『あなた』がスタレキャラと仲良く(意味深)なっちゃった! 作:ザワザワする人
黄泉は、あなたの声を雨粒に似ていると思ったことがある。
静かな雨ではない。
傘の上で跳ね、石畳で弾け、葉の先から転がり落ちる、落ち着きのない雨粒だ。
少し騒がしい。
けれど不思議と、耳障りではない。
あなたは、そういう人だった。
「黄泉ー!そっち違うぞー!」
前方から声がした。
黄泉は足を止める。
路地の先で、彼が両手を振っている。
その後ろには、さきほども見た赤い看板があった。
黄泉はしばらく看板を見つめた。
「……雨の後の道は、景色を変える。見知ったものも、別の夢のように見えるものだ」
「今日、めちゃくちゃ晴れてるけど?」
「……」
「はい、迷子ポイント一点追加!」
あなたは底抜けに明るく笑った。
黄泉は否定しなかった。
否定すれば、あなたはさらに嬉しそうに笑う。
それをもう、数え切れない程に学んでいた。
「俺がいないと黄泉、銀河の端まで歩いていきそうだな」
「銀河の端にも、道はある」
「かっこよく誤魔化した!」
あなたは笑いながら黄泉の隣へ戻ってくる。
当然のように歩幅を合わせ、当然のように喋り続けた。
今日の空の色。
昼に食べる予定のもの。
路地裏で見かけた妙に威厳のある猫。
黄泉が同じ通りを二度通ったこと。
いや三度目かもしれないという疑惑。
あなたの話すことは、どれも些細だった。
黄泉が長く歩いてきた道には、そうした些細なものが少なかった。
その隣であなたは、何でもないものに名前をつける。
「なあ黄泉」
「なんだ」
「今の沈黙、ちょっと悔しい時の沈黙だろ」
「沈黙に種類があるのか……?」
「あるって。黄泉の沈黙、めちゃくちゃ種類あるぞ。怒ってる沈黙、呆れてる沈黙、迷子がバレた時の沈黙」
「……」
「それそれ!」
あなたは勝ち誇ったように笑った。
黄泉は目を伏せる。
その声は、晴れた日の水たまりに落ちる光のようだった。
そこにあると、足元の影まで見えてしまう。
見ないふりをしていたものまで、淡く照らしてしまう。
だから、黄泉は明るいものが得意ではなかった。
灯りはいずれ消える。
花はいずれ散る。
夢はいずれ覚める。
それを知っているから、近づきすぎるべきではないと分かっていた。
けれどあなたは、そうした距離を測らない。
黄泉の静かな道へ勝手に入り込み、勝手に前を歩き、勝手に手を引いていく。
「黄泉、昼飯どうする?」
「任せる」
「出た~黄泉の任せる。これ一番困るやつな。じゃあ俺が選んだらちゃんと食べる?」
「食べられるものなら」
「大丈夫、俺の食への信頼度を舐めるなよ。昨日の串焼きも当たりだっただろ」
「あれは、少し辛かった」
「黄泉が少しって言う時、だいたいかなりだよな。ごめん、次から辛さ控えめにする」
「謝るほどではない」
「じゃあ反省だけする」
「反省はするのか」
「する。俺は成長する明るい男だからな」
黄泉はあなたを見る。
あなたは胸を張っていた。
何をそんなに誇ることがあるのか、黄泉にはよく分からない。
けれど、そうして笑うあなたを見ると、胸の奥に降り積もった静けさが少しだけ動いた気がした。
「黄泉、今ちょっと笑った?」
「笑っていない」
「いや、笑った寄りの息だった」
「息にも分類があるのか……」
「黄泉観察日記に書いとく。『笑った寄りの息、確認』」
「書かなくていい」
「書く。これは歴史的発見だから」
「大げさだ」
「黄泉がちょっとでも笑ったら大事件だろ」
あなたは本気でそう言っているようだった。
黄泉は返事をしなかった。
けれど、その沈黙は先ほどまでとは少し違っていた。
