マブラヴガールズガーデン ドロテア・カークランドの雪山の流儀 作:マブラマ
翌朝、カークランドハウスを出発した一行は、昨日の教訓を胸に、再びガレムグラード山脈の奥深くへ足を踏み入れた。
ジュリーが雪を蹴り上げ、元気いっぱいに声を上げた。
「よ~し、改めて探索再開よ!」
ノエルがすぐ後ろで飛び跳ねるように続く。
「おー! 探索だー! しゅっぱーつ!」
ラウラは二人の背中を優しく見守りながら、くすりと笑みをこぼした。
「ふふっ、ジュリーちゃんもノエルちゃんも、すっかり元気ね」
リュシーはバックパックを背負い直し、低く呟く。
「ペースは乱すなよ……(今度こそ見せ付けてやるぜ、……あたしの登山テクニックの凄さをな)」
ジュリーが振り返って笑った。
「ちょっと進んでまたテントじゃ、全然探索できないもんね!」
リュシーは内心で舌なめずりをする。
「(色んな所を見れて、ゾクゾクするな……ふふっ、こんな感じ久々だ)」
昨日の吹雪の記憶を活かし、最初から飛ばしすぎず、慎重に高度を上げていく。
雪は深く、しかし五人の足並みは昨日より確かだった。
順調に進み、昨日より奥へ――。突然、空気が変わった。
リュシーの目が鋭く細まる。
「!(また吹雪だ。拙いなこれは…)―――早速お出ましだな」
ジュリーが慌てて顔を覆う。
「わっぷ!? 前が見えない~!?」
リュシーが即座に声を張り上げた。
「気をつけろ! 突風が来るぞ!」
ジュリーは必死に前へ進もうとするが、体が傾く。
「ぐにゅにゅ! つ、ついていく……ついていく……!」
指揮官は白い渦を見ながら、歯を食いしばる。
「(まさか、ここで吹雪くとは…真面に周囲の状況も見ることが出来ないぞ……!)」
ノエルが雪に足を取られ、声を震わせた。
「ぬぬぬ……! 前が見えないよぉ~! どうすればいいの!?」
リュシーが叫ぶ。
「一人になるな! 逸れるぞ!」
ジュリーが必死に応じる。
「わ、分かったわ! 見失わないようにくっついて…ぎゃうん!?」
ノエルが慌てて身をよじる。
「あわわ!? じゅ、ジュリーちゃん!? ぶつかったら、私までこけちゃうから!?」ラウラの声が風に掻き消されそうになる。
「うう、ダメ……もうこれ以上は…」
リュシーが鋭く指示を飛ばす。
「姿勢を低くして態勢を整えて耐え抜け! 風を受ける体の面積を小さくするんだ!」ジュリーが雪に膝をつき、悲鳴を上げる。
「―――ふぎゃーーーーー!?」
ラウラが慌てて手を伸ばす。
「ジュリーちゃん! 大丈夫!?」
指揮官はジュリーの姿を捉え、即座に動く。
「(ジュリーがこけたか……ここではぐれると一大事だ!)」
ジュリーは雪に埋もれながらも、声を絞り出す。
「だ、大丈夫よ! ちょっと躓いただけだから!」
指揮官が近づこうとする。
「無理するな! 今からそっち行く!」
リュシーが叫ぶ。
「おい、離れないように気をつけろよ!」
ラウラは必死にジュリーの元へ。
「うう……! 足が……! ジュリーちゃん、大丈夫!?」
リュシーは内心で舌打ちする。
「お前も無茶するな! (こんなバケットハット被って雪山登る根性ある奴なんて見た事ないぜ…本気で正式なチームに昇格しようと努力している…!)」
ラウラは涙目で言う。
「体力はないけど……最後尾は任せて!」
リュシーはラウラの背中を見つめ、静かに思う。
「ジュリーのフォローしてくれると助かる! (黒森ラウラ……こんな大吹雪でも耐えられる体力があるとは……侮ってたぜ。だけどわからない…何故お嬢がプレ・クラス-Aの4人が頂上まで登り切れると断言したんだ? お嬢がそこまで言うほど凄いのか…)」
ジュリーがラウラに微笑む。
「ありがとうね…!ラウラ」
リュシーは周囲を見回し、顔を歪めた。
「(撤退は無理。通信は繋がらない。また遭難か)」
突風が再び吹き、ラウラの帽子が飛ばされる。
「ああ! 帽子が!」
リュシーが即座に叫ぶ。
「諦めろ! 前だけ進め!」
ジュリーが素早く雪に飛び込み、帽子を掴み取った。
「キャッチ、はい、拾ったよ!」
ラウラが受け取り、涙声で礼を言う。
「ありがとう! ジュリーちゃん」
リュシーは前が見えない白い渦の中で、静かに呟いた。
「(前が見えない……! 植村直己さんがマッキンリーで行方不明になった理由、分かった気がするぜ…お嬢、すまねえ。あたしは……)」
数分後、吹雪がようやく弱まり、視界が少しずつ戻ってきた。
