皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★第二章三冠編  その5 皐月賞(PART1)──体調不良

皐月賞トライアル・スプリングステークスでは、ビゼンニシキが逃げ切り勝ちを収めた。

シンボリルドルフ、東条トレーナー、サブトレーナー役のスピードシンボリ、石上にとっては想定内。

ルドルフ自身も、いつも通りのトレーニングを続けていた。

弥生賞で負った外傷は完治した。

だが――身体の動きがどこか固い。

スピードシンボリは、その微妙な変調を見逃さない。

「ルドルフ! もう一本だ!」

「ええっ!? まだやるんですか!」

珍しく語気を荒げ、そっぽを向く。調教拒否の姿勢だ。

「ケガでブランクがあるだろ。今は体を戻すためにハードな運動が必要なんだよ」

背中を摩りながら宥めるスピード。しかし、ルドルフは立ち止まったまま耳を絞り、完全拒否のポーズ。

「体が……出来すぎている感じがするんです……」

顔つきは冴えず、不調を訴える。

「だったら気分を変えよう。ラストは軽い併走にするか」

東条が助け舟を出すと、ルドルフは渋々頷いた。

スピードの判断は正しい。ケガ明けの遅れを取り戻すには負荷が必要だ。

だが、気乗りしない状態で無理をさせるのは逆効果でもある。

「ペガサス、イズモ。つき合ってくれ」

「りょーかい!」

「分かりました!」

二人はルドルフを挟み、ニヤリと笑った。

ペガサスとイズモが先行し、ルドルフが途中から追いかける形。

東条がコースを見ながら声を張る。

「ルドルフ、7ハロンからピッチを上げろ!」

「二〇〇〇メートルの皐月賞ですからね。長めから負荷をかけるのが常道ですね」

スピードが頷く。

しかし――ルドルフは動かない。

ペガサスとイズモが不安げに顔を見合わせる。

「おかしいな……じゃあ6ハロンから強めに入るつもりか?」

「多分そうだろう。15-15じゃクラシックに挑むには軽すぎる」

東条の頬に緊張が走る。

だが6ハロンを通過しても、ルドルフのラップは上向かない。

東条の意図は完全に無視された。

「どうしたのよ……」

スピードが頭を抱える。

「ルドルフが……スパートしない」

東条の声は小さく沈んだ。

半マイル標識でようやくペガサスの外に併せたが、直線も抑えたまま。

何とか二バ身先着はしたものの、内容は軽すぎる。

6ハロン

82.6-70.3-55.4-42.1-12.1秒

ごく軽い調整にすぎなかった。

「もしかすると……」

スピードが、イズモとペガサスから聞いた話を思い返す。

「ルドルフ、食欲が落ちてるって」

東条も顎に手を当てる。

確かに身体の線が細い。

ルドルフは我慢しがちだが、太め残りよりはマシだと自分に言い聞かせる。

「まあ、仕上がってるなら軽めでもいいだろう」

皐月賞は目前。今さら特別な調整はできない。

しかし――当のルドルフは息が上がっていた。

「はぁ……はぁ……」

ペガサスがイズモの脇腹を肘でつつく。

「ルドルフ、調子よくないんじゃ……」

東条の表情も冴えない。

だが、回避はありえない。

チームに暗雲が立ち込める。

その空気を切り裂くように、イズモが前に出た。

「ルドルフちゃん!」

大声にルドルフの上体が跳ねる。

「アタシ、今週のレースで負けないから!」

弱った目でルドルフが見返す。

「おいおい、イズモが出るのは――」

ペガサスの言葉を、イズモが右手で制した。

「皐月賞の前日の未勝利戦。芝2000メートルよ」

そして、胸を張る。

「タイム、競いましょ!」

ルドルフの瞳に鋭い光が宿る。

「絶対に負けないから!」

「おいおい、そうは言っても――」

ペガサスが言いかけると、

「ペガサスちゃん、次はアナタよ! 青葉賞で勝ってやる!」

おとなしいイズモの啖呵に、周囲は呑まれた。

「絶対にダービーに出走してやるんだから! ルドルフちゃんと一緒にG1を走るんだ!」

顔を真っ赤にし、息を荒げるイズモ。

今にも泣きそうなその顔に、ルドルフの胸が熱くなる。

(励ましてくれている……)

「己を見失いそうだった。イズモ、ありがとう」

ルドルフは小さく頭を下げ、顔を上げた。

もう弱気はどこにもない。

「ああ。どんなことをしても勝ってやる、だな」

「うん!」

「よし、二人とも頑張れよ!」

ペガサスが二人の腰に手を回し、チーム東条は一致団結した。

「イズモに一本取られたな」

東条が頭を掻く。

「成長してるのはルドルフだけじゃないってことよ」

スピードが横目で笑い、石上は涙をすすっていた。

イズモランドは週末の未勝利戦を走り――勝った。

「ルドルフちゃん、勝ったよ!」

「ああ、素晴らしいレースだった」

石上のスマホ越しに届く報告。

直線で一バ身半の快勝。

しかも二着は宮園トレーナーのウマ娘。

テンガロンハットが嘆くのも無理はない。

「よし、これで青葉賞を一緒に走れる!」

ペガサスが喜び、ルドルフも頷く。

「ああ、皆でダービーを走ろう。皐月賞、恥ずかしいレースはできないからな」

友の成長に胸を熱くし、ルドルフは己を奮い立たせた。

トレセン学園の空は明るく、春の気配がようやく満ち始めた。

スピードシンボリが桜を見上げると、まだ五分咲き。

異常寒波で開花が遅れていた。

「5枠10番、理想的だな」

スピードが明るく言うが、ルドルフは桜を見つめたまま反応が薄い。

ふと、詩を口ずさむ。

「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」

「桜は毎年同じように咲くが、人は去年と同じではいられない……か」

スピードが解説すると、ルドルフは静かに答える。

「生々流転は、人の運命です」

冷めた声。

スピードは力を込める。

「そして、二度とない傑作がルドルフ。君だ」

だが、ルドルフは俯いたまま。

「三冠の緒戦、初G1だ。咲き誇れ!」

願いを込めても、返事はない。

スピードは顎に手を当て、考え込む。

(フレンドの不幸……弥生賞の死闘……)

(タフなルドルフでも、限界がある。よりによって皐月賞で……)

胸の奥がざわつく。

「体が出来すぎている、か……」

トレーニング時の言葉を思い返す。

「昨日の夕食、サンドウィッチとサラダだけ。しかも残したってな」

G1を走るウマ娘の食事ではない。

「ルドルフ、やっぱり……」

言いかけたスピードの腕が止まる。

「いや、何でもないですよ」

ルドルフの瞳は、拒絶の色を帯びていた。

スピードはそれ以上踏み込まなかった。

 

そして皐月賞当日。

中山の桜は半分ほどの開花。

だが、ファンの熱気は満開だった。

計量が始まる。

体操着姿のルドルフが、少しふらつきながら体重計に乗る。

係員が絶句した。

「シンボリルドルフ、マイナス10キロ」

「!」

周囲が凍りつく。

スピードと東条だけが、覚悟していたように動じない。

だが心の中では舌を打つ。

(やっぱり減っていたか……)

一か月で±2キロが普通。

5キロで大変動。

10キロ減――異常事態だ。

東条とスピードは無言でパドックへ向かった。

足取りは重い。

これから向き合う現実が、あまりにも厳しいからだ。

そして――その不安は、的中する。

 

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