地の文中の()について
環くんの思考ブロックにある場合その内容は「表層的な思考には出てこないほど無意識に浮かんでいる根底にある考え」です。
「おはようございます。環」
「ヤミさん……おはようございます」
だんだん頭が冴えていくのと同時にいまの状況を把握する。どうしてヤミさんはぼくの腕に抱きついているのだろうか。御門先生の家を出た辺りで途切れていて寝る前の記憶が上手く思い出せないので、ぼくがなにかをしたのかもしれない。
「違います」
腕の締め付けが強くなった。彼女の怪力でそうされると血が止まってしまうのでいますぐ放してもらう必要がある。……そうだ、昨日は関係性の更新が起きたんだった。
「……おはよう。ヤミ」
「それでいいんです」
……そういう風に挨拶をしたあと目を合わせたまましばらく待ってみたが、締め付けは弱まったもののどうやら手を放すつもりはないらしい。どうしたものかと考えているとふと昨日、戦いの中で服を破かれ露出したヤミの胸に顔を埋めてしまっていたことを思い出してしまった。血の気が引いていくのを感じる。
「あの……昨日はすみませんでした」
「昨日もたくさん謝られましたが……今回のはなんのことでしょう?」
可愛らしい、きょとんとした顔で彼女は首をかしげる。……意外と気にしていないのだろうか。
「その……胸に直接触れて……ましてや顔を埋めてしまって……あのときは本当に気が動転していて……」
「……いえ、気にしていませんよ」
そういうものの、彼女の顔がこわばり、少しずつ赤くなっていくように見える。……やはり気にしているだろう。(これは単なるぼくの想像にすぎないことだが)男性にトラウマがあるのであろう彼女に、あんなことをしてしまったのだから。彼女はしばらくもごもごと口を動かし、恥じらいつつ口を開く。
「……ところで環は、やはりえっちぃことに興味があるのですか?」
……明らかに気にしている。昨日の一件でぼくのなかの性に気がついてしまい、トラウマと同一視してしまっているのかもしれない。さすがに飛躍しすぎと考えたいが、その場合もし「ある」と答えたら殺されるのではないだろうか。性欲を増強するらしいランドに寄生されたというのに、最近は不思議と性欲を感じていなかったが、人として、生物として、そういう欲求はあるはずだった。ぼくはぼくに、義務論的に嘘をつかないことを課しているので「ない」と答えることはできないから、なんとか誤魔化すしかない。
「ぼくのどの行動がそういう予想に至った原因なのかが分かりません。昨日のあれは本当に気が動転していて、本来のぼくではなかったことは承知していると思いますが……少なくともあのとき以外にぼくはヤミに対して性を感じさせるような行動をとった記憶はありません。一応男女として、雇い主として、節度を持った距離感を保つようにしていましたから、まったく身に覚えがないんです。起きたときも……というかいまもどうしてヤミが腕に抱きついているのか分からないですし……たぶん寝る前にぼくがなにかしたのかもしれませんが、それも眠気で正常な判断ができていなかったので本当のぼくだったとは言えないし……」
「本当のことを正直に言ってください」
いろいろとはぐらかすための理屈を捏ねたが、ぼくの目をまっすぐ見つめ、真剣な表情の彼女には降参するしかなかった。ぼくはたっぷり十秒かかって、絞り出すように答えを言う。
「…………そりゃ……ぼくだって性欲くらいあるし、それが生物として正しい姿だから……ええと……その、質問の答えとしては、イエスです」
ぼくが怯えながらそう答えると彼女の顔がさらに赤くなり、全身が一度大きく震えたのを腕から感じる。
この反応はどういう意味だろうか。少なくとも怒りではなさそうだぞ……
「……そ、そうですよね。あなたが万が一……以前メアのしていた誘いにのってしまっては、護衛失格ですから、その……ちょ、ちょっとだけなら、環なら、えっちぃこと……はまだダメですが……ちょっとしたスキンシップくらいなら……してもいい、ですよ?」