指揮官は雪を払い、深呼吸して周囲を見回す。
「……はぁ…吹雪は収まったようだな…ってリュシーとノエルは!?」
ジュリーが慌てて振り返る。
「あ、あれぇ!? いない!?」
指揮官は静かに息を吐いた。
「はぐれてしまった…のか…」
ラウラが不安げに周囲を見渡す。
「……でも、何処かにいるんだよね?」
指揮官は頷きながらも、内心で冷たい汗を流す。
「ああ、俺も信じたいよ。今の場所も何処にいるのか……」
当然だが、無線機からはノイズだけが返ってくる。
通信は完全に途絶えていた。
ラウラが心配そうに尋ねる。
「指揮官さん、どうしたの?」
指揮官は無理に笑みを浮かべ、首を振った。
「いや、何でもない…少しどうするか考えていたんだ(嘘だろ……!?通信機が繋がらない……!?…だが、これを伝えてもパニックになるだけだ)」
一面は目印のない銀景色。
足跡は吹雪に埋もれ、方向感覚さえ失われつつある。指揮官たちは、再び遭難の危機に直面していた。
ジュリーが拳を握りしめ、静かに言った。
「……リュシーさんたちも、きっと無事だよね。あたしたちみたいに」
指揮官はジュリーの肩に手を置き、穏やかに頷く。
「ああ。信じて待とう。まずは俺たちで生き延びる。それからだ」
ラウラが小さく頷き、三人は互いに体を寄せ合いながら、ゆっくりと前へ進み始めた。
雪はまだ降り続けている。
しかし、仲間への信頼だけは、決して消えなかった。
ジュリー・ステイシー探検隊は、再び、雪山の試練に挑む。
カークランドハウスの最上階、吹雪がようやく弱まった窓辺に、ハリエットは静かに立っていた。
手には古い軍用双眼鏡。
レンズ越しに、遠くの斜面で白い影のように動く二つの点――リュシーとノエル――を捉えていた。彼女たちの足取りは重く、互いに肩を貸し合いながら、雪に膝まで沈み込んで進んでいる。
時折、風が強く吹き、姿が一瞬白い渦に飲み込まれる。
それでも、二人は倒れず、声を掛け合いながら、ゆっくりと前へ、前へ。
ハリエットは双眼鏡を下ろさず、淡々と呟いた。
「……まだ、立っていますね」
隣に立つケイトが、震える声で尋ねる。
「ハリィちゃん……本当に、助けに行かないの?」
ハリエットは視線をレンズに戻したまま、静かに答えた。
「成長に繋がらないから」
ケイトの目が見開かれる。
「え……?」
「ドロテア様が仰ったわ。『今回の主役はプレ・クラス-Aの皆様』って。私たちが手を貸せば、それは彼女たちの『成功』ではなく、私たちの『介入』になる。彼女たちが自分で這い上がってこなければ、正式チームへの昇格に値しない」
双眼鏡越しに、リュシーがノエルを背負い直す姿が見えた。
リュシーの口が動いている。
きっと、いつものように「Fuck You」か「しゃあねえな」と毒づいているのだろう。
ハリエットは小さく息を吐いた。
「……あの子たちは、吹雪の中で『置いてきた』と言いながらも、決して諦めない。
それが、プレ・クラス-Aの底力ですよ」
ケイトは唇を噛み、窓ガラスに額を押しつけた。
「でも……もし、死んだら……」
「死なないわ」
ハリエットの声は、氷のように冷たく、しかし確信に満ちていた。
「リュシー・ムーアクロフトは、ドロテア様が認めた人間よ。彼女が死ぬなら、それはドロテア様の『見立て』が間違っていたということ。……そんなことは、ありえない」
双眼鏡をゆっくりと下ろし、ハリエットはケイトの方を向いた。
「私たちは見守るだけ。彼女たちが自分で這い上がってくるのを、ただ待つ。それが、今の彼女たちに必要な『試練』だから」
外では、まだ雪が降り続けている。
遠くの斜面で、二つの小さな影は、微かに、しかし確実に動いていた。
ハリエットは再び双眼鏡を目に当て、静かに微笑んだ。
「……がんばりなさい、ジュリー。ノエル。ラウラ。あなたたちの『正式チーム』への道は、まだ終わっていないわ」
カークランドハウスの暖かな灯りは、吹雪の向こうにいる仲間たちを、ただ静かに照らし続けていた。
救助のヘリコプターも、無線も、ランエボのエンジン音も、今日は鳴らない。
ただ、見守るだけ。
それが、彼女たちに与えられた最後の、最大の優しさだった。
カークランドハウスの大広間から少し離れた、壁の裏側に隠された映画投影用ブース。
薄暗い部屋の中、ドロテアは一人、革張りのアームチェアに深く腰を沈めていた。
