量子幽霊は観測されたい   作:限界ボンバーヘッド

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貴方は観測していますか?それとも、観測されていますか?





第二話 観測と逆転

「君は、観測されたいと思ったことがあるかい?」

同じ台詞。

同じ声。

同じ理科準備室。

違うのは、僕の側だけだった。

 

「……観測波?」

名前を呼ぶ。

呼んだ瞬間、彼女の輪郭が一瞬だけ乱れた。まるで電波の悪い映像みたいに。

 

「それは、私の名前かな?」

 

「昨日までそうだった」

 

「昨日?」

彼女は首を傾げる。

動きが、ほんの少し遅延している。フレームレートが低い存在みたいだ。

 

「測良子、だよね」

 

「覚えてるじゃないか」

 

「覚えてる、というより……収束してる」

黒板を見る。

昨日僕が見たはずの式は、少し変わっていた。

 

Ψobserver × Ψobserved → collapse

「昨日、消えたのは私だったんだね」

 

さらりと言うな。

 

「学校中から存在が消えてる」

 

「うん。たぶん、私は観測されなかった

 

「昨日あんなに見たろ」

 

「君だけが」

彼女は笑う。

 

「世界にとって、観測は十分な回数が必要なんだよ」

 

それは民主主義みたいな理屈だった。

多数決による実在。

 

僕はスマホを取り出す。

写真フォルダ。

ない。

 

昨日、理科準備室で撮ったはずの写真が消えている。

だが——

一枚だけ、ノイズまみれの画像が残っていた。

制服姿の誰か。

顔の部分だけ、確率の砂嵐。

 

「……これ」

 

「それ、量子幽霊」

 

「でも、消えたはずだ」

 

「消えたんじゃない。確定した」

 

「違いは?」

 

「私が曖昧になった」

 

等価交換、というやつだろうか。

観測できる存在の総量が一定なら、誰かが収束すれば、誰かが拡散する。

 

「保存則かよ」

 

「存在保存則。いいね、論文書けそう」

 

彼女は笑うが、足元が半透明になっている。

 

 

§

 

 

その日の授業中。

 

僕はある実験をした。

観測波のことをクラスメイトに聞いてみた。

 

「観測波? 誰それ」

 

「うちのクラスだけど」

 

「うちのクラスは38人だろ?」

 

数える。

確かに38人。

昨日は39人だったはずなのに。

僕の記憶だけが浮いている。

 

いや。

本当にそうか?

 

「なあ」

後ろの席の男子が言う。

 

「さっきから何もない席に話しかけてるけど大丈夫か?」

 

振り向く。

そこには、空席。

だが、僕には見えている。

観測波が、そこに座っている。

 

ノイズ混じりで。

 

「測良子」

彼女が囁く。

 

「逆転してる」

 

「何が」

 

「観測してるのは、君だけ」

 

つまり。

彼女は僕の世界にしか存在していない。

他の人間にとって、彼女は未収束の波動関数。

そして僕は。

 

「俺が観測者?」

 

「そう。唯一の」

 

嫌な予感がする。

 

唯一、という言葉はいつも不吉だ。

 

 

§

 

 

放課後。

理科準備室。

 

「ねえ、測良子」

観測波は棚に座っている。半分透けながら。

 

「もしさ、観測者が消えたらどうなると思う?」

 

「哲学か?」

 

「物理」

即答だった。

 

「観測者がいない世界では、全部が重ね合わせになる」

 

「じゃあ、世界はカオスか?」

 

「いいや、安定するかも」

 

「は?」

 

「だって、収束しないなら、確定しないなら、矛盾も確定しない」

彼女は笑う。

 

「戦争も、死も、失恋も。全部起こったかもしれないで済む」

それは優しい地獄だった。

 

そのとき。

理科準備室のドアが開いた。

 

入ってきたのは、知らない女子生徒。

いや。

知っている気もする。

制服。

黒髪。

表情が、ない。

ノイズ。

 

「……また来た」

観測波が呟く。

 

女子生徒は言う。

「観測、ありがとう」

 

声が、二重に聞こえる。

一つは現実の音。

もう一つは、直接頭に響く。

 

「あなたが観測したから、私は存在できた」

 

「昨日の……量子幽霊?」

 

「今は違う」

 

彼女ははっきりしている。

輪郭が安定している。

 

「私は収束した」

 

「じゃあ観測波は」

 

「代わりに、曖昧になった」

 

やはり等価交換。

存在の総量は一定。

 

「なあ」

僕は言う。

 

「これ、元に戻せるのか?」

女子生徒は首を振る。

 

「観測は不可逆」

エントロピーかよ。

 

「でも」

彼女は続ける。

「逆転はできる」

 

「何が違う」

 

「観測者と被観測者を入れ替える」

 

観測波が、静かに言う。

「測良子。君が観測される側になればいい」

 

「は?」

 

「君が曖昧になれば、私は戻る」

 

意味はわかる。

つまり。

僕が消えればいい。

 

「嫌だね」

即答だった。

 

観測波は笑う。

「安心して。完全には消えない」

 

「信用できるか」

 

「私を信用しないなら、誰を信用するの」

それは卑怯な問いだ。

 

女子生徒が近づく。

「あなたを、観測します」

 

「ちょっと待て」

彼女の瞳が、こちらを見る。

 

その瞬間。

 

世界が、ノイズに包まれた。

僕の手が透ける。

床の感触が遠のく。

音が遅延する。

 

「測良子!」

観測波の声が遠い。

 

「観測されるって、こういうことかよ……!」

 

輪郭が崩れる。

思考が分散する。

僕は今、1でも0でもない。

重ね合わせ。

存在と非存在の中間。

 

そのとき。

ふと思った。

 

もし僕が完全に曖昧になれば。

誰が、この物語を観測する?

読者

作者

 

それとも——

 

「まだだ!」

僕は叫んだ。

 

「俺は俺を観測する!」

 

自己観測。

自己言及。

量子論最大の禁忌。

 

だが。

その瞬間、世界が強制的に収束した。

 

閃光。

静寂。

 

そして——

理科準備室には。

三人、立っていた。

僕。

観測波。

そして、収束した女子生徒。

誰も、透けていない。

 

「……保存則、破ったな」

観測波が笑う。

 

「自己観測。ズルい」

女子生徒が言う。

 

「でも、その代償は来る」

 

「代償?」

 

彼女は黒板に書く。

Ψworld = unstable

 

「世界が、不安定になる」

 

その瞬間。

 

窓の外の空が、反転した。

昼なのに星が見える。

校舎が、少し傾く。

遠くで悲鳴。

観測波が囁く。

 

「測良子」

 

「何だ」

 

「観測しすぎた」

 

世界は今。

収束過多。

確定しすぎて、壊れかけている。

 




収束と反発。観測と未確定。
何が事実で何がフィクションか、決めるのは貴方です。


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