……ここまでいわれて、「結構です」などと言えるだろうか。彼女にトラウマがあろうがなかろうが、普段そういうことを嫌悪していると
顔を真っ赤に染め、上目遣いで……それでいてぼくの目をしっかりと見つめながら絞り出すように、恥じらいながら言う彼女は強烈な引力を持っていた。
……改めて見てみると、本当に整った顔をしている。初めて会ったときは〈
……そうだ。考えてみればぼくに拒否する理由はない。そもそも彼女自身が大丈夫だと言っているというのに、それをぼくが勝手に駄目だと思っているだけだし、ぼくが節度を持ってスキンシップを行えばいいだけの話だ。
「わかった。嬉しいよヤミ、ありがとう。それじゃあ、ハグをお願いできるかな」
「わ、わかりました」
そう、なにもリト先輩のような露骨なセクハラだけがスキンシップではないのだ。ここは、ヤミがある程度ぼくのことを受け入れてくれたと考えよう。以前胸に顔を埋めたことも気にしていないと言ってくれているし、あれほどまでとは行かずとも、ハグや膝枕くらいなら許してくれるのではないだろうか。
ヤミから抱擁され、小さな温もりとさらさらした絹のような髪が触れるのが心地いい。
「……そういえば昨日、リト先輩に話しかけられる前になにか言おうとしてませんでしたか?」
「それはその…………環は……どうしてそんなに大変な生き方を選ぶのか……選べるのか。と、訊きたかったんです。普通の人は楽な方に流れるものですし、私だってそうです。昨日環にそんなに思い詰める必要はないと言われましたが、私は幸せになるべきではないはずなのに、そうなりたくなってしまうから……」
「ぼくは自分でそんな風に生きている自覚はないけど……そう見えるならたぶん、気高く生きるにはそうあろうとしないといけないからかな。楽に生きることはあとからでもできるけど、逆方向に進むことはできないから……」
「そうですか……」
それだけ言うと、また無言の時間が生まれてしまった。この間ずっとハグをしている訳だが、そういえばぼくは昨日寝る前にシャワーを浴びたのだろうか。あまりに疲れていたせいですぐ寝てしまった気がする。まずい、由々しき事態だ。いますぐ離れなければ。
「もういいよ、ヤミ。ありがとう」
「え……あぁ、そうですか」
手はぼくの体に触れたまま、名残惜しそうに上体だけ離れる。
……よし。シャワーを浴びにいこう。
「それじゃあ今日も学校があるし、ぼくは体を洗ってくるから」
「はい。いってらっしゃい、環」
脱衣所で服を脱ぎ、体のあちこちにアザができていることに気がついた。昨日あれほど鞭でしばかれたし、〈バーサークDX〉の副作用で内出血もしていたんだと思う。
痛々しい傷跡から目を逸らしながらシャワーを浴び、優しく身体を洗う。
……どうしてヤミさんは急にスキンシップをするようになったのだろうか。昨日抱き合ったことで彼女の中のなにかが変わったのか、それとも……
……嫌なことに気がついた。
彼女は親しくなるということを誤解しているのではないだろうか。彼女の周りにいる人たちを考える。ぼくを誘惑し手を出させようとしてくる芽亜、手当り次第にセクハラをしてくるリト先輩と、それを是とするモモさん。ヤミが闇の世界から足を洗った時期にリト先輩と出会ったのだから、親交を深めるときにそういうスキンシップが必要なのだと思ってしまっているのかもしれない。
……うん。さっきはヤミの決断を尊重してハグを要求させてもらったが、これからはスキンシップを控え、友情を確かめるためにそういうことをする必要はないということを教えていくべきだろう。
学校に着くと、芽亜が階段の下で三角座りをしていた。
座り込みのストライキ中といった様子だが、いったいなんのつもりだろうか。なんにせよ、周りから怪訝そうな目で見られている。
「……なにしてるんだ?」
「あ、環くんと……お姉ちゃん。おはよう、待ってたよ」
「いや……そうじゃなくて、なんでこんなところに座っているんだ。周りの邪魔じゃないか」
