『あなた』がスタレキャラと仲良く(意味深)なっちゃった!   作:ザワザワする人

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全てのリクエストをぶち飛ばし書かせていただきました。
水着が良すぎるんじゃぁ!!



ロビン

 

拍手の残響は、いつだって少し遅れて胸に届く。

 

グランドシアターの幕が下りたあと、観客席に満ちていた歓声は夢泡のようにほどけ、黄金の照明もゆっくりと眠りにつく。

華やかな舞台の上に残されるのは、熱狂の名残と、誰にも聴かれなくなった沈黙だけだった。

 

あなたは、その沈黙が嫌いではなかった。

 

黒と白の並びは、いつ見ても整然としている。オーク家の紋章が刻まれた特注のピアノは、今夜もロビンの歌声を支えきったあとで、静かに呼吸をしているように見えた。

 

指先を置く。

 

音は鳴らさない。

 

ただ、そこにある冷たさを確かめる。

 

「……やっぱり、まだ残ってる」

 

背後から声がした。

 

振り返らなくても分かる。あの声だけは、どれだけの歓声に紛れていても聴き違えない。

 

ロビンは舞台袖の影から歩いてきた。

 

きらめく衣装の裾が床を撫でるたび、星屑を零しているみたいだった。

 

さっきまで銀河中の視線を一身に浴びていた歌姫は、今は少しだけ肩の力を抜いて、あなたの隣へと近づいてくる。

 

「私の声が、まだこの子の中に残ってる気がするの」

 

ロビンはピアノを見つめて、穏やかに微笑んだ。

 

あなたは小さく息を吐き、ようやく鍵盤から指を離す。

 

「残ってるよ。それと、最後の高音が少し震えてた」

 

「……気づいた?」

 

「気づくに決まってる。何年、君の歌に合わせて弾いてると思ってるんだ」

 

ロビンは困ったように笑った。

 

その笑顔は、舞台の上で見せる完璧なものとは少し違う。観客のための微笑みではなく、昔からあなたが知っている、ほんの少しだけ弱さを含んだ笑い方だった。

 

オーク家の屋敷に来たばかりの頃、ロビンはよく夜中に練習室へ忍び込んでいた。

 

まだ幼かった彼女は、自分の声が大きすぎることを恐れていた。美しいと言われるたびに、期待の重さで喉を塞がれそうになっていた。そんな夜、あなたは決まってピアノの前に座り、彼女が歌い出すより先に伴奏を始めた。

 

歌わなくてもいい。

 

泣いてもいい。

 

ただ、ここにいていい。

 

そう伝えるための音を、あなたは何度も弾いた。

 

今ではロビンの名は銀河に届き、あなたの名前はチラシの下の方に小さく載るだけになった。

それでも、彼女が歌い出す直前にほんの少しだけこちらを見る癖は、あの頃から変わっていない。

 

「今日は無理してた?」

 

あなたが尋ねると、ロビンは少し間を置いた。

 

「無理、というほどではないわ。ただ……聴いてくれる人が増えるほど、私の歌が私だけのものではなくなっていく気がして」

 

彼女の声は静かだった。

 

「嬉しいの。本当に。誰かの心に届くことは、私が望んだことだから。でも時々、どこまでが私の願いで、どこからがファミリーの望みなのか、分からなくなる」

 

天井に吊るされた照明が、かすかに揺れていた。

 

あなたは何も言わず、低い音をひとつ鳴らした。

 

柔らかく、深く、夜の底に沈むような音。

 

ロビンはそれを聴いて、ゆっくりと目を閉じる。

 

「……懐かしい」

 

「君が泣きそうな時に弾く音だから」

 

「そんな顔をしていた?」

 

「舞台ではしてなかった。でも、袖に戻ってきた時に」

 

「あなたには、隠せないのね」

 

「隠す必要もない」

 

そう言うと、ロビンは少し驚いたようにあなたを見た。

 

あなたは譜面台に置かれた楽譜を閉じる。そこには今夜の演目がきっちり書き込まれている。強弱、テンポ、ブレスの位置、照明との合わせ。完璧な舞台を作るための指示が、余白まで埋め尽くしている。

 

けれど今、あなたが弾きたい曲はそこにはない。

 

「一曲、弾こうか」

 

「今から?」

 

