今さらですが2人の介入によって変わらない原作のシーンは飛ばすことにしています
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夏油傑の宣戦布告から数日、百鬼夜行の一週間前
まだ朝日が差し込み始めたばかりの、静かな授業前の教室に二人はいた。
真希は窓の外を眺めたまま、意を決したようにぽつりと口を開いた。
「……聞けよ。気になってんだろ、なんで私が落ちこぼれか」
窓辺に寄りかかっていた照は、その横顔を真っ直ぐに見つめ、静かに頷く。
「……うん」
「禪院家が御三家の一つなのは知ってるだろ? お前、呪術師に必要な最低限の素質ってわかるか?」
自嘲気味な笑みを浮かべ、真希はかけていたいつもの眼鏡を外した。
「呪いが見えることだ。……私はこのダセェ眼鏡がねえと呪いが見えねえ。私の呪具は始めから呪力が籠ってるもんで、私がどうこうしてるわけじゃねえ」
レンズを制服の袖で乱暴に拭きながら、彼女は視線を落とす。
「おかげで家出られたけどな、ほんと最悪だったわ!」
真希の言葉を聞きながら、照の脳裏には、出会ったばかりの頃の彼女の言葉が静かに流れ、重なっていった。
『名字で呼ぶな』
『呪力のことは私に聞くな』
頑なに周囲を拒み、一人で何かと戦い続けていた背中。その理由が、今ようやく、すべて繋がったような気がした。
「真希はどうして、呪術師を続けるの?」
その問いに、真希は眼鏡をかけ直し、不敵に、そして誰よりも力強く笑ってみせた。
「私は性格悪いかんな。呪いも見えねえやつが一級術師として出戻って、家の連中に吠え面かかせてやるんだ! そんで、内から禪院家ぶっ潰してやる」
突き抜けるようなその覚悟に、照の口元から自然と笑みがこぼれた。
「ふっ」
「なんだよ」
怪訝そうに眉をひそめる真希に、照は少し照れくさそうに、けれど心からの言葉を紡いだ。
「かっこいいなって。強くて真っ直ぐに生きてる人、特に真希はずっと頑張ってて逆境にも立ち向かって。……僕にできることなら手伝わせて欲しい。うーん、眼鏡とか?」
「な、なに言ってんだよ……。まあ、手合わせくらいは頼むかもな」
予想外のまっすぐな称賛に、真希は一瞬言葉を詰まらせ、赤い顔をごまかすようにそっぽを向いた。
「なに話してんだ? あとお前ら、なんでこんなとこで見てるんだ?」
その時、教室の入り口に月詠がふらりと現れた。その視線の先、扉の陰で息を潜め、隠れるようにして教室を覗き込んでいた憂太、棘、パンダの姿があった。
「いや、その……」
「シッ、今いいとこ!」
「しゃけ」
「てめえパンダァ!」
「なんで俺だけぇ!」
静まり返っていた教室に、真希の怒号とパンダを追い回す足音が響き渡る。
そんな、他愛のない、けれど温かい日常が、確かにそこにはあった。
そして――現在。
静寂に包まれた戦場で、照の瞳には、かつてないほどに冷徹で強固な殺意が宿っていた。
「くだらないあんたの夢はここで終わらせる。真希を、友達を侮辱した罰はきっちり受けてもらう」
対峙する夏油は、その言葉を可笑しそうに受け流し、三節棍の特級呪具『遊雲』を構える。
「私をなめすぎてないかな。君の呪力はもうじき尽きるだろう? 君は未来を全て懸ける気かい?」
「どうだろうな。お前こそ、憂太をなめてるだろ」
「まあいい、君の覚悟は私にはどうでもいい」
刹那、夏油の呪力が膨れ上がり、周囲の空気が重低音を響かせて軋み始める。
「里香、照君に合わせて」
憂太の声が響いた瞬間、視界を埋め尽くさんとするほどの大量の呪霊が、照の周囲を執拗に覆い尽くした。夏油はそれと同時に、最優先の獲物である憂太と里香に向けて、一直線に攻撃を仕掛ける。
(分断目的……本命は憂太か。強化された呪霊が数百体……前借りした呪力が尽きるまでに、片付ける!)