あなたならきっと、また勝手に分類を増やすのだろう。
□
昼は、あなたが選んだ小さな店に入った。
通りに面した、開け放たれた窓のある店だった。
風が入り、布飾りが揺れ、隣の席では誰かが湯気の立つ碗を前に笑っている。
黄泉は窓際に座った。
彼は当然のように向かいに座り、注文票を見ながら目を輝かせた。
「よし、黄泉。作戦会議だ」
「食事に作戦が必要なのか」
「必要。これは大事だぞ。まず主食、次に甘いもの、最後に黄泉が食べられそうな辛くないやつ」
「私は辛いものが食べられないわけではない」
「昨日の沈黙、辛かった人の沈黙だった」
「……」
「ほら」
あなたは得意そうに笑った。
黄泉は少しだけ視線を逸らす。
注文した料理は、あなたが言った通り辛くなかった。
温かく、香りも穏やかで、雨の日に差した傘の内側のような安心感があった。
あなたは一口食べると、大げさに目を見開いた。
「うまい。十段階で十二」
「十を超えている」
「うまいものは超えるんだよ」
「物差しの意味がないのではないだろうか?」
「黄泉、正論で殴るのやめろ」
そう言いながら、あなたは笑う。
黄泉は静かに碗へ目を落とした。
あなたは食べ物に点数をつける。
道端の花にも、空の色にも、変な形の雲にも、見つけたものすべてに勝手な評価をつける。
黄泉には、それが少し不思議だった。
世界は常に過ぎ去っていく。
雨のように落ち、大地に帰り、やがて形を失う。
ならば、なぜそんな一瞬一瞬を拾い上げようとするのか。
そう問うたことがある。
あなたは、その時も明るく笑った。
「だって、黄泉が見落とすだろ」
それだけだった。
「黄泉はさ、遠くを見るのは得意だけど、足元の変な石とか、屋台の当たりメニューとか、猫の変顔とか見落とすじゃん」
「猫の変顔は、見落としても問題ない」
「ある。人生の損失」
「大きいのか」
「かなり」
あなたは真剣だった。
黄泉はその真剣さが、少しおかしかった。
「だから俺が見る」
あなたは言った。
「黄泉が遠くを見てる間、俺が近くを見る。で、面白いものがあったら教える」
「……そうか」
「そうそう。役割分担だな」
あなたは満足そうに頷く。
黄泉はしばらく黙っていた。
その沈黙にも、あなたは名前をつけなかった。
ただ、温かい茶を黄泉の前に押しやる。
「飲め。黄泉、放っておくと水分補給忘れそうだから」
「忘れない」
「じゃあ確認」
「……」
「はい、飲んだ。えらい」
「子供扱いするな」
「じゃあ大人扱いで褒める。素晴らしい判断です、黄泉さん」
「余計におかしい」
あなたはけらけら笑った。
黄泉は茶を飲む。
温かかった。
□
食事の後、あなたは市場へ行きたいと言った。
黄泉は特に目的もなかったので、付き合った。
市場は騒がしかった。
布、果物、金属細工、古い本、香辛料。
色と匂いと声が、狭い通りに溢れている。
あなたはその中を楽しげに歩いた。
「あ、桃ある」
あなたはすぐに足を止めた。
黄泉も少し遅れて見る。
籠に並んだ桃は、薄く紅を差した雲のようだった。
あなたは一つ手に取る。
「黄泉、桃好きだろ」
「……嫌いではない」
「黄泉の嫌いではない、だいたい好きって意味だよな」
「そうとは限らない」
「じゃあ買う」
「聞いた意味は」
「黄泉の反応を見るため」
あなたはあっさりそう言って、桃を二つ買った。
市場の外れの石段に座り、あなたは桃を一つ黄泉へ渡す。
黄泉は受け取った。
「食べないのか?」
「食べる」
「今、桃見つめて詩を詠みそうな顔してたぞ」
「桃には、生命の喜びと甘さが凝縮されている」
「ほんとに詠み始めた」
あなたは笑う。