スクリーンに映るのは、1940年のモノクロ映像――チャールズ・チャップリンの『独裁者』。
スクリーンでは、ヒンケル総統(チャップリンが演じる独裁者)が、理髪店でアドルフ・ヒトラーを模した男と無言のバーバーシーンを繰り広げている。
鏡の向こうで互いの顔を剃り合い、剃刀を喉元に近づけ、笑顔を浮かべながらも殺意を隠しきれないあの有名な場面。
ドロテアは扇を膝の上に置き、静かに映像を見つめていた。
表情は穏やかだが、瞳の奥には微かな揺らめきがある。
「ふふ……やはり、素晴らしいわ」
彼女は小さく呟いた。
スクリーンの中のチャップリンが、独裁者の風刺を極限まで突き詰めながら、最後に「人間は自由であるべきだ」と叫ぶ有名な演説シーンへ移る頃、ドロテアはゆっくりと扇を開いた。
「この映画をこのログハウスに置いたのは、私の祖父ですの。『ベルクホーフ』を模したこの場所で、ヒトラーを笑い飛ばす――皮肉な選択ですわよね」
彼女の声は独り言のように静かだったが、部屋の隅に置かれた古い映写機の音だけが、かすかに響く。
映像が終わり、スクリーンが暗転した瞬間、ドロテアは立ち上がり、扇で軽く口元を隠した。
「プレ・クラス-Aの皆様……あなたたちは、独裁者のような権力ではなく、チャップリンのように、笑いと自由を求めて山に挑んでいる。だからこそ、私はあなたたちを信じているのですわ」
彼女はブースの扉を開け、暖かな灯りが差し込む大広間へ戻った。
外ではまだ雪が降り続き、吹雪の向こうで仲間たちが必死に進んでいるはずだ。
ドロテアは優雅に扇を閉じ、静かに微笑んだ。
「さあ……もう少し、見守らせていただきますわ。あなたたちの『自由』が、この雪山でどう輝くのかを」
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、ログハウスにチャップリンの最後の演説の余韻が、かすかに残っていた。
それは、独裁者の影を嘲笑う、静かな希望の響きだった。
カークランドハウスの中は、吹雪の音が遠く響く静かな空間だった。
心香は皆が外へ出た後、ログハウスの大広間をゆっくりと歩き回っていた。
足の古傷が疼くが、じっとしているよりは動いていた方が気が紛れる。
彼女は壁に並ぶ古い本棚や、暖炉の上の装飾品を眺めながら、ふと違和感を覚えた。
「この壁……少し、ずれている?」
心香は本棚の端に手をかけ、軽く押してみた。
すると、鈍い音と共に本棚がスライドし、隠された扉が現れた。
鍵はかかっていない。
ただ、埃っぽい空気が流れ出し、奥から冷たい金属の匂いが漂ってきた。
「……これは」
彼女はゆっくりと中へ足を踏み入れる。
薄暗い通路を抜けると、そこは広大な地下ガレージだった。
天井の蛍光灯がぱちぱちと点灯し、整然と並ぶ11台のクルマが姿を現す。
ランサーエボリューションⅠからⅩ、そしてファイナルエディション。
それぞれが埃一つなく磨き上げられ、ボディはまるで眠る獣のように静かに光を反射している。
ランエボⅢの黒いライン、Ⅳのエアロ、Ⅴの攻撃的なフォルム……そして最後のファイナルエディションは、記念プレートが誇らしげに輝いていた。
心香は息を呑み、ゆっくりと一台一台を眺め回した。
「こんなに……揃ってるなんて……」
彼女はランエボⅢのボンネットにそっと手を置く。
冷たい金属の感触が、指先に伝わる。
このクルマがハリエットに吹雪の中を駆け抜け、仲間を救い出したことを思い出す。
「ドロテア様のコレクション……いえ、家族の遺産、なのかしら」
心香は壁に貼られた小さなプレートに目を留めた。
そこには古い文字でこう刻まれていた。
「Carkland House Garage For the lineage of Evolution Never stop evolving」
彼女は小さく微笑んだ。
「……進化を止めない、か。プレ・クラス-Aも……私たちも、まだまだ進化の途中ね」
外では雪が降り続き、吹雪の向こうで仲間たちが試練に挑んでいるはずだ。
心香はガレージの灯りを背に、ゆっくりと隠し扉を閉めた。
「みんな、無事に帰ってきて。帰ってきたら……このクルマたちを、みんなで見たいわ」
扉が静かに閉まり、本棚が元の位置に戻る。
カークランドハウスは、再び静寂に包まれた。
しかし、心香の胸には、静かな決意が灯っていた。
仲間たちと共に、自分たちもまた、「進化」し続けるために。