「シェリーさんっ!!!」
私の前には、シェリーさんが立っていた。私を突き飛ばし、庇ったのだ。私が無傷で済んだ代わりに、彼女の脇腹は触腕によって刺し貫かれ、血肉が抉り取られていた。そこから夥しい数の真紅の蝶が1匹、また1匹と飛び立っていく。
バケモノが追撃とばかりに無数の触腕をシェリーさんに突き刺そうと構えたが―――
「っ、ぁぁああッ!!!!」
シェリーさんが自身を抉った触腕を両腕で羽交い絞めにし、力を込める。ぶちぶちぶちっと筋繊維のはち切れる音とともに大量の血飛沫が飛び散り、その触腕は根元から引き千切られた。悶絶したバケモノが大きく後退し、痛みにのたうち回る。それと同時、シェリーさんもがくりとその場に頽れた。
私はすかさずシェリーさんのもとへと駆け寄る。
「シェリーさん!ごめんなさいっ、私を庇ったばかりに……!」
「はぁ……はぁ……、大丈夫ですよ。内臓は、ギリギリ避けましたので。いやー、痛みには、慣れてるつもりだったんですけど。結構これ、キツいですね……痛ててっ」
「喋るんじゃありませんわ!今すぐ止血しますから!」
私はスカートの裾を数センチの幅で引き破り、それでシェリーさんの傷口を覆ってぎゅっと縛る。簡易的な圧迫止血だが、傷口が大きいため気休めにしかならない。今もなお血は溢れ続けており、このままだと失血性ショックを起こすことは明白だった。
頭からさぁっと血の気が引いていく。バカだ、私は。異界からの脱出方法を閃いたことで浮かれていた。シェリーさんにバケモノと拮抗できるだけの力があると分かり、今の状況を楽観視しはじめていた。それが気の緩みを生み、シェリーさんに重傷を負わせてしまった。
私のせいだ。私がしっかりしていないから。私なんか、いなければ。
胸の内に遣る瀬無さが募る。自己嫌悪は加速し、視界が涙で埋め尽くされそうになっていた私に。
「それにしても、ファインプレーですよハンナさん!」
そんな、出し抜けに明るい声が降り注いだ。
「……え?」
見ると、すでにシェリーさんは立ち上がり、けろっとした表情を見せていた。私を気遣うために必死に激痛を堪えている……ようには見えない。正真正銘回復したらしい。何なんですのコイツ。マジでバケモノですの!?
先ほどまでの私のナーバスな心情なんざ露知らず、シェリーさんは普段通りの口振りで話を続ける。
「背中。見つけてくれたんですよね、脱出の糸口を。真正面から相対していた私では、きっと辿り着けない答えでした。ハンナさんがいてくれて良かったです!」
「あ、……いや、けどそれもただの直感で、本当かどうか」
「いいえ。あれはきっと正解だったんだと思いますよ」
「……そう、なのかしら」
「考えてもみてください。怪物さんと拮抗するほどの力を持つ超絶美少女探偵シェリーちゃんと、怪物さんに対し一切の手出しができないハンナさん。もしあなたが怪物だったら、どっちから先に始末しますか?」
「そ、それは……まぁ、シェリーさんから、でしょうね」
「そうですよね。しかし、ハンナさんが背中について言及した途端、怪物さんは目の色を変えてハンナさんを狙った。あれは、ハンナさんの方が自分にとっての脅威になると認めたからに他なりません」
「じ、じゃあ……」
「ええ。狙うは背中!……と、気合を入れたいところではあるのですが……」
シェリーさんの言葉がだんだんと尻すぼみになる。
それと同時にず、ず、ず、と何かが持ち上がるような音が聞こえた。触腕の再生を終えたバケモノが体勢を立て直しているところだった。全長10メートル近いバケモノの背中は、遥か手の届かぬ高みにある。
「……あの背中に、どうすれば手が届くんでしょうかねぇ。うーん、怪談の少女のように体を切り離す魔法があれば高所でも関係ないんですが……むむむ」
シェリーさんが珍しく弱気な発言を口にする。
けれども私には、大した問題であるようには思えなかった。
「シェリーさんの『怪力』を足に集約させて、高くジャンプすることはできませんの?」
