『あなた』がスタレキャラと仲良く(意味深)なっちゃった! 作:ザワザワする人
放課後の教室には、夕焼けが斜めに差し込んでいた。
黒板の隅には、日直が消し忘れた数式が少しだけ残っている。窓際のカーテンは、ゆるく入ってくる風に揺れていた。部活へ向かう生徒たちの声が、廊下の向こうから少しずつ遠ざかっていく。
あなたが鞄に教科書をしまっていると、隣の席から妙に真剣な気配がした。
緋英が、机の上に漫画を広げている。
振袖と学生服を混ぜたような独特の制服姿。袖口には淡い模様が入っていて、普通のブレザーよりずっと華やかだ。頭の上では、兎のように長い狐耳がぴんと立っている。
その耳が、今はページをめくるたびに忙しなく揺れていた。
「緋英、まだ帰らないの?」
あなたが声をかけると、緋英はびくりと肩を跳ねさせた。
「な、なんじゃ。急に声をかけるでない。妾は今、青春の重大な真理を学んでおるところじゃ」
「また漫画?」
「またとはなんじゃ、またとは!マンガは人生の教科書なのじゃぞ!」
緋英は胸を張った。
その拍子に、長い狐耳がふわりと揺れる。
見た目だけなら、どこかの神社から抜け出してきた妖狐の姫君みたいなのに、手元にあるのは最新ヒット漫画。スマホケースには限定ショップのアクリルチャームまで付いている。
古風なのか現代っ子なのか、相変わらずよくわからない。
けれど、それが緋英らしかった。
あなたが立ち上がって机の横に回ると、緋英は漫画をぱたんと閉じた。
そして、やけに深刻な顔であなたを見上げる。
「汝」
「何?」
「幼馴染は、ダメなのじゃ」
「……何の話?」
「幼馴染は、ダメなのじゃ!!」
緋英の狐耳が、ぴんと立った。
教室に残っていた数人がちらっとこちらを見る。緋英は一瞬だけ口を閉じたが、すぐに小声で続けた。
「この漫画によれば、幼馴染という立場は非常に危うい。昔から隣におるというだけで安心しきり、気づいた時にはぽっと出の転校生、謎多き先輩、距離感バグり気味の後輩などに敗北する運命なのじゃ」
「漫画の話だよね?」
「漫画は人生の教科書じゃぞ」
「さっきも言ってたけど、教科書は数学とか英語じゃない?」
「数学は妾を幸せにしてくれぬ。しかし漫画は妾に青春を教えてくれる」
「堂々と言うことじゃないと思う」
緋英はむっと頬を膨らませた。
それから、漫画を開いてあなたに見せてくる。
「見よ。この幼馴染ヒロインを!主人公と幼少期からずっと一緒におったのじゃ。なのに十五話で転校生が現れた瞬間、空気が変わった。二十話で主人公は転校生と雨宿りをし、二十三話で相合傘、二十七話で文化祭を共に回っておる」
「読み込みがすごい」
「当然じゃ。妾はサブカルに敏感な女学生ゆえ」
「自分で言うんだ」
「事実じゃからな」
緋英は得意げに笑った。
けれどすぐに、その笑みが少しだけ曇る。
「……しかし、笑いごとではないのじゃ」
「どうして?」
「妾と汝も、幼馴染であろう」
あなたは黙って、緋英を見る。
緋英の長い狐耳が、今度は少しだけ横に伏せた。
「家も近く、昔から一緒に登校し、放課後もこうして帰る。妾が寄り道したがれば汝が付き合う。もはや日常になっておる」
「うん」
「じゃが、日常とは恐ろしいものじゃ。当たり前になればなるほど、大事なことを言いそびれる。漫画ではそうじゃった。幼馴染は、近すぎるゆえに負けるのじゃ」
緋英は机の端を指でなぞる。
いつもの明るさはある。
けれど、その奥に少しだけ本気の不安が混ざっていた。
あなたは鞄を肩にかけ直した。
「緋英は、負けるのが嫌なの?」
「嫌じゃ」
即答だった。
緋英ははっとしたように口元を押さえたあと、少し赤くなって視線を逸らす。
「いや、その、妾は勝負事に敏感というか、青春イベントにおいて敗北属性を背負うのは避けたいというか……」
「それだけ?」
「……それだけでは、ない」
緋英の声が少し小さくなる。
夕焼けが、彼女の頬を淡く染めていた。振袖みたいな袖の先を指でつまみながら、緋英はぽつりと言う。
「妾は、汝の隣におるのが好きなのじゃ」
教室の奥で、誰かの椅子が引かれる音がした。
それでも、あなたと緋英の間だけ、少し静かになる。
「昔からそうじゃ。登校する時も、帰る時も、コンビニで新作アイスを半分こする時も、汝が漫画の限定版購入に付き合ってくれる時も……妾は、汝の隣がよい」
緋英の狐耳が、恥ずかしそうに揺れる。
「じゃが、それを幼馴染だから当然、で済ませておったら……いつか誰かに取られる気がしたのじゃ」
あなたは少しだけ考えてから、緋英の机に置かれた漫画を見た。
「じゃあ、幼馴染やめる?」
「嫌じゃ!」
緋英は即座に叫んだ。
また教室の視線が集まる。緋英は慌てて声を落とした。
「そ、それは嫌じゃ。汝と過ごした時間をなかったことにするなど、妾は絶対に嫌じゃ」
