揺れるカーテンから伸びた月の光に、私は願いを込めて翔ちゃんに聞く。
「翔ちゃん。その…もう遅い時間だし、泊まっていく?」
「…いいの?じゃあ、泊まる。あと…初ねぇからお姉ちゃんに連絡して欲しい。僕の電池切れちゃった」
甘えるように泣き腫らした跡を残した小さな彼女は、私の手を取る。
でもやっぱり、少し冷たいこの手は…スルリと通りすぎてしまいそうで。
私は、少し強く握りながら祥ちゃんにメッセージを送る。
【祥ちゃん。今日、翔ちゃんは私のお家に泊まるみたいだから心配しないでいいよ】
【そう、良かったですわ。翔子が何処にも居なくて今探していた所でしたの。初華、ありがとうございますわ】
【ううん、私がしたくてしたことだから。きっと、明日になったら帰ると思うから】
【分かりましたわ】
翔ちゃんは、そんな文字の流れを私の肩に頭を乗せながら苦しそうに眺めていた。
「お姉ちゃん…心配してくれてたんだ」
「うん、だから明日には祥ちゃんに元気な姿を見せないとね?」
「うん…じゃあ、初ねぇ─一緒に寝て…?」
青の髪の隙間から月のような彼女の瞳が震えて。
縋るように、消えてしまいそうに私を覗く。
だから、その思いに答えるために私は軽い彼女をそのまま抱えて私のベットへ連れていった。
「…あっ、初ねぇの匂い。やっぱり、好き」
ベットへ二人で寝転がるとスンスンと翔ちゃんは私の体に遠慮しながら、でも離れることのないように触れる。
…そういえば、祥ちゃんが言っていた。翔ちゃんは暗い所が大嫌いで、誰か信頼できる人がいないと目を閉じることも寝ることも出来ないって。
─そっか、翔ちゃん。私のこと、信頼…してくれてるんだ。
でも、少しだけ離れている冷めた熱に私は調子に乗って私よりも遥かに小さいその体を引き寄せた。
「わっ、は…初ねぇ─?す、少し近いかも…。恥ずかしい、から」
小動物みたいに、精一杯の弱い力で離れようとする翔ちゃんが可愛くて…つい私は力を込めて抱き締めた。
「ダメだよ。あんまり毛布も大きくないから風邪引いちゃう」
「うぅ、でも…」
「ほら、そろそろ寝ないと…明日も学校あるんだよね?」
「…むぅ。初ねぇ、イジワルだね。なら、仕返し。─ちゅ。おやすみ」
「…えっ?」
急な事で驚いて止まった思考でも頬っぺたに残る熱によって、私は今頬にキスされたことに気づいた。
ぼうっと、燃えるように熱くなる体が冷たい彼女の体温に融かされてすっかり目が覚めてしまった。
けれど翔ちゃんは何事も無かったかのように目をつぶって…ぎゅっと私の体に寄り添って小さな吐息を吐いていた。
─こう、しっかり見てみるとやっぱり祥ちゃんと翔ちゃんは全然違うな。
翔ちゃんの頭を撫でながら、私はそんなことを考えて目を閉じる。
でも、一向に訪れない眠気に嫌気が差して目を開いた。
そして、目の前に広がったのは頬を濡らし、小さく何かを呟き続ける翔ちゃんの姿だった。
つい、何を呟いているのか、気になって私は顔を近づけた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい─」
翔ちゃんは、震えながら止まらない涙と共にずっと謝っていた。
あぁ、そっか。きっと、多分翔ちゃんはもうとっくに壊れていたんだ。
今日、私が手を取らなかったら…きっと、本当に死んでしまっていたのかもしれない。
この、翔ちゃんの体温の冷たさはまるでもうこの世界に未練がないって言ってるみたいで。
「だめ、だめ。そんなの、絶対許さない…」
思わず漏れ出た、黒い霧が私を包んで力強く翔ちゃんの体を抱き締める。
それでも、泣き止まない彼女に対して出来ることなんて私にはなくて…ただただ淡い花の香りを抱き締め続ける。
でないと、目が覚めた時…もう消えてなくなってしまいそうだから─。
鳴り響く電子音と、やけに暖かい体温に僕は目が覚めた。
─昨日、何があったんだっけ。
そんな、寝ぼけた僕の思考と瞼を擦って…目の前に広がった光景に僕はビックリして初ねぇから離れようとする。
でも、力の差が余りにも大きくて…仕方ないから初ねぇの肩を揺らした。
「初ねぇ…?朝だよ、起きて」
…うぅ、全然起きない。どうしよう…?顔を触ってみる?…いや、なんか良くないよね。
…うん、諦めて待とう。きっともうちょっとで起きるでしょ。
かち、かち。時計の音だけが鳴る。
そんな不必要な時間でも人の暖かさがあるだけで何処か嬉しくなる。
…ふふっ。ちょっとだけ、こういうのもいいかも。
そう感じて自分の少し、緩んだ顔に僕は気が付かなかった。
「…んぅ、あれ…朝…?─翔ちゃん…?」
「あ…やっと初ねぇ起きた。そろそろ、準備しないとだから…離して?」
「あ、ごめんなさい…。えっと、朝ごはん準備するね?」
「ううん、朝食べないから。あ、初ねぇ…?」
何処か茫然と初ねぇは立ち上がって僕の返事を聞かずにキッチンへ歩いていく。
…どうしたんだろう?もしかして、寝起き弱いのかな。
…まぁ、いいか。準備しないと。
寝癖を取り敢えず適当に直して、僕はギターとカバンを持って初ねぇの立つキッチンへ向かう。
「あ、翔ちゃん。簡単なものだけど…はい」
そう言って出されたのは焼きたてのトーストに目玉焼きとベーコンが乗った地味に凝ったものだった。
─これぐらいなら、食べれるかな。
「ありがとう、初ねぇ」
「ううん、えっと…飲み物はココアでいいかな?」
「うん!あ、手伝うよ?」
「大丈夫。座ってて?私がやりたいことだから」
…なんだか、初ねぇぼーっとしてるみたい。まだ、目覚めてないのかな…?