「観客はいない。ファミリーの監督もいない。君が歌っても歌わなくてもいい」

 

ロビンはしばらく黙っていた。

 

やがて彼女は、舞台中央ではなく、ピアノのすぐそばに立った。観客に向かう位置ではない。あなたひとりに声が届く距離だった。

 

「それなら、お願い」

 

あなたは頷き、鍵盤に指を置いた。

 

最初の旋律は、昔と同じだった。

 

幼いロビンが眠れない夜に、あなたが何度も弾いた子守歌。

オーク家の広すぎる屋敷で、ふたりだけが知っていた小さな秘密。豪奢な調度品も、厳格な規律も、期待も称賛も届かない場所で交わした、名前のない約束。

 

ロビンの唇が、そっと開く。

 

歌声は舞台の時よりもずっと小さい。

 

けれど、その声はどんな喝采よりも近く、どんなスポットライトよりも眩しかった。

 

あなたの指が旋律を支える。

 

彼女の声がその上を飛ぶ。

 

それは銀河に向けた歌ではなかった。ファミリーのための歌でも、夢境を彩るための歌でもない。

 

ただ、ロビンがロビンでいるための歌だった。

 

曲が終わるまで、ふたりは一度も言葉を交わさなかった。

 

最後の音が消えたあと、ロビンは静かに息を吸った。

 

「……ねえ」

 

「うん」

 

「もし私が、舞台から遠く離れた場所で歌いたいと言ったら……あなたは、伴奏してくれる?」

 

問いかけは小さかった。

 

けれど、その奥にある覚悟は、あなたにも分かった。

 

あなたは鍵盤から手を離し、彼女を見る。

 

ロビンの瞳には、ステージライトではない光が宿っていた。誰かに与えられた輝きではなく、自分の足で夜を歩こうとする光が。

 

「どこへ行っても弾くよ」

 

あなたは答える。

 

「君が歌うなら、僕の音はそこにいる」

 

ロビンは一瞬だけ泣きそうな顔をして、それから、舞台の上では決して見せないほど柔らかく笑った。

 

「ありがとう」

 

その言葉に、あなたは返事をしなかった。

 

代わりに、もう一度だけ短い旋律を弾く。

 

それは幼い頃から決まっている、ふたりだけの合図だった。

 

――大丈夫。

 

――ここにいる。

 

ロビンはその音を聴いて、小さく頷いた。

 

遠くで、夢境の夜が明けようとしていた。

黄金の時刻はまだ終わらない。けれどその片隅で、誰にも知られない新しい曲が、静かに生まれようとしていた。

 

 

 

 

 

 

その日は、空だけがやけに青かった。

 

砕けた校舎の壁。瓦礫の残る通学路。仮設の柵に吊るされた、子どもたちの絵。青い鳥、星、花、家族、そして歌うロビン。どれも線は拙く、色ははみ出していたけれど、そこには確かに明日を信じたい気持ちがあった。

 

ロビンは校庭の中央に立っていた。

 

豪奢な舞台衣装ではなく、風に揺れる簡素な白いドレス。首元には淡いリボンが結ばれている。ピノコニーの劇場で浴びる黄金の照明も、完璧な音響設備も、夢のような演出もない。

 

それでも彼女は、どこに立っても銀河一の歌手だった。

 

あなたは講堂の入り口近くに置かれた、古いアップライトピアノの前に座っていた。

 

鍵盤は重く、低音の響きは濁り、いくつかの音は押した瞬間にわずかに沈んだまま戻りが遅れる。調律もずれていて、並みの演奏者なら最初の数小節で顔をしかめるような代物だった。

 

けれど、あなたにとってそれは演奏できない理由にはならない。

 

鳴らない音は避ける。

濁る低音は深く踏み込まず、代わりに中音で厚みを作る。

戻りの悪い鍵盤には、旋律の重さを預けない。

狂った音程すら、和音の影に紛れ込ませれば、ほんの少しだけ哀しみを帯びた響きになる。

 

壊れかけの楽器を、無理に正しい音へ戻そうとはしない。

 

壊れたまま、歌える場所に変える。

 

それが、あなたの腕だった。

 

そして、そこにロビンの声が重なる。

 

不完全なピアノの隙間を、彼女の歌声が光の糸のように縫っていく。あなたが拾い、支え、整えた音の上で、ロビンは迷わず羽ばたく。

 

