春の陽気も終わり頃、翡翠探偵事務所には閑古鳥が鳴いていた。
「あ〜暇だ〜」
リビング兼応接室で事務所の主、翡翠がソファーの上で伸びていた。
「だらけてるなぁ、マスタぁ」
それを上から覗いてきたのは燕青。彼女のサーヴァントだ。
「仕方ないでしょー。暑くなってきたし、あんなにあったペット探しの仕事も無いし!」
「まぁな。そういや宗教の詐欺事件からもうじき1ヶ月か」
「あんな大きな事件、そうそうあってたまるものですか。平和が一番だよ〜」
「それ、探偵のあんたが言うのか?」
事件が無ければ探偵の仕事も無いだろうにと、燕青は呟く。
「あ、そうだ!」
突然、翡翠が起き上がる。
ぶつからないよう、燕青が体を反らす。
「お出かけしよう!」
「お出かけ?」
燕青が首を傾げる。
「ちょうど薬草切れてたし、銀行にも用があるし!
今日は誰も来ないだろうから、今こそお出かけに最適でしょう!」
「また薬草買うのかぁ?この間いっぱい買っただろう」
「ちょっとだけだよ、ちょっとだけ!足りなくなったやつがあるから買い足しに行かないと」
じゃあ準備してくるねと、翡翠は自室に戻っていく。
「まったく、従者使いの荒いマスターだこと」
燕青はぼやきつつも、満更でもない表情を浮かべた。
◇◆◇
「新真!ほらこっちこっち!」
朗らかな天候の中、翡翠と燕青はいつもの商店街に来ていた。
翡翠はお気に入りの華やかなワンピースに袖を通し、木で出来たブレスレットを手首に付けている。
無論、令呪が刻まれている右手にはシルクの手袋をしていた。
「見てこれ!とっても綺麗!」
「ほーん、こいつは確かに綺麗だな」
目に付いたのは青いプラスチックで出来たバレッタ。
星空のような模様が付いた、女の子らしい一品である。
「なんなら俺が買ってやろうか?
律儀な誰かさんのおかげで、給料はたんまりあるしな」
「そんなのいいよ。お給料は自分の為に使って」
「使う機会がないから困ってる訳なんだが」
燕青は苦笑いを浮かべる。
翡翠は律儀に毎月給料を燕青に渡していた。
サーヴァントとマスターという関係であるにも関わらず、である。
まったく、どこからそのお金は出てくるのか。
燕青は呆れていた。
「お酒とかに使えばいいじゃない。新真、お酒好きでしょ?」
「酒は好きだが、一人で飲むのはな……マスターがお酌してくれるなら話が変わってくるんだが」
「はいはい、また今度ね」
結局、翡翠はバレッタを買わずに店を出た。
その後、薬草を買い足したり、アイスを食べたり、燕青の洋服を見たり……
これでは、まるで───
「なーんか、デートみたいだな?」
「なっ……!?」
燕青がニヤリと笑う。
翡翠は顔を真っ赤にさせた。
「へ、変なこと言わないでよ!」
「変?いやぁ事実に基づいて言ってるんだけどなぁ、俺」
「どこが事実よ!?」
翡翠が叫ぶ。
道を歩いていた何人かが振り返った。
「も、もう!わたし銀行行ってくるから!
燕青は荷物取りに行ってて!!」
「はいはい、分かりましたよっと」
つい真名を口走ってしまったことにも気づかず、翡翠は怒って行ってしまう。
「さーて、俺も行くとしますかねー…………と?」
燕青は思わず翡翠の向かった方向を見る。
そこには黒い集団が殺気立った表情で銀行に向かう途中だった。
「もう!燕青ったら、デートなんて冗談言って……」
翡翠はブツブツ言いながら銀行に入った。
銀行は大きい商店街には不釣り合いなほど小さな建物だった。フロアは一階しかなく、窓口も三つしかない。
そのため人が少ないであろう時間帯に関わらず、一組待ちの表示が出ていた。
(仕方ない、札取って待っとこ)
翡翠は受付から番号札を取り、空いているソファーへと座った。
その時、
「オラァ!全員しゃがめぇ!!」
パーンという乾いた音が響く。
見ると、玄関の方から十数人の黒ずくめの男達が入ってきたのだった。
・
・
・
「おし、これで全員だな」
両手を縛られ、床に座らされる。
銀行強盗だ。
翡翠は心臓がドクンと跳ねるのを感じた。
(どうする……?)
翡翠は額に汗を滲ませる。
強盗は11人。
対して捕まっている人数は自分を含め14人。
子供もいる以上、迂闊に動くことが出来ない。
(サーヴァントが居ないのは救いか)
サーヴァントが居ようがいまいが危険なことに変わりないのだが、少しほっとする。
基本、サーヴァントにはサーヴァントをぶつけるのが常識だ。
なぜなら、サーヴァントには基礎体力から人間より優れており、凡そ人間がかなう相手ではないからだ。
だが、サーヴァントがいれば楽なのは確かである。
しかし、燕青とは外で別れてしまった。彼の力を借りることは出来ない。
(わたし一人で何が出来る?)
