皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★第二章三冠編  その6 ダービー前夜──いざ、東京優駿──未来を見据えて(後編)

陽の傾いたコースに、三つの黒い影が伸びていた。

悔しさをバネに、闘志を瞳に宿す。

「ウチらかて、ダービー出走組やで」

ニシノライデンが鼻にある白いテーピングをひくつかせ、汗を拭うルドルフを睨む。

「レースは一人で走るんちゃうんやでぇ」

別の子が肩をすくめる。

「あいつらな、目ぇ覚まさしたるわ!」

栗東寮の三人が、ルドルフたちへの不満を口にする。

一生に一度のダービー。

その前に海外遠征まで吹聴する態度が気に入らないのだ。

そんな中、ひとりだけ静かに頷く影があった。

ビゼンニシキ。

「まあ、あそこまで言いふらしたら、他の出走者は面白くないよな」

栗色の髪を風に流し、独りごちる。

「敵をつくってどうするんだ……まったく、あいつは」

呆れたように鼻を鳴らしつつ、どこか寂しげなため息を漏らす。

視線の先では、ルドルフが仲間と笑顔でストレッチをしていた。

弥生賞は調整不足。

皐月賞は体調不良。

それでもビゼンとの激闘を制してきた。

そして今、ダービーへ向けて万全に近い。

「NHK杯は勝ったけど……あと2ハロン伸びて、ルドルフに勝てるのか?」

ビゼンは自問する。

自分はマイラー寄りではないか――そんな不安が胸をよぎる。

だが、すぐに首を振った。

「……一生に一度のチャンスだ。やってやる」

拳を握りしめたそのとき。

「ビゼンじゃないか。これからトレーニングか?」

「ル、ルドルフ!?」

いつの間にか目の前に立っていた。

汗を拭い、清々しい笑顔で右手を上げる。

「君とダービーを走れるのが嬉しいよ」

その言葉は、まるで友人に向けるような柔らかさだった。

ビゼンは顔が熱くなるのを感じる。

「アンタってウマ娘はっ!!」

羞恥を隠すように怒鳴る。

ルドルフはきょとんとした。

「ふふっ、じゃあレースで」

可笑しさを堪えきれず笑い、ルドルフは踵を返した。

ビゼンは言葉を返せず、ただその背中を見送った。

 

五月二十九日。

東京レース場は快晴。

クラシック最高峰、日本ダービーを祝福するような青空だった。

「私は約束を果たすために、ダービーに臨むだけさ」

入場しながら、ルドルフは空に向かって呟いた。

天国の姉・シンボリフレンドへ誓うように。

「一国の宰相になるより、ダービーウマ娘になりたい――英国の女性首相がそう言ったとか?」

背後から声がかかる。

例の女性記者だ。

「私とは別世界の方の気持ちは分かりませんね。

まあ、ダービーウマ娘になってみなければ実感も湧かないでしょう」

淡々と答え、「期待してくださいね」と微笑んで控室へ向かった。

「もう、勝ったも同然ですね……」

記者は感嘆の息を漏らした。

 

午後三時。

出走ウマ娘が次々と姿を現し、歓声が空へ吸い込まれていく。

十番目、シンボリルドルフ。

落ち着いた足取りでパドックに現れた。

東条に背中を押され、ルドルフは一歩踏み出す。

痛いほどの視線が注がれる。

ダービー一番人気――当然だ。

ふと空を見上げると、不思議と心が静まった。

(あれ……? ダービーなのに、思ったより緊張していない)

バ道へ向かう途中、胸の奥で確信が芽生える。

(他に負けるなんて考えられない。

でも……これでいいのかな。

まるで普通の重賞に出るみたいだ)

本バ場に出ると、ルドルフは両耳を立て、闘志を燃やした。

「よお、調子良さそうだな」

振り向けば、ビゼンニシキ。

「君ほどではないさ」

互いに不敵な笑みを交わす。

「まっすぐ走れよ!」

ビゼンが尻を叩く。

「君こそ進路を邪魔するなよ!」

ルドルフが拳を突き出す。

まるで子ども同士のじゃれ合いだ。

「いいぜ! 真っ向から叩き潰してやる!」

拳を合わせ、二人は背を向けた。

世界一の大スタンドが、試走だけで鯨波のように揺れる。

ルドルフの悠然とした態度は、さらに観衆の視線を集めた。

(さて、こちらも体をほぐすか)

ダグで一コーナーへ向かう。

スターターが登場し、生演奏のファンファーレが鳴り響く。

十三万人の熱気が沸騰する。

午後三時三十五分。

二十一人のウマ娘がゲートに収まった。

静寂が一瞬――

次の瞬間、つんざく歓声がスタンドを揺らした。

 

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