皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
正月が過ぎ、本格的な冬が訪れた。
寒さが厳しさを増し、天候の悪い日が続くなか、
シンボリルドルフは千葉の『本拠地』で、屋根付き運動場を使い地力強化に励んでいた。
「はっは、もう一本いくぞ、シリウス!」
今年から練習に参加した後輩へ、ルドルフが檄を飛ばす。
「まったく……アイツ、タフすぎんだろ……」
新加入のシリウスシンボリは、前を行く先輩を睨みつけ、
“負けてたまるか”と必死に食らいついていた。
「私も頑張らなきゃ!」
シンボリフレンドが二人の後を追う。
シリウスは畏怖で顔を歪め、ルドルフは気迫を脚へ注ぎ込む。
すぐにフレンドがシリウスを抜き、ルドルフに並びかけた。
「譲りませんよ」
「ふふ、いい根性してるわね」
姉妹の競り合いは、まるで終わりのない併走のようだった。
楽しげに走る二人を、シリウスは悔しそうに追う。
フレンドは横目で妹を確認する。
「ほら、手の振り方。雑になってない?」
「こうですか?」
「そう、OK」
即座に修正できるようになった妹に満足げに頷き、
フレンドは再び前へ集中する。
そして後ろへ視線を向ける。
「シリウス! 抜かれても簡単に諦めない!」
「チクショウ! 分かってるよ!」
歯を食いしばりながら、シリウスは必死に追った。
スピードシンボリの叱咤激励と、現役重賞ウマ娘の直接指導。
その全てが、ルドルフたちの血肉となっていく。
アップダウンのあるコースを、三人は何十本も駆け続けた。
ペースを緩めれば、すぐにスピードの声が飛ぶ。
冬の地乗り――耐えることを覚える季節だ。
「ルドルフ、脚力が増したな」
スピードの評価に、ルドルフは嬉しさを隠せない。
努力が実を結ぶ瞬間は、誰にとっても励みになる。
ルドルフとフレンドが同時にフィニッシュし、シリウスが少し遅れて到着。
スピードはストップウォッチを押し、満足げに頷いた。
「一旦、休憩を挟もう!」
三人は息を整える。
「フレンド姉さん、調子良さそうですね」
ルドルフがスポーツドリンクを渡すと、フレンドは短く礼を言い、一口飲んだ。
「まあね。ルドルフのトレセン学園入学が近いから」
妹に良いところを見せたい――その気持ちが、彼女を奮い立たせていた。
秋に出会った東条トレーナーとルドルフ。
その後、東条からのアプローチはなかった。
スピードシンボリが釘を刺したのだ。
だが裏事情を知らないルドルフは、不敵に笑う。
「私も楽しみです。姉さんと一緒にトレーニングして、トゥインクルレースで勝ちたいです」
「まあ、私も高等部だし……いつまで現役を張れるか」
小さな不安が胸をよぎる。
だが、妹に心配をかけまいと、すぐに表情を整えた。
「そう、私もね。『ルナ』と一緒に走るのが夢よ」
フレンドは人差し指でルドルフの鼻をちょんと触れた。
まるで希望の魔法をかけるように。
「その夢を叶えたら、トレセン学園を卒業かな。サブトレーナーを目指すの」
「姉さんなら適任ですよ。後進育成は向いています」
ルドルフは素直にそう言った。
実際、フレンドの指導は的確で、ルドルフもそのおかげで成長してきた。
フレンドは照れたように微笑むと、表情を引き締めた。
「私は明日、学園に戻るわ」
「レースに出るの?」
「ええ。調子がいいから、今すぐにでも走りたいくらい」
現役として残された時間は多くない。
一戦一戦が真剣勝負だ。
「先ある娘は、いいわねぇ……」
フレンドが寂しげに呟く。
シリウスも歩みを止めた。
「サブトレーナーを志すのはね……」
三人の視線が集まる。
「……私の夢。全てのウマ娘が幸せであって欲しいの」
慈愛に満ちた表情に、二人は息を呑む。
