【橘シェリー】
高校生。かつて怪力の魔法を持っていた元・魔法少女。
【遠野ハンナ】
高校生。かつて浮遊の魔法を持っていた元・魔法少女。
【ゴクチョー】
名目上はフクロウ。かつて牢屋敷の管理職を務めていた元・獄長代理。現在は魔女因子専門の対策組織に在籍。
【
ゴクチョーが人間社会に溶け込むために必要な飼い主役。
シェリーとハンナは、用意されたスーツケースを運びながら道路を歩いていた。
わざわざ徒歩で目的地に向かっているのは、ゴクチョーが【姿を見られたくない】と途中で車を止めたためだ。
勾配の少ない緩やかな下り道ではあったが水はけが悪く、水たまりを避けようと右に左にと歩いていたために、だいぶ時間がかかってしまっていた。
「ハンナさん、見えてきましたよ!」
「あれが【水晶の家】ですの? なんだか不気味な感じですわね」
二人の行く末に現れたのは、水晶とは縁もゆかりも無さそうな、三階建ての木造建築だった。
壁はそこら中が黒ずんでおり、窓はヒビ割れをテープで補修している。
屋上に見える鉄柵は、遠目にも錆びて歪んでいるのがわかる。
雲で覆われた空模様のせいもあるだろうが、なんとも活気のない有り様だ。
だが、何よりもハンナに不気味さを感じさせたのは、敷地を囲むようにそびえ立つ石塀だった。
高さは1メートル程度ではあったが、30センチ以上の厚みがあり、まるで中の者たちを閉じ込めているかのような、妙な威圧感があった。
「古い建物と、石の壁。まるで牢屋敷を思い出しますねー!」
シェリーが、ハンナの心の内を代弁するように言う。
ハンナはげんなりとした気持ちを溜め息に変えてはみたものの、それ以上の言葉を口にする気にはなれなかった。
「おや? 誰かいますよ」
石塀の中心部分が門扉になっており、二人の人物が言い争いをしていた。
片方は施設の子どもだと見て取れた。シェリーたちよりも一つ二つ年下と思われる、淡い赤髪の少女だった。
もう片方は外部の来客だろう。ブランド物の高級なスーツと、ふくよかで丸まった腹部が目立つ、小柄な男性。白髪交じりで後退した頭頂部から察するに、年齢は50は超えているように思えた。
そして門扉からやや離れた位置には、男性が乗ってきたと思われる自動車が停まっていた。
施設に背を向けているその自動車は、妙にテカテカとした鮮やかな黄色で、所々にへこみが目立つ、古い車種だった。
「帰ってください! 何をどうされたって、あたしたちは出ていきませんから!」
「うるせぇガキだなぁ……お前なんかどうだっていいんだよ。俺は施設長に会いに来たの。さっさと呼んできてくんない?」
彼らの険悪な雰囲気に、ハンナの足が止まる。
ただでさえ気乗りしない来訪なのに、あの中に割って入る勇気は無かった。
(シェリーさんなら何も気にせずに向かっていくのでしょうけど……)
隣にいる友人を頼ろうとして気づく。
シェリーは、落ち着かない様子で自動車の周りをうろついていた。
「……何をしてらっしゃいますの?」
「こ、これは……! ハンナさん、これは噂のアレですよ!」
「噂の……アレ?」
「はい! 【黄色のビートル】です!」
シェリーが目を輝かせながら言う。
「ご存知ありませんか!? 時計と麻酔針を組み合わせた発明家おじいさんの愛車として知られる車ですよ! ミステリーマニア垂涎の文化財! まさか本物にお目にかかれるなんて! すごいです!」
「お、落ち着きなさいませ! 恥ずかしいから、人様のお車をそんなにジロジロと見ないでくださいまし!」
「ちょっとくらい! ちょっと指紋をつけるくらい、いいですよね!? ね!?」
「ダメに決まってますわ! ていうか、その触り方はぜんぜんちょっとじゃねーですわ~!」
シェリーの右手が、握り込むようにサイドミラーへと向かっていく。
そして──
バキッ
「あ──」
気付いたときには、自動車から離れたサイドミラーが、シェリーの右手に乗っかっていた。
「…………」
「…………」
「ハンナさん、もしかして私が【怪力の魔法を取り戻した】と思ってませんか?」
「いや全然それどころじゃねーですわ」
「私はいつも通りの力で触っただけですよ? それなのにびっくりですよね。自動車のサイドミラーが、バッタの足みたいに簡単に取れちゃったんです」
「変な言い回しでごまかそうとしても無駄ですわ」
「本当なんですよ! 信じてください~!」
「とりあえず、その手に持ってる残骸を置けぇぇぇですわーーー!!」
二人の大声に気づいたのか、男性がこちらを向く。
そして一目散に駆けつけた。
「ああああああぁぁぁぁぁっ!! クソガキがぁぁぁぁぁっ!!」
「ごめんなさーい!」
「あ、あわわわ……わたくしは関係ねーですわ~!」
