薄暗い部屋の中、一人の少女が立っていた。
部屋の中はたくさんの紙が敷き詰められ、お世辞にも綺麗とは言い難い。
たくさんの紙の上には何やら大きな紋様が描かれていた。
「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ───」
少女は呟く。
「繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する」
紋様が白く光り出す。
「告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
風がどこからか巻き起こり、白い紙が何枚か吹き飛ぶ。
少女は気にも留めない。
「誓いをここに。
我は常世総ての善と成る者。
我は常世総ての悪を敷く者」
光がさらに強くなる。
それは薄暗かった部屋をまばゆく輝かせるほどだった。
「汝三大の言霊を纏う七天」
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」
少女が最後の言葉を叫んだ途端、光と風は最高峰に到達した。
目を開けることができなくなり、少女は思わず腕で目を覆う。
風が止み、光が小さくなる。
少女がそっと目を開けると───
「サーヴァントアサシン、召喚に応じ参上した
───問おう、貴方が私のマスターか」
見目麗しい黒髪の青年が膝をついていた。
足まである艶やかな黒髪は首の辺りで結ばれ、床に落ちている。
手には青色の籠手、全身には鮮やかな赤い薔薇のタトゥーが刻まれていた。
そして背中には大きな「義」の字。
その所作は荒々しくも繊細なものだった。
はたと目が合う。
翡翠色の目同士が視線を重ねる。
(この人が、私の───)
少女はごくりと唾を飲み込んだ。
「───なぁんてな!よっ!アンタが俺のマスター?」
……かと思えば、青年は先ほどまでの堅苦しい雰囲気を吹き飛ばし、軽快なノリで少女に再度話しかけた。
その差に少女は思わず口をポカンと開けたのだった。
◇◆◇
「ほうほう。つまり、だ。
アンタは探偵事務所をやろうとしてて、それを俺に手伝ってほしいわけだ」
茶菓子をつまみながら、青年は少女の話を聞いてふむふむと頷いた。
「簡単に言えばそうね。助手兼、護衛役をしてほしいなーって」
お茶を飲みながら少女──翡翠は青年に向かって言った。
翡翠は最近大学を出たばかりの才女だ。
探偵業を開始するために資格を取り、家族の反対を押し切って一人暮らしを始めた。
依頼をなんでも取り扱う探偵事務所である。
しかし、それは表向きの話。
実は、彼女は少々有名な家の出である魔術師だった。
回復魔術を得意とし、その延長で薬草や薬に詳しかった。
探偵事務所を開設したのも、サーヴァントを悪用した事件を解決するためだった。
サーヴァントとは、歴史の人物や創作上の人物を英霊として召喚し、使い魔としてマスターが使役する存在のことだ。
本来なら聖杯を用いて行う奇跡だが、現代においてそれは生活に馴染むほどの存在になっていた。
正しい用途と資格さえあれば、その辺りにいる一般人でもサーヴァントを使役できる。
これも現代では一般人の魔力が増大し、簡単な魔術を行使することができるようになったからである。
「なるほどなー。となると、俺は自分がいた時代より超未来に召喚されたわけだ」
「超未来って……確かに魔力が全然無い時代から急に魔力が満ち出した時代になった歴史はあれど、そんな未来でもないと思うけどな」
「いやいや、俺様の時代には魔術のまの字もなかったぜ? スマホなんてものも無かったしな」
「あなたの名前も時代も、何も聞かされてないからなんとも言えないんだけども……」
翡翠は苦笑いを浮かべる。
そう、まだ彼のことを何も聞いてないのだ。
「おっと! そいつは申し訳ない! まだ名乗ってなかったな」
青年は仰々しく席から立ち上がる。
はらりと髪が広がった。
「俺は燕青。しがない無頼漢だ、よろしくな!」
「燕青って……『水滸伝』の?」
「おっ! 俺のこと知ってんのか? なら、話は早い」
燕青といえば、中国四大奇書の一つ『水滸伝』に登場する人物だ。
主人と共に梁山泊に入り、罠に嵌って主人に先に旅立たれた、というエピソードを持つ。
「じゃあこれも伝えとくか。
実は俺を構成してるのは『燕青』だけじゃねぇ。
『ドッペルゲンガー』の要素も含んでいるようでなぁ。
様々な奴に化けることができる」
「……え? ドッペルゲンガー? そんな繋がりなかったと思うけど」
「そこなんだよなぁ。
どうやら燕青だけじゃあ、霊基が足りなかったみたいで。
どっかの誰かさんが俺にドッペルゲンガーの要素を混ぜたんだとよ」
「なんでそんなことになってるの…?」
「さあな。ま、細かいこと気にしても仕方ねぇだろ?
重要なのは今をどうするかだ」
前向きな彼──燕青の言葉に翡翠はそれもそうだと思い直す。
「で、」
「で?」
「どうかしら? わたしと探偵、やってくれる?」
「うーん、そうだなぁ」
お茶を飲んで燕青が言葉を濁す。
「ま、面白そうだからいいぜ」
かと思えば、あっさりオッケーを出した。
「ホント? 良かったぁ」
「というか確認なんかしなくても、令呪なりなんなり使って無理やり言うこと聞かせてもいいだろ?
