皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
ゲートが開いた瞬間、二十一人のウマ娘が横一線に飛び出した。
砂を蹴り上げる音が重なり、東京優駿の大舞台が一気に熱を帯びる。
外枠からスズマッハが鋭く切り込み、流れるような加速で内へ寄せる。
インコースからはスズパレード、ニシノライデンらが前を伺い、先団は五人が入り乱れる激戦となった。
その少し後ろ、八番手争いにビゼンニシキ。
胸を張り、意気揚々とした走りだ。
「今日は前目を取るぞ!」
ルドルフは内ラチ沿いを十番手で追走する。
(激しい先団争いだな……ビゼンでさえ順位が上がらない)
前走のNHK杯とはまるで違う。
スズマッハは後先を考えない覚悟の逃げ。
その背中には、迷いのない勝負師の気迫が宿っていた。
「逃げまくってやる!」
マッハは腹を括り、スピードを緩めない。
一コーナーへ向かう隊列は、二番手以降が次々と内へ殺到し、列が狭まっていく。
「マッハちゃん……覚悟は受け止めたわ」
スズパレードはルドルフの内に潜り込み、八番手をキープ。
その外にはビゼンニシキが七番手で進む。
「ここで二強と潰し合い、ということね」
パレードの瞳に決意が宿る。
ルドルフは冷静にレースを読む。
(なるほど……マッハを捕まえに行けばパレードの標的になる。
パレードと競れば、逃げるマッハが有利になる……)
スズの二人の“挟み撃ち”が、ルドルフに覆いかぶさる。
「しゃらくさいなぁ、スズの奴ら!」
ビゼンニシキも思惑を察し、悪態をつく。
だが額には汗、歯を食いしばる表情には余裕がない。
(ビゼン……まさか、君は――)
ルドルフは中団の内ラチ沿いで二コーナーを回り、向こう正面へ。
直後にビゼンがいるのは想定通りだ。
「ルドルフに勝つには、前で勝負するのみ!」
ビゼンは気合を込めて前へ進む。
ルドルフの包囲網は、ビゼンやスズだけではない。
栗東寮のウマ娘たちも虎視眈々と機を伺っていた。
ペースメーカーはスズマッハ。
これは目立つためではない。
集中力が研ぎ澄まされているように走っている。
ルドルフは体内時計でラップを刻む。
(13.0-11.0-12.2-12.6……巧みなラップだ)
向こう正面を過ぎ、先行勢は必死に優位を作ろうとする。
ルドルフは前のビゼンをマークしつつ、インのスズパレードの動きも捉える。
「ここでついて行かないと、マズいわ!」
パレードが速度を上げる。
ちらりとルドルフを見ると、手足の振りがわずかに乱れていた。
「私が潰すまでもなかったわね……」
小さく呟き、前へ。
ルドルフもタイミングを計る。
(確かに、前をこのままにはしておけないな)
ビゼンもじわじわとポジションを上げる。
ルドルフも続こうとするが――
(……脚が少し重い)
勝負どころが迫る。
各ウマ娘が位置取りを上げ、スタミナのない者から脱落していく。
消耗戦の幕が上がった。
「ルドルフは……我慢しているな」
正面スタンドで東条トレーナーが両手を握りしめる。
石上サブトレーナーは緊張で顔を固め、隊列を凝視する。
「観音経でも詠みたくなるわね……」
スピードシンボリが冗談めかして言うが、声は震えていた。
ホッカイペガサスとイズモランドも祈るようにレースを見つめる。
淡々とした流れに見えた――その時。
「ルドルフが……手を動かしている」
東条の声に、スピードが眉を寄せる。
「前へ行きたいのでしょうけど……行かないのかしら」
いや、行かないのではない。
行けないのだとしたら――
「まさか……ルドルフに異変が……」
東条の呟きが、ターフに落ちた。
ルドルフは中団の内ラチ沿い、三コーナーの坂を下り、
勝負どころの800メートル地点で脚を伸ばそうとした――その瞬間。
栗東寮の三人が、示し合わせたように動いた。
前にニシノライデン。
斜め前に同期。
横には同じチームのもう一人。
三人が壁となり、ルドルフの進路を塞ぐ。
「楽させて、たまるかいな!」
「そうやで!」
「せや、せや!」
ルドルフは完全に包まれ、身動きが取れない。
「アンタが動けないなら、行くわよ!」
対照的にビゼンニシキがするすると前へ。
本来ならルドルフが取るべき展開だ。
逃げるスズマッハは軽快。
荒れた芝に砂が舞い上がる。
二番手、三番手のウマ娘たちも手応え十分。
「よし!」とマッハ。
「いける!」とパレード。
その頃、ルドルフは藻掻くように走っていた。
ブロックをかわすのが精一杯で、もたつき始める。
(このままだと……)
焦燥の影が、ルドルフの表情に落ちた。
スタンドでは東条が奥歯を噛みしめる。
スピードシンボリも身を乗り出す。
四コーナーでは砂塵が舞い、視界が揺れる。
冬の寒波で傷んだ芝は回復せず、砂を撒いたコースはウマ娘の脚を奪う。
府中特有のロングスパートは影を潜め、
逃げ・先行が有利なバ場。
四コーナーで七番手、しかもインで詰まるルドルフに、
ファンの胸がざわつく。
その厳しい状況で、ルドルフの両手が激しく動いた。
「まずい……」
東条の声が震える。
スズマッハは快調に直線へ。
スズパレードも余裕の手応え。
「ダメだ……あそこからでは届かない」
東条の背に冷たい汗が伝う。
「神様……仏様っ!」
スピードシンボリが悲鳴を上げた。
石上サブトレーナーは眉間に深い皺を刻む。
――皇帝、窮地。