「70年代のヴィンテージだぞ! 海外から引っ張ってきた市場に出回ってないプレミア品! 修理に何百万かかるかわかってんのかぁぁぁっ!?」
鬼のような剣幕で男が怒鳴り続ける。
騒ぎを聞きつけたのか、建物の窓から顔を出す子どもたちもいた。
すると、入口から女性が一人、慌ただしく走ってきた。
「い、一体何の騒ぎなの!?」
「おい、施設長! 見ろ! おたくのガキが俺の車をぶっ壊したんだよ!」
「そんなー! そこまで酷く壊してはいませんよ!」
「シェリーさん、しっ!」
余計な一言で火に油を注ぎ込もうとするシェリーの口を、ハンナが咄嗟に塞ぐ。
どうやら現れたのは、この養護施設の施設長らしい。40代ほどと思われる中年の女性だった。
「これはおたくの監督責任だぞ!? きっちり請求してやるからな! ガキでも何でも働かせて金を作るか、さもなきゃここを売り払うかだ!」
「い、いえ……
「なんだと!? そんな適当な言い訳が通じると思ってるのか!?」
「こんな格好をした子どもがうちにいるわけないでしょう。きっと今日来るってお話のあったボランティアの高校生です。いえ、ボランティアの格好かも怪しいですが、ともかくうちの子ではありません!」
「っ……むうう!」
加々良と呼ばれた男も、施設長の話に納得せざるを得ないようだった。
わずかに悔しそうな素振りを見せながら、シェリーの方へ顔を戻す。
すると、シェリーはポンと手を叩きながら言った。
「もしかして、お金で解決できる話でしょうか? でしたら、こちらに請求していただけませんか?」
「あぁ? ……名刺? どこのだ?」
「私たちの保護者……いえ、【上の方】です。とにかくお金持ちなので、それくらいすぐに弁償してくれますよ!」
(ゴクチョーさんの名刺ですわ!? そんなもの渡して大丈夫なんですの!?)
加々良は苛立ちながら名刺に書かれた内容に目を通す。
「魔女因子……」
「えっ?」
加々良が呟いた一言に、シェリーは思わず声を上げる。
「何か知っているんですか!?」
「っ!! う、うるせぇ!」
一瞬、垣間見えた驚きの表情は怒りへと戻っていた。
加々良に投げ返された名刺が地面へ落ちていく。【魔女因子対策機関所属】の文字が泥に塗れていた。
彼はそのままサイドミラーの取れた愛車に乗り込み、エンジンをかける。
「クソが! よりによって──」
最後まで言い終える前に、自動車は急発進した。
法定速度を超過していると横目でもわかるほどの速度で、水たまりへと突っ込んでいく。
泥水の波がシェリーとハンナに叩きつけられた。
「ううー……ひどいですー!」
「シェリーさんに文句言う資格なんかねーですわよ……。結局サイドミラー、手に持ったままですし。泣きたいのは、巻き込まれただけのわたくしですわ~」
「これは着替えが必要ですねー」
先程まで横にいた施設長の姿は消えていた。
シェリーは仕方なく、入口に立っていた赤髪の少女へと話しかける。
「すみません、私たち今日からここを手伝うボランティアなんですけど、服を着替える場所までご案内していただけませんか?」
「……あ、あの……!」
少女は困った様子で、施設の方をじっと見つめていた。
怖がっているのだろうか、とハンナは、どう声をかけたらいいか考えていた。
すると少女は、意を決したように二人の方へ近づいてくる。
「か、風邪……引いちゃうかもしれないので。失礼します」
そう言って少女は、右手を濡れた箇所に掲げた。
──次の瞬間、信じられないことが起こる。
「ふ、服が……もう乾いていますわ!?」
びしょ濡れだった二人の衣服は、すっかりと水分が抜け落ちていた。
付着していた泥はそのままではあったが、濡れた布が肌に張り付く不快感は消え去っていた。
「ハンナさん、これって──」
物理法則を無視した不思議な力。
少女が目の前で披露したのは、確かに魔法だった。
それは同時に、この地が魔女スポットであるという揺るぎない事実を指していた。
「あの……あたしは
「うーん……」
シェリーは思わず言葉に詰まってしまった。
魔法を使う少女の存在、非常に有益な情報元を前にしながらも、攻めあぐねている状態だった。
「そ、そうですわね! 今日はちょーっと日差しが強いみたいですし、別に不思議なことなんてなーんにも起きていませんわ!」
「ハンナさん、急にどうしたんです? 日差しなんて見えませんよ?」
「わかってますわよ、このノンデリ女! あなたに代わって、空気を読んでやってるんでしょうが!」
「なんだ、そういうことでしたか! じゃあ私も! いやー、ずぶ濡れになったと思ったんですが、なんだか気のせいでしたねー!」
「なんだか周りにアピールしてる感が強すぎて胡散臭いですわね……」
「胡散臭いだなんてひどいですー! 私はちゃんと──」
バシャーン!