豪奢な劇場も、完璧な音響もない。

 

それでも、その瞬間だけは、瓦礫の残る校庭が舞台になった。

 

ロビンの歌が人々を見上げさせ、あなたの伴奏がその歌の足場を作る。

 

どちらか片方では、きっと届かなかった。

 

二人の音だから、届いていた。

 

子どもたちは、息をするのも忘れたようにロビンを見上げている。疲れ切った大人たちも、壁にもたれたまま目を閉じ、彼女の声に身を預けていた。

 

泣いていた子が、少しだけ顔を上げる。

 

固く握られていた誰かの手が、ほどける。

 

ロビンはそれを見て、柔らかく微笑んだ。

 

その微笑みを見て、あなたはいつも誇らしくなる。

 

同時に、怖くもなる。

 

彼女の歌は、あまりにもまっすぐ人へ届いてしまう。届いてしまうからこそ、ロビンはいつも逃げ場をなくしていく。誰かが救われるたび、彼女は自分が傷つくことを後回しにしてしまう。

 

けれど、あなたは弾いた。

 

ロビンが歌うなら、自分は弾く。

 

昔から、そう決めていた。

 

彼女が息を吸う。

 

あなたはその呼吸に合わせて、次の和音を置いた。

 

その時だった。

 

乾いた音が、空を裂いた。

 

初弾。

 

ロビンの歌声が途切れた。

 

あなたの指は、一瞬だけ遅れて止まった。

 

何が起きたのか、すぐには分からなかった。遠くで何かが破裂したのかもしれない。まだこの土地に残る戦闘の残響かもしれない。頭のどこかが、そうやって無理に理由を探そうとした。

 

けれど、次の瞬間にはもう分かっていた。

 

ロビンが、首元を押さえていた。

 

白く細い指の隙間から、赤が滲んでいる。

 

彼女は驚いたように目を見開いていた。

 

痛みよりも、恐怖よりも先に、自分の歌が途切れたことを信じられないような顔だった。

 

校庭の時間が止まる。

 

誰も動けなかった。

 

風だけが、子どもたちの絵を揺らしていた。

 

それから、悲鳴が上がった。

 

あなたは鍵盤から手を離していた。

 

椅子が床を擦る音がした。誰かがあなたの名前を呼んだ気がした。伏せろという声も、避難しろという叫びも、子どもの泣き声も、全部がひどく遠かった。

 

ただ、彼女だけがはっきり見えていた。

 

彼女はまだ立っている。

 

立ったまま、息を吸おうとしている。

 

喉を震わせようとしている。

 

歌おうとしている。

 

声が出ないのに。

 

あなたは走り出した。

 

伴奏を捨てて。音楽を置き去りにして。

 

ロビンの方へ。

 

ロビンがこちらを見た。

 

その瞳が、わずかに揺れる。

 

来ないで。

 

声にならないまま、彼女はそう言っていた。

 

分かった。

 

分かってしまった。

 

けれど、止まれなかった。

 

ロビンは血の滲む首元を押さえながら、なおも子どもたちの方へ顔を向けようとしていた。

 

怯えないで、と伝えようとしていた。

 

自分が倒れたら、せっかく立ち上がりかけた希望まで崩れてしまうと、そんなことを考えている顔だった。

 

そんな顔を見て、伴奏者のままでいられるわけがなかった。

 

「ロビン!」

 

ようやく声が出た。

 

その瞬間、二発目が鳴った。

 

あなたの左肩に、熱が突き刺さった。

 

痛みより先に、衝撃が身体を弾いた。視界が傾く。踏み出した足がもつれ、あなたは校庭の土に膝をついた。

 

遅れて、焼けるような痛みが肩から腕へ走る。

 

息が詰まった。

 

左腕に力が入らない。指先の感覚が遠い。さっきまで自在に鍵盤を押さえていた手が、自分のものではなくなったようだった。

 

土を掴んだ右手に砂が食い込む。

 

肩から血が滴り落ちる。

 

その赤を見た瞬間、ロビンの顔が変わった。

 

今度こそ、彼女の表情から歌姫の仮面が剥がれ落ちた。

 

首元を押さえたまま、彼女はこちらへ踏み出そうとする。

 

「……っ」

 

声にはならない。

 

それでも、あなたの名を呼ぼうとしたのが分かった。

 

