「えっ!?な、なに!?なんですの!?」
私は辺りを見回す。異変に気付くのにさして時間はかからなかった。
ただ、その“異変”は到底受け入れられるものではなく、真っ先に自分の目を疑いたくなった。たった今まで太陽が真上に昇っていたというのに、まるで深夜になったかのように辺りが闇で覆われている。右も左も上も下も、見渡す限りの黒。噴水も、周囲の木々も、すぐそこにあったはずの茂みも、全部消えている。闇に覆われて見えないとかではなく、本当に何もないのだ。
それだけではない。世界から、音が消えた。比喩でもなんでもなく、風のそよぐ音、葉擦れの音、牢屋敷にいる皆の喧噪。さっきまで確かにあったはずのそれらが一切耳に届かなくなっている。まるで、私たちだけが世界から隔絶されて別の空間へ飛ばされてしまったかのような。
あまりに不可解な現象を前にして頭が理解を拒む。しかし、何度瞬きしても世界は変わってくれない。私たちは、本当に異界へと飛ばされてしまった。
「嘘よ……こんな、こんなのって…………」
思わず膝を折り、真っ黒な地面に座り込む。
その隣で。
「おお~!これが異界ですか!真っ暗ですねぇ、テンション上がりますね~!わあ、見てくださいハンナさん!ここ、見えない壁があるかのように先に進めなくなっています!マーゴさんの話で聞いた通りですね!」
なんか、頭のおかしいやつが一人ではしゃいでいた。
なぜ笑っていられるのか。意味が分からない。私はシェリーさんに掴みかかる。
「あのねぇ!貴女のせいで私までこんなところに巻き込まれたんですのよ!?どう責任を取るおつもりですの!」
「巻き込んでしまったことは、ごめんなさい。私もあの怪談噺は半信半疑だったんですけど、どうやら作り話ではなく実話だったみたいですね」
「今更そんなことどーでもいいんですのよ!わ、私たちこれから一体どうなってしまうんですの……!?」
「このままだとバッドエンド直行なのは間違いなしですね☆」
「バッドエンド……?そ、それって……」
「ええ。怪談噺の通りなら、間もなく出てくるんじゃないでしょうか。ここのヌシが」
『縺サ縺励>繧ゅ?繝ェ繧ケ繝』
「っ!」
丁度その時不気味な声が私たちの耳に届き、2人してその方向を振り向く。
するとそこに―――まるで闇の底から這い出てきたかのように、巨大なバケモノが姿を現していた。
その見た目は、マーゴさんの話に出てきたソレとおおよそ一致していた。ムカデのように細長い体躯。頭部に覗く単眼。胴体から生える無数の触腕。唯一違ったのは、全長だ。マーゴさんによると3メートル前後という話だったはずだが、目の前にいるバケモノはそれを遥かに上回る。10メートルはゆうに超えていそうだった。その巨体はずり、ずり、と少しずつこちらへ接近してきている。
あのバケモノがなれはてなのか、それとも正真正銘の怪異なのか。細かいことは分からない。ただ一つ確実に言えるのは、この逃げ場のない真っ暗闇な空間が奴の“狩場”だということだけだ。私たちは、おびき寄せられたエサ。もしかしたら、これまでにも数多の魔法少女を喰らってきたのかもしれない。そうして魔力を吸収して成長したのだとすれば、マーゴさんの話と体の大きさだけが食い違うことにも合点がいく。
今もバケモノが私たちに迫っている。
もう泣き叫ぶ気力は残っていなかった。諦念に満ちた体から力が抜け、もうじき訪れるのであろう最期の時をただ静かに待つ。
短い人生だった。辛い過去もあった。けれど、この牢屋敷で愉快な仲間と過ごした時間は、なかなかどうして楽しいものだった。
エマさん、ヒロさん、メルルさん。別れの言葉ひとつ言えずさよならすることになって、ごめんなさい。それでもどうか、貴女たちは最後まで生き延びてくださいまし。
それからシェリーさんは……まぁ、言いたいことは色々あるけれど、なんだかんだ貴方と過ごす時間は、嫌いじゃなかったですわ。この過酷な牢屋敷の環境でめげずにいられたのは、貴女の底知れない明るさのお陰だったのかもしれません。
ああ、どうせ死ぬのなら、一度くらい正直に思いの丈を伝えてあげるべきかしら。そう思って彼女に目線をやったその先で。
「いや~今日はツイてますね!初めての異界に、初めての怪異!同時に2つの発見に恵まれるなんて!」
そいつは笑っていた。
…………なんで!?