「もー……環くんは細かいなあ……二人を待っている間暇だったからスカート覗いて待ってただけだよ!」
まあまあな声量で言ったので周囲の人達に聞こえたのか、ギョッとしてこちらを向き、ほとんどの女子生徒はこことは別の階段へ向かっていった。
宇宙人に……特に芽亜に地球の価値観が通用しないというのは前から気がついていたが、ここまでモラルがないとは。普通に犯罪だ。
「……いや、え?そんなことしちゃダメだろ。こんなところに座っていたら周りの迷惑だし、他の女子生徒は不快に思っているはず……前にした議論で、地球人に対しては地球の倫理に則った対応をするべきだっていうぼくの主張に同意していたじゃないか」
芽亜はむっとした顔をしてそっぽ向いてしまった。
「メア……話したいことがあります」
「私もだよ。お姉ちゃん」
ぼくの発言を無視し、マイペースな姉妹が話を進めていく。
「ねぇお姉ちゃん。見てたよ、昨日の戦い。……どうしてアゼンダを攻撃しなかったの?環くんが助けてくれなきゃ殺されていたかもしれないのに!」
「……そう、かもしれませんね。あれは、完全に私のミスでした。最初から一人でなんとかしようとせず、友達を、仲間を頼るべきだったと思います」
ヤミは持っていた文庫本をぼくに押し付け、芽亜に正対して警戒しながら話をする。
「友達を……頼る…………?」
「……メア。確かに私たちは戦うために作られた兵器。……でも、それが生き方の全てではありません。もし、あなたが本当に私を家族として迎えたいなら……人と触れ合い、そのぬくもりを知ってください。それが私たちが分かり合うための方法です」
芽亜はランドによって強化された動体視力がないとほとんど気づけないほど一瞬、困惑し、泣きそうな顔になったあと、取り繕った笑顔を張り付ける。
「じゃあ、環くんとの触れ合いを……」
「それはダメです」
「ぐぬぬ……私は諦めないからねっ」
それだけ言うとダッシュで階段を駆け上り先に行ってしまった。
「これでなにか変わってくれるといいんだけど」
「変わりますよ……きっと」
そう言うヤミの目は、妹を慈しむ、いつかの聖母のような目だった。
放課後、帰ろうとしているモモさんを捕まえ話しかける。
彼女は休み時間のほとんどが男子に囲まれているためなかなか声をかけるチャンスがないのだ。……転入からもう結構な日数が経過しているのだからそろそろ落ち着いてもいいころだと思うのだが。
「それで、なんの用ですか?これから行くところがあるので、歩きながらでいいですか?」
「すいません。それで構いません」
また彼女の厚意に頼ってしまう形になるが、どうしてもやっておかないといけないことがあった。
「飛行免許の取り方を教えてほしいんです」
ヤミからそういうものが存在するという話は聞いたが、脛に傷がある彼女はそんなものを持っておらず、取り方も知らないということだった。
「飛行免許ですか……地球であれば空を飛ぶ人や物はほとんどないので、高く飛びすぎなければ持っていなくても問題ないと思いますが……まあ、それで納得する人じゃありませんよね……」
「環のことをよくわかっていますね。モモ」
実際そうなのだが、どうしてそれでヤミが嬉しそうにするのだろうか。
「それじゃあ今度の戦闘訓練の日に教本を持ってきますね」
「ありがとうございます。……それと、〈反重力ウイング〉の改造ってしても大丈夫でしょうか。ちょっとやりたいことがあって……」
「たしか……あれの翼の部分は燃費の悪い反重力機構のエネルギーを節約するために揚力を生んで滑空するためのパーツですので、多少変えてもそこまで問題にはなりませんが、飛行機構部を弄るのは違法のはずです」
それなら問題はない。ぼくがいま抱えている課題を解決する目途が立ったような気がする。
「それを改造していったいなにをするんですか?」
「それは……昨日、アゼンダと戦ったときぼくは全然役に立てなかったんです」
