皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
二月。
関東は厳しい寒さが続いていた。
だが、シンボリルドルフのトレーニングは、寒空をものともせず熱を帯びていく。
走るたび、白い息と湯気が身体から立ち上る。
節分の日には、ホッカイペガサスやイズモランドと豆を撒き、束の間の息抜きをした。
だが今日は、三人での本格的な併走トレーニングだ。
「いやああぁ!」
「はあああぁ!」
外からイズモランド、内からホッカイペガサス。
その真ん中を、ルドルフは余力たっぷりで走る。
左右の気合に合わせてギアをひとつ上げ、二人を抜かせないままフィニッシュ。
東条トレーナーが舌を巻く。
「ルドルフ、さらに成長したな」
息を切らす二人の後ろから、ルドルフは平然と歩いてくる。
鍛え抜かれた心身から“いつでも来い”という気迫が滲んでいた。
「いい状態だ。これならレースを使える……」
東条は判断を下す。
「ルドルフ、弥生賞へ行くぞ!」
その瞬間、ルドルフの顔がわずかに強張る。
予測していたとはいえ、クラシック級最初のレース。
緊張は避けられない。
だが、張り詰めた気持ちはすぐに覚悟へ変わる。
「はい!」
力強い返事が響いた。
東条は満足げに頷く。
「ホント、クラシックを目指すウマ娘は違うわね……」
ペガサスがため息をつく。
年始の京成杯は連敗だった。
「いいなぁ、ルドルフちゃんは……」
イズモも肩を落とす。
未勝利戦で三着、二着と足踏みが続いていた。
ルドルフは何と言えばいいか迷う。
「何言ってんだ、お前たち!」
東条の一喝。
二人がびくりと肩を震わせる。
だが、向けられたのは優しい笑顔だった。
「ペガサスは三月の芝2200、バイオレット賞だ。距離を延ばして新味を引き出す」
「イズモは四月の芝2000、未勝利戦で確勝を期す」
二人の顔に色が戻る。
「その後は青葉賞を目標にする!」
「「青葉賞……」」
二人の声が重なり、表情がさらに明るくなる。
「ダービー出走を目指すんだ!」
東条が拳を振るう。
「私もダービーに出たい! 皆で走ろう!」
ルドルフが両手を広げる。
二人はぽかんと口を開け――
次の瞬間、走り出した。
「「ルドルフーっ!!」」
ルドルフの胸に飛び込む。
「アタシらなんかでも夢見ていいの?」
「ダービーって、手が届かないと思ってた……」
四つの瞳が輝く。
「ああ、私たちはウマ娘だ。何よりチームメイトだ。お互い切磋琢磨しよう!」
ルドルフはしっかりと二人を抱きしめた。
「おお、ルドルフちゃんの四文字熟語だ」
「久しぶりに聞いた気がする」
胸の中でじゃれ合う二人。
その体温が、ルドルフの胸にじんわりと広がる。
冬になると、どうしても思い出す。
姉・シンボリフレンドの事故。
一年経っても、割り切れない感情は残っていた。
(フレンド姉さん……つらいよな)
だが今、仲間の温もりがそのわだかまりを溶かしていく。
(友達って、いいな)
心が満たされると、軽口が出る。
「それなら、ダジャレを言ってもいいかな?」
「それはカンベンだ」
「面倒なのはやめてよね」
ルドルフの耳がしゅんと萎れる。
くすくす笑いが胸に刺さる。
「まあ、弥生賞に勝ったら聞いてあげなよ」
東条がフォローする。
「勝ったらねー」
「仕方なくねー」
二人が舌を出す。
東条が腕を擦り、腕まくりの真似をする。
「さて、トレーニングを続けるぞ」
『はいっ!』
三人が跳ねるように返事をし、横一列に並ぶ。
「よし、もう一周。軽めにいくぞ」
『はいっ!』
元気な声が冬空に響き、三人はコースへ駆け出した。
東京レース場、共同通信杯の日。
二月の寒さは厳しく、曇り空が重く垂れ込めていた。
