているが、さっき言ったことは全て本心だ」
「そ、そうですか……」
明らかに変人と相対したからだろうか。
OLの女性は怒りを忘れ、今は目の前にいる男を関わっちゃいけない人間だと判断したのか、距離を取っている。
「ちなみに、僕が思ってる本心というのは、『イライラしても仕方ないよ〜。もっと自分を大切にしていこ!』という言葉じゃなくて、『あなたを見ているとママを思い出すよ〜』の言葉だから、勘違いだけはするなよ」
「……」
OLだけではない。
オレを含めて、乗客全員が絶句したはずだ。
あの金髪の男よりも、こっちの男の方が関わってはいけない。
オレの脳みそが全力で危険信号を出している。
金髪の男も、黒髪ロングで本を読んでいた少女も、栗色ショートヘアで老婆のために動き出そうとしていた少女も、あの変人を奇異な目で見ていた。
「あ、おばあちゃん! 僕、もうすぐで学校に着くから、僕の座ってたあそこの席、使っていいからね!」
「え、ええ。ありがとねぇ……」
困惑しながらも、老婆はこちらの座席のほうへ寄ってくる。
オレももうすぐ降りるからと思い、席を立ってバスの入り口付近に移動する。
「どうぞ、おばあさん」
「どうも、ありがとねぇ〜」
こうして、老婆に席を譲る譲らない論争は幕を閉じ、程なくして目的地に到着する。
バスを降りる際にOLが、
『なんであんな変人2人が入学できて、私は……』
などと言っているのが聞こえてきたが、オレには関係ないことだ。
そうして、オレは地に足をつけ、校門に目を向ける。
……ここが高度育成高等学校か。
バスから見たときでもかなり壮大な建物が見えてきたが、ここに立つとさらにそれを実感する。
だが、不思議と心の中でワクワクしている自分がいる。
正直、ここでホワイトルームの関係者が待ち伏せしていて、連れ去られるんじゃないかという不安もあったが、杞憂だったようだ。
この門さえくぐってしまえば、外部との連絡などは一切遮断される。
つまり、オレはここで三年間自由に過ごせるということ。
……よし、行くか!
「ちょっと」
「ん?」
気持ちよく階段を上りかけた、その時。
階段の一番上に立っている黒髪ロングの少女から声をかけられた。
バスの中で本を読んでいた子だ。
「さっきバスの中で私のほうを見ていたけれど、何だったの?」
「え? ああ、悪い。何の本を読んでいるのか気になってな。オレも本を読むのは好きだからさ」
「あなたの趣味なんて聞いていないわ。それと、こっちをジロジロ見られるのは不愉快だからやめて」
「そ、そうか。悪かった」
なんなんだ、女という生き物は。自分勝手すぎやしないか?
確かに、あの騒動が起きる前に見ていたことは事実だし、それに関しては反省している。
だからと言って、そこまで言う必要はないだろう。
こいつといい、OLといい、世の中の女性というのはこういう性格ばかりなのだろうか。
ホワイトルームにいたせいでまだ分からないことばかりだ。
願わくば、他の女の子はこうであってほしくないな。
「そういえばあなた、あの変人の隣に座っていたわよね? もしかして知り合い?」
「いや、それは絶対にない」
すぐにそう答える。あんなやつとは関わりたくない。
そう言うと、少女は『そう』と言って踵を返し、校門をくぐろうとする。
オレもそれに続いて階段を上ろうとするが——
「お、白色か! 清楚でいいじゃん!」
オレの隣、数段下の段で、さっきの変人がしゃがみ込んでいる。
そして、下から見上げる形で、あの少女のスカートの中を覗いていた。
その声を聞き、少女はこちらを振り返る。
そして、自分の下着を見られていることに気づいた少女は顔を赤くし、スカートを手で押さえるように隠した。
「っ! ……最低ね、あなたたち」
なぜオレも恨んだ目で見るんだ……。
ただ、あの様子じゃ見てないといっても信じてもらえないだろうな。
少女は逃げるようにその場を去っていった。
……同じクラスじゃないことを祈ろう。
「あららー、行っちゃったか。まだ話したいことがあったのに。それにしても、この学校大きいな! お前もそう思うよな?」
どうしよう。
一番関わってはいけないと思っている人物に話しかけられてしまった。
絶対にこいつに関わると、碌なことにならない。
ホワイトルームで培った経験がそう言っている。
癪だが、今だけは鍛えてくれた父親、綾小路篤臣に少し感謝する。
とは言え、こいつに興味がないわけではない。
おそらく社会全体で見たとき、この男は常識から外れている男なのだろう。
そんな男がどういう考えを持ちながら行動しているのか、知ってみたいという気持ちはある。
だが、オレはこの学校では普通に生きたい。
そう、事なかれ主義ってやつだ。
こいつと今ここで話せば、オレの願望とは真逆の方向に進むだろう。
……よし、決めた。
オレはこいつを無視して校門をくぐることにした。
「え? おい! 僕お前に話しかけてるんだけどー!」
ついてくるな、変人。
できれば目立つのは避けたいが、この男と関わることのほうがよほど面倒事になる。
そう天秤にかけ、オレは全速力でその場を去った。
「うっへぇ~。足、はっや……」
オリ主のせいで櫛田の活躍がなくなってしまいました。
櫛田ファンの方、申し訳ございません。