皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
「直線1000メートルだと? あいつ正気か?」
「人のやらないことをやるそうだよ」
ビゼンニシキの驚きが、宮園チームのルームに響き渡った。
ロッカーが震えるほどの声量だ。
向かい側でテンガロンハットを指で弾いた宮園は、
小さく息を漏らした。
「シンボリルドルフ……クラシック路線を目指してるんでしょ?」
ビゼンの口元が歪む。
「一般的には、そういう風評だな」
宮園は落ち着いた声で返し、テレビへ視線を向けた。
だがビゼンはそっぽを向いたままだ。
「まったく、東条トレーナーはルドルフが何でも出来ると思ってるらしい」
距離もバ場も展開も不問――
そんな無茶が通るのかと腕を組む。
「それで千直でデビューだとさ」
テレビには、梅雨明け直後の新潟レース場。
曇り空、前日の雨でバ場は不良。
第三レース、ジュニア級メイクデビュー。
十人の若いウマ娘がゲート前で緊張している。
6番、シンボリルドルフ。
悠然とゲートインを待つ姿は、すでに風格があった。
「人数は手頃だが、ブロークンヒルは骨があるな」
宮園が名を挙げる。
「ただ、ルドルフはさすがだな」
「どこがよ」
ビゼンはむくれた。
「この前のトレーニング、流すような走りで一番時計だった」
「……知ってるわよ」
ビゼンは口を尖らせた。
「まあ、見てやろうじゃないか」
宮園が余裕を装うと、ビゼンもテレビに目を向けた。
『さあ、ジュニア級新バ戦!
新潟名物・芝直線1000メートルに十人の若人が集いました!』
若いアナウンサーの声が響く。
スタート地点は左端。
上り下りの坂を二度こなし、残り400メートルからはフラット。
ゴールまで一直線。
「靴が軽いな」
ルドルフはつま先でターフを叩いた。
蹄鉄は鉄製からアルミ合金へ。
軽さよりも、踏み込みの鋭さが際立つ。
「ふふ、勝負鉄とはよく言ったものだ」
胸を張り、昂ぶりを抑える。
「何いい子ちゃんぶってんだよ!」
ブロークンヒルが睨む。
だがルドルフは涼しい顔。
東条の指示を反芻する。
「千直だが、マイルの意識を持て……か」
1000メートルは無酸素運動の極致。
だが東条は“ため”を作れと言った。
――距離が伸びる未来を見据えて。
ルドルフは理解していた。
「ふふ……」
その笑みに、ブロークンヒルが苛立つ。
「調子に乗りやがって!」
他のウマ娘も一番人気に厳しい視線を向ける。
だがルドルフは揺るがない。
ゲートインはスムーズ。
全ウマ娘揃って――
スタート!
二人が出遅れたが、ルドルフは完璧。
(よし、決まった)
外枠有利の千直。
だがルドルフは6枠から“内”へ切り込む。
「バカな……内は不良で最悪だぞ!」
ブロークンヒルが驚く。
だがルドルフは四番手をキープ。
虎視眈々と機を窺う。
500メートル過ぎ、一回目の下り坂。
ルドルフは――息を入れた。
「はぁ……」
普通ならあり得ない。
だがスピードは落ちない。
二回目の坂を登り切った瞬間――
「よし、行くぞ!」
ルドルフがスパート!
ぬかるんだバ場を力強く蹴り上げる。
「くっそ、負けるか!」
ブロークンヒルも食い下がるが――
内の加速が違う。
「もう、だめーっ!」
他のウマ娘が悲鳴を上げる。
残り100メートル。
ルドルフは悠然と先頭へ。
トップスピードなのに優雅。
まるで“定位置”に戻ったかのように。
二着に二バ身半差をつけ――
堂々のゴールイン!
「なんてウマ娘だ……スピードもパワーも桁違いだ!」
宮園が唸る。
「しかも千直で息を入れるなんて……」
ビゼンも黙っていられない。
「マイルのレースみたいに途中でためて、不良バ場の内を突いて……
あの身体と走法なら良バ場ならもっと伸びるわよ」
宮園は興奮気味に続ける。
「根性もある。スタミナも問題ない。
距離が延びて本領発揮だな。中長距離向けだ」
ビゼンは髪を払い、息を吸った。
「……シンボリルドルフ」
テレビの向こう、勝者の姿を見つめる。
「ビゼンニシキ、秋だぞ」
宮園が念押しする。
「ええ、分かってる」
ビゼンは覚悟を固めた。
「デビューも、ルドルフとの対決も」
かつて“チームメイト”だった二人。
だが今は別の道を歩む。
ビゼンの瞳に闘志が宿った。
スタンドに戻ってきたルドルフは、
興奮の余韻で頬を赤らめていた。
「初勝利おめでとう」
東条が腕を叩く。
「うん、次につながるいいレースだった」
スピードシンボリも満足げに頷く。
だがルドルフは――
「勝利は、使命ですから」
当然のように言い放った。
東条とスピードは顔を見合わせ――
次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「勝って当たり前、か。らしいな」
スピードが肩を震わせる。
「ただ、新バ戦で尊大になるのは……ルドルフらしい」
そして東条が真顔に戻る。
「ルドルフ、次は秋だ。府中のマイル戦を使う」
「新潟ジュニアステークスじゃないんですか?」
「うん、勝てるよ。でも……慌てる必要はない」
スピードが空を見上げる。
「青雲の志、だ」
姉フレンドが札幌ジュニアステークスで気性難を出して惨敗した――
その轍を踏ませないため。
「千葉の本家に戻ろう、ルナ。
『錬バ道場』で鍛え直す」
迷いのない声だった。
「分かったよ、スーさん」
ルドルフは胸を張る。
東条も頷いた。
「お互い責任重大だな、トレーナー君」
三人は笑い合い、スタンドに歓声が広がった。
その中で、一人の幼いウマ娘が震えていた。
ポニーテールのボーイッシュな少女。
借り物のトレセン学園制服が少し大きい。
だが、その瞳は燃えていた。
『強い、強い、シンボリルドルフ!
まさに破格! まさに最強!』
アナウンスの絶叫が、頭の中で反響する。
「すっ……ごいや……」
少女は憧れの先を見つめた。
東条がその気配に気づく。
鹿毛の髪に流星――
ルドルフに似た面影。
「あれが……シンボリルドルフ……!!」
その瞬間、
トウカイテイオーの運命が決まった。