ヤミがピクリと反応し、こちらを見てくる。なにか思うところがあるようだが、なにも言ってこないのでそのまま話を続ける。
「……?でも最終的には環さんが倒したんですよね?」
「〈
これに加えて、今朝シャワーのときに傷跡を見て防御力も足りていないことに気が付いていた。……ほんとうになにもかもが足りていないのだ。
「えーっと、それがどうして改造の話と?……まさか」
「翼を武器にできないかな、と」
以前モモさんと暗躍をしていたときに気が付いたことだが、あのウイングは別に羽ばたかなくても空を飛ぶことができる。……反重力と言っているのだから当然と言えば当然だが。
そしてさらに、翼は結構柔軟に、機敏に動かせるということにも気が付いていた。もしあの翼がただの飾りとしての機能しかないのなら、武器兼防具として扱っても問題ないはずだ。
「……なるほど……私としてはアリな気がします。まあ、私は戦闘の専門家じゃないので今度ザスティンに、環さんから提案してみてください」
「そうですね、そうしてみます。話はこれだけです。ありがとうございました」
「あ、ちょっと待ってください。いまから行くところにお姉さまもいるんですが、ウイングの改造はお姉さまに頼むのがいいと思いますよ。宇宙でも有数の天才発明家兼エンジニアなんです。ここまで来たついでにどうですか?」
「それじゃあお言葉に甘えて……」
ということで河原までやってきた。芽亜がいるのを見てヤミが気まずそうにしていたので少し離れたところでララさんと話を進める。
「へぇーなるほど!面白そう!時間があるときにやってみるね」
「はい。これがぼくがモモさんから貰った〈反重力ウイング〉です。よろしくお願いします」
「環。プリンセス・ララはこういうとき余計な機能を勝手に追加してトラブルをよく起こすので、いまのうちにちゃんとどうしてほしいか指定しておいたほうがいいですよ」
ぼくはララさんのパーソナリティを全く知らないので、ここはヤミの忠告に従っておこうと思う。
「……それじゃあ今度、仕様書を作ってきますね」
「えー!そんなのつまんない!自由に作りたいよー……」
だんだんわかってきた。純粋にモノづくりが好きで、自分が面白いと思うことを続けてきたことで凄腕のエンジニアになったのだろう。そういうたぐいの人は確かに縛られることを嫌いそうだ。
「じゃ、じゃあ、もしぼくの要望のほかに追加したい機能があったらそれを教えてもらって、ぼくも面白そうだと思ったら追加してもらいます。絶対にダメとは言わないので、それでお願いしてもいいですか?」
「うーん……それならまあ……」
まだ不満が残っていそうだが、これがちょうどいい塩梅だろう。できることなら自由に作らせてあげたいが、要らない機能を増やされて操作が大変になってしまっては戦闘に使えないので仕方がない。
「……!ヤミちゃん!!」
「っつ!はい」
ララさんが突然真剣な表情になり、奇妙な形の帽子から翼を生やして飛んでいき、ヤミもそれに追従して行ってしまった。
どうしたのかと振り向くと、トラックに轢かれそうになったナナさんとそれをかばうような態勢の芽亜を守って、ヤミとララさんがトラックを素手で止めていた。
こういうときはどうすればいいのだろう。とりあえず無事を確認するために向こうに行きたいが、高速で移動できる〈反重力ウイング〉はついさっきララさんに預けてしまったので仕方なく走ることになった。
ぼくが到着したころには一通り落ち着いたころだった。
「メアも……アタシのせいで危ないところだった……その、ゴメン」
「え?なんで謝るの?すっごく楽しかったよ!動物って素敵っ♡」
どういう状況か全然わからない。さっきまでララさんと話していたせいで彼女たちがこっちでなにをしていたのかは結局よくわからなかったのだ。
「あと……ペロペロも素敵かも……♡こんどペロペロして?環くん♡」
「ななっなに言ってんだ!メア!!」
ど、どういう状況かさらにわからなくなってしまった。ペロペロというのはあの、ぼくが想像しているペロペロで合っているのだろうか?
