皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
共同通信杯から数日後。
トレセン学園の練習コースは毎朝のように凍りつき、不凍液を撒いても思うように走れない日が続いていた。
そんなある午後、久しぶりに穏やかな気候が訪れた。
授業が終わると同時に、シンボリルドルフの弥生賞に向けた本格的なトレーニングが始まる。
今日のメンバーは豪華絢爛。
全員が学園指定の赤ジャージ姿で揃っていた。
「ルドルフちゃんと走れるの、楽しみね」
マルゼンスキーが屈伸運動を繰り返す。
「約束だからね」
ミスターシービーは両手を頭上で合わせ、背を伸ばす。
そこへ軽いランニングで近づく影。
「マルゼンとシービーなら、いいトレーニングになるな」
スピードシンボリが満足げに言い、コースへ腕を向けた。
遠くから、手を口に当てて叫ぶ声。
「分かってますよ、スピードさん!」
3ハロン標識前からシリウスシンボリが大声を張り上げる。
入学前だが、スピードの特別許可で参加していた。
東条トレーナーと石上サブトレーナーはURAの研修で不在。
だからこそ、スピードの粋な計らいだった。
「さあ、行きますか」
ルドルフがスタートの姿勢を取ると、三人も倣う。
「スタート!」
ルドルフが大外へ向けて走り出す。
マルゼン、シービー、スピードが続いた。
不良バ場。
雪解けで水が浮くタフなコンディション。
だが、ルドルフの足取りは確かだった。
他の三人も嬉しそうに弾むように駆けていく。
抑えて走るルドルフ。
だが、このメンバーで本気を我慢するのは不可能だ。
7ハロン地点――
ルドルフが行き出す。
「ルドルフちゃん、行くのね」
「負けてられないね」
「よし、追うぞ」
三人がピッチを上げる。
「よっしゃぁ、やったるぜー!」
3ハロン標識で、シリウスも加わる。
走りながら小さく一礼。
「シービーさん、よろしくお願いします!」
「ああ、ワタシもシリウスと走りたかったんだ」
走りながら意気投合する二人。
ルドルフは微笑ましく見守る。
五人の迫力ある追い切り。
プライドと実力がぶつかり合い、ピッチが上がる。
「何だよあいつら……俺が必死なのに余裕こいてやがる」
遅れ気味のシリウスがぼやく。
だが――
「シリウスちゃんも、いいウマ娘ね」
「ああ、ワタシたち相手に踏ん張ってる」
「ルドルフに次ぐ、シンボリの星さ」
シニア陣が口々に評価する。
先頭のルドルフが加える。
「最低限、G1は取ってもらわないと困る。その器だ」
その瞬間、ルドルフがギアを上げた。
「はあああぁ!」
隠していた引き出しを開くような伸び。
先輩たちの目が鋭くなる。
「負けないわよ!」
「行くぞぉ!」
「まだまだぁーっ!!」
三人が大声とともに加速する。
だが――
ルドルフは先頭を譲らない。
「すげえ……クラシックなのに、シニア勢を抑えてる……」
シリウスが最後方から前を睨む。
ルドルフがさらにひと伸び。
後続の脚色が鈍る。
「凄いわ」
「なるほど」
「さすがだな」
賞賛が背中に降り注ぐ。
「ゴール!」
ルドルフが自ら声を上げた。
マルゼン・シービーに二バ身、スピードに三バ身。
シリウスはさらに一バ身遅れた。
――やはり、モノが違う。
(いいトレーニングだった……フレンド姉さんとも走りたかったな)
軽く流しながら、ルドルフは天に召された姉を思う。
耳が少し垂れる。
スピードシンボリは見逃さなかった。
「まあ、無理もないか……」
だが続ける。
「……でも、ルドルフも今なすべきことが分かっている」
この血統は、やり過ぎれば調子を落とす。
だが、やらなければ狂気が出る。
フレンドも、スピードも、ルドルフも――
難しい血脈だ。
それでも、今日のルドルフは完璧だった。
数日後の金曜日。
ルドルフは軽く流していた。
二日後の弥生賞へ向けた微調整だ。
「まあ、走りは悪くないな」
東条トレーナーはベンチで頬杖をつきながら見守る。
天候不順で思うように調整できない日々。
芝の生育も遅れている。
だが、東条の心配は別にあった。
(フレンドが海を渡って……どうなるかと思ったが。
ジュニア級で三戦三勝、三冠路線の最右翼になった)
だが――
「淡々としているのが気になるな……」
姉の事故の影。
ルドルフは決して口にしないが、心の奥に刺さったままだ。
そんな時、横から声が飛ぶ。
「バカよねぇ、あいつって」
ビゼンニシキだった。
「どういう意味だ?」
東条が眉をひそめる。
ビゼンはルドルフから目を離さない。
「心配か? ルドルフが」
「いいえ、別に。あいつなんて」
そっぽを向くが、態度は分かりやすい。
――気になって仕方がないのだ。
東条は小さく笑う。
「今のルドルフは、何を言っても聞かないさ」
姉の影。
レースへの集中。
そして、ビゼンへの意識の欠如。
それがビゼンには面白くない。
「ルドルフを振り向かせる方法は一つだよ」
東条は静かに言う。
「レースで、負かすことだ」
ビゼンの瞳が鋭く光る。
「そんなこと言っていいの? 東条トレーナー?」
「敵に塩を送ることになるかもな」
東条は笑う。
「でも、それで信念を曲げるルドルフじゃない」
ビゼンは背伸びをし、軽く息を吐く。
「さあてと。私もトレーニングしますかね」
鋭いダッシュで駆け出し、あっという間に姿を消した。
東条はその背中を見送りながら呟く。
「確かに強い。共同通信杯を勝った勢いもある。
……だが、ルドルフにとって歓迎すべき相手ではないな」
信頼と、わずかな不安が胸に残った。