皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
パドックでのファンへのお披露目。
2枠3番のビゼンニシキが、堂々と手を振っている。栗色の髪が揺れ、大柄な体ははち切れんばかりの迫力だ。
ブルー地に黄色い星を散らしたTシャツ、オフホワイトのホットパンツ──シンプルながら、その体格の良さを際立たせる勝負服だった。
内に籠る気迫が両目に宿り、一歩ごとに覇気が溢れる。
「うん、いいな。宮園トレーナー、お見事だ。ビゼンを完璧に仕上げてきた」
東条が感嘆の眼差しをテンガロンハットの隣へ送る。
宮園は不敵な笑みを浮かべた。
「まあ、状態は一番ですよ。誰にも負けません」
そう言われれば、東条は黙って頷くしかなかった。
やがて、ルドルフが“お立ち台”に姿を見せる。
初めての勝負服だ。
シンボリカラーの緑を基調に、金のモールと赤のアクセント。
スカートから伸びる脚には濃色のサイハイソックス。
皇帝の威厳と可憐さが高次元で融合した、見事な装い──のはずだった。
ファンの歓声が上がる。
だが、その声はどこか尻すぼみになる。
理由は明白だった。
ルドルフ本人が、勝負服に負けていた。
大人しい、を通り越して“疲れ切っている”。
小さく右手を振る姿は痛々しく、ビゼンニシキとは対照的だった。
東条の顔がみるみる赤くなる。
「……素晴らしい勝負服が、アンバランスに見える。これが、シンボリルドルフなのか?」
食欲減退、軽い調教、覇気のなさ──予兆はあった。
だが、ここまでとは。
トレーナーとして見過ごしていた悔しさが胸に満ちる。
十八人の出走ウマ娘を見回しても、ルドルフの不調は際立っていた。
隣の石上サブトレーナーは目を閉じ、落ち着きを失っているのが明らかだ。
「他を見るな。ルドルフだけを見ろ。落ち着くから」
東条はそう言うが、自分の胸中は乱れ続けていた。
スピードシンボリも石上も、口を小さく開けたまま固まっている。
ビゼンニシキの好バ体と比べれば──誰の目にも差は歴然だった。
「……もう、行きましょう!」
スピードシンボリが両頬を叩き、気合を入れる。
まるで自分が代わって走りたいと言わんばかりだ。
東条は茫然と立ち尽くすが、石上にジャケットの裾を引かれ、我に返る。
重い足を引きずりながら、スタンドへ向かった。
勝敗は神のみぞ知る──
だが、ルドルフにとってそんな言葉は不要だった。
レースに偶然性など許されない。
皇帝として君臨し、レース界を平定する責務がある。
姉・シンボリフレンドを反面教師にし、英才を積み重ねてきた。
スピード、そしてフレンドの見果てぬ夢──クラシック制覇。
それなのに、生涯一度の本番を迎えて最悪の状態。
ビゼンニシキは最高の仕上がり。
もし負ければ、ただのウマ娘に堕ちる。
フレンドの想いは無に帰す。
許されざることだった。
建物を抜けると、コースが広がる。
ベルベットの芝、その先に抜けるような青空。
東条もスピードも石上も、気持ちを切り替えた。
ここまで来たら、ルドルフを信じるしかない。
――皐月賞。
スタンド前からのスタートだ。
ゲート入りを待つビゼンニシキが、ルドルフを見る。
顔色は悪く、俯き加減。
緊張というより、生気がない。
「あいつ……どうしたんだ?」
同じウマ娘だからこそ、痛いほど分かる。
そして、打算が働く。
ビゼンの口元が、嫌らしく歪んだ。
──絶対に、弥生賞のリベンジをしてあげる。
その表情は、そう語っていた。