「じゃあ、幼馴染のままでいいんじゃない?」
「しかし、それでは負けヒロインに……」
「ならなければいいだけだよ」
緋英はきょとんとした。
あなたは続ける。
「幼馴染だから負けるとか、転校生だから勝つとか、そういうのって漫画の展開でしょ。緋英は漫画のキャラじゃないし、僕も主人公ってわけじゃない」
「む……」
「それに、僕は緋英と一緒に帰るの、嫌じゃないよ」
「嫌ではない、だけか?」
「楽しい」
緋英の耳がぴくっと動いた。
「本当に?」
「本当に」
「妾が新作漫画の感想を延々語っても?」
「長いなとは思うけど、楽しいよ」
「妾が漫画の青春シーンを実践したいと言い出して、購買の焼きそばパンを二人で分けようとした時も?」
「あれは緋英がほとんど食べた」
「あれは青春の検証じゃ」
「ただお腹が空いてただけじゃない?」
「細かいことを言うでない!」
緋英はふんと顔を逸らした。
けれど、口元は少し緩んでいた。
あなたは机の横に立ったまま、手を差し出す。
「帰ろう。今日も一緒に」
緋英はその手を見た。
それから、あなたの顔を見る。
一瞬だけ迷ったあと、彼女はそっと手を重ねた。振袖みたいな袖が揺れて、長い狐耳が機嫌よさそうに立ち上がる。
「……汝」
「何?」
「これは、青春イベントとしては何点じゃと思う?」
「手を取って帰るだけで?」
「だけとはなんじゃ。幼馴染ルートにおける重要分岐点かもしれぬじゃろう」
「じゃあ、八十点くらい?」
「低い!」
「高い方だと思うけど」
「百点にせよ。せめて九十八点じゃ」
「じゃあ九十八点」
「む。二点は何で減点されたのじゃ」
「教室で大声出したところ」
「そこは妾の可愛さポイントとして加点するところじゃろう!」
緋英は不満そうに頬を膨らませた。
けれど、その手は離さなかった。
二人で教室を出る。
廊下には夕方の光が伸びていた。運動部の掛け声。吹奏楽部の音階練習。誰かの笑い声。どこにでもある、普通の放課後。
けれど緋英は、その普通を大事そうに歩いている。
階段を下りながら、彼女はあなたをちらりと見る。
「汝」
「今度は何?」
「もし転校生が来ても、妾を忘れてはならぬぞ」
「忘れないよ」
「謎多き先輩が現れても?」
「忘れない」
「距離感バグり気味の後輩が、毎朝おはようございま~す先輩♪などと言ってきても?」
「具体的だね」
「漫画ではそこから始まるのじゃ」
「大丈夫だよ」
「本当じゃな?」
緋英は足を止めた。
昇降口の前。
夕焼けの色が、彼女の狐耳の輪郭を柔らかく照らしている。
「妾は幼馴染じゃ。昔から汝の隣におった。じゃが、それだけで安心するのはやめる」
緋英はあなたの手を、少しだけ強く握った。
「これからは、ちゃんと言う。妾は汝と帰りたい。汝と話したい。汝と、新刊の感想を言い合いたい。漫画で見た青春を、汝と試してみたい」
そして、少しだけ照れたように笑う。
「妾は、汝の隣がよい」
あなたはその言葉を聞いて、少しだけ返事に詰まった。
緋英は不安そうに耳を揺らす。
だから、あなたは握られた手を握り返した。
「僕も、緋英の隣がいいよ」
緋英の目が丸くなる。
次の瞬間、彼女の顔が一気に赤くなった。
「なっ……汝、そういう台詞は予告してから言うものじゃろう!」
「予告した方がいいの?」
「いや、それはそれで身構えるゆえ困る!」
「どっち?」
「どっちもじゃ!」
緋英はぷいっと横を向いた。
けれど、狐耳はふわふわと嬉しそうに揺れている。
校門を出ると、いつもの帰り道が続いていた。コンビニの前を通って、小さな公園の横を抜けて、坂道を下りる道。
何度も歩いた道。
幼馴染だから、当たり前のように歩いてきた道。
けれど今日は、緋英が少しだけ近い。
「汝」
「うん」
「幼馴染は、ダメではないのじゃな」
「うん」
「負けると決まっているわけでもないのじゃな」
「決まってないよ」
緋英は満足げに頷いた。
「ならばよい。妾は負けヒロインにはならぬ」
「誰と戦ってるの?」
「お約束じゃ」
「強敵だね」
「うむ。じゃが、妾は流行にも青春にも敏感な現代女学生じゃからな。勝ち筋くらい、自分で見つけてみせるのじゃ」
そう言って、緋英はあなたの手を少しだけ持ち上げる。
「まずは、手を繋いで帰るところからじゃ」
「漫画の影響?」
「青春の実践じゃ」
「そっか」
「嫌か?」
あなたは首を横に振った。
「嫌じゃないよ」
緋英はそれを聞いて、明るく笑った。
夕方の道に、二人分の影が並んで伸びていく。
幼馴染は負けヒロイン。
そんなお約束を漫画で知った少女は、今日もあなたの隣を歩いている。
少し古風で、少し今どきで。
誰よりも青春に憧れていて。
そして、負けるつもりなんて、少しもなさそうな顔で。