黄泉は桃を一口かじった。
甘さが広がる。
淡く、脆く、すぐに消える甘さ。
だからこそ、舌に残る。
あなたは黄泉の顔を覗き込んだ。
「どう?」
「……甘い」
「点数は?」
「点数はつけない」
「じゃあ俺がつける。十段階で二十」
「二倍…だな」
「桃だからな」
理由になっていなかった。
けれど黄泉は、それを指摘しなかった。
あなたは黄泉が何も言わないのを勝手に了承と受け取り、満足そうに桃をかじる。
「あー、うまい。黄泉と食べるとさらにうまいな」
黄泉は手を止めた。
あなたは何でもないように言った。
あまりにも自然に。
まるで空が青いと言うのと同じ調子で。
「軽々しく言うものではない」
「軽くないぞ。桃くらい重い」
「……それは軽い方ではないのか」
「黄泉がツッコんだ。勝ち」
あなたはまた笑う。
黄泉は目を伏せた。
どうしてこの人は、こうも簡単に言葉を置いていくのだろう。
黄泉が拾う前に。
意味を測る前に。
恐れる前に。
あなたは次の言葉を置く。
「黄泉」
「なんだ」
「俺、こういう日好きだわ」
「こういう日?」
「特に何も起きない日。道に迷って、飯食って、桃食って、黄泉がちょっと困る日」
「私は困っていない」
「今困ってる」
黄泉は黙った。
あなたは得意げに笑う。
「ほら」
「……あなたは、よく見る」
「黄泉限定でな」
「なぜ」
「面白いから」
「……」
「あ、今ちょっと怒った?」
「怒っていない」
「じゃあ照れた?」
黄泉は桃を食べる。
あなたは大笑いした。
その笑い声は、市場の喧騒の中でもよく聞こえた。
黄泉はそれを聞きながら、桃の甘さをもう一度噛みしめた。
消えてしまった時の悔しさは、どうにもできない。
だからこそ、甘いものは少し怖い。
けれどその時の黄泉は、まだ知らなかった。
この何でもない日の明るさが、後にどれほど鋭い刃になるのかを。
□
夕方、二人は街外れへ出た。
市場の騒がしさが遠ざかり、道は少しずつ静かになる。
空は朱に染まり、古い壁の影が長く伸びていた。
あなたは黄泉の少し前を歩いていた。
時々振り返り、ちゃんとついてきているか確認する。
黄泉が道を見ていないと気づくと、大げさに指を振った。
「黄泉、今から俺が大事なことを言う」
「なんだ」
「この角、右」
「覚えている」
「ほんとに?」
「……おそらく」
「おそらくって言った!」
あなたは嬉しそうに笑う。
「よし、じゃあ今後この街では俺が公式案内役な」
「公式とは、誰が決めた」
「俺」
「効力が薄い」
「黄泉が承認すれば強くなる」
「承認していない」
「保留だな。実質前向き」
黄泉は小さく息を吐いた。
その時、遠くで怒号が聞こえた。
あなたの笑顔が止まる。
街外れの倉庫区。
煙が上がっていた。
誰かが叫んでいる。
金属のぶつかる音。
銃声。
彼は眉をひそめた。
「……揉め事?」
「下がっていろ」
黄泉は刀へ手をかける。
あなたは即座に頷いた。
「了解。俺は全力で下がりながら応援する」
「応援は不要だ」
「じゃあ実況もなし?」
「なしだ」
「厳しい」
そう言いながらも、あなたは黄泉の邪魔にならない位置まで下がった。
黄泉は前へ進む。
争いは大きなものではなかった。
追い詰められた者たちが、恐怖と焦りのまま武器を振るっている。
命を奪うためというより、逃げ道を作るための暴力だった。
黄泉は刃を抜いた。
刀を持っている以上、何かを斬ることは避けられない。
だが、斬るものは選べる。
戦いはすぐに終わった。
最後の一人が崩れ落ち、武器を落とす。
煙が薄れていく。
「終わった?」
あなたが少し離れた場所から声をかけた。