でも、ちょっとだけ…ちょっとだけ思っちゃった。僕を見ていないのは嫌だな…って。
だから、仮面のない僕はその思いのまま動いてしまった。
「はい。砂糖いっぱい入れてるけど苦かったら言ってね?」
「うん…ねぇ、初ねぇ?─ちゃんと、僕を見て?」
昨日の、初ねぇがしたみたいに僕は初ねぇの顔を触れて…目を合わせる。
─あ、写った。…って、僕何してるんだろ?見られないのが当たり前なのに…。
「翔…ちゃん。大丈夫、見てるよ…だから、泣きそうにならないで…大丈夫だから。ね?」
「…泣きそうになんて、なってないよ?あむっ…美味しい!あ、初ねぇの分はないの?」
悲しそうに、僕を見て初ねぇは昨日みたいに僕の頭を撫でてくる。
初ねぇ、不思議なこと言うなぁ。僕全然泣きそうになんてなってないのに…。
「…うん、私は大丈夫。って、翔ちゃん?」
「ダメだよ…?ちゃんと食べないと!ほら、僕の半分食べて?初ねぇが用意したものだし!む、半分にできない…いいや、ほらあーん!」
「あ、あーん。ん、ありがとう…翔ちゃん。後は食べて?私も準備しないと…」
「はーい!」
見えなくなっていく初ねぇを目で追ってからパクパクとトーストを必死に詰め込んで、ココアで流し込む。
…うっ、やっぱり多いかも。でも、初ねぇがわざわざ僕のために作ってくれたものだし…全部食べないと。
なんとか、食べ切って僕は戻ってくる初ねぇを待った。
「よし、翔ちゃん?そろそろ行こっか」
「ん…?初ねぇ朝から仕事?」
「ううん、翔ちゃんを学校まで送ろうと思って。いや、送りたくて」
そう言いながら、初ねぇは僕の手を掴んで玄関まで連れていった。
「別にいいのに…」
「ダメ。送らせて?」
「…もう、分かったよ」
少しだけ、強く返す初ねぇの声に僕は流されてしぶしぶその手を握り返した。
─初ねぇの手、暖かい…。それに、なんだかこんな強引なとこ、お姉ちゃんみたいだな。
「翔子、お帰りなさい。心配…していたんですのよ…」
お昼休み、僕の教室に来たお姉ちゃんに連れられてやって来た中庭には睦姉さんとそよお姉様もいて、どうしようと悩んでいた僕にお姉ちゃんは優しく抱きついて涙を溢しながら呟いた。
あぁ、お姉ちゃんの体は酷く暖かくて…痛い。でも離れたいのに、離れられなくて…どうしようもなく宙に舞った手でお姉ちゃんの体に触れた。
「…ごめんなさい。昨日は、その本当に体調悪くて。でも、もう大丈夫!だから、ほらお姉ちゃん?ボクは笑顔が見たいな~?」
「もう、翔子。本当に心配したんですのよ?茶化さないで」
「うん…祥、昨日…私の家来た。だから…次、悪い時は側にいさせて」
「睦…!?それは言わないでと伝えた筈ですわ!─翔子?」
光に照らされたお姉ちゃんの顔には泣いたような跡があって、僕はやっとそこでお姉ちゃんの中にも僕の居場所があったことに気が付いた。
きっと、きっと…僕はずっと見落としていたんだろう。
だから、もう見落とさないようにお姉ちゃんの顔に触れた。
やっと僕の目に写ったお姉ちゃんの顔は、思っていたより子供らしくて…霧が晴れた。
あぁ、そうだよね。まだ、Ave_MujicaもIt's MyGO!!!!!も始まってないんだもん。ずっと、変な期待をしていたんだ。
僕が仮面を被っていたみたいに、僕は皆に未来の…アニメの彼女達の仮面を着けていたんだ…。
きっと、これからも僕は皆にそんな仮面を着けてしまう。
でも、その度にちゃんと見てみよう。まだ、ここに僕がいてもいいかなんて、分からないけれど。
迷子になっても…進んでいいって。全てを忘れて、明日を生きていく…ってそう、この世界。いや、あの世界で教わったから。
一歩だけでも、踏み出してみよう…。僕は、もう…この世界で生きるしかないんだから。
「…お姉ちゃん、今日も練習あるの?」
「えぇ、翔子の体調が悪くなければやる予定ですわ」
「…そっか、じゃあ準備しないと。そよお姉様も睦姉さんも一緒に行くんだよね?」
「うん、その予定だよ。あっ、もしかして二人で話したいことがあったりするの?そうなら、私は睦ちゃんと二人で向かうけど…」
「ううん、一緒に行けたら嬉しいな~って思っただけだよ?それに、それだと仲間外れみたいで悲しいもん!ボク、皆と居たいから…ね」
春の日溜まりの中、僕はとっくにボロボロに壊れた仮面を外してその光を受け入れた。
でも、この時の僕はよく考えてなかった。その一歩が未来にどれ程の影響を与えてしまうかを。
だから、仮面が壊れてしまったように…運命の歯車もまた壊れ始めていく─。