「うまくいったみたいだね、ナナ」
うまく飲み込めず返答に迷っているとララさんが喋り始めたので、ぼくは空気と同化することにした。
「ナナはね~!メアちゃんが元気になるところを見たかったんだよ!」
「あ、姉上!」
そう言われると芽亜は目を丸くし、呆けたような表情になる。胸を手で抑え、ヤミのほうをちらりと見てなにかを考えているようだった。
あの後皆ばらばらに解散し、ぼくは家、というかルナティーク号につくとパソコンに向かい、〈反重力ウイング〉改造案の作成にかかる。
途中で行き詰まり手を止めていると、船そのものであり人格をもつAIであるルナティークが話しかけてくる。
「タマキお前、どんな魔法を使ったんだ?マスターがあんなにぐっすり眠っていたのなんて初めて見たゼ」
……この話をしたかったからそのことに気が付いた今朝ではなく、ヤミがシャワーでいないいまのタイミングを狙ったのだろう。
ぼくが起きた頃にはもうヤミは起きていたので知らなかったが、とにかくそれはいいことではあった。
「ぼくはなにも……変わったとしたらヤミ自身の影響ですね」
「そんなわけあるかヨ、なんか呼び捨ても許されてるしよォ」
『そうだゼ、あの娘絶対タマキのこと気に入ってるゼ。お前の腕の中なら安心できるとか思われたんじゃネーカ?』
……この二人は喋り方が似ているから同時に話されるとどちらが喋っているのかわからなくなるな。
『オイ!気付かないフリすんナ!なァタマキ、ちょっと押せばモノにできるはずだゼ!』
こいつは宿主の繁殖と同時に繁殖するから、ぼくにそういうことを望んでいるのだろう。
─……ぼくはヤミに対してそういう欲望を向けていないし、これからも向けることはない。
『なんダ?本命がいるのカ?』
─そういうわけじゃないが……とにかくぼくは誰に対してもそういうことをするつもりはない。君も種の存続がかかっているんだ。ぼくじゃない誰かほかの人に乗り換えても構わないよ。
惜しくないと言えば嘘になるが、ぼくにランドを止める権利はない。
『フーン……お前はそう思うんだナ。本当にそうあり続けられると思うカ?タマキがなんと言おうとオレはオレの利益のためにお前の中に居させてもらうゼ……』
繁殖機会を得たいならどう考えてもぼくではない誰かほかの人に寄生したほうが合理的だというのに、なぜこいつはぼくにこだわるのだろうか。……御門先生は経過観察でいいと言っていたが、なにをしたいのかが読めないこいつを住まわせ続けるのは本当に大丈夫か不安がぬぐい切れない……
「オーイ……?タマキ。急に黙ってどうしたんだヨ、無視すんなヨッ!」
完全にルナティークをそっちのけにしていた。申し訳ない。とにかくぼくとヤミに特別な関係はないことを説明しているとヤミがシャワーから帰ってきたので会話を中断し、仕様書の設計に戻った。
……こういう文書を書くのは初めてだから難しい……仕様書の仕様書とかないのだろうか……
ある昼休みのこと、ぼくはララさんから二十分に一つのペースで送られてくる滅茶苦茶な〈反重力ウイング〉の追加機能案を捌き続ける作業にうんざりし、息抜きのためにトイレに向かっていた。
普段廊下を歩くときは大抵ヤミがそばについていて、彼女は常に背後を取られることのない動きをしているから後ろから話しかけられることはなかったのだが……というかそもそもぼくに話しかけてくる友達がいないのだが、ヤミが芽亜を見張っていれば常に一緒にいる必要は薄いのではないかという理由で別行動をしていたときのことだった。
「なあ久慈、お前どうやってあのヤミちゃんと仲良くなったんだよ!なあ!付き合ってんのか?メアちゃんはどうしたんだよ!?別れたのか?」
そしてこれが別行動をするようになったもう一つの理由だった。圧倒的な美貌と、美しい金髪を持っている、目立つ彼女と行動を共にしていることでこういう誤解が生まれてしまうからだ。
ぼくに質問攻めをしてくる彼は確か立花とかいった気がする。以前芽亜の正体を見破るためにクラスメイトの名簿とにらめっこしたおかげで、ほとんど話したことがない彼の苗字を思い出すことができた。