ロビンは喉を震わせた。けれど漏れたのは、掠れた息だけだった。

 

その事実に、彼女自身が怯えたように見えた。

 

歌えない。

 

呼べない。

 

届かない。

 

その恐怖が、彼女の瞳に広がっていく。

 

あなたは立とうとした。

 

左肩に激しい痛みが走り、身体が崩れる。

 

片膝をついたまま、右手だけで地面を押した。

 

視界の端が白く滲む。けれど、それよりもロビンの首元から滲む赤の方が、ずっと恐ろしかった。

 

「逃げろ……」

 

絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。

 

ロビンは首を振った。

 

音のない否定だった。

 

彼女は支援員に支えられながら、それでもあなたへ手を伸ばそうとしている。

 

それが、たまらなく苦しかった。

 

違う。

 

君がそんな顔をする必要はない。

 

君は今、自分のことだけ考えればいい。

 

そう言いたいのに、言葉にならない。

 

周囲では避難誘導が始まっていた。大人たちが子どもを抱え、校舎の陰へ走っていく。誰かが伏せろと叫んでいる。警備員の怒号が飛び、遠くでまた何かが割れる音がした。

 

けれどロビンは、その混乱の中であなたを見ていた。

 

歌えなくなった喉で。

血に濡れた指で。

それでも、何かを伝えようとしていた。

 

あなたは右手を伸ばした。

 

ロビンも、震える手を伸ばす。

 

指先が触れた。

 

たったそれだけで、彼女の瞳に涙が浮かんだ。

 

それは痛みの涙ではなかった。

 

たぶん、恐怖だけでもなかった。

 

自分の歌が途切れた。

あなたの伴奏も途切れた。

守りたかった子どもたちの前で、希望の形が崩れてしまった。

 

その全てを、ロビンは一瞬で背負ってしまったのだ。

 

彼女は唇を動かす。

 

声は出ない。

 

けれど、あなたには分かった。

 

ごめんなさい。

 

そう言っていた。

 

あなたは右手で彼女の指を握った。

 

強く。

 

違う。

 

謝るな。

 

君は何も悪くない。

 

今だけは、歌わなくていい。

 

今だけは、希望じゃなくていい。

 

そう伝えたかった。

 

けれど、あなたの指にも力が入りきらない。肩の痛みが波のように押し寄せ、呼吸をするたび傷口が焼ける。左腕は重く、冷たく、もう鍵盤の上で思い通りに動いていたものとは思えなかった。

 

ピアニストの肩。

 

歌姫の喉。

 

二人が持っていた音は、同じ空の下で撃ち抜かれた。

 

救護班が駆け寄ってくる。

 

誰かがロビンの首元を押さえた。別の誰かがあなたの肩に布を当てる。離されそうになった手を、ロビンが弱く握り返した。

 

その力は、あまりにも小さかった。

 

それでも彼女は離さなかった。

 

ロビンはまだ何かを言おうとしていた。

 

声の出ない喉で。

歌えない唇で。

それでも必死に、あなたへ何かを渡そうとしていた。

 

あなたは耳を澄ませる。

 

音はなかった。

 

けれど、その問いだけは聞こえた気がした。

 

 

また、歌えるかしら。

 

 

胸の奥が冷たくなる。

 

簡単に頷いていい問いではなかった。

大丈夫だと笑えるほど、傷は浅くなかった。

あなた自身の左肩だって、これまで通りピアノを弾けるのか分からない。

 

それでもあなたは、ロビンの手を握ったまま頷いた。

 

小さく。

 

震えながら。

 

嘘かもしれない。

願いでしかないかもしれない。

けれど今の彼女に渡せる音は、それしかなかった。

 

ロビンはその頷きを見て、ほんの少しだけ目を細めた。

 

笑おうとしたのだと、あなたは思った。

 

涙が一筋、頬を伝う。

 

次の瞬間、彼女の身体から力が抜けた。

 

支援員が慌てて彼女を抱える。あなたも誰かに肩を支えられ、後ろへ引かれる。

 

触れていた指先が離れる。

 

その感触が消えた時、あなたは初めて、自分の手が震えていることに気づいた。

 

校庭には、もう歌がなかった。

 

ピアノも鳴っていなかった。

 