照は全神経を雷の力へと変え、肉体を極限まで加速させた。
バチバチと激しい火花が散り、視界に入るすべての呪霊を次々と斬り伏せ、焼き払っていく。
秤の術式を参考にした、過剰なまでの呪力供給。
その数分間のタイムリミットの中で、照は荒れ狂う嵐の如く、召喚された五百体近くの呪霊を一人で、完全に、一匹残らず祓いきった。
だが、代償はあまりにも大きかった。
一方で、憂太もまた夏油との死闘を繰り広げていた。己の全呪力を強引に込めたことで刀は激しく破損していたが、その一撃は完璧に夏油を捉え、空間に黒い火花を咲かせていた。
「憂太……こっちは、限界……」
全ての呪力を出し尽くし、照の膝がガクガクと崩れ落ちる。そのまま地面に倒れ込んでいく彼を、憂太は強い眼差しで見届けた。
「ありがとう。あとは、任せて」
里香の巨大な手が、気絶した照の身体を優しくすくい上げ、戦場から少し離れた安全な場所へと静かに運んでいく。
その後のことは、照の意識には残っていない。
凄まじい衝撃波と、世界を揺らすような呪力の衝突。
再び彼がうっすらと目を覚ました時、目の前に広がっていたのは、夏油の姿ではなく、憂太と里香が放った規格外の一撃によって、ただただ巨大に、そして丸く抉れ果てた荒涼たるクレーターの光景だった。
「……う、ん……」
視界の端で火の粉が舞い、焦げ付いた土の匂いが鼻腔を突く。
照が重い瞼をゆっくりと持ち上げた時、最初に目に飛び込んできたのは、クレーターの底で膝をつき、肩で荒い息をする憂太の背中だった。
傷だらけのその背中の向こう、巨大な特級過呪怨霊・祈本里香が、その輪郭を激しく揺らしている。
(……終わった、のか……?)
呪力が底をついた照の身体は、指先一つ動かすことすら拒絶していた。ただ朧げな意識の中で、その光景を静かに見つめることしかできない。
そこに、足音が近づいてくる。
真希を背負い、棘を抱えたパンダと五条先生が、静かにクレーターへ降りてきたのだ。
五条は照の無事を確認するように一度だけ目線を送ると、まっすぐに憂太の元へと歩み寄った。
「五条先生……」
「お疲れ様。みんな無事だよ、よく頑張ったね」
「そうですか……」
憂太は安堵したように、けれどどこかくすんだ表情で自らの手を見つめ、そして、傍らに寄り添う里香を見上げた。
「えっと……僕、里香ちゃんに言ったんだ。一緒にいこうって。だから、僕もいかなくちゃいけないんだ……」
自らの命を贄(にえ)に捧げた縛り。その契約の履行を覚悟し、憂太は静かに死を受け入れようとしていた。だが、
――パキ、と。
静寂の中に、どこかガラスが割れるような、軽やかで冷たい音が響いた。
里香の醜悪な異形の殻が、頭部から剥がれ落ちていく。その内側から現れたのは、白く、柔らかな光。
恐ろしい怪物だった姿はみるみる霧散し、そこに現れたのは、あの日、幼い憂太と約束を交わした一人の少女の姿だった。
「……え?」
憂太の目が驚愕に見開かれる。
五条はそれを、驚くこともなく、静かに見つめていた。
「おめでとう、解呪達成だね」
五条は目隠しの奥の瞳で、因果の糸を完全に見抜いていた。
「君の仮説の通り、君が彼女に呪いをかけてたんだ」
「え……?」
「調査でわかったんだけど君、菅原道真の子孫だった!超遠縁だけど僕と照と月詠の親戚!」
理解していない憂太と動揺する真希たちを無視して五条の淡々とした説明が続く。
「里香ちゃんの死という現実に君が耐えられなかった。彼女の魂を繋ぎ止めておきたいと、君が、里香ちゃんに呪いをかけたんだ」
「……僕が、里香ちゃんに、呪いを……?」
憂太の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちる。自分が彼女を救えなかっただけでなく、六年間もの間、怪物として縛り付け、苦しめていた張本人だったという真実。その絶望に、憂太は崩れそうになった。
「全部、僕のせいじゃないか……里香ちゃんをあんな姿にして、たくさんの人を傷付けて……僕が夏油に狙われたせいでみんなが死にかけた……!全部!全部、僕の……」
泣きじゃくり、自分を責める憂太。
そんな彼の前に、実体を持たない、けれど温かい光に包まれた里香がそっと歩み寄った。
少女の姿をした里香は、優しく、本当に愛おしそうに憂太の顔を覗き込む。
「憂太、泣かないで」
「里香ちゃん……っ」
「里香ね、この六年間、生きてる時より幸せだったよ」
里香はふわりと微笑み、憂太を包み込むように言葉を紡ぐ。
「バイバイ、元気でね。あんまり早く、こっちに来ちゃダメだよ?またね」
光の粒子となって、少しずつ空へと溶けていく里香の姿。
かつて世界を揺るがした最強の呪いは、いま、純粋な一人の少女の想いとなって、呪縛から解き放たれていく。
照は、その光が冬の澄んだ空へと吸い込まれていくのを、ただただ目で見届けた。
(……愛、か)
それはあまりにも深く、そしてあまりにも歪で美しい、呪術の深淵。
静かに目を閉じた憂太の横顔には、もう先ほどまでの悲壮感はなかった。
百鬼夜行の長い一日が、いま、静かに幕を閉じた。
呪術総監部より通達
一、 特級過呪怨霊祈本里香の解呪を確認、乙骨憂太の死刑並びに特級認定を取り消す
二、 天野照および黒羽月詠の術式を『刻廻呪術』と登録し、両名を特級術師に認定する
三、 同両名に対し呪術規定に則り死罪を適用、速やかに死刑を執行するものとする