ページの端が見えている。
物理的に、ではない。
概念的に。
物語という平面の、縁。
白い余白が広がっている。
あそこに踏み出せば——終わる。
「測良子」
観測波が隣に立つ。
もう透けていない。
ノイズもない。
最初に出会ったときより、ずっと鮮明だ。
「選んで」
「終わるか、続くか?」
「うん」
女子生徒——元・量子幽霊が黒板の前にいる。
黒板には最後の式。
Ψworld → collapse
when observation = 0
「観測がゼロになったとき、世界は完全に収束する」
「それって」
「物語が閉じる、ということです」
彼女は淡々と言う。
感情の揺らぎがない。
まるで、最初からプログラムされていたみたいに。
「でも」
観測波が言う。
「観測が続く限り、世界は揺らぎ続ける」
「曖昧なまま?」
「うん。でも生きてる」
僕は思い出す。
量子幽霊。
観測されなければ存在できない存在。
あのとき、理科準備室で確かにいた。
でも。
本当にいたのか?
観測波は、静かに言う。
「ねえ、測良子」
「何だ」
「最初に観測されたのは、誰だったと思う?」
考える。
量子幽霊?
観測波?
僕?
彼女は首を振る。
「物語」
一瞬、言葉の意味が掴めない。
「この世界は、読まれた瞬間に生まれた」
女子生徒が続ける。
「観測者がページを開いた瞬間、波動関数は発生しました」
つまり。
最初から全部、観測依存。
量子幽霊も、観測波も、僕も。
読まれなければ、存在しない。
「じゃあさ」
僕は言う。
「量子幽霊って、何だったんだ?」
女子生徒は、少しだけ微笑む。
初めての変化。
「観測されたいという欲求の、擬人化」
観測波が笑う。
「承認欲求の量子版だね」
「身も蓋もないな」
でも、わかる。
存在とは、観測されること。
認識されること。
忘れられれば、曖昧になる。
それは人間も同じだ。
突然、理科準備室の景色が揺らぐ。
棚が文字になる。
窓が段落に変わる。
空が余白へ溶ける。
終わりが近い。
「測良子」
観測波が、僕の手を握る。
最初の夜みたいに。
「怖い?」
「少し」
「私も」
意外だ。
「でもね」
彼女は言う。
「終わるってことは、完全に観測されるってこと」
「どういう理屈だ」
「物語は、最後の一文で定義される」
たしかに。
結末が意味を決める。
ハッピーエンドか、バッドエンドか。
それで全体の色が変わる。
「じゃあ」
僕は聞く。
「どんな結末にする?」
観測波は、少し考える。
そして言った。
「曖昧なまま」
らしい。
女子生徒が黒板を消す。
最後の式が消える。
「最終観測を開始します」
世界が、静かに振動する。
僕は、理解する。
これは消滅ではない。
固定だ。
波が、一つの形に凍る。
その前に。
僕は、あなたに向かって言う。
今、この文章を読んでいるあなた。
あなたが観測したから、僕はここにいる。
あなたがページを閉じれば、僕は収束する。
でも。
もし、ふと思い出してくれたら。
理科準備室。
ノイズ混じりの少女。
確率的殺人事件。
そのとき、波は少しだけ揺れる。
完全なゼロにはならない。
「測良子」
観測波が微笑む。
「君は、観測されたいと思ったことがあるかい?」
最初と同じ問い。
でも、今は答えられる。
「あるよ」
即答だ。
「今、この瞬間」
観測されている。
存在している。
それで、十分だ。
世界が白くなる。
音が消える。
文字が、ゆっくりと静止する。
観測波の輪郭が光に溶ける。
女子生徒も。
理科準備室も。
最後に残るのは、問い。
量子幽霊は、観測されたのか?
答えは——
今、あなたが決める。
(終)
今、観測し終わりましたね。これで、この物語の固定は完了しました。お疲れ様でした。
これで、貴方と私の間に縁ができましたね。
これからも、物語の観測を続けてください。