「きぃぃっ!人がしんみりしてたときに貴女って人はぁぁ!最期くらい感傷に浸らせなさいよおバカ!」
シェリーさんの肩を掴んでがくんがくんと揺らす。彼女は私の言っていることが分からないと言わんばかりにぽかんと呆けていた。私のされるがままに揺さぶられながらシェリーさんが尋ねてくる。
「最期?なにが最期なんです??」
「決まってるじゃない!私たちは、今からあのバケモノに食い殺されて」
「いやいや、そうとは限らないと思いますけれど」
「え……??」
今度は私がぽかんと呆ける番だった。
最後とは、限らない?そんな馬鹿な。私は視線を再度あのバケモノに向ける。ぎょろりとした眼球と目線があった。それだけで委縮しそうになるほどの威圧感。無数の触腕もあまりに暴力的な見た目をしている。少なくとも紅茶とクッキーをもてなしてくれそうな安穏たる雰囲気は微々たりしも感じ取れない。
それでも彼女が落ち着いていられる理由といったら……
「シェリーさん、あなたまさか、何か良い解決策を知っているんですの?」
「知りませんよ」
ずっこけそうになった。
しかし、彼女は間髪入れずにこう続ける。
「でも、脱出する方法は必ず存在します」
「なっ……なにを根拠に」
「ふむ。ではハンナさん、ここでひとつシンキングタイムです。今日マーゴさんが話した怪談。私たちはそれが本当かどうかを調べるために中庭を調べました。そこで人骨を見つけ、出口のない異界へ飛ばされ、怪物さんに遭遇する。ここまでは怪談の内容とピッタリ一致しますよね。これだけの状況証拠が揃う中で作り話と切り捨てるのは無理があるので、間違いなくあの怪談は実話だったと考えていい」
「さっきも同じようなことを言ってましたわね。でも、今更それが作り話だったか実話だったかなんて」
「“関係ない”?いいえ、むしろそこがとっても重要なんです。いいですか、推理の基本は想像力!あの怪談噺が実話だと仮定した場合の、その先を考えてみましょう」
なおもピンとこない私だったが、シェリーさんは優しく微笑みながら人差し指をぴんと突き立てる。
「作り話なら、誰でも好き勝手に捏造することが可能ですよね。でも今回はそうではないと分かった。当たり前ですが、実話を伝え広めることが出来るのはそれを実際に見聞きした人だけです。さて、それは一体誰なんでしょう」
「誰が……」
私は少しだけマーゴさんの話していたことを思い出してみる。
話の中で、少女は一人で行動していた。それはつまり、同伴者がいなかったということだ。じゃあ、外から誰かに見られていた可能性は?いいや、それもない。ここは異界なのだから、外側から観測できるはずがない。なら、テレパシーみたいな魔法を使った可能性……も、ない。少女の魔法は『自分の体を切り離して動かす』能力だった。念能力とは無関係だ。
この条件下だと、異界の話は―――
「異界に入った少女が、自ら伝え広めた……?」
「ぴんぽんぴんぽーん!正解ですハンナさん!その通り、少女は異界送りにされて怪物さんと遭遇しながらも、最終的に帰れたんです。それはつまり、この異界には脱出方法が存在するということ。ほら、これが分かるだけで心持ちが変わってきませんか」
「あなた、最初からそれが分かっていたからそんなに落ち着いて……?」
「まぁ、確信したのはついさっきでしたけどね。だから私は怪物さんが出て来てくれてむしろ安心しました。ああ、ちゃんと実話だったんだな、それなら帰る方法もあるなーって」
「あ、あのバケモノを見て安心する神経だけは流石に理解できませんわ……」
この異界から脱出する方法は存在する。それが分かったのは、確かに大きい。
けれど、問題はそれほど単純ではない。私はおそるおそる視線を横に向ける。
私たちが話していた間に、バケモノは数メートル先まで近づいていた。もう間もなく奴の攻撃圏内となる。脱出方法を見つけるなんて悠長なことを言うけれど、どう考えたってその前にぺしゃんこに潰されて終わりだ。あれに太刀打ちすることなんて、出来っこない。
結局ここまでなのか。そう諦めかけた私の視界の隅で、シェリーさんが足を前に踏み出していくのが見えた。
「し、シェリーさん?あなた何をするおつもりですの……?」
なおも彼女は歩みを止めずにいる。
やがてバケモノが触腕を振り上げた。シェリーさんはそれを避けようともしない。
「ば、馬鹿!避けて!!」
バケモノの触腕が勢いよく振り下ろされる。目の前で友人が叩き潰される未来を想像し、息が詰まった。が、しかし。