ただ、さっきまでロビンが立っていた場所に、風だけが通り過ぎていく。

 

仮設の柵で、子どもたちの絵が揺れていた。

 

青い鳥。

 

星。

 

学校。

 

歌うロビン。

 

その絵の中の彼女だけが、まだ笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロビンは、一人で歌わなくなった。

 

それは公式に発表されたことではない。

 

「新しい音楽表現のため」

「より深い調和を届けるため」

「専属ピアニストとの共演形式を重視するため」

 

広報は、いくらでも美しい言葉を用意した。

 

実際、それは嘘ではなかった。

 

ロビンの歌は、以前より深くなった。

あなたのピアノも、以前より繊細になった。

ふたりの呼吸は、もはや合わせる必要すらないほど調和していた。

 

ロビンが息を吸う前に、あなたの指は和音を置く。

あなたの左肩がわずかに強張る前に、ロビンの声は旋律の重心を変える。

彼女の喉が乾く一瞬前に、あなたは間奏を伸ばす。

あなたの指が迷う夜には、ロビンが少しだけ長く音を抱く。

 

観客はそれを奇跡と呼んだ。

 

完璧な共鳴。

魂の伴奏。

歌姫とピアニストがたどり着いた、ひとつの究極形。

 

拍手はいつも鳴り止まなかった。

 

けれどあなたたちは知っていた。

 

それは完成ではない。

 

互いを支え合っているのではなく、互いがいなければ形を保てなくなっただけなのだと。

 

 

 

 

その夜、ピノコニーの大劇場は満席だった。

 

復帰から一年。

 

ロビンは変わらず美しかった。

 

首元には淡いリボンが巻かれている。傷痕はほとんど見えない。照明の下で微笑む彼女は、かつてと同じように銀河の歌姫だった。

 

あなたもまた、ピアノの前に座っていた。

 

左肩はもう問題なく動く。長時間の演奏にも耐えられる。医師からは完治に近いと言われている。

 

何も失っていない。

 

そう医者に言われるたびに、あなたは少しだけ笑った。

 

何も失っていないなら、どうして一人で弾く最初の一音が、あんなにも怖いのだろう。

 

ロビンも同じだった。

 

彼女はどんな舞台でも歌える。

声は戻った。

高音も出る。

調和の力を借りれば、かつてより遠くまで届く。

 

それなのに、あなたがいないリハーサルでは、二小節目で息が止まった。

 

誰にも言わなかった。

 

あなたも、誰にも言わなかった。

 

ただその日から、ロビンが立つ舞台には必ずピアノが置かれるようになった。

 

そして、あなた以外がその椅子に座ることはなかった。

 

 

 

 

開演前、控室でロビンは鏡を見ていた。

 

衣装係も、スタッフも、護衛も、すでに部屋を出ている。

 

あなたとロビンだけが残っていた。

 

「今日は、少し静かね」

 

ロビンが言った。

 

窓の向こうでは、観客のざわめきが波のように響いている。静かとはほど遠い。けれど彼女が言っているのは、外の音のことではないと分かっていた。

 

あなたは左肩を軽く回す。

 

「痛まないよ」

 

「……まだ何も聞いていないわ」

 

「顔に書いてあった」

 

ロビンは小さく笑った。

 

その笑い方も、変わった。

 

昔はもっと軽かった。

今は、笑う前に必ずあなたを確認する。

 

あなたが笑えるか。

あなたが痛がっていないか。

あなたが彼女の声を待っているか。

 

それを見てから、ロビンは笑う。

 

「あなたは?」

 

今度はあなたが尋ねた。

 

ロビンは首元のリボンに触れた。

 

「大丈夫」

 

「本当に?」

 

「あなたが弾いてくれるなら」

 

想像通りの答えだった。

 

そして、いちばん聞きたかった答えでもあった。

 

あなたはその事実に、少しだけ目を伏せる。

 

ロビンは立ち上がり、あなたの前まで歩いてきた。白い手袋に包まれた指が、あなたの左肩にそっと触れる。

 

「怖い?」

 

その問いに、あなたは嘘をつけなかった。

 

「怖いよ」

 

ロビンは頷いた。

 

「私も」

 

彼女は、まるでそれが嬉しいことのように微笑んだ。

 

「でも、一緒なら怖くないわ」

 

その言葉は美しかった。

 