「んー、やったことはないけど、まぁ出来るでしょうね。でもハンナさん、それってかなり難しい要求ですよ?自由落下中、怪物さんの背中とかち合うほんの一瞬の間で探らないといけませんし、何より高所から落下する衝撃を防ぐ術がありません。やるとしても、最後の手段だと思います」
「あら探偵さん。ご自慢の想像力が、足りてないんじゃなくて?」
「ほぇ?」
シェリーさんが虚を衝かれたような表情で固まる。
普段とは逆の立場に、ちょっとだけ胸のすく思いを感じながら私は自身の髪を1本引き抜き、彼女の左手首に結んでやった。
「……これは?」
「私のおまじないですわ。シェリーさんを高く飛ばすことはできませんが、貴女自身が跳べると言うのなら、その場に静止させるくらいはできますの」
「えぇっ!?ハンナさんの魔法って、自分から離れた部位でも有効なんですか!?そういう情報はちゃんと提示してもらわないと、フェアじゃないですよー!」
「いいからほら、無駄口を叩かないでさっさと行きやがれですわ!早くメルルさんにその傷を治してもらわないといけないんですから」
「おや。ここでメルルさんの名前を出すということは」
「ええ―――帰りましょう。二人で、必ず」
そう言って、二人でふっと笑い合う。
それと同時、バケモノが痺れを切らしたかのように再度こちらへ這いずってきた。最後にシェリーさんと顔を見合わせ、お互い頷き合ったのち、シェリーさんがバケモノの背後を取るために走り出す。自然とバケモノの注意も彼女に向かうが、シェリーさんにこれ以上手出しさせるつもりはない。
ここからは、私が相手になってやりますわ。
「やいバケモノ!貴方の相手は私でしてよ!こっちを向きなさい木偶の坊!」
怪物のおぞましい眼がぎょろりと私を睨む。しかし体の向きは依然としてシェリーさんへ傾いたままだ。どちらを先に相手取るか迷っているのだろう。今のところ、私は戦闘能力皆無だと思われている。このままだとバケモノは再度シェリーさんの方に向き直ってしまうはず。なにか、奴の注意を引き付けるための一押しが必要だ。
ならば言葉で騙す。さっきのやり取りから、あのバケモノに言葉を理解するだけの知能があるのは確認済み。幸いというべきか、嘘のつき方ならついさっき教わった。私はシェリーさんにレクチャーされた言葉を脳内で反芻しながら声を張り上げる。
「お前に私の魔法を教えてあげますわ。私、雷を操る魔法が使えますの」
嘘をつくときは、胸を張って堂々と。
「私の遠距離攻撃なら、お前が大事に守っている背中の触腕を消し飛ばすくらい、朝飯前でしてよ!」
そして、嘘の中にちょっとだけ真実を織り交ぜる。
私は声を上げながら自身の魔法を使用し、体を数センチだけ浮かせて見せた。
単なる『浮遊』の現象だが、今の言葉を聞いたバケモノからすれば私が電気エネルギーを充填させたことで『磁気浮上』したかのように見えているはずだ。
バケモノの体がゆっくりとこちらに向き直った。私の方を脅威と認識したサインだ。続けざまに2本の触腕が私に狙いを定める。
あの攻撃を止める手段は、ない。あの触腕が放たれれば、私は刺し貫かれて殺される。すぐそこに死が迫っている。けれど、ちっとも怖くない。視界の端でシェリーさんが高く跳躍する姿が見えていたから。遠隔浮遊の詳細も知らないのに、彼女は私を信じてくれた。命を預け、天高く跳躍してくれた。
だから、私も信じる。シェリーさんならきっとこの局面を打破してくれるって。彼女と一緒なら、どんなに絶望的な状況でも乗り越えられるんだって。
私は親指と人差し指を立て、銃の形に整えた右手をバケモノに差し向けた。それを攻撃の予兆と受け取ったバケモノが構えた触腕を私めがけて伸ばしてくる。しかし、その攻撃が私に届くより先に。
「マジカルフェアリーデストロイアターック☆」
雷にも似た轟音が異界を揺るがした。
怪力と自由落下が組み合わさった渾身の踵落とし。恐らくは高層ビルですら容易く粉砕するであろう最大火力の一撃を受け、その巨体がずべしゃあと地面に倒れ込んだ。さらに衝撃の余波はそれだけに留まらず、背中を覆っていた無数の触腕が千切れ、潰れ、無数の肉片となって弾け飛ぶ。その様を見ながら私は内心でこう思った。あいつ、その気になれば最初から一人で倒せたんじゃありませんこと?
