皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★第一章ジュニア編 その10 オープン戦──ジャパンカップの日に

十一月二十七日。

冬の気配を帯びた冷たい空気のなか、東京レース場は人の熱気で溶けるように温度を上げていた。

最晩秋の開催とは思えないほどの賑わい。

世界八か国の国旗がはためき、海外からのファンも多数詰めかけている。

午前中にもかかわらず、パドックは黒山の人だかりだった。

「やっぱり、いいウマ娘だね」

「バランスが完璧だ」

「ワンダフル!」

「オー、グッドルッキングホースガール!」

各国語で称賛を浴びるシンボリルドルフ。

がらんとしたパドックを、悠然と歩く姿はまるで“主役”そのものだった。

第三競走、芝1600メートル。

出走はわずか五人。

一人でも欠ければ不成立という異例の少人数。

――ルドルフの強さが、すでに“出走回避”を生むほど知られている証だった。

 

レースは呆れるほどの強さだった。

インの二番手で軽く流し、

直線で先頭に並びかけ、

少し気合をつけただけで抜き去る。

余力たっぷりのままゴール板を通過。

東条トレーナーが語った“理想のレース”を、

まるで実験するかのように完璧にこなしてみせた。

「トレーニング代わりに使われたよ……」

敗れたウマ娘のトレーナーが自嘲するほどの完勝。

「タイムオーバーにしないからって、出走を頼んだらしいぜ」

そんな噂まで飛び交う。

ルドルフの強さは、もはや“恐れ”の域に達していた。

「ルドルフちゃんに敵う相手、いるのかしら……」

イズモランドが呟く。

「ひょっとしたら……」

ホッカイペガサスが静かに言う。

「次のレースで分かるさ。ルドルフのライバルかどうか」

それは――

ジュニア級プレオープン戦『さざんか賞』のことだった。

 

地下バ道。

ビゼンニシキは渋い表情で舌を打った。

「何よ、皆。ルドルフ、ルドルフって……」

彼女も今日、さざんか賞に出走する。

だが明らかに“ルドルフを避けた”ウマ娘が集まっている。

「ナメられたものよね……」

握りしめた拳は、怒りと悔しさと闘志の混ざった震えだった。

そこへ、逆光の中から歩いてくる影。

「いい調子のようだな、ビゼン。期待しているぞ!」

「シンボリルドルフ……」

ルドルフは汗ひとつかいていない。

まるで“これから本番”のような顔だ。

「おめでとう。強かったわね」

「ありがとう」

平然と返すルドルフ。

「汗、一つ掻いていないのね……」

「まあね。君が出ていたら、汗を掻いていたさ」

ビゼンの頬が赤くなる。

ルドルフは右手を差し出した。

「今度は君の番だ。私に続いて圧勝してほしい」

「……もし、あなたが今から出走したら?」

「いいウォーミングアップだったからな。今度は全力を出せると思う」

「私にも勝てる、と?」

「まあ、レースはやってみないと分からないけど……」

ビゼンは息を呑む。

「……決して楽じゃないけど、勝てるね」

その傲慢さに、ビゼンはのけ反った。

「なんという傲慢さなの……!」

「普通に導き出せる結論さ」

ルドルフは肩をすくめる。

「でも、現実的には――私はもう三勝目。さざんか賞には出られない」

オープンウマ娘になったからだ。

「勝つのはビゼン。君しかいないだろ」

その言葉に、ビゼンの瞳が揺れた。

「ええ、絶対に勝つわ」

「その意気だ。さすが、大好きなビゼンだよ」

「なっ……!」

顔を真っ赤にして逃げるビゼン。

ルドルフは小さく笑った。

 

翌日。

ビゼンはトレセン学園の野外ステージへ向かっていた。

ブロークンヒルに呼び出されたのだ。

「また、日本のウマ娘は勝てなかった……」

昨日のジャパンカップは、またしても海外勢の勝利。

三年連続の屈辱だった。

ステージ最上段で待っていたブロークンヒルが口を開く。

「アタマ差の二着まで食い込んだのは、トレセン学園の娘よ。

でも激闘のせいでケガして、もう走れないって……」

ビゼンは胸が痛んだ。

「昨日、私は中京のすずかけ賞で負けた」

ブロークンは悔しそうに続ける。

「二勝してオープンになれば、ルドルフに再挑戦できると思ってた。

勝ちたかった……でも負けた」

「……」

「やっぱり私は、ルドルフに挑戦する資格すらないのね」

すすり泣きが混じる。

だが、次の瞬間――

ブロークンはビゼンを指さした。

「でも、アナタは違う!」

「……」

「昨日のさざんか賞、三バ身差の圧勝!

タイムも速い!

斜行したのはご愛嬌だけどね!」

ビゼンの耳がぴんと立つ。

「これなら、あのルドルフを負かせるかもって思ったのよ!」

ビゼンは悟った。

――この娘も、ルドルフと戦いたいのだ。

だが叶わない。

だからこそ、自分に託している。

ビゼンは静かに言った。

「宮園トレーナーが言ったんだ。

“今は我慢しろ。ルドルフとはいつかやり合う。

こんな小さな舞台じゃない。

G1、G2……命を削り合うトップレベルの場でだ”って」

二人は思わず笑い合った。

夕日が優しく照らす。

ジュニアの季節は終わり、

クラシックの季節が近づいている。

出走できるのは、ほんの一握り。

敗れた者の想いを背負って走る者だけが、

栄冠を掴む資格を持つ。

「分かったよ、ブロークン。アンタの想い、背負ってやる」

ビゼンは友の手を包んだ。

ブロークンの頬を涙が伝う。

ビゼンニシキは、ウマ娘として生まれたことに感謝し、

腹の底から覚悟を決めた。

――来年、クラシック級。

熱い戦いが始まる。

ビゼンニシキは、

シンボリルドルフとの対決を心待ちにしていた。

 

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