美しすぎて、どこか間違っていた。

 

一緒なら怖くない。

 

本当はそうではない。

 

一緒なら、怖さを忘れられるだけ。

一緒なら、傷が疼いても音に変えられるだけ。

一緒なら、壊れていることを隠せるだけ。

 

けれど、あなたは訂正しなかった。

 

訂正できなかった。

 

ロビンがその言葉に縋っているのを知っていたから。

 

そして自分も、その言葉に縋っていたから。

 

 

 

 

 

 

舞台に出る直前、ロビンは必ずあなたの手を取るようになった。

 

ほんの一瞬。

 

誰にも見えない袖の暗がりで、指先だけを絡める。

 

それは約束だった。

 

生きている。

ここにいる。

歌える。

弾ける。

離れない。

 

その全部を、言葉にせず確かめる儀式だった。

 

今日も同じだった。

 

舞台監督が合図を出す。

 

歓声が高まる。

 

ロビンはあなたの手を握った。

 

少し冷たい手だった。

 

あなたは握り返す。

 

彼女の指に力が入る。

 

強すぎるほどだった。

 

「ロビン」

 

呼ぶと、彼女は顔を上げた。

 

「大丈夫」

 

あなたが言う。

 

その瞬間、彼女の表情がほどけた。

 

大丈夫という言葉そのものではない。

 

あなたがそう言ったこと。

あなたの声が震えていなかったこと。

あなたが彼女を見ていたこと。

 

それだけで、ロビンは息を吸えた。

 

「ええ」

 

彼女は微笑む。

 

「あなたも、大丈夫よ」

 

今度はあなたが息を吸う番だった。

 

 

 

 

舞台は暗闇から始まった。

 

先に響いたのは、ピアノだった。

 

一音目。

 

それは以前よりも静かな音だった。

 

けれど騒がしかった劇場全体が、その小さな響きに耳を澄ませた。

 

あなたの左手は迷わなかった。鍵盤の重みも、肩の感覚も、すべてがそこにある。けれど本当にあなたを支えていたのは身体ではない。

 

舞台中央で、ロビンが息を吸う気配。

 

それだけだった。

 

その気配がある限り、あなたは弾ける。

 

二音目。

 

三音目。

 

ロビンが歌い出した。

 

声は澄んでいた。

 

柔らかく、強く、そしてわずかに傷を含んでいた。

 

観客席のあちこちで、息を呑む音がする。

 

何人かはもう泣いていた。きっと彼らは、ロビンの声に希望を聴いている。

 

傷を越えた勇気を聴いている。折れずに立ち上がった歌姫の物語を聴いている。

 

間違ってはいない。

 

けれど、それだけではなかった。

 

ロビンの声は、あなたを探していた。

 

あなたのピアノは、ロビンを離さなかった。

 

一音ごとに確かめる。

 

いる?

 

いるよ。

 

怖い?

 

怖い。

 

それでも?

 

それでも。

 

観客には聞こえない会話が、旋律の底でずっと続いていた。

 

あなたたちはもう、音楽でしか正しく呼吸できなかった。

 

 

 

 

 

 

中盤の高音部で、ロビンの声がわずかに揺れた。

 

普通の観客なら気づかない程度だった。

 

けれどあなたには分かる。

 

喉ではない。

 

記憶だ。

 

あの日、銃声によって途切れた音域。

血の味。

声にならなかった呼び声。

伸ばした手が届く前に崩れた時間。

 

ロビンはそこへ近づくたび、今でも一瞬だけ怖がる。

 

あなたは伴奏を変えた。

 

楽譜にはない和音を、ほんの少しだけ厚くする。彼女が踏み外しても落ちないように。声が震えても、それを震えではなく祈りに変えられるように。

 

ロビンの目が、一瞬だけこちらを見る。

 

責めてはいなかった。

 

守られたことを恥じてもいなかった。

 

ただ、あなたがそこにいることを確認して、彼女は高音へ昇った。

 

その声は、美しかった。

 

美しすぎて、痛かった。

 

観客は涙した。

 

あなたは鍵盤を見つめたまま、奥歯を噛んだ。

 

ロビンの傷が美しいものとして受け取られていく。

あなたの恐怖が、彼女の歌を支える技術として昇華されていく。

 

それは救いだった。

 

同時に、逃げ場のない檻でもあった。

 

