皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
多摩川の土手には赤とんぼが群れ、草木は黄色く色づき始めていた。
霧雨が降るたびに、晩秋の気配が濃くなる。
だが、この日の府中だけは違った。
東京レース場には秋天の青空が広がり、絶好のレース日和となっていた。
スタンドには、宮園トレーナーと冬制服姿のビゼンニシキが並んで観戦していた。
「シンボリルドルフ、どんなレースをするんですかね?」
「気になるか、ビゼン」
宮園は意地悪く笑う。
“そんなにルドルフが好きなのか”と書いてあるような顔だ。
ビゼンはむっとしてそっぽを向く。
宮園は苦笑し、話題を変えるようにレースの説明を始めた。
「一勝クラスのウマ娘が北海道・新潟・中央から集まって初顔合わせ。
しかも、ほとんどが初めての1600メートル戦だ」
ビゼンは鋭い目で聞き入る。
「能力は案外分からない。ルドルフが負ける可能性も――」
ビゼンはまたそっぽを向いた。
宮園は両手を上げて降参のジェスチャー。
向こう正面のスタート地点。
ゼッケン「4」番のシンボリルドルフがゲートインを待っていた。
蒼天を仰ぎ、深く息を吸う。
「うん、いい天気だ。明日の天皇賞が楽しみだ」
まるで観客のような気楽な言葉。
周囲のウマ娘たちは「何言ってんの?」と眉をひそめる。
「相変わらず余裕こきやがって……」
ブロークンヒルが舌打ちする。
マルゼンスキーとの併走で五分に渡り合った噂は、
他の出走者たちに複雑な感情を抱かせていた。
負けたくない。
いや、負かしてやる。
「アタシだって、アンタに負けた後、ちゃんと勝ち上がったんだ!」
ブロークンはルドルフの背中を睨みつける。
だがルドルフは、そんな嫉妬など風のように受け流していた。
ゲートインはスムーズ。
全ウマ娘が収まると――
スタート!
ルドルフは五分のスタート。
向こう正面を軽やかに加速する。
先頭が一人。
二番手争いの三人の中にブロークンヒル。
ルドルフはその直後、五番手。
「ふ、この位置が欲しかったんだろ!? ルドルフ!」
ブロークンは鼻で笑う。
(なるほど、ブロークンは好位置か)
ルドルフは他人事のように達観していた。
三コーナーへ突入。
後方が押し上げ、先頭三人が鍔迫り合い。
だがルドルフは――動かない。
むしろ後ろから抜かれ、八番手まで後退。
先頭から七バ身。
観客席がざわつく。
「これは終わったな……」
「よし、ルドルフは沈んだ! チャンスだ!」
四番手のブロークンは拳を握る。
だが――
ルドルフは違う次元でレースを見ていた。
(ダービーは2400メートル。焦る必要はない)
大欅を過ぎた瞬間、
ルドルフの瞳が鋭く光る。
(ここからだ。まずはポジションを確保する)
じわじわと順位を上げる。
四コーナー出口では四番手集団の一角。
後方勢は完全に置き去り。
前との差は三バ身。
間に合うのか――?
直線に入ると、ルドルフは外へ進路を取る。
前が開いた。
瞬発力が炸裂!
内に刺さり気味になりながらも、伸び脚は鋭い。
ブロークンを並ぶ間もなく交わす。
「なんて豪脚だ!」
ブロークンは悔しさを吐き出すが、
ルドルフの背中は一気に小さくなる。
「脚が……動かねぇ……」
正面から挑んだ代償は大きかった。
残る三人が先頭争いをしているが――
ルドルフはタイミングを計っていた。
「2」の標識を過ぎた瞬間、
二段ロケット点火!
一気に先頭へ。
二バ身差。
勝負あり。
ルドルフはゴール前で力を抜き、流す。
そのままゴールイン。
二秒後、ブロークンは息も絶え絶えに十四着で入線した。
「これが……格の違いか……」
ブロークンは自嘲気味に笑った。
スタンドは騒然。
ペガサスとイズモランドも唖然としていた。
「モノが違う……」
ペガサスは自分の勝利が吹き飛んだように呟く。
「まあ、勝ったんだからよかったじゃない」
イズモは惚けたように笑う。
宮園トレーナーは興奮して叫んだ。
「あいつ、デビュー戦の1000メートルでマイルのレースをして、
今日の1600メートルでダービーの予行演習をやりやがった!」
ビゼンニシキは複雑な表情。
喜ぶべきか、悔しがるべきか分からない。
「おい、ビゼンニシキ!」
宮園が声をかける。
「来週のデビュー戦、圧勝してやれよ!」
「……ええ、分かっています」
ビゼンはターフから消えていくルドルフを見つめながら呟いた。
「シンボリルドルフ……今度は私の番だ」
その声には、確かな覚悟が宿っていた。
地下バ道。
スピードシンボリがルドルフの腕を軽く叩く。
「ルドルフ、お疲れ様」
「いや、別に」
汗を滲ませながらも、息は平静。
「もたついた割に楽勝ね」
スピードは満足げに頷く。
「直線で焦らして翻弄する……大人びたレースセンスだわ」
東条は喜々として言う。
「東条さん!」
スピードが咳払いする。
「ジュニアの娘に言うセリフじゃないわよ」
だが表情は嬉しそうだった。
「次はどうしますか?」
ルドルフが問う。
「朝日杯あたり?」
スピードが予想するが、東条は首を振る。
「いや、G1はどうでもいい。もっと別のアピール方法がある」
「別とは?」
「ジャパンカップの日だ。
海外の人にも“シンボリルドルフ”を見せる。名刺代わりだよ」
「なるほど、相手は世界ってわけね」
東条とスピードはニヤリと笑い合う。
「まずは学園に戻ってクールダウンだ」
「分かりました」
ルドルフは物足りなさを隠さず控室へ向かった。
「疲れてないわね、あの子」
「だから来月も使う。ジャパンカップの日にな」
東条の声に、スピードは満足げに頷いた。
ルドルフは期待を背に、控室へと歩みを進めた。