「ほあちゃー!」
間抜けな掛け声とともに、シェリーさんが鋭い殴打を見舞う。力と力がぶつかり合う時、普通ならば体格差で考えて巨体を持つバケモノが有利だ。正面から戦いを挑むなんて自殺行為。しかし驚くべきことに、力負けしたのはバケモノの方だった。『怪力』の魔法によって攻撃をいともあっさり打ち払われ、心なしか少し怯んでいるようにすら見える。
「え……」
「ふふーん。怪物さん、鍛錬が足りてませんね~。このシェリーちゃんに力勝負で勝とうだなんて、100年早いです!わーっはっは!」
その後もシェリーさんは迫りくる触腕を素手で弾く。いなす。叩き落とす。
バケモノの必死の攻撃は、ただの一度も掠りすらしていなかった。
「ば……バケモノが2体いますわ……」
「ちょっとちょっと!バケモノ呼びは酷いです!せめてマジカルファイター妖精ちゃんって呼んでくださいよー!」
「あ、ちょ、お前よそ見してんじゃねーですわ!ほら右上から!!」
「分かってますよっ、と!ああそうだ、ハンナさんにひとつお願いがあります」
「え、わ、私に?一体なんですの?」
「私がこの怪物さんを足止めするので、その間にハンナさんが脱出方法を調べてくれませんか」
「う……私にそんな大役が務まるのかしら……」
「じゃあ逆にします?ハンナさんがこっちの相手をしてくれれば私が―――」
「わっわわわ私に大役を務めさせてくださいましっ!」
バケモノ同士の戦いを横目に、私は周辺を回り始める。
しかし依然としてどこを見渡しても真っ暗闇が広がるばかりで、とても脱出の手がかりが見つかるとは思えない。
……違う。闇雲に動いたってダメ。推理の基本は、想像力。こういう時こそ頭を使わないと。これまでの流れで、怪談は実話だと分かっている。もしかしたら、あの中に脱出の糸口があるのかもしれない。
そういえば、怪談の中でバケモノに遭遇した少女はひたすら走ったと言っていた。最初は逃げるためだと思い込んでいたけれど、今にして思えばそれは妙だ。だってこの異界に出口はないのだから、逃げるために走っても何も解決しないはず。しかし結果的に、少女は異界からの脱出を果たしている。
―――つまり、走ることには別の目的があった。
これを脱出と関連付けて考えるのであれば……その少女は逃げるのではなく、探し物をしていたんじゃないだろうか?ありがちな話だ。異界ものの怪談で何かしらのアイテムが脱出のカギになっていることはままある。だとすれば、この真っ暗な空間のどこかにそのカギが用意されている可能性は、高い。
じゃあそれは、どこにあるのだろう。そこら辺に落ちている?いや、ありえない。ここには視線を遮るものが一切ないのだから、無造作に置かれていたら一目で気づく。ならば、残された可能性は……あのバケモノが、隠し持っているのか。
考えてみれば、単純な話だ。この限られた空間の中で私たちをみすみす逃してしまうアイテムを隠すとしたら、自分で肌身離さず所持しておくのが一番に決まってる。私は改めてバケモノに視線を向けた。今も攻防は続いているが、その全てをシェリーさんに楽々打ち払われている。
しかしそこで、私はある違和感に気付いた。
「……なんで背中側の触腕は使わないんでしょう」
バケモノの胴体には、20本近い触腕が生えている。しかし、そのうちの大半は背中側から生えているもので、それらは一切シェリーさんへの攻撃に使用されることなく背中を守るように覆っている。別にシェリーさんにやられてほしいわけではないが、彼女を殺したいなら背中の触腕も総動員して手数で畳みかければいいはず。なのにそれをしないということは―――
雷鳴のような閃きが脳内に迸ると同時、私は声を張り上げた。
「シェリーさんっ!背中ですわ!あいつは背中に、ここから脱出するためのカギを隠し持っていますの!!」
その時、怪物の眼がぎょろりとこちらに向いた。
同時に一本の触腕が私に狙いを定める。
「―――え」
そして、私を串刺しにせんと触腕が凄まじいスピードで放たれた。
反応することさえままならず、私はただ固まってしまう。そして―――
「きゃああっ!」
直後、ドンっと鈍い衝撃。吹き飛ばされた私は地面に尻もちをついてしまう。
最初は、触腕の攻撃を受けたのだと思った。しかし、すぐに違うと気づく。明らかに致命の一撃だったはずなのに、私の体からは血の一滴も出ていない。一体何が起きたのかと顔を上げて、その光景を目の当たりにしたとき。
「う……、ぐぅ……っ」
「シェリーさんっ!?」
私は頭が真っ白になった。