シンボリルドルフは、ミスターシービーと並んでスタンドに立っていた。
「クラシックに向けて、どうだい。調子は?」
「普通ですよ」
淡々と答えるルドルフ。
「なるほど。やっぱりキミは、熱くなるための“何か”が足りないようだな」
シービーは続ける。
去年、マルゼンスキーと五分の“レース”をしたルドルフ。
ずっと話したいと思っていたのに、当の本人は淡々としている。
「熱くなるもの、ですか?」
「そ。熱くなるもの」
シービーはニヤリと笑う。
「やっぱりライバルがいると違うよね。ワタシにもいたし」
「カツラギエースさんですか」
「まあね」
シービーは背伸びをしながら言う。
「ライバル――相手を思う気持ちが、一番熱くなれる」
「恋人を求めるようですね」
意外な返しに、シービーは口笛を吹いた。
「さあ、それはキミ次第かな」
場内放送が流れる。
共同通信杯のゲートインが始まった。
「昨年はワタシが勝ったレースだよ。
ビゼンニシキ、どんな走りを見せるか楽しみだね」
「今年のクラシックを占う意味でも、参考になります」
「本当にそう思ってるのかなぁ?」
シービーは口をへの字に曲げる。
「キミは強い。素質がある。そして傲慢だ」
突然の指摘に、ルドルフは黙り込む。
「自分より強い相手はいないと思ってるんじゃない?」
「いや、そんなこと……」
「態度に出てるよ」
シービーは笑い、続ける。
「ふふ、自分を自由に表現できるのは悪いことじゃない。
ウマ娘の力の根源――本当はキミも分かってるはずさ。
あとは“きっかけ”だよ」
その時、ゲートが開いた。
ビゼンは好スタート。
三番手の好位をすっと取る。
「ほう、キミが得意とする先行だね」
「そのようですね」
淡々と進む道中。
いつ抜くのか、どこで突き放すのか――
ビゼンはタイミングを計っている。
ルドルフの胸が高鳴る。
「お株が奪われちゃうんじゃないかぁ」
シービーが茶化す。
だが、ルドルフは否応なく熱くなる。
自分と似たレースセンス。
共感とライバル心が同時に燃え上がる。
四コーナー。
ビゼンが外へ進路を取る。
大外を回り、順位を落としかける。
「はっは、ロス上等の強引なレースだねぇ」
シービーが笑う。
直線。
ビゼンはワンテンポ遅れた。
五人が横一線に並ぶ。
「間に合うのか……?」
ルドルフの息が白く揺れる。
残り200メートル。
「まだ構えたままだね」
シービーが手を叩く。
その瞬間――
ビゼンが脚を繰り出した。
鋭い一撃。
一気に先頭へ。
「……!」
ルドルフとシービーが息を飲む。
一バ身差をつけたところで、ビゼンはスピードを緩めた。
勝負あった――
横綱相撲。
ルドルフは、自分のレースを見ているようで嬉しくなった。
ビゼンニシキ、四連勝。
重賞初制覇。
クールダウンのキャンター。
ビゼンはふと立ち止まり、向きを変える。
ラチ越しに、ルドルフの前で止まった。
「私、次走は弥生賞にするわ!」
その指先は、迷いなくルドルフを指していた。
ルドルフの心臓が跳ねる。
身体が熱くなる。
唇が乾き、舌で湿らせる。
(これが……熱くなるということか)
「分かった。受けて立とう」
二人は同時に笑った。
「じゃ、中山で」
ビゼンは背を向け、去っていく。
シービーは満足げに笑う。
「ライバル確定、だねぇ」
「シービーさん、責任取ってもらいますよ」
「責任? どうすればいいんだい?」
「私の弥生賞の追い切りに、参加していただけますか」
「なるほど。
その調教、レースより面白そうだ。
ワタシも参加させてもらうよ。
――黒幕たちにもね」
ルドルフはニヤリと笑い、
シービーも同じ笑みを返した。
レースに当てられたウマ娘は、走ることでしか熱を冷ませない。
二人は、同じ衝動を共有していた。