「まだ動かない方がいいだろう」
「はいはい。黄泉先生、警戒が堅い」
あなたは冗談めかして言った。
その時だった。
瓦礫の下から、かすかな金属音がした。
黄泉が振り向く。
倒れていた男の指が、震えながら銃の引き金にかかっていた。
狙いなどなかった。
恐怖に押された、ただの反射。
乾いた音が鳴る。
黄泉の刃は動いていた。
けれど、ほんの少し遅かった。
弾は黄泉の横を抜けた。
あなたの胸で、赤い花が開いた。
□
あなたは自分の胸を見下ろした。
「……え、俺?」
それだけ言って、笑おうとした。
身体が傾く。
黄泉は倒れる前に抱き留めた。
傷を押さえる。
血が止まらない。
「黄泉」
「喋るな」
「いや……これ、結構まずいやつ?」
黄泉は答えなかった。
あなたはその沈黙で理解した。
「そっか」
声が少しだけ震えた。
それでもあなたは笑った。
「流れ弾って……かっこ悪いなあ」
「そんなことはない」
「じゃあ、案内役としては?」
「……あなたは、よく道を見ていた」
「褒め方、黄泉っぽいな」
あなたは小さく息を吐く。
黄泉の手を、弱く握った。
「次、迷ったらさ」
「迷わない」
「嘘だ」
あなたは笑った。
「俺のせいにしていいぞ。案内役が悪かったって」
「あなたは、もう案内できない」
言ってしまってから、黄泉は息を呑んだ。
あなたは少し寂しそうに笑った。
「うん」
短い返事。
「でも……前で手、振ってるつもりでいる」
黄泉の指が震える。
「見えない」
「黄泉なら……覚えてるだろ」
あなたの目の光が薄くなる。
黄泉はあなたの名を呼んだ。
あなたは安心したように笑った。
「うん……ちゃんと、俺だ」
それが最後だった。
手から力が抜ける。
呼吸が止まる。
黄泉の掌には、まだあなたの血の熱だけが残っていた。
空は晴れていた。
雨など、どこにも降っていなかった。
□
彼の墓には、桃を置いた。
街外れの小さな丘だった。
遠くに市場の屋根が見え、晴れた日には、少しだけ人の声が届く場所だった。
黄泉は墓前に立つ。
「あなたなら、点数をつけただろうな」
返事はない。
「十段階で、二十点と」
返事はない。
黄泉はしばらく桃を見つめた。
甘いものは、いつも脆い。
手の中にある間は確かにそこにあるのに、失われた後の悔しさだけは、どうにもならない。
「……次に再会する時は、晴れていることを願おう」
そう言って、黄泉は再び歩き出した。
□
しばらくして、黄泉はまた道を間違えた。
石畳の通り。
赤い看板。
晴れた空。
見覚えがあった。
一度通ったのかもしれない。
二度目かもしれない。
あるいは、ただ似た景色なのかもしれない。
黄泉は足を止めた。
前方には誰もいない。
両手を振る人影もない。
「そっち違うぞ」と笑う声もない。
迷子ポイントを数える声もない。
黄泉は静かに目を伏せる。
「……迷ってはいない」
返事はなかった。
当然だ。
あなたはもういない。
分かっている。
分かっているのに、黄泉は少しだけ待ってしまった。
角の向こうから、あなたが顔を出すのを。
底抜けに明るく笑って、また黄泉をからかうのを。
けれど、道は静かなままだった。
たった一人の声が消えただけで、世界はこんなにも広くなる。
黄泉は歩き出す。
一人分だけの足音が、石畳に落ちる。
後ろに道はない。
前にも、あなたはいない。
それでも黄泉は、角を曲がる前にほんの少しだけ立ち止まった。
そして、誰もいない前方へ向けて小さく呟く。
「……案内を頼む」
返事はない。
けれど黄泉は、もう一度だけ歩き出した。
晴れた日の下で。
胸の内にだけ、雨を降らせたまま。