皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
シンボリルドルフから“課題”を突きつけられた翌日のことだった。
「あら、またお会いしましたね」
授業後のカフェテラス。
トレーニング前に一息つくウマ娘たちで賑わう中、
ルドルフは東条に声をかけられた――いや、偶然出くわしたのだ。
「確かに、よく出くわすな……」
東条は少し面食らった表情を見せた。
昨日、母親の話をして彼女を怒らせたのではないか――
そんな痛切な思いが、彼の表情に滲んでいた。
(でも……この顔を見ると、なぜか気軽に声をかけたくなる……)
ルドルフは、自分でも不思議なほど、東条に心を開きつつあった。
彼に理解してほしい――そんな気持ちが芽生えていた。
そして、普段なら決して見せない“身の上話”を口にする。
生徒会長として怖がられること。
趣味はチェスであること。
そして――
「後は、言葉遊びが好きだぞ」
「へぇ、どんなのだい?」
東条が興味深そうに身を乗り出す。
ルドルフはキリリと顔を引き締め、誇らしげに言った。
「ダジャレ言ったのは、誰じゃ!?」
「ぷっ……」
東条は吹き出しそうになった。
笑うべきか、堪えるべきか――判断に迷うほどのくだらなさ。
「えっ、面白くなかったか?」
ルドルフは顎に手を当て、真剣に考え込む。
その姿が可笑しくて、東条はついに堪えきれず爆笑した。
周囲のウマ娘たちが驚いたように振り返る。
ホッカイペガサスやイズモランドも目を丸くしていた。
「いや、ツボにはまったよ。楽しかった」
東条は涙を拭いながら笑った。
「ルドルフ、どう? 紅茶でも飲んでいく?」
自然と出た誘いの言葉。
「分かった」
素直な返答が心地よい。
二人はティーカップを挟んで向かい合った。
ルドルフの会話は、驚くほど楽しかった。
ダジャレ、四字熟語、軽妙な言葉遊び――
あの真面目なシンボリルドルフに、こんな一面があったとは。
数十分の短い時間だったが、
その甘美なひとときは東条にとって愛おしいものだった。
ルドルフも名残惜しそうに席を立った。
偶然と必然が入り混じるような、不思議な感覚が二人を包んでいた。
(……本当に偶然なのか?)
東条は、何かに手繰り寄せられているような気がして、
少しだけ怖くなった。
「東条トレーナー、ちょっとよろしいでしょうか?」
トレーナー室に入ろうとした瞬間、
若い声に呼び止められた。
「マルゼンスキー……」
スーパーカーと呼ばれた名ウマ娘が、学園ジャージ姿で立っていた。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
丁寧に頭を下げる。
東条も緊張を覚えた。
「実は、お手伝い頂けないでしょうか?」
「どういう?」
「ルドルフちゃんが、外部の取材を受けることになりまして」
「取材?」
東条は首を傾げる。
「ええ。それで、同行していただければと」
マルゼンは両手を擦りながら頼み込む。
「今、正門に記者の方が来ていますので。行ってみてください」
「……分かりました」
東条が正門へ向かうと、
マルゼンスキーは小さく呟いた。
「これでいいのですよね、スピードシンボリさん……」
まるで東条に聞かせるような声だった。
さすがはシンボリルドルフ。
デビュー前にもかかわらず、記者からの取材依頼が来る。
東条は“トレセン学園の人間”として同行することになった。
ルドルフの“普段の姿”を見せるのがコンセプトらしい。
取材内容は、
ホームシックになった新入生ウマ娘を励ます――というもの。
マルゼンスキーが悩みを聞き、
ルドルフがそっと寄り添う。
二人のコンビネーションは絶妙だった。
最後には、悩んでいたウマ娘が笑顔で礼を言うほど。
ルドルフは、他者の幸せを願う時、
驚くほど優しい笑みを浮かべる。
東条はその姿をカメラに収めた。
(カシャ)
春風が鹿毛の髪を梳き、
中央の流星が光を受けて輝いた。
――奇跡の一枚だった。
マルゼンスキーと談笑するルドルフもまた、魅力的だった。
孤高だが、孤独ではない。
他者を思いやる心が、彼女を支えている。
東条は小さく呟いた。
「……課題が、見つかったかな」
取材後、東条はチーム東条の新加入ウマ娘――
ホッカイペガサスとイズモランドのトレーニングに立ち会った。
軽いランニングでもスピードが乗る。
二人とも順調で、オープン級を狙える素質がある。
本来なら、ルドルフも一緒に走っているはず――
その思いを胸に押し込め、東条は夜のトレーナー室に戻った。
静まり返った学園。
資料が散乱した机。
天井の照明を仰ぎながら、東条は考え続ける。
(ルナ……母親が大好きだったルドルフ。
その母を、俺は少しだけ見ていた。
気の強さは姉妹に似ていた。
だが、走りへの情熱は本物だった)
母の唯一の勝ち星。
それを知る者は少ない。
(あの血……“ルナ”の性格は、母と姉を通じて、俺が一番知っている……)
だが、千葉の本拠地で“ルナ”と口にした瞬間、
ルドルフは拒絶した。
(本当に……俺は彼女のトレーナーになれるのか?)
姉フレンドを育て、重賞を取った。
だが、それは本当に自分の力だったのか?
もっと出来たことがあったのではないか?
あの事故は避けられなかったのか?
思考が堂々巡りを始める。
(どこのチームに入ろうと、ルドルフの“闇”を取り除けなければ意味がない)
母を失い、姉に依存し、
その姉を事故で失った。
心に深い爪痕が残らないはずがない。
「……ルドルフは、耐えがたい痛みを抱えている」
東条は呟いた。
(どうすれば、彼女を“普通”に戻せる?
どうすれば、走る喜びを取り戻せる?)
答えは出ない。
背伸びをした瞬間――
「おわっ!」
バランスを崩し、背中を床に打った。
机から資料が雪崩のように落ちてくる。
「痛って……」
顔に落ちたスクラップブックを手に取る。
そこには、フレンドと母の体調に関する資料が挟まっていた。
(これは……)
東条は床に胡坐をかき、資料を読み始めた。
1ページ、また1ページ。
深夜の静寂に、紙をめくる音だけが響く。
(やはり……そうか……)
夜はさらに更けていく。
徹夜になるかどうかは、神のみぞ知る。