皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
春の終わり。
東京レース場の空は厚い雲に覆われ、梅雨を先取りしたような色をしていた。
混雑する場内を、トレセン学園の夏制服を着た二人のウマ娘が急ぎ足で進む。
「シリウス、こっちだ」
シンボリルドルフが指定席を指さす。
後ろからついてくるシリウスシンボリは、赤い瞳を輝かせながらも、腰まで伸びた鹿毛の髪を乱暴に揺らしていた。
「けっ、先輩ヅラしやがって……」
「何か言ったか?」
「別に」
そっぽを向くシリウスに、ルドルフは小さく噴き出した。
「何が可笑しいんだよ」
背伸びした悪態が、かえって可愛らしい。
「お前もトレセン学園に入るからには、一度は見ておかなければな」
スピードシンボリの進言だと言いながら、ルドルフは歩みを進める。
シリウスも覚悟を決めたように頷いた。
「ああ、日本ダービーは見たいレースだ。クラシックの最高峰だからな」
皐月賞、菊花賞と並ぶクラシック三冠。
その中でも日本ダービーは別格――
数多の伝説を生んだ舞台だ。
観客席に出ると、シリウスは興味深そうにターフを見渡し、
トレセン学園生徒専用の席に腰を下ろした。
今日は学園主催のレース見学会。
シリウスは入学候補生として参加していた。
制服はスピードシンボリから借りたものだ。
『さあ、いよいよトゥインクルレースの祭典!
第五十回、日本ダービーのスタートです!』
アナウンサーの声が高まり、
G1ファンファーレが鳴り響く。
場内は洪水のような歓声に包まれた。
「すげえっ!」
シリウスは思わず耳を塞ぐ。
『一番人気はミスターシービー!
道悪の皐月賞を制した実力バ!
良バ場の府中で二冠なるか!?』
スタンド前のスタート地点に視線が集中する。
サイドにアクセントの入った髪。
「CB」の文字を象ったミニハット。
大胆不敵な水色の瞳。
白を基調に緑と黄のチューブトップ、へそ出しルック、パンタロン。
誰もが、その姿に見入った。
やがてゲートインが始まり――
全ウマ娘が揃うと、静寂が訪れる。
『スタートです!』
「えっ!?」
シリウスが声を上げた。
ミスターシービーが出遅れたのだ。
ダッシュも悪く、最後方。
「彼女、何やってんの?」
「わざとじゃないでしょうね!?」
周囲の学園生もざわつく。
シービーは最後方のまま一コーナーへ。
向こう正面でも動かない。
「後ろすぎるだろ……」
「泰然自若。己を貫く腹か」
シリウスが歯噛みすると、ルドルフは腕を組んだ。
「まあ、ここからだな」
三コーナーの坂に差し掛かる。
シービーが――動いた。
「バ群、捌けるのか……」
シリウスが息を呑む。
八百を切る。
前は厚い壁。
だがシービーは迷わず外へ。
細い隙間をこじ開け、一人、また一人と抜いていく。
「強いな」
ルドルフが呟いた。
大欅を過ぎ、四コーナー。
勢いは止まらない。
「うわ、四番手まで押し上げた!」
直線へ向く。
『ミスターシービー、追い込んで先頭!』
アナウンサーが叫ぶ。
シービーは内へ切れ込み、バ場の真ん中を突き抜ける。
内外で叩き合い。
だが――シービーは譲らない。
「実にエゴイスト。素晴らしいナルシストだな」
ルドルフの口元が吊り上がる。
直線の独演。
追走するウマ娘たちは届かない。
『先頭はミスターシービーでゴールイン!』
大観衆の歓声が爆発した。
「いや、すげーや!」
シリウスは顔を赤くし、興奮を吐き出す。
「最後方から死んだふり……
三コーナーでバ群を縫って……
四コーナーで前を捉えて……
直線で早め先頭、そのまま押し切り……!」
矢継ぎ早の言葉に、ルドルフが頷く。
「三コーナーからの脚、相当だ。
スピードもスタミナも絶対値が違う」
「直線の瞬発力と持続力が決め手だな」
シリウスは晴れ晴れとした表情を見せた。
「いいレース、見せてもらった」
「ああ、そうだな」
ルドルフは目を閉じ、深く息を吸う。
そして――目を開いた。
「だが、次は我々の番だ」
「それは……」
「来年は私。その次は君だぞ」
平然と、当然のように言い放つ。
二人の間に、無言の覚悟が走った。
「ルドルフ……分かった」
シリウスは頷いた。
「ならば、学園に戻るか」
「それは……」
「ああ、これから併走だろ。シリウス」
“月月火水木金金”――旧海軍のスパルタ精神まで持ち出す。
「無茶な……」
言いかけて、シリウスはルドルフの顔を見る。
その表情は――待っていた。
「……ふふ。アレを見せられたら、やるっきゃないな」
ルドルフが笑う。
「さて、急ぐか」
シリウスが拳を叩き合わせた。
「よし、競争だ。負けたらミネラルドリンク一本な」
「上等じゃねーか!」
赤い瞳が闘志で燃え上がる。
「ふふ、やる気なのはいいことだ」
ルドルフも走り出す。
二人は混雑する場内を縫うように駆け抜け、
レース場外へ飛び出した。
まるで、さっきのシービーの再現のように。
制服姿のウマ娘二人が、府中の街を疾走する。
「はっはーっ、走りたくてしょうがねぇ!」
「そうだな。レースを見て刺激される。
我々は根っからのウマ娘だ」
「違いない!」
梅雨前の湿気を振り切るように、二人は加速した。
夕方の府中市街を、
本能を剥き出しにしたウマ娘たちが駆け抜けていく。
――ダービーが終われば、ジュニア級の新バ戦が始まる。
もちろん、シンボリルドルフも出走する。
今は、その激戦への闘志を蓄える時だった。
シリウスを従えながら。