 

 

 

 

 

最後の曲が終わると、劇場は静まり返った。

 

ロビンの声が消える。

 

あなたのピアノも、最後の余韻を手放す。

 

数秒遅れて、拍手が爆発した。

 

立ち上がる観客。

 

泣きながら名前を呼ぶ人々。

 

ロビンは微笑んだ。

 

深く一礼する。

 

あなたもピアノの前で立ち上がり、礼をした。

 

完璧な終演だった。

 

誰もがそう思った。

 

けれど、袖に戻った瞬間、ロビンはあなたの手を掴んだ。

 

爪が食い込むほど強く。

 

あなたも、彼女の手を握り返していた。

 

どちらからともなく、暗い廊下の奥へ歩いた。

 

スタッフの声が背後から追ってくる。

 

「ロビン様、カーテンコールを」

「お二人とも、素晴らしい演奏でした」

「もう一度だけ、舞台へ」

 

ロビンは立ち止まらなかった。

 

あなたも振り返らなかった。

 

拍手がまだ聞こえている。

 

けれど二人の足は、控室へ向かっていた。

 

 

 

 

 

 

扉が閉まった瞬間、ロビンの膝が崩れた。

 

あなたは反射的に抱きとめる。

 

左肩に鈍い痛みが走った。

 

ロビンがそれに気づき、青ざめる。

 

「ごめんなさい」

 

「違う」

 

「でも」

 

「違うよ」

 

あなたは彼女を抱えたまま、床に座り込んだ。

 

ロビンは震えていた。

 

歌いきった身体の疲労ではない。

 

拍手を浴びた後の興奮でもない。

 

舞台の上で希望の象徴として立ち続けた反動だった。

 

「怖かった」

 

ロビンが言った。

 

「うん」

 

「途中で、声が出なくなるかと思った」

 

「うん」

 

「あなたがいなかったら……」

 

「うん」

 

あなたは彼女の背を撫でた。

 

ロビンはあなたの左肩に触れようとして、途中で手を止める。

 

「痛い?」

 

「少しだけ」

 

「嘘」

 

「少しより、少し多い」

 

「また、私のせいで」

 

「ロビン」

 

あなたは彼女の手を取った。

 

「それ以上言ったら、僕も同じことを言うよ」

 

ロビンは黙った。

 

分かっている。

 

あなたが何を言うか。

 

君が歌うから、自分は弾ける。

君が怖がるから、自分は必要でいられる。

君が壊れそうだから、そばにいる理由ができる。

 

それは優しさだけではなかった。

 

あなたは、ロビンに必要とされることに救われていた。

 

ロビンもまた、あなたに必要とされることで、壊れずに済んでいた。

 

「私たち」

 

ロビンが囁く。

 

「このままでいいのかしら」

 

本当なら、ここで言うべきだった。

 

よくない。

 

いつか一人でも歌えるようにならなければ。

いつか一人でも弾けるようにならなければ。

互いを支えにすることと、互いなしでは立てないことは違う。

 

正しい言葉はいくらでもあった。

 

けれど、あなたはそのどれも言わなかった。

 

言えば、ロビンが離れてしまう気がした。

 

そして何より、自分が離れられなかった。

 

「いいんじゃないかな」

 

あなたは言った。

 

ロビンの瞳が揺れる。

 

「本当に?」

 

「少なくとも、今夜は」

 

ずるい答えだった。

 

永遠を約束しない。

けれど、抜け出す道も示さない。

 

今日だけ。

今夜だけ。

次の舞台だけ。

次の一音だけ。

 

そうやって、二人はここまで来た。

 

そしてきっと、これからもそうやって続いていく。

 

ロビンはあなたの胸元に額を寄せた。

 

「明日も、弾いてくれる?」

 

「君が歌うなら」

 

「私が歌えなかったら?」

 

「その時は、歌えるまで」

 

「あなたが弾けなかったら?」

 

「君が歌ってくれたら、弾ける」

 

ロビンは泣きそうな顔で笑った。

 

「ひどいわね」

 

「うん」

 

「逃げ道がないわ」

 

「僕にもないよ」

 

「……それなのに、安心してしまうの」

 

「僕も」

 

その告白は、愛よりも重かった。

 

祈りよりも甘く、呪いよりも優しい。

 

 

 

 

 

 

