皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★第一章ジュニア編 その2 トレーナーは誰?(PART2)──秘められた過去

「どうするんですか、東条さん」

石上サブトレーナーの詰問が、トレーナー室に鋭く響いた。

椅子に腰を下ろしたばかりの東条は、ホッカイペガサスとイズモランドのトレーニングメニューをバインダー越しに確認していたが、その手が止まる。

「このままだと、宮園トレーナーにルドルフさんを奪われますよ?」

『選抜レース』での圧勝以来、二名のトレーナーが名乗りを上げた――そんな噂を無視するように、東条は書類に視線を落としたままだ。

石上の眉がつり上がる。

「聞いてるんですか?」

机を叩く音が重なり、東条は逃げるように立ち上がった。

バインダーを脇に抱え、部屋を出ようとドアを開ける。

廊下に出ると、石上が慌てて追いすがった。

「何考えてるんですか!」

痛烈な言葉も、東条には届いていないようだった。前だけを見据え、歩みを止めない。

「東条さん、ゆかりのウマ娘でしょう。姉のシンボリフレンドはあなたのチームだった。スピードシンボリ先輩とも深い縁がある。母親だって――」

「俺だって考えてる!」

東条の怒声が廊下に反響した。

「千葉の『本拠地』で、俺が“ルナ”と口にしたあの日からだ。あれ以来、ルドルフは俺に不信感を抱いている。……だが、手をこまねいていたわけじゃない」

東条の目が鋭く光る。

「スピードシンボリに口を利いてもらって、『御大』に会ってきた」

“ルナ”という幼名に隠された秘密を知るために。

 

――千葉の『本拠地』。

荘厳な屋敷の最奥、薄暗い和室。

上座に鎮座する『御大』は、年齢すら判然としない威圧感をまとっていた。

「東条トレーナーか。遠路、大儀である」

その声音だけで背筋が震えた。

「恐れながら……知りたいことがあり、参りました」

『御大』は顎をさすり、鋭い眼光で東条を値踏みする。

「ルドルフの母親のことだな」

「……はい」

床の間に飾られた大小の日本刀が、静かに光を返す。

一歩でも誤れば斬られる――そんな緊張が走る。

「よかろう」

『御大』の口が開いた瞬間、空気が重く沈んだ。

「それは、母である“ルナ”に降りかかった運命なのだよ……」

――その内容は、あまりにも重かった。

 

東条は、石上にその事実を語りながら歩いていた。

「……御大から聞かされたのは、断片だけだ」

石上は黙って耳を傾ける。

「ルドルフの母親には、ある“出来事”があったらしい。

詳しいことは、家の中でもほとんど共有されていない。

ただ……二人の娘を守るために、何かが起きた。

そして、その後――母は海外へ移された」

石上が息を呑む。

「そんな、フレンドさんと同じだなんて……」

東条は首を横に振った。

「似ているようで……質が違う。

フレンドは“今”の喪失だが、母親は……“空白”のまま残された喪失だ。

御大は“運命”とだけ言った。

それ以上は語らなかった。

私にも、真相は分からない」

石上は言葉を失う。

「……ルドルフさんは?」

「幼かったからな。

覚えているのは、姉の声と……母の背中だけだそうだ。

その日を境に、母は姿を消した。

会うことも、消息を確かめることも許されなかった」

東条の声には、どうしようもない無力感が滲んでいた。

「私は……その空白を埋めてやりたかった。

過去を共有し、前へ進む力にしてほしかった。

だが……」

「それは……」

石上が言葉を選ぶように歩みを緩めた、その時。

「その話、聞かせてくれませんか?」

東条の前に、制服姿のシンボリルドルフが立っていた。

腕を組み、静かに、しかし圧をまとって。

「ルドルフ……」

東条は思わず名を呼んだ。

どうやら、石上との会話を聞いていたらしい。

「いいよ。話すよ……」

ルドルフは唇を結び、覚悟を決めたように頷いた。

東条は、知り得る限りの“断片”を語った。

――姉シンボリフレンドと、母と過ごした、あの日々の“断片”を。

 

だが語れば語るほど、言葉は空を切るように虚しく響いた。

語られた事実よりも、語られなかった部分の方が、はるかに重かった。

ルドルフは、ほとんど表情を変えなかった。

ただ、わずかに視線を落とし、長い睫毛が影を落とす。

その沈黙は、どんな言葉より雄弁だった。

「……それだけ、なのですね」

静かな声だった。

怒りでも悲しみでもない。

ただ、深い底に沈んだような響き。

「すまない。

私にも、それ以上は……」

東条の言葉は途中で途切れた。

ルドルフの横顔に、淡い失望が浮かんだからだ。

それは責める色ではなく、

“また真実に触れられなかった”者の、静かな諦念だった。

ルドルフは何も言わず、二人の横を通り過ぎていく。

足取りは乱れず、背筋は伸びたまま。

ただ、その歩みには、どこか影が差していた。

廊下の光が彼女の影を長く伸ばし、揺らめかせる。

東条は伸ばしかけた手を、途中で止めた。

呼び止める言葉が喉まで出かかったが、声にはならなかった。

足も動かない。

ただ、遠ざかる背中を見送るしかなかった。

「……怒らせてしまったな」

東条は自嘲気味に呟いた。

その声は、先ほどよりもずっと小さかった。

「本当は、ルドルフを理解していると伝えたかった。

共に前へ進むため、過去を共有したかった。

だが……私は、ただ“空白”を突きつけただけだ」

深い自己嫌悪が胸に沈む。

石上は何も言えず、ただ隣に立つしかなかった。

 

一方、ルドルフは悩ましい表情で歩いていた。

自分の進むべき道を探しながら、

闇の中を手探りで進むように。

――母の記憶は、今も霧の向こう側にある。

その霧は、皆が守っているのか。

それとも、自分が忘れたのか。

答えは、どこにもなかった。

 

 

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