皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
咳き込みながら、フレンドは続ける。
「私が勝てなかった皐月賞とダービーを……獲って。
そして……スピードさんがハナ差で負けた菊花賞を勝って……
無敗の三冠ウマ娘に……なって……!」
生命を削るような願いだった。
「その……スピードさんでも果たせなかった夢……
日本の全てのウマ娘の夢……
海外GⅠ……凱旋門賞を……制覇して……!」
その瞬間、フレンドの身体が大きく震えた。
「そこまでです!」
医師がルドルフを引き離そうとする。
「フレンド姉さん!!」
叫びは、機器の警告音にかき消された。
注射器が準備され、メーターが激しく動く。
怒号が飛び交い、病室は戦場のようだった。
その時――
「ルナ! 走って!!」
凛とした声。
全員がフレンドを見た。
ルドルフは再びベッドへ駆け寄る。
医師たちが道を開けた。
フレンドは息も絶え絶えだった。
「……私は……もう……ダメ」
「弱気なこと言わないで……姉さんは強いウマ娘だろ……!」
フレンドは小さく首を振り、唇を震わせる。
「シンボリの……そして……全てのウマ娘の……幸せを……見たかった…… それが……私が……生徒会長になった……理由……」
瞼がゆっくりと閉じる。 呼吸は浅く、弱く、途切れそうだった。
「もう……時間がないの。明日には……アメリカへ……」
「アメリカ……?」
「長期療養のための……特別な施設。家族でも……会えない場所……」
前から予定されていたが、もう、一刻の猶予もないという。
ルドルフの胸が締め付けられる。 「そんな……!」 フレンドは微笑もうとしたが、力が入らない。
「ルナ……あなたは……前へ進んで…… 皐月賞と……ダービーを……獲って…… スピードさんが……果たせなかった……菊花賞も…… そして……海外GⅠを……」
言葉が途切れ、呼吸が乱れる。 医師が駆け寄り、機器の警告音が鳴り響く。
「フレンド姉さん!!」
ルドルフが叫ぶ中、 フレンドは静かに意識を手放した。 眠るように、穏やかな表情で。
「命は助かりました。ただ……長期の治療が必要です。 明朝、アメリカの専門施設へ搬送されます」
スピードが息を呑む。 ルドルフは膝をつき、震える声を漏らす。
「……会えないのか……?」
医師は静かに頷いた。
「少なくとも、しばらくは」
「そんな……嘘だろ……!」
ルドルフは崩れ落ち、姉の手を握る。 温もりはあるのに、返事はない。
「寮は相部屋で過ごすって……言ってたじゃないか…… 一緒にレースを走るって……言ってたじゃないか……!」
返事はない。 ただ、静かな呼吸音だけが続く。
「なんでこうなるんだ……!! 一人にしないで……フレンド姉さんーーーっ!!」
スピードは震えるルドルフの背を支えるしかなかった。
東条トレーナーが駆け込む。 だが、すべては終わっていた。
「……アメリカへ行くのか」
スピードが小さく頷く。
「今日が……最後の面会でした」
東条は言葉を失い、ただ立ち尽くす。
――そして残酷にも、 ルドルフは“姉のいない”トレセン学園へ入学する。 あれほど恋い焦がれた場所。 だが、そこに居場所があるのかは分からない。
ただ、運命は冷酷に、 シンボリルドルフを“皇帝”へと導こうとしていた。