「……な、何事ですのー!?」
「気のせいだったと思ったら、今度はずぶ濡れになりましたねー」
どこからか飛んできた大量の水が、二人に覆いかぶさっていた。
その方向を見ると、水色の髪をした少女が、空っぽの大きなバケツを手にしてわなわなと震えていた。
「る、ルビちゃんに近づくな……部外者は帰れ!」
「ナッちゃん! お客様になんてことするの!? 謝りなさい!」
「あたしは悪くない! ルビちゃんこそ何を考えてるの!? こんな怪しい格好の奴ら、何を考えてるかわかったもんじゃない!」
「本当にごめんなさい! ナッちゃんがひどいこと……えっと……!」
「いえいえ、お気になさらず! 悪いのは、こんな怪しい格好をさせた【上の方】ですから!」
「そうですわ! こんな格好でボランティアなんて無茶振りにも程がありますわ!」
シェリーとハンナは改めて自己紹介をした。
念の為に学生証を持ってきていたおかげで、【高校生】という部分だけはなんとか証明することができた。
シェリーとしては【探偵】という肩書きだけは譲れなかったようで、少々てこずることになってしまったが。
「改めまして、私は毬山ルビー。この子は
「…………ふん」
ナッツはまだ警戒しているのか、ルビーの後ろに隠れるように立っている。
「年長者は、あたしとナッちゃんの他にも二人いて……。あ、噂をすれば」
ルビーが手を降る先からは、緑色の髪をしたメガネの少女がやってくる。
「あら、あなたたちがボランティアの人かしら? ママがタオルの準備してるわ。案内するように頼まれたの。
リシアは、じろじろと観察するような視線をシェリーたちに向ける。
「それで、本当の目的は何かしら?」
「なっ!?」
思わず、ハンナは上ずった声を出してしまう。
リシアの眼鏡の奥で、細い目つきが光っていた。
シェリーは平常時の口調で聞き返す。
「本当の目的が他にあると? どうしてそう思ったんですか、リシアさん? 探偵として気になります!」
「さぁ? なんとなく思っただけよ。あなたたちが【トリガーを引く】んじゃないかって……ね。私、悪い噂とか好きだから。くすくす……」
「もう、リシアちゃん! あまり人をからかわないの!」
ルビーが困ったような顔で優しく言い聞かせる。
そこに、今度は茶色の髪をした長身の少女が現れた。
「あっ! ローネちゃん!」
「なんだい、新しい入所者かい? あたいは
「ローネちゃん、今日もバイト?」
「そんなところさ」
ローネはぶらぶらと手を振りながら歩いていく。
そしてシェリーとすれ違ったとき──!
「これ以上の命は保証できないよ」
「っ!?」
「潰れる前に出ていくこったね」
「あの、それって──」
思わず振り向いたシェリーの声は、ローネには届いていないようだった。
「シェリーさん? いま何を話しかけられてましたの?」
「……ハンナさん。これはどうやら予想以上ですよ」
「はい?」
シェリーの言葉の意図がわからず、ハンナは思わず聞き返す。
(いいえ、この場合は【期待以上】ですね! 私の名探偵センサーがピコーンと反応しています! この魔女スポット、何か事件が起きる予感がしてきました!)
(うう……なんだか猛烈に嫌な予感が。シェリーさんのこの顔は、たいてい不謹慎な考えに浸っているときの顔ですわ~!)