「立花くん……そもそもぼくは芽亜と付き合っているわけじゃないですよ。彼女は……いまは事情があって仲良くできていないだけで、前に親しかったときもただの友人としてだったんです。ヤミも……まあ、いろいろあって仲良くさせてもら……」
「もしかして同じクラスの中で二股してるのか!?そういえばモモちゃんともよく話していたよな?じゃあ三股か!?三股なのか!?」
……そうだ。思い出したぞ。ぼくが彼とほとんど話したことがなかった理由は、こんな風にこちらの話を全く受け入れずに、すべての情報を自分の望むようにだけしか解釈しない性格をしているからだ。いくら話しても無駄だと思って距離を置くようにしたんだった。
「ももももしかして……久慈も、結城先輩みたいに恋愛の達人なのかッ!?」
「……そうだね。そう思ってくれていいよ」
彼に真面目に反論する気が失せてしまった。いまのぼくはそんなことより、いくつもの考えないといけないことがあるのだ。ララさんから送られてくる案の中には複雑で専門用語の使われている、解読するのに三十分はかかるようなものも含まれているのでどんどん処理しないと溜まっていく一方なのだ。
「それでお願いなんだけどさ!保健室のナースにすっげぇ可愛い子いるだろ?あ、ほら!あの子!」
「え?あぁ……お静ちゃんね……」
「あれっ、もう知り合いなのか!?じゃ、じゃあ、あの子に好きな人がいるか聞いてきてくれないか?お礼ならするから!ほら、いまがチャンスだろ?頼むッ!」
基本保健室にいる彼女が間の悪いことになぜか都合よくこんなところに来ていた。
立花くんにお静ちゃんの前まで背中を押し出されてしまった。
「あ、環くん!こんにちは、実は御門先生から伝言があって来たんです!」
彼女がここにいるのは必然で、ぼくのせいだった。
「環くんが昨日御門先生の家に来たときにケガをしていたのに治療を受けずに帰っちゃったから、今日は保健室に来なさい。とのことです!……それで、どうしてまたケガをしたんですか?」
そういえばそうだった。身近にケガがすぐに治ってしまう人がいるから医者にかかることを忘れてしまう。それと、彼女に言っておくべきお礼があったことも忘れていた。
「わかりました。……うん、昨日はいろいろあって……宇宙人の殺し屋と戦ったんですけど、そのときにお静ちゃんから教えてもらった念動力は見えていないと上手く制御できないっていう情報のおかげで勝てました。お静ちゃんのおかげです、ありがとうございます」
「どういたしまして!どういうことかはあんまりよくわかりませんでしたけど、お役に立てたならよかったです!」
ああ、楽しい。双方向のコミュニケーションがこんなに快いものだとは、立花くんがいなければ気が付かなかったことだ。ついでだし、お礼に要望に応えるくらいはしてやってもいいかもしれない。
「それはそうと、お静ちゃんにはいま好きな人はいますか?」
「……え?そ、それはどういう」
見るからに困惑している。確かに突然こんなこと聞かれても意味が分からないだろう。
「つまり恋愛的に、想っている対象はいるか、ということです」
「えーと……いない、ですけど……はい。いないと思います」
「そうですか、ありがとうございます。変なこと聞いてすみません」
「いえいえ……」
いまだに困惑しているお静ちゃんに別れを告げ、立花くんのほうに戻る。
「いないらしいですよ」
「さっすが環!ありがとう!お礼はなにがいい?」
お静ちゃんは平安の人なのだから、現代の高校生なんて子供にしか見えないのでその恋が実ることはないと思うが、そこまで伝える必要はないだろう。
「それじゃあ、ぼく……に限らず、人の話を遮るのをやめるようにしてください。それがぼくへのお礼になります」
「?……俺、話遮ったことなんてあったっけ?」
……彼とこれ以上言葉を交わしていると頭がおかしくなりそうだった。逃げるように教室の席に戻り、いまも送られ続けているララさんからのメッセージを処理することに集中することにした。
ジョジョが好きなのでキャラクターに奇行させることが好きです。(今回の場合、メアの階段での覗き)一応キャラ崩壊タグをつけていますが不快に思う方がいましたら申し訳ありません。
立花くんは無印の五十二,五十三話に出てきたリトの後輩です。もしかしたらこれからも出てくるかもしれません。