地面に倒れ伏したバケモノは再生のため、しばらく動けずにいる。そのバケモノの背中の上で、シェリーさんがぐっちゃぐっちゃと血肉をかき分けること数十秒。
「おっ!ありました、見つけましたよハンナさん!」
「本当ですの!?」
高所から降りてきたシェリーさんをふわりと着地させ、彼女に歩み寄る。
シェリーさんの手には、一昔前のガラケーが握られていた。
「バッテリーがダメになっているのか、電源は付きませんでした。まぁでも、状況的に考えて昔の囚人の持ち物なんでしょうねぇ。これを大事そうに所持していたということは、やはりあの怪物さんは」
「ああもう!今はそんな考察いらねぇですわ!早く、どうすれば元の世界に戻れますの!」
「はいはい。えー、そうですねぇ。なんかこう適当に触っていればそのうち―――」
シェリーさんがガラケーのボタンをかちゃかちゃ押し、それがたまたま”戻る”ボタンに触れた時。私たちは、ひと際眩い光に包まれた。
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「…………っ、ここは……」
目が開かない。
ずっと真っ暗な異界にいたせいか、光に順応するのにやたらと時間がかかる。
「……え?光、ってことは、もしかして!」
中々開こうとしない瞼を気力で強引にこじ開ける。すると、パッと視界に現れたのは見覚えのある緑色。中庭の、あの植え込みだ。次いで後ろを振り向く。噴水があった。横を向く。牢屋敷があった。
私は確信する。―――無事、元の世界に戻ってきたのだと。
「シェリーさんっ!私たち、無事に帰ってこられたんですわー!!」
「そのようですね……って、あーっ!さっきのガラケーが無くなってる!?うう、持ち帰って調査しようと思ったのに……」
「全く、あなたのその探求精神には呆れるばかりですわ。それより傷を治してもらう方が先でしょうに」
「おっとそうでした。それでは名残惜しいですが、私は医務室に……っとと」
足を踏み出そうとしたシェリーさんがふらつき、転倒しかける。私はすかさず彼女を抱き止めて支えた。
「……血を失った状態であれだけ無理したんですもの。その反動が来たんですわ。ほら、私が肩を貸してあげるから、一緒に行きますわよ」
「お、おかしい。ハンナさんが私に優しいだなんて……もしや、私はまた別の異界に飛ばされたのでしょうか」
「失礼なこと言ってんじゃねーですわ!傷口抉り開きますわよ!?」
それからシェリーさんはメルルさんの治療を受けて、しばらくは安静のために医務室で過ごすことを言い渡された。牢屋敷のルールでは外出禁止時間でも一人だけなら介添人を付けていいとのことだったので、私が自ら申し出た。
皆が就寝した静かな夜。私とシェリーさんは、ベッドで横になりながら今日の出来事を思い起こしていた。
「いやー、今日の体験はとても貴重でしたね~。ハンナさんはどうです?怪異調査、楽しかったですか?」
「楽しいわけがありませんわ。あなたと一緒にいると命がいくつあっても足りやしませんもの。もう二度とごめんですわ」
「魂を交換されると言われる鏡の謎や、湖に棲む謎の魔女に引き摺り込まれる現象、図書室に潜む人喰い魔本なんかもいつか一緒に調査しましょうね!」
「人の話を聞きやがりなさいませー!?」
「大丈夫、うっかり死んじゃったとしても、その時は地獄で仲良くしましょう!」
「勝手に私まで地獄行きにするんじゃありませんわ!」
全く、あんな目に遭ったばかりだというのに懲りずに牢屋敷の謎を調査しようだなんて、本当にどうかしてますわ。
……貴方とならばどこへでも一緒に付き添いたいと思ってしまう私も、大概かもしれないけれど。