それから、二人の公演形式は変わった。

 

ロビンは必ずあなたのピアノで歌う。

あなたは必ずロビンの声のために弾く。

 

ソロの依頼は完全に断るようになった。

 

理由はいくらでもあった。

 

準備期間が足りない。

表現の方向性が合わない。

体調を考慮したい。

今は二人での活動を大切にしたい。

 

周囲は惜しんだ。

 

けれど、誰も強くは止めなかった。

 

なぜなら二人で立つ舞台が、あまりにも美しかったから。

 

ロビンの歌は、あなたのピアノなしでは完成しない。

あなたのピアノは、ロビンの歌なしでは意味を持たない。

 

そう語られた。

 

美談になった。

 

伝説になった。

 

誰も知らない。

 

ロビンが本番前、あなたの手を握らなければ息を吸えないことを。

 

あなたが舞台に出る前、ロビンの声を聞かなければ左手を開けないことを。

 

ロビンが悪夢で声を失った夜、あなたが朝まで同じ和音を弾き続けることを。

 

あなたの肩が痛む夜、ロビンが歌わずに、ただ隣で呼吸を合わせてくれることを。

 

誰も知らない。

 

知らないまま、二人を称える。

 

理想の音楽家だと。

 

互いを高め合う、完璧な二人だと。

 

 

 

 

 

 

数回のコンサートの後。

 

ピノコニーの大劇場には、二人専用のピアノが置かれるようになった。

 

ロビンの立ち位置から、あなたの左肩が見える角度。

あなたの席から、ロビンの首元のリボンが見える距離。

どちらかが一瞬でも不安になれば、すぐに視線が合う配置。

 

それは舞台設計として、完璧だった。

 

あまりにも、二人のために作られすぎていた。

 

その夜も満席だった。

 

ロビンは舞台袖であなたの手を取る。

 

あなたは握り返す。

 

彼女の指は、もう震えていなかった。

 

あなたの左手も、もう冷たくなかった。

 

けれど、それは治ったからではない。

 

互いの存在に慣れすぎたからだ。

 

「行きましょう」

 

ロビンが言う。

 

「うん」

 

あなたは頷く。

 

「今日も、私を見ていて」

 

「ずっと見てる」

 

「今日も、私を離さないで」

 

「離さない」

 

「私も、あなたを離さないわ」

 

それは舞台へ向かう歌姫の言葉ではなかった。

 

祈りでもない。

 

誓いでもない。

 

もっと静かで、もっと深くて、もっと危ういもの。

 

二人は暗がりから光の中へ出る。

 

拍手が降る。

 

歓声が満ちる。

 

ロビンは微笑む。

 

あなたは鍵盤に指を置く。

 

最初の音が鳴る直前、ロビンがこちらを見る。

 

あなたも彼女を見る。

 

その一瞬、世界には二人しかいなかった。

 

観客も、劇場も、ピノコニーも、過去の銃声も、未来の不安も、すべて遠くなる。

 

ロビンは息を吸う。

 

あなたは鍵盤を押す。

 

歌が始まる。

 

それは美しかった。

 

誰もが涙するほどに。

 

けれど、その美しさの中心には、癒えきらなかった傷があった。

 

二人はもう、傷を治そうとはしなかった。

 

そこからしか音が鳴らないのだと、知ってしまったから。

 

ロビンはあなたの音でしか歌えない。

 

あなたはロビンの声でしか弾けない。

 

それを不幸と呼ぶには、あまりにも美しかった。

 

それを幸福と呼ぶには、あまりにも壊れていた。

 

だから二人は、どちらとも名付けなかった。

 

ただ、今日も舞台に立つ。

 

互いを命綱にして。

 

互いを檻にして。

 

互いを帰る場所にして。

 

拍手の中、ロビンの声が高く昇る。

 

あなたのピアノが、その足元を支える。

 

その姿は、銀河でもっとも美しい共鳴と呼ばれた。

 

そして二人だけが知っていた。

 

これは終着点ではない。

 

もう、降りられない場所なのだ。

 

 

 




この「あなた」はストーリーでロビンが死んだって聞いた時どうするんでしょうね。
一応ば~っと市民には広められてはないですけど、普通に気づきそうですよね。
ロビンに化けた花火にブチギレそうですね。

う~ん……まぁ自殺が安パイかな……。
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