なんでわざわざ俺の意思を聞くんだ?」
燕青が不思議そうに聞いてくる。翡翠はあっけらかんと言い放った。
「当たり前でしょう? 無理やり言うこと聞かせるなんて嫌だもの。
サーヴァントだろうと、あなたはあなたの意志がある。わたしはそれを無下にしたくないの」
今度は燕青がポカンとする番だった。
しばらくして、突然燕青は笑いだした。
「ちょっ、なんで笑うの!?」
「いやぁ、なんてお人好しなマスターなんだろう! と思ってな」
「お人好しって……否定はしないけど……」
ムスーっと翡翠は怪訝な顔をする。
ひとしきり笑ったあと、燕青は翡翠に向き合った。
「で、最初は何するんだ? 探偵様?」
「そうね、まずは────」
翡翠はジッと燕青の全体像を見た。
◇◆◇
「おいおい、まだ買うのか?
もう薬草は充分だろ。薬屋でも開く気か?」
「これも重要な出費よ。わたしの根幹に関わる物なんだから」
数多の店が並ぶ商店街にて、両手いっぱいの紙袋を持ちながら燕青は文句を垂れた。
翡翠が最初に行ったのは燕青のコーディネートだった。
流石に上半身裸の男を連れて街を歩くわけにはいかない。
今の燕青は中国風の白い服に黒のズボンを履いていた。
籠手も外され、彼の白くゴツい手が露わになっている。
「ほら、新真(シンシン)さん。これもお願い」
「はいはい、主の仰せのままに……現界して初めての仕事が荷物持ちとはなぁ」
新真と呼ばれた燕青は小言をぼやきながら、翡翠に言われた荷物を持つ。
新真というのは燕青の偽名だ。
探偵という仕事をする以上、真名で呼ぶのはマズイと翡翠が判断したからだ。
「だからといってシンシンはないだろうよ…俺はパンダか?」
「何か言った?」
「なにも。早く買い物終わらねぇかなってさ」
「ごめんね、もう少しだから」
「謝るなって。ちょっとしたジョークだよ、ジョーク」
なんともやりづらい。
腰が低いマスターというのも厄介なものだな。
そうぼんやりと燕青は思ったのだった。
「ふぅ、やっと終わった。お疲れ様、燕青さん」
「いいってことよ。それにしても沢山買ったなぁ。
本当に薬屋でも開くか?」
探偵事務所に帰ってきて、燕青は一息をついた。
「だから薬屋じゃないって。これはわたしの魔術に必要なものなの」
お茶を出しながら、翡翠は再度重要性を抗議する。
「回復魔術を専門とする家なんだろ?
だったらそれで医者でも開けばいいじゃねぇか」
「……医者じゃダメなの。探偵じゃなきゃ」
「なんでそこまでこだわるのか、俺様にはわからねぇなぁ」
ずずっとお茶を啜り、燕青は片肘をつく。
「……とにかく、わたしは買った薬草を奥の作業場に持っていくから。
燕青さんはゆっくりしてて。お疲れ様」
「……なぁ、探偵さんよ」
そそくさと奥に引っ込もうとした翡翠を呼び止め、燕青は真剣な眼差しを向ける。
「……なに?」
「あんた、俺に隠してることあるだろ」
「隠してるって、そんなつもりはないけど」
「どうしてそんな探偵にこだわるんだ? 何か事情でもあるのか?」
「…………はぁ、そうね。バレないわけがないよね。もう少ししてから伝えるつもりだったんだけど」
ふぅと息を吐き、翡翠は奥に行きかけた足を止めて燕青に向き合う。
その瞳は綺麗な緑色をしていた。
「あなたの言うとおり、わたしが探偵にこだわるのには訳がある。
でも、実にくだらない理由よ。それでも聞く?」
「勿体ぶってないで話してくれよ。どんな理由だろうと笑わねぇよ」
「────復讐するためよ」
「復讐?」
カタンと茶碗が音を立てた。
「そう、復讐。わたしはね、わたしの家族を殺した奴を捕まえたいの」
「ちょっ、ちょっと待て。けどアンタ、家族がいるって話してなかったか? 反対を押し切って探偵始めたとも」
「義理の、ね。
一人になったわたしを拾ってくれたのが今の家族なの。
あの人たちは良い人達だから、巻き込みたくない」
復讐、などと言う顔はとても真剣で。
燕青は思わず息を呑む。
「十数年前、とある邸宅が燃やされた。
森の中の、立派な邸宅。
その日は突然だった。
ごうごうと燃える家。
叫び声なども聞こえない、ただ燃える音だけが響く森で、わたしだけが生き残った。
わたしが、ただ薬草を取りに行っていたというだけで……!」
ギリっと音がする。
見ると耐えるように少女の顔が歪み、両の拳が固く握られている。
「わかるのは、『黒い女のサーヴァントを連れていた』ということだけ。
たったこれだけの情報で探そうなんて、正気の沙汰じゃないことはわかりきってる。
でも、どうしても諦めきれないの」
そこまで話すと、翡翠は笑みを浮かべた。
それはとても自虐的で、どこまでも美しい笑みだった。
「さて、これが本当の目的よ。どう? 実にくだらない理由でしょう」
「……あぁ、実にくだらないな」
「………」
「だからこそ、気に入った」
「………え?」
翡翠は呆然とする。
「復讐? 上等! それぐらいしなくちゃあ、俺のマスターは務まらねぇ!」
「……てっきり、『復讐なんて危ないことをするな』なんて言われるかと思った」
「あ? そんなこと言わねぇよ。むしろ復讐なんて人間らしい動機、付き合わない方が面白くないだろう!」
呵呵と軽快に笑う燕青。
「まぁ、こんな無頼漢を呼ぶぐらいだしな。
最後まで、付き合ってやるよ」
そう答えた彼はまさに英雄であり、悪漢であった。
燕青さんのバレンタインもなかなか重いと思うの、わたし。
(投稿当時、バレンタインイベント開催中)