皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★プロローグ 姉、シンボリフレンドのこと。 その4 アクシデント(後編)──ルドルフのやるべきことは?

「ルドルフ、落ち着け!」

シリウスシンボリが必死に羽交い締めにする。

スピードシンボリも立ち上がり、肩を押さえた。

「今、無駄に動いても意味がない!」

だが、ルドルフの抵抗は止まらない。

押さえれば押さえるほど、抜け出そうとする力は激しくなる。

普段は思慮深い彼女には珍しい姿だった。

スピードが苦渋の表情で右手を上げる。

「『ルナ』、止めろ!」

パン、と乾いた音が響いた。

スピードの手がルドルフの頬を打つ。

その瞬間、すべての動きが止まった。

幼名を呼ばれたルドルフは、悔しさに震えながらスピードを睨む。

荒い息が三人の間で絡み合った。

「私がURAの上層部に連絡を入れる」

スピードは両腕を広げ、必死に説得する。

「救急車で病院に搬送されているはずだ。まずは状態を確認してからだ」

そして、冷徹な現実を突きつけた。

「今のシンボリルドルフには、何も出来ない」

その言葉が胸に突き刺さり、ルドルフの力が抜けていく。

シリウスに押さえられていた腕が、するりと落ちた。

膝が床に崩れ、四つん這いになった背中が震える。

涙がポタポタと床を濡らし始めた。

次の瞬間――

ルドルフは嘔吐した。

悲鳴のような、泣き声のような音が部屋に満ちる。

喉から迸る枯れた声。

その惨烈な姿を、スピードとシリウスはただ見守るしかなかった。

千葉県船橋市。

中山レース場と同じ市内にある緊急病院。

集中治療室前の長椅子に、東条トレーナーとシンボリルドルフが座っていた。

東条はツイードのジャケット、ルドルフはジャージ姿。

レース場から駆けつけたままの格好だった。

二人は出会った瞬間、言葉を交わすこともできず、

ただ長椅子に崩れ落ちた。

医師からは「本来は来てはいけない」と言われたが、

師匠と妹の強い願いに押され、

“治療室の前にいることだけ”が許された。

薬品の棘のある匂いが鼻を刺す。

夜の病院は暗く、青白い照明だけが頼りだった。

「……申し訳ない。こんなことになってしまって」

東条が項垂れ、声を絞り出す。

「調子は良かったんだ。だけど、それが裏目に出た」

ルドルフは無表情のまま前を向いている。

「絶好調だったからこそ、勝ちたい気持ちが出すぎて……力んでしまったんだ」

東条の声には痛恨が滲む。

「焦りもあったのかもしれない。このところ負け続けていたから……

チャンスを掴みたかったんだろう。体調の維持が難しい娘だから、なおさらだ」

沈黙が落ちる。

どれほど時間が経ったのか分からない。

ルドルフは両手を膝に置き、震える指先を見つめていた。

瞼を閉じれば、テレビで見た“膝が崩れる瞬間”が蘇る。

心が乱れ、目を見開く。

――シンボリフレンドは右脚を脱臼し、横転。

その際、肋骨が肺に刺さる重傷を負った。

救急搬送され、到着後すぐに大手術。

肺と骨の処置、脚の整復。

手術はつい先ほど終わったばかりだった。

医師の説明は厳しいものだった。

――現役復帰は難しい。

――まずは命が助かるかどうか。

帰宅を促されても、二人は動けなかった。

その時、影が近づく。

「ルドルフ……」

耳がピクリと動き、やつれた顔が上がる。

「スピード、さん?」

スピードシンボリが心配そうに立っていた。

東条も疲れ切った表情で顔を上げる。

「お迎えに上がりました。東条トレーナー、ルドルフ」

柔らかな笑みが、二人の憔悴を包む。

「フレンドをご心配なのは痛いほど分かります。

一命は取り留め、小康状態とのことです。予断は許しませんが……」

そして、ルドルフへ向き直る。

「ただ、ルドルフ。君には“やるべきこと”があるはずだ」

「それは……」

ルドルフは息を呑む。

「トレセン学園に入学し、クラシック戦線に名乗りを上げることだ」

スピードは拳を握り、自らの胸を叩いた。

「そこには、君をライバル視するビゼンニシキを含め、多くの猛者がいる。

厳しい茨の道だ。その王道を進むには、力が必要だ」

そして、静かに問いかける。

「ここで姉を見守ることが……フレンドの本意に適うのか?」

その言葉が、ルドルフの瞳孔に火を灯した。

「……違う。姉さんは、皐月賞とダービーで私が勝つのを望んでいる」

胸が熱くなる。

フレンドが果たせなかった夢――クラシック制覇。

それを叶えられるのは、自分だ。

「そうだな。ここにいても、しょうがない」

ルドルフは顔を上げた。

東条も重い腰を上げる。

「一旦、帰るしかないか……」

「空港近くの『本拠地』に戻ったら、今日は休みなさい。

トレーニングは明日から、様子を見ながらだ」

東条は教え子に向けるような口調で言った。

ルドルフは素直に頷く。

「じゃあ、駐車場へ行こうか」

スピードが車のキーを握る。

まず本拠地へルドルフを送り、その後で東条を府中へ送るつもりだ。

三人は青白い廊下を歩き出す。

ルドルフはちらりと病室を見た。

(フレンド姉さん……頑張れ)

トレセン学園への入学。

春のクラシック戦線。

姉と交わした“同じレースに立つ”という約束。

その全てを胸に、ルドルフは深夜の病院を後にした。

 

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