「だから、スピさんの『シンボリ』のウマ娘たちへの支援を手伝うわ」
皐月賞もダービーも走った。
芝もダートも、短距離から中距離まで勝った。
泣きもしたし、笑いもした。
その全てに感謝している。
だからこそ、URAに、ウマ娘たちに恩返ししたい。
まずは自分の出身『シンボリ』から――。
「フレンド姉さん、素晴らしいよ。そんな夢、誰も持てるものじゃない」
ルドルフは姉の両手を取り、強く握った。
「そうだよ。勝ったのもウマ娘。二着以下もウマ娘。
レースは時の運もある。それだけで人生の全てが決まるわけじゃない」
「ルドルフ……」
姉妹の大望が一つになる。
ルドルフはその手を離さなかった。
頃合いを見て、スピードが現実へ引き戻す。
「フレンド、出走は半月後の初富士賞だな」
「気を抜くなよ。昨年夏の関屋記念以来の実戦だ。今回はダート中距離」
スピードの言葉に、フレンドの頬が引き締まる。
「そう、金蹄賞を勝った時みたいに……あれを再現する」
金蹄賞から京王杯スプリングハンデへと連勝し、重賞初制覇を果たしたあの勢い。
もう一度――。
「姉さん、頑張って」
「もちろん」
ルドルフの声に、フレンドは力強く頷いた。
「いずれにしても、時間は限られている。悔いのないようにな」
スピードの言葉に、フレンドは真剣な表情で応える。
ルドルフは、また姉と離れる寂しさを覚えた。
だが、ウマ娘として理解している。
それでも胸の奥に、孤独が沈んだ。
「さあ、休んだらもう一本行くぞ」
「はい!」
三人は寒空に抗うように、再び走り出した。
――そして、一月半ば。
ルドルフは入学に向けて順調に鍛錬を積んでいた。
その日、スピードの声が響く。
「シンボリフレンドが、初富士賞に出走するぞ!」
三人は休憩ルームへ駆け込む。
スピード、シリウス、ルドルフがテレビに釘付けになった。
「アイツも頑張っていた。調子も悪くないし、いい結果が出るといいんだが……」
ゲート前で屈伸するフレンドの表情には、悲壮感すら漂う。
再起を賭けた一戦。
重賞勝ちのウマ娘が、プライドを捨てて挑むプレオープン戦だ。
生徒会長としての責務、後進の指導。
自分のトレーニングよりも他人を優先する生活。
その結果、調子を落とし、惜敗が続いた。
――もう、無様な姿を妹に見せたくない。
その思いが、画面越しにも伝わってくる。
ルドルフは胸が熱くなり、息を呑んだ。
レースが始まる。
フレンドの走りは悪くない。
冬の空気を切り裂くように、集中していた。
「向こう正面で三番手か」
「折り合いもいいですね」
勝てなかった時のような気負いはない。
初重賞制覇の時と同じ流れだ。
「久しぶりに……勝てるかな」
ルドルフの呟きに、二人も頷く。
三コーナーへ差し掛かった、その瞬間。
「フレンド姉さん、ドンピシャのタイミング!」
加速しようとしたフレンドの右足が――
ガクリと崩れた。
「あっ!!」
三人は総立ちになった。
スピードを乗せたまま、バランスを失う。
右足が踏ん張れず、制御不能。
「だめだ、止まらない!!」
ルドルフの悲鳴も虚しく、
シンボリフレンドは頭から地面へ落ちていく。
テレビのスピーカー越しにも、
凄まじい衝撃音が響いた。
地面に叩きつけられ、
フレンドはゴロゴロと横転を繰り返す。
他のウマ娘たちは避けるのに精一杯。
隊列が通り過ぎ、倒れたフレンドだけが取り残された。
カメラは無情にも、レースを追い続ける。
フレンドの姿は画面から消えた。
「姉さんっ!!」
ルドルフは出口へ走ろうとするが、
シリウスに抱き止められた。
「離せ! 姉さんの所へ……中山レース場へ行くんだ!!」
画面では、先頭争いが映っている。
だが、ルドルフにはもう何も見えていなかった。