必死に頭をフル回転させる翡翠。
しかし有効打を見つからない。
その時、
「わーん!怖いよー!ママーー!!」
突然、子供が泣き出した。
こらやめなさい!と、母親らしき女性が慌ててなだめているのが分かる。
「おい!うるさいぞガキィ!」
リーダー格とおぼしき男が近づき、子供の腕を掴む。
子供はますます泣き声を大きくした。
周囲の顔が青ざめる。
「やめなさい」
その時、女性がスっと立ち上がった。翡翠である。
「なんだぁ?このオンナぁ?」
子供の腕を離し、翡翠に近づく男。
「子供に突っかかって、情けないと思わないの?大の大人が」
「なんだ嬢ちゃん。今どういう状況か分かって言ってんのか?」
「わかっているわよ。アンタ達がどうしようもなくみっともない存在だってね!」
「はぁ?なんだとこのヤロウ!?」
胸ぐらを掴まれる。それでも翡翠は止まらなかった。
「女子供にしかこうやって手をあげられないんでしょ。これが情けなくないならどう言えばいいの?今どき銀行強盗なんて、ダサい奴らがやることよ」
「てめぇ……俺を誰だと思ってんだ!!」
「どうとも思ってないわよ!!」
翡翠が叫ぶ。
「こんなことしたって、家族が悲しむだけ。あんたが最低の親不孝者だってこと以外、何とも思わないわ!」
「このアマぁ!俺を甘くみるんじゃねぇ!!」
突然男がナイフを取り出し、翡翠に差し向ける。
鋭い痛みを想像し、翡翠は目をつぶった。
「おいおいリーダぁ、そりゃないって」
突如、響き渡る別の男の声。
恐る恐る目を開けると、ナイフはその男の手によって止められていた。
「なっ、テメェ何しやがる!」
「こんなの振り回してちゃあ、危ないよぉ?マスターに当たったらどうすんのかい」
「えん……せい?」
男の声は明らか燕青の声。
その男がニヤリと笑った。
「テメェ何モンだ!俺達の仲間じゃねぇな!?」
「大した者じゃないさ。ただ、通りすがりの侠客でね」
男がさらさらと変化を解いていく。
現れたのはサーヴァント姿の燕青だった。
「まずはその手離してもらおう、か!」
リーダー格の男に足払いをし、それと同時に翡翠を掴んでいた手を離させる。
「ぎゃ!」
リーダー格の男は派手に転んだ。
ナイフも取り上げ、翡翠の拘束を外す。
「ありがとう……アサシン。でもいつの間に?」
「最初からさ。妙に怪しい連中が居たもんでね、ドッペルゲンガーの力を使って潜り込んだら大当たりってわけだ」
黒ずくめの男達がザワザワと騒ぐ。
それらを一瞥し、翡翠は告げる。
「こうなったら力ずくで大人しくさせるしかないようね。
アサシン、頼める?」
「お易い御用さ。あんたの命令なら」
右手の手袋を外す。
刻まれた令呪が赤く光り出す。
「令呪をもって命じる───悪党懲らしめちゃって!」
「承知ィ!」
「あ、死なない程度によろしく!」
「難しい注文だなっ、と!」
まず燕青は近くにいた男に腹蹴りを食らわせる。
そのまま流れるようにもう1人の腕を折り、別の男を足払いでこけさせる。
その様はまるで踊っているようで、戦闘中だというのに見とれてしまう。
「と、止まれぇ!!」
すると、一人の男が手を銃の構えにして黒い光弾を放つ。
(ガンド……!)
ガンドは相手の体調を崩す呪いの一種。一般人程度の魔力なら一瞬だけ動きを止める程度……なのだが、時にガンドは凄まじい威力を発することがある。この時はまさに後者だった。
「マスター!」
燕青を狙ったと思われるガンドは外れ、あらぬ方向──翡翠の方へ飛ぶ。
「っ!」
咄嗟に右手で庇う。しかし、その程度で防げるものでもない。
燕青の助力も、間に合わない。
その時、キィィィィンと音がして、翡翠を襲ったガンドが消えた。
否、弾かれた。
彼女の周りに魔力障壁が現れ、ガンドを弾いたのだ。
「っ、アサシン!」
翡翠が声をかける。
その声をキッカケに、燕青が最後の一人に詰め寄る。
「ぎゃっ」
あっという間にくだし、制圧完了する。
そして遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来たのだった。
◇◆◇
「なぁ、マスター」
警察からの事情聴取が一段落したころ、燕青が翡翠に話しかけた。
「あの、魔術弾いたやつはなんだったんだ?」
「ああ、あれはコレのおかげよ」
翡翠がポケットから取り出す。
それは今日身につけていた木のブレスレットだった。
しかし、朝繋がっていたそれらはバラバラになっている。
「これ、お父様の形見なの。ヒイラギの木で出来ていてね、魔除けの加護が張ってあったの」
「魔除けの加護、ねぇ……それでガンドを弾いたって訳か」
「うん。でも、壊れちゃったけどね」
少し残念そうにブレスレット撫でる。
「あーそのこと、なんだが」
すると、燕青が気恥ずかしそうに言った。
「そんな大事なものとは知らず、恐縮なんだが……その代わりと言っちゃあしょうもないかもしれねぇけどよ……あぁもう、言い訳ばっかだな!ほらこれ!」
グイッと翡翠の元に押し付けてきたそれは、昼間見かけたあの青いバレッタだった。
「えっ、あのバレッタ!?」
「あんた、物欲しそうにしてただろ」
「いつの間に……」
「店出る時に買っておいたんだよ」
バレッタを陽の光に当てる。
それはキラキラ輝いて、本物の星空のように見えた。
「あー……気に入らないならテキトーに捨てて……」
「そんなことない!」
翡翠はギュッとバレッタを握りしめる。
「とっても嬉しい。ありがとう」
それはそれは花の咲いたような笑顔で。
燕青は胸を掴まれたような、そんな心地になるのだった。